あいだにあるもの

★★★ We are all ONE with the LOVE in the Universe ★★★

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george all things must pass

星はなんでも知っているのだな、

と、ゆかりさんのとこを読んでそう思った。


筋トレ週報


FMでいきなりかかるとグッとくるね。

親父の十三回忌の帰り道、

母、助手席でうたた寝の第三京浜にて。





All things must pass.


Love and peace.




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こういうニット欲しいなあ。

Tシャツでさらっと着てるのが、
カッコいいんだよなあ。

チクチクしないかな(笑)


ちょうど11月20日だった。1976年。

George Harrison & Paul Simon - Homeward Bound



e7ra5ock7al11



あーつかれた。

ジョージは、精神安定剤。




Be Here Now (Early Take)



ピアノはニッキーかな?


ドスンってたまに鳴ってるタイコ良いなあ。
ジムかなあ。


調べる気もしない(笑)




george visited bob dylan 1968 nov

いや〜、まいるな。
毎度のことながら。


こんなに優しくて、柔らかくて、
だだっ広くい出だしが

ありますか。



超〜いまさらだけど(笑)



1968年11月の終わり、感謝祭の頃、

ボブが、ザ・バンドと
ウッドストックの森に引っ込んでたところへ

ビートルズに嫌気がさしたジョージが訪れて、



11月の森の空気と、木々と、
そして彼らの音楽と触れ合う中で、


ジョージのメロディが
ボブに言葉をイメージさせて、


この曲が、生まれて。



george visited bob dylan 1968 nov 2


*Let me grow upon you" ってフレーズは、本当に好きだな。
植物的な命の静けさ、森のイメージ。


これが、ささくれ立ってる時には、
ふっくらやわらかに、入り込んで来る。






う〜ん。素晴らしい。二人。



この曲だから "All Things Must Pass" の一曲目になり得る。
これで出るから "All Things Must Pass" が成り立ってる。

どっちもおなじことか。


なんか、光合成とかし合ってるみたいだ。



ありがとうジョージ。



george visited bob dylan 1968 nov 3
George Harrison Visits Bob Dylan, Byrdcliffe, Woodstock, New York. November 1968





声が生っぽくてさらに優しい "early take" 



たまらん。



george living in the material world

いや〜、まいった。

まいりました。

その時々で、音楽の聴こえ方は
いつも違うけれど、

このアルバムが、
こういう響き方をしたことはなかった。

録音に入ったのは1972年。
当時、ジョージまだ29才。

このアルバムは、
音の表面はメロウに聴こえたりするし、

歌詞は宗教的な言葉を
たくさん使ってたりするし、

音も素晴らしいんだけど、

もしかしたら、
全ジョージ作品の中で、

「ロックンロール音楽」の
いちばんコアな、本質のところに
あるのかも。

まだ若くて未熟なのに、
うっかり達してしまった
「秘密の高み」に
あるのかも。

もしかしたら、
私人としてのジョージの中には、
ものすごくネガティヴでダークなものが
渦巻いていて、

それを、ジョージ特有の繊細さと
美的センスと、
有名なロックスターとしての
パブリックな立ち位置で、

必死に封じ込めてたところで
出来た作品なのかも。


こいつは、助けてなんてくれない。

こいつは、優しくなんかない。


ただ、ひたすら高いところから
あなたを突き放してくれて、


あなたを孤独にさせてくれて、


だから、みんながひとつなんだと
わからせてくれて、


あなたを奮い立たせてくれる。


そういうアルバムなのかも。



ちなみに僕は、ジョージ・ソロ後期の
リラックスして茶目っ気のある
アルバム達も、とっても大好きですが



これをあの3枚組と
バングラデシュ・コンサートのあとに
まだ20代で、作ってしまったんだなジョージ(汗



Be Here Now


The Light That Has Lighted The World


geoege 1972



The Light That Has Lighted The World (Demo)



peace



George Harrison - Thirty Three & 1-3

どーしようもないことは、どうにもならんのだ。

それは、わかっている。
しかしだ。

ただ、そのどーしようもない状況がとおりすぎるまで
じっと目を閉じて我慢しているよりも、

そのどーしようもない状況を
べつの角度から見ようとしてみたらどうなんだろうか?


その状況がいま、自分に訪れていることが、
自分に、なにを運んで来ているのか。
そのことから、 
いま自分は、なにを学んでいるのか、


そういうことが、いくらかでもつかめたならば。


ちょっとは積極的な心持ちになれる
かも知れない。

 
もちろん、それは
じたばたと、やみくもにあがくこと、とは
わけがちがう。
ひとつひとつのもやもやを
落ち着いてクリアにしていく作業、のようなことだ。

こころの中にひっ絡まって来た
蜘蛛の糸みたいなものを、
丁寧にとりのぞいてやる、そんなようなことだ。

言うのは簡単だが、
しかし、いやいや、けっこう難しいんだ。


Tibetan Singing Bowl


そういうことに、たいへん役立のだな。
本日、発見した。

集中していると、良い具合に、
高い場所から、ぜんたいがクリアに見える。
そういう気がするってことだ。

ほんとうはどうなのか、なんて
誰にも、わかりっこない。

でも、見え方が変わると、感じ方が変わる。
 それは、確かだ。

自分と、ぜんたいが、どうなっているのか、
どこがどう繋がっているのか、
そう、自分とぜんたいが、
「ひとつながり」になっている、という、その感覚。
そこがクリアになるんだ。
不思議だなー。

なんとも言葉ではうまく言えないが。

20171107 singingbowls

これとの出逢いを運んでくれて、本当にありがとう、なのだ。

明日のBGMは、ジョージにしよう。



george hau bush roots

自分の中に、獏としてもやもやとした
「落ち着かないもの」があって困っている、
というようなことは、
誰しも、多かれ少なかれ、あるものだと思う。

なぜそれは「落ち着かない」のだろう。
おそらくそれは、人がものごとを考えるとき、
「言語」というツールを媒介にして
ものごとを理解する生きものだから、
じゃないだろうか。
これは、人が「社会的に生きる」上でのことだ。

社会生活は、ヒトという生きものが生存する上で
発達させた適応能力、生きる手段なわけだから、
これは、ほとんどの人にあてはまると思う。
物理的、精神的に、完全な「孤独」を
生きていける人は例外かもしれないが、
そういう人はそうそういるもんじゃない。

そういう癖がついているせいで、
内的な思考、つまり
自分の中で「考えていること」であっても、
人は、ほとほと呆れるほどに、「言語」に頼っている。
そのことは、ぼくがコミュニケーションについて、
人と人とのあいだに起こる様々なやり取りについて、
「多言語、異文化」というフィールドからの観点で
四六時中、突き詰めて考えるようになってから、
嫌というほど身にしみてわかってきた。

人は、自覚していても無自覚であっても、
ものすごいスピードで、多方向に、
何重にも重なったレイヤーの
表層から深層まで動きまわりながら、
ありとあらゆるものごとを、休みなく考えている。
もやもやとした「落ち着かない」ものは、
頭の中で、「言語化」される以前の状態にあるか、
あるいは、「どう言語化したらいいか」を、
探しあぐねているところのもの、なのかもしれない。

なぜそれは言語化できずにあるのか。

いろんな原因とか理由が複合的にあると思う。
はっきりと言語化する前例を知らない、
自分にとっての、新しいタイプの経験から来る
未知な領域にあるものごとだから、
ピタリとあてはまる言葉が見つからない、
ということかも知れない。
あるいは、自分のボキャブラリーの中にある
なにかの言葉をあてはめて、理解したつもりに
なってはいるが、どこかしっくり来ないなにかを
無自覚に感じている、ということもあるかも知れない。

もっと言うと、
自分はそのことについて「理解している」と
思っていたいがために、
本当は、あてはまる言葉が見つかっていないと
自分で自覚してわかっていながら、とにかく、
とある言葉をあてはめておかないと不安なので、
そのへんにある言葉をとりあえず
あてがっておいたら、いつしか無自覚に
その理解なのだと思い込んでしまっていた、
ということだってあるだろう。

あるいは、いろいろと面倒くさいので、
そのへんに流れて漂っている言葉の中から
いくつか拾いあげて、あてはめておいて、
うん、なんとなくこれかな、と
それで自分を落ち着かせておくのかも知れない。

ひとまず過去にあったとある言葉を
そのことにあてがってみて、
その落ち着かないものを「着地」させておこう、
という試みは、その日の気分を安定させるのに
一時的には、けっこう役に立つ。

しかし、自覚しておかなくてはいけない。
それは、あくまでも、その日の「対処」である。

ありとあらゆることがらの中で、
言葉がじゅうぶんな理解を与えてくれること、とは、
じつは、ほんの表層のごく一部のことがら。
【地面の上に形として見えている木の幹と枝葉の部分】
それだけなのであって、
【その木の、全体の、いのちを支えている地面の下】
つまり根っこの部分で起きている多くのこと、
その大部分について、人は、それを語るための
はっきりした言語を与えられていないのだ。

そして「感情」の多くは、この地面の下から
湧き上がってくる。


<BRAINWASHED>


今日のエントリーで話題にするのは、
外から、例えばマスメディアから入って来る
なんらかの波長が、
気分のいい波も、悪い波も含めてだが、
自分という「個」の中に、
どのように入って来て、
そこから受ける影響が、いったいぜんたい
自分に「なに」をもたらすのか。
そんなようなこと、だと思って、書いている。

ぼくの興味関心は、
自分の奥底と、自分の外とのあいだに、
なにがあって、いったいなにが起きているのか、
たぶんそこだ。

好きな音楽と絡めて書くのは、
そうして色んな影響から作られている自分を、
今日も、きちんと信じていられてるかな、と、
自分に問うため、かもしれない。


ひとまず、前置きを書いてみた。


どうして、人と人が、殺しあうのかな。
そういうニュースが飛び込んでくると、
とても悲しくつらくなってしまう。
人種や民族や宗教の対立。
とくに、人種のこと。
とくに、アメリカでのできごと。

自分には直接、関係のない
遠い、よその国の社会で
起きていることなんだから、
とりあえず見聞だけはして、
横に置いて、受け流して、
楽しいことを考えて、
ハッピーにしてることだって、
できなくはない。

でも、ここについては、それをしたくない。
自分の中の奥底の、根っこのところに、
厳然と、それは入り込んでくるし、
入り込んで来るのだな、ということに、
つねに、気づいていなくてはいけないな、と思う。

そこに気づいていることが、
必要なことなのだと、
そうおもうから、そうしている。
しっかりと想像力を働かせて、
自分で勝手に、入り込ませている。

それで、勝手にしんどくなっている。
自分で選んでやってることなんだから、
しかたがないんだよな。
これがわたしの生きる道。by PUFFY

憎しみからは、憎しみしか生まれない。
たぶんみんな、それはわかっている。
しかしそうかと言って、
仲間が、同胞が、
その人種だからという理由で
無抵抗な状態で殺されて、

もう21世紀だというのに、

声を上げずに黙っているわけにはいかない。
そりゃあそうだろう。
だから連帯して、声を上げる。

警察力というは、権力側が法的に認めた
組織的な暴力装置だとも言える。
もちろん通常は、犯罪を抑止するための、
または、取り締ったり検挙するためのものだ。

しかし、ちょっとまて。

この、落ち着かない気分は、
どこから来て、
どこに、どう繋がっているのだろう。
それについて、少し考えた。


仲間、同胞、と書いた。


英語の "Compassion" は、
同情、とか、哀れみ、とか、
思いやり、とか、
そんなような日本語に置き換えられるが、
本義的には、
"Com" + "Passion" であり、
抑えきれないほどの痛みの感情を共有する
というようなことだ。


湧き上がる痛みの感情の共有。


これは、良くも悪くも、
たいへんにパワフルなものだ。
そして、同胞意識が集合すると、
共通の敵へのむき出しの感情が
束になって歯止めが効かなくなる。

共通の敵。

権力が保持する、法的に認められた暴力。

しかし人間のやることには間違いがある。
責を負うべきは、犯罪的な行為だ。
この場合は、あの警察官だ。
彼の肌の色がなんであってもだ。

それが銃撃戦にまで発展して
多くの死傷者が出る。
市民が武器を持っていることの危うさ。
連帯感が生み出す
止められないうねり。
マスメディアや動画サイトという
ものごとを共有するためのツールと、
映像というパワフルな表現。

外部から個の中へと流入する波長が、
内部で膨らみ、集団で暴発する。
そこにある、意識の流れ。

意識の流れ。

ぼくの中の奥底にある根にも、
その意識の流れは繋がっている。
ひとしずくの波紋は、
あっというまに広がっていく。

それは、外から入り込んできて、
個の内側に影響し、拡張して
さらなる大きな波長を生みだして行く。


それが結果として、
ものごとを良い流れに変えることだってある。
けれども。


出発点よりも、
どこを通るか、なのかな。肝心なのは。


思ったとおり、とりとめのない、
あいまいなエントリーになってしまった。
この「落ち着かなさ」は、
つまり、ぼくが言葉に置き換えられる範囲の
外側にあるあからなのであって、
いうなれば、肝心なところを探っているから、
落ち着かなくて当然なのである。



ジョージは、ロックやポップ音楽の、
乱暴な表現を嫌っていた。
いいかげんに乱雑に作られた、
おかねを儲けるための音楽を嫌悪していた。

ここでいうロックの乱暴な表現、とは、
ちなみにだが、ロックンロールの
レコードのことではない。
上質なロックンロール音楽は
たいへんにシンプルでエレガントで美しい表現だ。

きもちの良い意識の波長を、
言葉ではなく、美しい音楽に昇華することを
ジョージは晩年まで実践し、実に彼の場合、
年齢とともに、その表現は成熟していった。

侵入してきた暴漢に妻と二人で応戦し、
自分が殺される寸前までのことを実体験しても尚、
これほど細やかな美しい波長のスライドを弾いている。

驚くべきことだ。

亡くなる前まで録音されていたテープを元に、
死後、発売された最終作は、
<BRAINWASHED>
メディアから受ける洗脳。
ジョージが、再三、静かに発していた警告のひとつである。

人は、こうして、ものごとを美しい波長に変換できる。
少なくとも、人間の中に、そういうことが可能だった人が、
確実に、ひとりは居た。
もちろん、他にも、いくらかいる。

そう思うと、今日も、救われるきもちだ。






<追記(オマケ)>

これがわたしの生きる道 /// PUFFY (TOUR! PUFFY! TOUR!)

https://www.youtube.com/watch?v=ixEL1CXwCP0

これすごくいい動画。(リクエストにより埋め込み不可)

 

george rolling stone sep 26, 2014
Photo from: http://www.rollingstone.com/music/news/the-many-solo-moods-of-george-harrison-inside-the-apple-years-box-20140926

ジョージのことは、書きたいことがいっくらでも湧いてくるんだが、まあひとつには日本国内におけるあまりの過小評価、という件です。

僕がジョージ・ハリスンの存在をソロ・アーティストとして初めて認識したとき、ヒットしてラジオから流れていたのは、LP 『ジョージ・ハリスン帝国』 と、シングル 『二人はアイ・ラヴ・ユー』 だった。

当時は子供だったので勿論なんとも思わなかったが、いま思うに、この70年代の日本のレコード会社の感覚っていったいなんだったのだろう。『ジョージ・ハリスン帝国』 だぞ。よく、OK出したな、東芝EMI。ビートルズ関連でコレはあり得んだろ。

レコ・コレのどれかに、「トミー・リピューマ・プロデュースで、このあともう一枚作ってたら、そうとうなAORの名盤が生まれていたことだろう、邦題は 『ジョージ・ハリスン帝国の逆襲』 でキマリだ」みたいなことが書いてあったっけ。これはもちろん皮肉を込めて、だと思うけど。

そうそう。年代からして、内容、かなり良いんだよ。当時まだ駆け出しのデイヴィッド・フォスターをアレンジに起用してたり、いろいろ当ってることアリアリなんだ。それなのに、この邦題。音楽家・ジョージ・ハリスンの評価も、ギタリスト・ジョージ・ハリスンの評価も、日本ではあまりにも低いじゃないか。とくにこの当時の評価の低さは、この邦題からも窺い知れるってもんです。

george extra texture_2

いや、日本発売の洋楽レコード帯で初の 『金字塔』 の文字が入ったLP3枚組、今だに多くのファンが最高傑作と位置づける "All Things Must Pass" 、そして全米No.1ヒット・シングルも出した "Living in the Material World" 、世界的にも初のベネフィット・コンサートでボブ・ディラン等の大物をゲストに迎え映画化もされた 『コンサート・フォー・バングラデシュ』 の成功で、そうとうな評価を得ていたはずなのに、たった数年でこれほど下がってしまったのか?北米ツアーの声の不調は、それほどダメージを与える要因なのか? 


ジョージのことになると感情的になる自分である。レコスケくんとは気が合いそうだといつも思う。


というのは冗談として、『二人はアイ・ラヴ・ユー』、この邦題のスゴさはどうだ。

二人はアイ・ラヴ・ユー

ガサっとしたシングルのパッケージとかいいんだけどなあ。原題は "You" ミニマルの極みだ。いや、たぶん、とくにそんなんも、なんもない。人にあげちゃう予定だった、ポップでメロディアスでノリの良い曲だ。問題は邦題である。「二人は」 「アイ・ラヴ・ユー」 っておい。なにひとつ合ってないじゃないか。

60年代のビートルズの邦題の方がよっぽどセンスがいい。"I Want To Hold Your Hand" / "This Boy" を、「抱きしめたい / こいつ」 と付けた人はスバラシイと思うし、『涙の』 をつけることはよくあるパターンとしても、"Ticket To Ride" に 『涙の乗車券』 と付けた人には邦題オリンピック金メダルを授与したい。バツグンのセンスだ。

そんな素晴らしい邦題の文化を育んだ60年代がありながら、『二人はアイ・ラヴ・ユー』 だぞ。


大好きである。


なんてゆーかなあ、その軽みというか、エエカゲンさが、70年代的なポップさで良いんだよなあ。 


さて、今回 『贈りものは』 と題した理由は、この曲のギター・リフの素晴らしさなのです。よって、ここからは、かなりほじくります。基本的にそういうネタはなるべく避けてますが。

いっぺんだけ、この曲をバンドでやったことがあるんだが、リハの時にギターのS氏がこのリフを弾きながら、アタマふるふるして 「うーん、ジョージいいなぁ」 みたいなことを言ってた。で、当日たまたまゲストだったセンチの中野督夫氏も、ぼくらが前座の最後の曲でやり終わった後、このリフをアコギで繰り返し弾きながら 「そーかぁ、そうやっとるのか、ジョージええなあ、さすがやなあジョージ」 とか言いながらステージに登場した。

二人して(勿論、本番中ステージ上、音出しながら、です)「そうなんですよ、ここ、こう弾いてんだよね」「そうか〜、ジョージさすがやなあ」とか会話してた、その 『ギター弾き同士の会話』 の雰囲気が可笑しかったもんで(て言うかステキだったもんで)、後日、ぼくもつくづくこのリフを聴き返して、ギターで音を拾ってみたわけだが、いや〜これが、見事なリフなんですね!メロディーや譜割りはもちろん、進行した二つ目のコードのとき、スライド、ハンマリング・オンなど交えつつ、めちゃくちゃ繊細に、最初のコードのリフとはメロディーを変えて弾いてて、そこが実は、『ポップさ』 と 『ブルージーさ』 の境目だったりするもんだから、はー!ジョージ!そんなことしてたのか!という感じで。



ジョージ好きギター弾きの人にしたら、当たり前の話なのかも知れないです。

でも、一般的に、音楽家・ジョージ・ハリスン、ギタリスト・ジョージ・ハリスンは、ソロ・アーティストとしての認知度、評価、低いですよね。海外でも一般には低いと思うけど、特に日本国内。

それでも、彼の弾くスライドギターや、ビートルズ時代も含めて、いくつかの作品への評価は、ある程度は、あるにはある。けれど、こんな、たったこれっぱっちの、話題にもならないところで、バツグンのセンスをしているジョージ。こんなのは枝葉の話で、そのアーティストとしての精神性とか、コアなところでもっと評価されてしかるべきなんだけどなあ。

本日 "George Day" につき、ちょびっとほじくりました。


追記: 
「スモーキー・ロビンソンが僕のフェイバリットだなって思ってね。シンガーとしても、ソングライターとしても。だから、この曲を彼に捧げたんだ。」っていう、ジョージの 『語り付き』 の、これを見つけました。削除されないでずっと残ってるといいなあ。



Love! George!

 
george sun guitar

謹賀新年!

写真がInstagramとダブりますが、お正月の1曲目は
"Love Comes To Everyone"
今年も、扉が開かれて行くことを祈念します。 

2015 0101

さてさて、ジョージの音源をそのまま貼るのもベタなので…
このアルバムからではないですが、
ステキなカヴァーを見つけました。

こんな風に素直に、なかなか出来ないよ。
いいなあ。やってみたい。

 
ちょいリヴァーブ多めですが、気持ちエエです。
どなたさんだか存じ上げません(スマセン汗)


お次は、こちらさんです。
申し訳ない、どなたさんでしょうか。
これは激シブです。
"Doo-Lang, Doo-Lang, DooLang"
の、コーラス入れてます。
例のバカな裁判へのアンサー・ヴァージョンですな。
メチャクチャいいです。
マイッタ。

 
こらちょっと、調べなアカンなと思ったので、
軽く検索してみたら、ありました。
New Orleansの、Hurray For The Riff Raff という、
プエルトリコ系、NYブロンクス育ちの
Alynda Leeさん(たぶん歌ってる彼女)を中心とするグループでした。
チェックしときます。


てなことで、本年もよろしゅうお願い致します。
 



今回は、あえて「ジョージ・ハリスン」カテゴリーにせず…


とにかく、もういっぺん、やってみよか?


"One, two, three, four"


I'd Have You Anytime


Let me in here, I know I've been here
Let me into your heart
Let me know you, let me show you
Let me roll it to you

All I have is yours All you see is mine
And I'm glad to hold you in my arms I'd have you anytime

Let me say it, let me play it
Let me lay it on you

Let me know you, let me show you
Let me grow upon you

All I have is yours All you see is mine
And I'm glad to hold you in my arms I'd have you anytime

Let me say it, let me play it
Let me lay it on you... 



"Any...ah, anything do you want to change or say?"

george_friarpark1


そんな師走でございます。


Songwriters George Harrison;Bob Dylan

 

Swampland.comというサイトに、2008年のDelany Bramlettのインタビューがあって、ジョージと出会った頃の思い出話をしている。

What can you tell me about George Harrison?
George was probably one of the sweetest men I ever met.

Seems like he would be. 
Oh, he was pure. People ask me questions and they want me to say something nasty about George, but I couldn’t even if I made it up. George was constantly seeking the Lord. He was a very, very religious man. He could never find a place where he was happy though, but he was always seeking God. And that’s why he asked me at Albert Hall after a concert if I’d teach him to play slide the old Mississippi blues way. I said “George, you ain’t a bad guitar player. You’ve done pretty good with that little ol’ group you just left.” (Both laughing) I said, “You don’t stink as a guitar player.” He said no but I don’t know how to play that stuff you play." He said “I want to know and would you show me how to write a gospel song where it just praises the Lord?” And I said that I sure would. He’s heard a lot of my gospel stuff and he wanted to learn how to do that. He said “I’ve tried every kind of religion and I’m not happy, but if I could learn to write a song like that it just might set me on my path.” And I said “It just might do it.” So I came up with the first melody I thought of, which was (sings) “He’s my kind of guy. Do-lang, do-lang, do-lang.”

“He’s So Fine.” 

Yeah. So we used the melody for a quickie lesson. And I started singing (sings) “My sweet Lord. I just want to feel you Lord.” And I said we’ll throw these backing singers in there singing “Hallelujah.” George’s eyes were getting bigger and bigger. The next thing I knew I was hearing that record out on the radio. And George called me up and told me “Your name’s not on it as a writer but it will be on the next pressing.” But I knew it wouldn’t be because they’d have to change the whole cover and everything. But he didn’t mean to leave my name off and it didn’t matter anyway, I was just happy to help him out. He told me “That song got me to where I’ve been looking to go.” And I said “Well, it was worth it.”

「ジョージは、たぶんぼくが出会った中でいちばんイイ男のひとりだったな。("George was probably one of the sweetest men I ever met.")」と、ジョージの印象をそんな風に語っている。これは、ドラマーのJim Keltnerも同じようなことを言っているし、ベーシストで、ビートルズのアルバム「リヴォルバー」のジャケットを描いたことでも有名なKlaus Voormannも同様だ。

Delany Bramlettといえばジョージをゴスペル・フィールのアメリカ南部サウンドの虜にした張本人であり、ジョージにスライドギターを教えた人でもあるわけだが、こうしてインタビューを読んでみて、ジョージがなぜあの時期に、そちらの方面にぞっこんイレこんだのか、と想像すると、単にブルーズやソウル、ゴスペル、カントリーなどが混ざり合ったアメリカ南部の音楽クロスロードが魅力的だったこと以上に、その鍵はラヴィ・シャンカールとインド伝統音楽に傾倒した事とやや似ていて、やはり混沌としたビートルズの終焉に疲れていた当時のジョージは、どこか「宗教的なもの」に心のよりどころや安らげる音楽の場所を探していたように思える。

Delanyのインタビューをかいつまんで要約すると、ジョージはとてもピュアに自分にとっての「主(ロード)」つまり心安らぐ精神的な居場所を探していたようで、Delany & Bonnieの音楽の存在感にそういうセンスを感じ取っていたようだ。またDelanyも、すぐにそれを察知した。(そういえばラヴィ・シャンカールも、ジョージにはどこか他の西洋人ミュージシャンとは異なるセンスを感じたと言っている。)アメリカ南部のコットン・ベルトはとりわけ宗教色の強い地域として知られている。

Delany(以下D:) 「ジョージ、君のギタープレイは悪くないよ。ちょっと古ぼけたあのバンドでもなかなか良いプレイをしてたじゃないか(二人とも笑う)」 George(以下G:) 「うん、だけど僕は君みたいなプレイがしたいし、君らが演奏してるような主(ロード)を讃えるような歌を書きたいんだよ。僕は他の宗教的なやつにもトライしてみたけどまだハッピーじゃない。でも君らみたいなヤツを書けたら、抜け出せる道が見つかるような気がするんだ。」

D: 「そこでオレは、ちょっと浮かんだメロディーを口ずさんで、ちょっとしたレッスンに、ハレルヤのコーラスを付けてみせたんだ。ジョージの目ん玉はどんどんまん丸になっていったよ。そして、しばらく経って、あのレコードを聴いたわけだ。」 G: 『君の名前は作曲者として入ってないけど、次回プレスからは入れるからな!』 D: 「とは言うもののそりゃ無理だろうし、まあそんなことはオレはどうでも良かったんだ。ジョージをちょっとサポート出来たことが何より嬉しかった。彼が、『あの曲で、僕は探してた場所に行けたよ』と言うんで、『そんなら良かった。』って言ったよ。」

と、そんなこんなでエリック(クラプトン)のバンドやデュアン・オールマンらと絡んだDelany & Bonnieとのセッションを転機にジョージはスライドギター・プレイヤーへの道と、かの3枚組ファースト・ソロアルバムと、ヒット曲"My Sweet Lord"をモノにすることになる。



それでは、その後ジョージは、そういう宗教的な部分に本当に心の安らぎを得たのだろうか?おそらくそうではないだろうと僕には思える。ただジョージ・ハリスンという人の音楽家としてのフック(引っかかり)のような部分を刺激したのが、たまたまインド音楽でありゴスペルであっただけで、おそらくそこにある根の深さのようなものが、マテリアリスティックな世界からジョージを切り離し、それが結果的にジョージの精神性と音楽性を高めたのだろうと思う。事実、その後のジョージの作品群を聴くと70年代の半ばから以降、どんどん宗教色は薄くなり、歌詞からはLord、Godなどの言葉がなくなり、それにつれてギタープレイヤーとして録音アーティストとして、どんどんと「ジョージの音楽の居場所」へと近づいて行き素晴らしい作品を出して行く(と僕は個人的にはそう思っている。)

例えば、ずっと後になってからだが、79年の"George Harrison(慈愛の輝き)"に入っている"Blow Away"だとか、ジェフ・リンと絡んだ87年の"Cloud Nine"に入っている"This Is Love"のギターの浮遊感。このシンセサイザーのポルタメントのようなスライドは、Delanyの教えたミシシッピ・デルタ・スタイルのブルース・スライドとは根本的に違う、ジョージ・ハリスン・オリジナルなもので、こういうのは未だかつて彼ジョージ・ハリスンにしか弾けないし恐らく今後も誰にも弾けないと思う。音や歌詞の世界観は超シンプルでポップだが、まったくジョージ・ハリスンその人ならではの深みがあって、それが音楽のクオリティーを高めている。こんなのを他の人がやったら、ちゃんちゃら軽いポップソングになってしまうだろうと思うのだ。



 

アルバム"All Things Must Pass"や、"Living In The Material World"などソロ初期の傑作はもちろん間違いなく素晴らしい。でも、こういうソロ期の中盤から晩年に近づいた頃のシンプルでポップな「やや軽いラヴ・ソング的な」歌詞の内容を持った曲の中に見え隠れする音楽の精神性の高まりは、別の角度で本当に素晴らしい。ジョージの必殺技、「スローで美しい曲調の歌」、例えば、"Your Love Is Forever"だとか、そういう曲は、それぞれのアルバムに入っていて、もちろん素晴らしいんだが、こういう軽快でシンプルなポップソングが言葉にならないほどの高みに達しているのを聴いて感じる瞬間、それが僕の至福であって、ジョージに敬意と感謝を捧げる「ちょっとした大切な時間」なのだ。

それにしても、そこにあるものはいったい何だろう?僕にとってのヒントになるのは、例えばジェリー・ガルシアがインタビューで語っている「意識をいっぱいに広げること」だとか、「壁のないスペースに居て居心地よくしている」というような言葉だ。

人間は自分の周囲に、あっという間に、ありとあらゆる見えない壁を作る。これは人間という社会的な生き物が、身を守るための本能のようなものだ。この壁の内側に居れば安全、というわけだ。宗教の本来的な部分には、こうした壁をとりのぞくための智慧があるはずなのだが、人間の精神の弱さ故、逆に宗教がその壁を強固なものにしてしまうような翻訳のされ方、それが起こるのが世の常である。 

しかし、なにがそんなに怖いのだろう。いったい何から自分を守りたいのだろう。自分ないし自分の側にいる守るべき者、家族や友人、同胞。こういった意識を持ったとたんにもう壁は出来ている。ここのところを、人間はまだ超えられないでいるのだ。「究極的に、怖れるものがあるとしたら、それは『死』なんだろうね。」とジェリーは言う。「だから僕らは、『死』と、もっときちんと向き合わなくてはならないのだけれど、キリスト教は死をゆがめて来たから、」と。

ジョージのシンプルなポップソングの中には、こうした「壁」の内側・外側という意識を解き放って、ふわりと飛び越えさせてくれるような、「しなやかでフワリと軽く、やわらかで温かく、そして信じられるもの」を感じる。あえて言葉にすれば、そんな感じになる、ということだけれど。どうしてジョージはこういうことを感じさせるのだろうな。本筋からやや離れてしまったけれど、Delany Bramlettをして "One of the sweetest men I ever met" と言わしめるあたりも、やっぱりジョージの精神性の高さには、何かがあるんだろうな。

All-things-must-passかなり前にバンドでカヴァーして歌ったことがある。
変わったコード進行と陰鬱とした空気が印象的な曲だ。

人の無意識に忍び込んで来て絶望感をもたらす思考。
そんなものに縛られて生きるな、と訴えかける。
差し迫った危険を想起させる"Beware"

歌の最後には直接的なメッセージが歌われる。


Watch out now, take care Beware of greedy leaders

They take you where you should not go
気をつけろ、欲深いリーダーたちをじゅうぶんに警戒しろ
やつらはお前たちを連れて行くぞ
行くべきでないところへ

They just want to grow, grow and grow
やつらは懐を肥やしたいだけなのだ
どんどん肥やしたいのだ

この怪しげなコード感、全体に漂う不穏な空気で、
表現したいことがあったんだと思う。
ジョージ流の静かな反骨精神だ。
バングラディシュ・コンサートでは
レオン・ラッセルのすんごい歌が、途中のいいところで出てくる。

ジョージの眼差しは遠く広がるスペースを鋭く見据えているようだ。



"Beware Of Darkness"

Watch out now, take care
Beware of falling swingers
Dropping all around you
The pain that often mingles
In your fingertips
Beware of darkness

Watch out now, take care
Beware of the thoughts that linger
Winding up inside your head
The hopelessness around you
In the dead of night

Beware of sadness
It can hit you
It can hurt you
Make you sore and what is more
That is not what you are here for

Watch out now, take care
Beware of soft shoe shufflers
Dancing down the sidewalks
As each unconscious sufferer
Wanders aimlessly
Beware of Maya

Watch out now, take care
Beware of greedy leaders
They take you where you should not go
While Weeping Atlas Cedars
They just want to grow, grow and grow
Beware of darkness (beware of darkness)


スタジオ音源も、もちろん素晴らしく美しい。
しかし、こういう歌が時代を越えてまだ必要であることは、残念ではある。


 

例によってジョージのアルバムや曲をいくつか聴いてます。
本当に、この人が今のポップ・ロックミュージックの基礎に
与えた影響というのは計り知れないほど大きい。
エスニックな伝統音楽とモダン・エレクトロニクスを
ロック畑で繋げちゃったのもジョージだし、
アメリカ南部に点在していた、後のルーツ系ロックの
基礎となるゴスペルやソウル、ブルース、リズム&ブルース、
カントリーなどが合わさったものと、
UKから湧き出たヨーロッパのポップ/ロックミュージックを
合流させて、その後のポップ音楽の基礎づくりに貢献した、
数名のビッグネームのうちのひとりがジョージだし。
つまりその後、今現在ぼくらが聴いているすべての音楽は
何らかのカタチで直接・間接的にジョージの影響を受けている。
そう言っても決して過言ではないと思う。
でも活動が地味だったので、そのことをご存知ない方が
世の中にはあまりにも多いんです。
だから飽きずにこうして書いちゃう。
というわけで、そうなんですよ皆さん。(笑)

これは1997年の番組で、生前ジョージが出演した最後のやつ。
で、合ってますかね(笑)
実はそういうトリビア的なことはよく知らんのですが。
ラヴィ・シャンカールと一緒です。

ジョージの死後に発売になるタイトル"Brainwashed"の
1曲目に収められた"Any Road"を軽〜くやってます。
歌詞も映像と合わせたものを載せてみます。


I've been traveling on a boat and a plane
In a car on a bike with a bus and a train
Traveling there, traveling here
Everywhere in every gear

But, oh Lord, we pay the price
With the spin of the wheel with the roll of the dice
Ah yeah, you pay your fare
And if you don't know where you're going
Any road will take you there 

I've been traveling on a wing and a prayer
By the skin of my teeth, by the breadth of a hair
Traveling where the four winds blow
With the sun on my face, in the ice and the snow

But, ooh wee, it's a game
Sometimes you're cool, sometimes you're lame
Ah yeah, it's somewhere
If you don't know where you're going
Any road will take you there

You may not know where you came from
May not know who you are
May not even have wondered
How you got so far 

But I keep traveling around the bend

There was no beginning, there is no end
It wasn't born and never dies
There are no edges, there is no sides

Oh wee, you just don't win
It's so far out, the way out is in
Bow to God and call him Sir
But if you don't know where you're going
Any road will take you there

If you don't know where you're going
Any road will take you there
And if you don't know where you're going
Any road will take you there
 

Songwriters
George Harrison


Any Road Lyrics | MetroLyrics 

録音中だったデモ音源をキリっとさせて
2002年に正規発売されたアルバムのバージョンがこちら。
いくらかの歌詞が書き足されたようですが、歌の骨子は
上に載せた1997年の時点ですでに出来ていたようですね。



さて、いつもジョージのこのあたりの作品を聴くたびに、
この人の「解き放たれていく経過」に、驚きを隠せないのです。
この、"Any Road"の、やわらかさと軽快さ、同居する深さ。

ビートルズ解散後、ファースト・ソロ・アルバムが
大成功しちゃったLP3枚組の「金字塔アルバム」(笑)
"All Things Must Pass"だったりとか、
ボブ・ディランを招いたロック界初のベネフィットコンサート
「コンサート・フォー・バングラディシュ」だとかの印象で、
「うわぁ、ジョージってなんか重そう」
ってなっちゃうパターンが多いと思うんだけど、
70年代の作品群を通して眺めると、ある時期から
どんどん「軽味」が出てきて、
かといってポップで売れる路線でもなく、
なんて言うんだろな、全体の流れでひとつの
行き着くべき方向を指し示しているというか。
デモ・バージョンの"All Things..."なんて
スキ者しか喜んできかないだろうけど、
ここからずっと、"Any Road"に結実するまで、
一環して流れてるモノって、やっぱり、あると思います。 

 

いや〜これ、しかし、スタジオのリハ音源だと思うけど、
ところどころ、うっしっし、な、ヨダレものですわ。
ここはスキモノの世界です。(笑)
でもみなさん、ジョージのソロ作品、聴いて下さいね!
メッセージ的に、いまの時代に、とっても必要だとも思います。
扉を開いて、壁を越えるのを手伝ってくれると思います。

 

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