2005年12月28日

影法師

 原稿用紙 約6枚 1968文字

 ジャンル ホラーっぽい。もしかするとシュール系。

 判定は、これを読んだ君に託す。

「面白い話があるのですよ」
 男の前に突然現れた影が耳元で呟いた。
 通常、不意をつかれて面食らうはずのこの場面も、その男にはなぜか平然と受け入れられた。
「どんな?」
 男は唇だけを微かに動かしてようやくその一言だけを搾り出した。擦れて、ざらついていた。
 影の手はゆっくりと音もなく移動し、するすると男の首筋に躊躇なく絡みつく。
 何も感じない。むしろ心地よい。
 くつくつと笑う声。
「頭上を御覧なさい」
 男は言われるがままに振り仰ぐ。いや、これは己の意思なのだろうか。男はそうも思う。
「私に出くわして驚きの声をあげない人間は珍しい。あなたは非常に運がいい──」
 長い、永い間。
 何故ここに来たのだろうか。どうして私は。どうして。どう──

 純白とはこういったことをいうのだろうか。
 いや、そうではない。
 こういった心の状態のことを言うのではないか。
 心の中で同じことを何度も何度も反芻していた男のからっぽだった瞳が白く淀む。
「お加減は如何ですか?」
 柔らかい振動が鼓膜をくすぐる。
「はあ。いくらかよくなりました」
「お薬と食事をここに用意しましたからなるべく召し上がって下さいね」
 その言葉だけを置いて振動は止まった。
 再び男の網膜は虚無に閉ざされていく。
 何を見ていても、何をしていても、何を聞いていても、何を感じていても。無い。ない。ナイ。
 人間が普段見ている景色というのは、光が反射することによってのみ形作られるものである。それは視覚にのみ頼って世の中を覗ている我々には絶対的であり、覆すことの出来ない事実なのだ。
 人間は見ているつもりで、実は盲目的にそれを信じているに過ぎないのだ。
 存在するのだから存在する。しかしそれは、実は存在しないのと何も変わりはない。存在し、かつ存在しない。言葉のうえでは矛盾しているが、男にはそれらがまったく同じように思えた。
 だから男には世の中の全てのことがあって無いのである。つまりは無いのと同じなのである。
 無いのだから何をしてもいいのだろう。いつからそう考えるようになったのだろうか。
 気が付くと男はすれ違った小学生を絞め殺していた。膝小僧にとまった蚊を叩き潰すように、男はそのとき何も感じなかったのだという。
 いや、厳密に言うとそうではなかった。それは、後に埒が明かないとして警察が発表した世間体であり、男の現実的な動機ではなかった。
 人間誰しも蚊に黙って血を吸わせるようなことはしない。つまりは蚊を嫌っているということであり、それは存在していることを知らなければならない。
 だが男には何も無い。感じないのだ。しかしそういった男の感覚を世の中は認識できない。いや、認識しようとしないのか。
 きっとどちらでもかまわないのだろうと男は思う。
 存在し、かつ存在しないのだから。
 男は別に小学生でなくてもよかったと言う。誰でもよかったのだと言う。
 その後、男は暗くて黒い色に包まれた。幾日たったのだろうか。気が付くと男を映す色が白へと変わっていった。
 男にとってそれは白くても黒くてもどうでもよかった。
 結局は出られない。出ても意味が無い。男に色を付けることは不可能なのだ。何者にもそれは出来ないのである。
 だから白くても黒くても変わらない。構わない。
 そうして白い世界で男は幾日かを過ごした。
 自動的に運ばれてくる生命。それだけが、男がこの世に存在することを許しているのみである。
 あくる日。男は灰色の部屋へ通された。言うなれば黒と白の境界線であろうか。
 目前にある透明な板の向こう側に、人の顔があった。
「あなた。元気?」
 いつも食事を運んでくる白い人のようなくすぐる振動が届いた。
 びくっと男が反応する。
 瞬間、男に色が戻ったような気がした。
「はあ。いくらかよくなりました」
 男の口をついてでる言葉は無色彩であるかのようだ。
「どうして……」
 鼓膜が湿っていくような波で部屋が満たされていく。
 ざわざわとした耳鳴りのようだ、と男は思う。これは不快なのだろうか。わからない。
 それ以来、男には夜が不安に思えた。
 あれからずっと続いているこの耳鳴りはなんなのだろうか。
 あれからずっと続いているこの胸騒ぎはなんなのだろうか。
 あれからずっと続いているこの眩暈はなんなのだろうか。
 あれからずっと続いている……。
 眠れない。眠れない。ねむれない。ネムれなイ。ねむレ──
 静寂の闇に衣擦れの音だけが尾を引いていた。
 ずりずり。ズリズリ。ずりずり……。
 緑の光が見える。階段を上る。生ぬるい風が頬をなでる。月が笑う。わらう。
 ──あ。
 男に色が戻った。
 灰色に塗りたくられた打ちっ放しのコンクリート壁が迫っている。
 影だ。人影だ。
 幽かながら見えた。意思を持っている影だ。
 影は言う。
「面白い話があるのですよ」

 (了)
crow0825 at 23:07│Comments(4)TrackBack(0)短編小説 

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この記事へのコメント

1. Posted by 七穂   2005年12月30日 14:18
ドグラマグラみたいな感じ
どこまでが現実で
どこからが幻想なのかな・・・?
こんな不思議な感じは好きだな

・・・ってまんま感想だけね(笑)
2. Posted by カラス   2005年12月31日 22:30
ドグラマグラとはなんとも大袈裟な例えを。
恐れ多い言葉感謝。

その域まで行き着くのはいつになるのだろうか。
3. Posted by ろくでなし   2006年01月07日 00:27
人間に認識能力の危うさなんかから入る所を見ると、SFにも思えるような気がしますが・・・。
ジャンルは書かなくて良いのではないでしょうか?
4. Posted by カラス   2006年01月09日 13:25
確かにジャンルなんてなんでもいいねえ。

ジャンル「オレ流」とかにするかな。

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