ここのところこのブログの記事は、何かを伝えようとしながら、それが何なのか自分でもはっきりしない。
わざわざこのようなブログに来てくださる人に、教師と生徒の恋愛はダメなどとわかりきったことを言う必要は、もともとない。
と言って、教師は恋愛対象として、なかなか面白いよ、などと、そそのかすようなことをするつもりも、もともとなかった。
いつの間にか、教師への想いが大きくなってしまって、どうしようかと悩んだり、教師との関係が始まってしまって、さらに悩んだり、そういう生徒や卒業生の人たちは、現実にいる。
そういう人たちに、少しでもその悩みを減らすためには、どのような心の持ち方をすればいいかを、教師の立場から書いてみようとしてきた。
そこに、生徒の想いとは違った教師の思惑が存在することもあることや、教師という立場そのものが生徒との関係には優柔不断にならなければならない事情があることや、生徒の側が錯覚を持つ危険があることなどの原則的なことを、いろんな例をふまえて参考となればと思って書いた。
おそらく、教師や先生の立場の人がこれを読んだとき、オレは違うよ、とは言い切れないものが必ずあるだろう。教師や先生とは、そういうものだ。
できる限り生徒の側になって書こうと努力している。しかし限界がある。いつしか、教師の「得意技」である教師側の「言い訳」を書いてしまっていることもある。
それで、ご相談などへの私なりの考えを書くときはなるべくまとまったことを書くように心掛けるが、そうではなくてこちらから話題にしたいと考える記事を書くときは、だから何だ、と書かない方がいいと思うようになった。
と言うか、そういうことを書こうとすると、どうしても、ごちゃごちゃと回りくどいことを書いてしまう。今もそうなってしまっている。こういう状態になると、書いている自分もしんどくなってきてしまう。最近の記事が迷走しているのは、そういうことになっているからだ。
それで、なるべく簡潔に、読んでくださる方に好きなように感じていただくために、物語として書くことを考えた。「物語」というカテゴリーを作ることにした。
物語のカテゴリーの記事に関しては、それで何が言いたいと、私自身が考えすぎないようにしたい。そうすれば、記事も、もう少しさっぱりとしたものになると思う。だから何だと言われても、答えなんかない、と最初から居直ることもできる。
要するに、私が自分のこれまででフラッシュバックすることや、ニュースなどから感じることや、これからの時代に予想されることを、好き勝手に書く、ということだ。
そういうことがたまってきているので、書き散らかす。そのうちに、何かが見えてくるのではないかという期待がある。その反対に、何も残らなくなってしまって、さっぱりするかもしれない。
こうして、これまた、自分自身のための記事を書いてしまった。
ブログ村というところは1日で3記事まで紹介してくれるが、そんなことも気にしない。1日で10の記事を書くかもしれない。
また、半年や1年といった、長期ブランクが生まれるかも知れない。今のところはそのような状況がまた訪れる気配はなさそうだが。
読んでくださる方から、最近の記事にとまどいのご感想もいただくので、「物語」というカテゴリーのときは、あまり考えずに書いているなと受け止めていただけたら、と思う。
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わざわざこのようなブログに来てくださる人に、教師と生徒の恋愛はダメなどとわかりきったことを言う必要は、もともとない。
と言って、教師は恋愛対象として、なかなか面白いよ、などと、そそのかすようなことをするつもりも、もともとなかった。
いつの間にか、教師への想いが大きくなってしまって、どうしようかと悩んだり、教師との関係が始まってしまって、さらに悩んだり、そういう生徒や卒業生の人たちは、現実にいる。
そういう人たちに、少しでもその悩みを減らすためには、どのような心の持ち方をすればいいかを、教師の立場から書いてみようとしてきた。
そこに、生徒の想いとは違った教師の思惑が存在することもあることや、教師という立場そのものが生徒との関係には優柔不断にならなければならない事情があることや、生徒の側が錯覚を持つ危険があることなどの原則的なことを、いろんな例をふまえて参考となればと思って書いた。
おそらく、教師や先生の立場の人がこれを読んだとき、オレは違うよ、とは言い切れないものが必ずあるだろう。教師や先生とは、そういうものだ。
できる限り生徒の側になって書こうと努力している。しかし限界がある。いつしか、教師の「得意技」である教師側の「言い訳」を書いてしまっていることもある。
それで、ご相談などへの私なりの考えを書くときはなるべくまとまったことを書くように心掛けるが、そうではなくてこちらから話題にしたいと考える記事を書くときは、だから何だ、と書かない方がいいと思うようになった。
と言うか、そういうことを書こうとすると、どうしても、ごちゃごちゃと回りくどいことを書いてしまう。今もそうなってしまっている。こういう状態になると、書いている自分もしんどくなってきてしまう。最近の記事が迷走しているのは、そういうことになっているからだ。
それで、なるべく簡潔に、読んでくださる方に好きなように感じていただくために、物語として書くことを考えた。「物語」というカテゴリーを作ることにした。
物語のカテゴリーの記事に関しては、それで何が言いたいと、私自身が考えすぎないようにしたい。そうすれば、記事も、もう少しさっぱりとしたものになると思う。だから何だと言われても、答えなんかない、と最初から居直ることもできる。
要するに、私が自分のこれまででフラッシュバックすることや、ニュースなどから感じることや、これからの時代に予想されることを、好き勝手に書く、ということだ。
そういうことがたまってきているので、書き散らかす。そのうちに、何かが見えてくるのではないかという期待がある。その反対に、何も残らなくなってしまって、さっぱりするかもしれない。
こうして、これまた、自分自身のための記事を書いてしまった。
ブログ村というところは1日で3記事まで紹介してくれるが、そんなことも気にしない。1日で10の記事を書くかもしれない。
また、半年や1年といった、長期ブランクが生まれるかも知れない。今のところはそのような状況がまた訪れる気配はなさそうだが。
読んでくださる方から、最近の記事にとまどいのご感想もいただくので、「物語」というカテゴリーのときは、あまり考えずに書いているなと受け止めていただけたら、と思う。
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