でも、みなさんが応援してくれていると知り、勇気をもらいました。
※長くなりますが、今の私の気持ちを書いてみたので最後まで読んでいただけたら嬉しいです
◆母のことで投稿したブログ
(1)5/29に書いたブログ 「母のことを祈っていただけますか?」
(2)6/5に書いたブログ 「母のことを祈ってくれてありがとうございました。」
仏壇を買い、四十九日法要も済ませました。
そのように、他のことを考えているから、母や父に集中して接することができなくなりました。
ふたりの話をきちんと聞いてあげられなかったり、心からふたりに優しくできなくなっていたと思います。
◆母の人への関わり方
母は見栄を張らずに分からないことがあると「お母さんはバカだねえ」と自分で自分を笑えるゆとりもありました。
そうやっていつも、周りをホッとさせてくれ、緊張しいの私でも、母の前ではリラックスできたのです。
でも、私は本当は母のように目立ちはしないけど、陰で人のために動けるような、そんな人に憧れていたのかもしれません。
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母が最初に入院した4月初旬、いろいろなことを考えすぎて、私の心は混乱していました。
でも、本当は母は苦しかったと思います。
病魔に蝕まれ、痛かったと思います。気持ち悪かったと思います。
ふと、母の表情を見るとしんどそうにしているのです。
それでも、母はいつも我慢してしまうのです。
「お母さんは大丈夫だよ」って。
「それよりも幸ちゃん(私のこと)がお母さんのことで頑張りすぎて、病気になってしまったら、お母さん、困っちゃうよ」と
そういう人なんですよね。
苦しくても相手を優先する。そういう優しい人でした。
◆母のエピソード
そんな母のエピソードをいくつか書かせて頂きますね。
母の病状がどんどん悪化していった頃、私は看護師の友人に連絡をとり、いろいろ教えてもらいました。
母のためになることは、すべてしてみようと思ったのです。
だから、次の日に母に良いと聞いた栄養ドリンクを買って母に渡すと「美味しい」と飲むのです。
「本当に美味しい?」と訊いたら「うん」と嬉しそうに言うので、母がまだ口に入れられるものがあるのだと私も嬉しくなって、たくさん買っていったのです。
でも、数日後、母は私に本当に申し訳なさそうにこう言うのです。
「本当はあまり美味しくないのだけど、幸ちゃんがせっかく買ってきてくれたから嬉しくて、ガマンして飲んでいたんだ」と
いつも、自分のことは後回しにして、相手のことばかり考えてしまうんですよね。
空気をよんでしまうのです。
こんなこともありました。
母は最後の1週間くらいはほとんど自分で自分のことができなくなっていました。
水が飲みたければ、私が綿棒でのどを浸す。かゆいところがあれば、掻いてあげました。
でも、私は看護師さんのような経験もないし器用でもないので、母の望むようにしてあげられないこともありました。
けっして上手く出来ていなかったと思います。
それでも、母は私にこう言うのです。
「幸ちゃんの掻きかた、上手いね」
「完璧」って
何度も何度もそう言うのです。
今、思えば、私は母のそのような優しさにこれまでたくさん助けられてきたのだと思います。
それを聞いて、私は・・・
「全然うまく出来なくてごめんね」
「でも、お母さんの気持ち、分かりたいと思っているよ」と伝えると母は泣きながら「上手く出来なくたっていいんだよ。幸ちゃんはお母さんのこと、一番分かってくれているよ」と言うのです。
そして、ふたりで泣いたのです。
母はいつでも自分のことより、私や周りを優先する人でした。
そんな母の優しさを、私は少しでも吸収したいといつも思っていました。
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でも、5月後半になり、母の体調はどんどん悪くなりました。
顔をしかめて苦しそうにする機会が増えました。
それでも、母は私達家族や看護師さんの前でいつも笑顔なのです。
「看護師さんに迷惑かけるから、ナースコールも出来るだけ呼ばなくていい」と言うのです。
もちろん、そうは言っても、母の表情や体調を見て、私達は頻繁にナースコールを押しました。
その時、私は思ったのです。
「でも、その分、いつも自分を犠牲にして無理してきたんだよな」
そして、母に「お母さん、もう無理して笑わなくていいよ」って
母の寝顔を見ながら、心の中でそう思ったのです。
◆母が亡くなる前日のこと
だから、母が亡くなる前の日、私は母に言いました。
「どう見たって、大丈夫じゃないでしょ!」
「たくさん、迷惑かけていいんだよ」
「もっともっと僕たちにわがまま言ってよ」
「頼ってよ」
「ツラいって言うことも、家族への優しさだよ」
「弱音を吐くことも、家族への愛情なんだよ!」と嗚咽しながら叫んだのです。
すると、母も泣きながら「そうだよね」って・・・
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そして、母はその日、5回「苦しいから看護師さんを呼んで」と言ったのです。
それまでの数ヶ月間・・・
1 家族から大切にされていたと知り
2 素直なコミュニケーションをたくさんとり、家族とつながり、家族がひとつになれ
3 ツラいときに「ツラい、助けて」と言えるようになった
母が「この人生で学ばなきゃいけないこと」はすべて終わった。
だから、「そろそろ、お母さんとお別れの時がきたのかもしれないな」
そして、母は翌日の5月30日昼過ぎ、天国へ逝きました。
◆葬儀の日に私が参列していただいた方にお願いしたこと
◆母の人生を承認してもらった
葬儀当日、父は涙を流しながら立派に喪主の挨拶を終えました。
母の最後の2ヶ月(闘病の状況)を心をこめて、参列者の方々に伝えたのです。
その後、私の話す時間を頂きました。
そこで私は素直な気持ちを伝えました。
本当はすぐにでも母のもとに行きたいと思っていること(それくらいツラいと言うこと)
親戚やみんなの前では元気に振る舞っていた弟も、私とふたりでいた時、「本当は僕(弟自身)もツラくて、もしもここがビルの屋上でお兄ちゃんが一緒に飛び込もうと言ったら、一緒に飛び込んでしまうかもしれない」と言ったこと。
でも、この数ヶ月、どんなに痛くても検査をたくさんして疲れていても、笑顔で頑張る母の姿を見たら、人生を途中で投げ出してはいけないと思っていること。
洗いざらい、伝えました。
でも、私が時間をもらってまで、したかったこと
それは・・・
母の人生を認めてもらいたかったのです。
母のことを褒めてもらいたかったのです。
だから、最後に参列者のみなさんにお願いをしました。
「母の人生は決して大きなことを成し遂げたとか、多くの人に注目されるということはなかったと思います」
「父や私はこのように大勢の前で話をさせていただくこともありますが、母が大勢の人から脚光を浴びることはこれまでなかったと思います」
「でも、母はいつも陰で私達家族を支えてくれました」
「どんな時もお友達や兄弟の力になろうとしていました」
「そんな母を認めてあげてもらえませんか!」
「今まで縁の下で陰となり、頑張ってきた母の人生を褒めて頂けませんか?」と
「母が頑張ってきた証として、母に拍手を送ってあげてもらえませんか?」・・・と
そのとき、そこにいたすべての方(おおよそ100人くらい)が母の人生に拍手を送ってくれたのです。
その光景を見たとき、母の人生が肯定されたように感じ、とても嬉しかったのです。
みなさんの拍手の大きさが私たち家族の思いと重なって、きっと母に届いたと思います。
私は母がずっと裏方で頑張ってきたから、最後に主役になってほしかったのです。
それが、私から母への最後の恩返しとなりました。
◆そして、これから・・・
今日も正直、寂しいです。
だとしたら、今、あなたの目の前に大切にしたい人がいるのなら、心から大切にしてあげてくださいね。
明日からとか、優しくしてくれたからとか、来月からとか、ふたりの記念日だから。
そのように「◯◯をしてから」とか「こういう条件がそろったから」ではなく、やっぱり「今」なんだと思います。
自分でも良いか悪いか母との絆はつよくて、一生懸命母の力になろうとしてきたと思います。
でもそれでも、母をもっと大事にしてあげたかったなと思うし、今日は有給休暇をもらい、ひとり家にいるのですが、やはり母のことをいろいろ思い出すと、今はツラいのです。
でも、母との思い出を「寂しさだけ」にしないようにしたいと思っています。
それを続けることができたら、母はずっと私のココロの中で生き続けるのでしょうね。
悲しいときは、きちんと悲しみを感じ、私は少しずつ、前へ進んでいきます。
そして、つよくなろうと思います。
幸せになろうと思います。
たくさんの優しさをありがとうございました。
みなさんがみなさんの大切な人と心が通い合えますよう、心から願っております。
2020年8月6日 土肥幸司
※私は現在休会中ですので、カウンセリングの申し込みは受け付けておりません 。