心理カウンセラー◆土肥幸司

◇こちらは心理カウンセラー達が作る癒し系サイト「カウンセリングサービス」のカウンセラーのプロフィールページです。
カウンセリングサービス所属カウンセラー。
どひ・こうじ。男性カウンセラー。
東京地区担当。

対人関係、コミュニケーション、自信喪失のケア、自己表現・実現のサポートを得意とする。
クライアントの幸せを信じ、その気持ちに添って接することをポリシーとしている。
20代の頃、世界約50カ国ほどを歩き、いろんな考え方や価値観に触れ、枠に縛られなくなった経験を持つ。
そんな人生経験や人柄、雰囲気から癒し系のイメージを与えることが多く、いつも笑顔が絶えない。
「近くにいると森林浴をしているみたい。α波が出ている感じ。」
「やさしさで包まれているみたい(安心する、ホッとする)」
「こんなに泣けたのは(感情を感じれた)初めて」
「ありのままの私を認めてもらえた。だから前へ進もうと思えた。」
「何も信じられなかったけど信じてみようと思った。」などとの好評価も多い。
自身も、過呼吸になるほどのどん底からビジョンを見つけ這い上がってきた。
その経験を元に、クライアントが安心感、目標を見つけ幸せになるまでをサポートする。

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みなさん、少し前のことになりますが、母のことを祈って頂き、ありがとうございました。

FacebookやTwitterでたくさんの方にコメントを頂き、本当に嬉しかったです。
ただ、私はFacebookやTwitterを開設していないため、みなさんのコメントを見ることは出来ませんでしたが、私の大切な人や友人が、みなさんがコメントをくださっていることを教えてくれたのです。

あのとき、私は不安でした。
でも、みなさんが応援してくれていると知り、勇気をもらいました。

本当にありがとうございました。

※長くなりますが、今の私の気持ちを書いてみたので最後まで読んでいただけたら嬉しいです

◆母のことで投稿したブログ
(1)5/29に書いたブログ 「母のことを祈っていただけますか?」
(2)6/5に書いたブログ 「母のことを祈ってくれてありがとうございました。」

あれから葬儀が終わり、霊園を決めました。
仏壇を買い、四十九日法要も済ませました。
様々な事を終え、私達家族の生活も日常に戻りつつあります。

でも、時が経つにつれて、少しずつ、母がいなくなったことを実感しています。
目を閉じると、さまざまな記憶が蘇ってくるのです。

最後の数ヶ月間の母が必死に頑張っている姿
美味しそうにトマトを頬張る母の表情
穏やかでやさしい母の声

思い出す度に、いろいろな気持ちが込み上げてきます。

私にとって母は優しい母であり、長く苦楽を共にした伴侶のようでもあり、本当に気の合う仲間・ソウルメイトでした。
そして、ときには私のカウンセラーであり、なんでも話せる親友でもあり、小さな頃から気心が知れた幼馴染みのような存在でもありました。

だから、私にとって母の死は、母ひとりではなく、何人もの大切な人を一度に失ってしまったような、そんな感覚なのです。

「もう、あの笑顔を見ることができないんだ」
「もう、あの声を聞くことができないんだな」
そう思うとツラいです。
本当の寂しさというのは、こういうことを言うのだなと実感しています。

弟が言っていたのですが、母がいなくなって、この世界の色が変わってしまったように感じます。
ずっと住んでいるこの家がどこか違う家のように感じ、子どもの頃から過ごしているこの街が知らない街のように思え、自分の話している言葉が誰か別人が喋っているような錯覚に陥るのです。
 
たとえ晴天でも、いつもグレーがかって見えるのです。

◆私が休会した理由
私がカウンセラーを休会してまで、自身の心のメンテナンスをしようと思った理由。
それは「親孝行をしたい」と思ったからです。

ここ数年の私は気持ちが混乱していました。
いつも不安でたまらなかったのです。
その不安を解消したくて、私の心は目の前にいる母や父ではなく、他のことに飛んでいました。
そのように、他のことを考えているから、母や父に集中して接することができなくなりました。
ふたりの話をきちんと聞いてあげられなかったり、心からふたりに優しくできなくなっていたと思います。
だから、きちんと治療をして母や父に心を込めて接せれる自分に戻ろう。

そう思い、休会したのです。

その矢先に母は逝ってしまいました。
私の中で「ああ、間に合わなかったか」という思いがあり、後悔しています。

亡くなる1ヶ月程前、母と一緒に近くの病院に点滴を打ちに行った帰り道、母が私に向かってこう言ったのです。
「これから先、お母さんに何が起きても後悔しないでね」
「本当のことを言えば、お母さんももっと早く病院に行けば良かったと後悔しているよ」と

「でもね。人生は後悔の連続なんだよ。その後悔を抱えたまま、人は生きていくんだよ」
「お母さんもあの時、ああしておけば良かった。こうしておけば良かったと思うことがたくさんあるけど、それでも生きてきたんだよ」と。

私はあの日まで「後悔のない人生を送りたい」とつよく願っていました。
でも、あの時、母の言う通り「後悔のない人生なんてないんだな」と思ったのです。

「失敗を繰り返し、後悔しながらも日々を過ごす」
それが「生きる」ということなんだと思ったのです。

◆母の人への関わり方
母はあまり、目立つのが好きではなかったので、いつも影で人を支えていたのです。

家族の中でも、趣味のボウリング仲間や以前、働いていた職場でも、母がみんなを引っ張っていくというよりは、温和で優しい雰囲気で周りを包んでいたのです。
けっして人々の注目は浴びないけど、ただそこに居てくれるだけで周りに安心感を与えてくれました。

そんな母がいなくなって、改めて分かったのです。
間違いなく、うちでは「母が中心だったのだ」と

母は見栄を張らずに分からないことがあると「お母さんはバカだねえ」と自分で自分を笑えるゆとりもありました。
そうやっていつも、周りをホッとさせてくれ、緊張しいの私でも、母の前ではリラックスできたのです。

ぐいぐいとみんなを引っ張っていく人はすごいと思うし、私もそうなりたいと思っていました。
でも、私は本当は母のように目立ちはしないけど、陰で人のために動けるような、そんな人に憧れていたのかもしれません。

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母が最初に入院した4月初旬、いろいろなことを考えすぎて、私の心は混乱していました。
ただ、その後、母が亡くなるまでの最後の2ヶ月間は自分の不安よりも母のことを思い、過ごせたと思います。

母と心のこもったコミュニケーションを取ろうと努めました。
いつも母のことを思い、接しました。

母はそんな私たちの気持ちを汲んでか弱音を吐かず、私たち家族はもちろん、看護師さんや病院の先生、親戚にも優しく、笑顔で接していました。

でも、本当は母は苦しかったと思います。
病魔に蝕まれ、痛かったと思います。気持ち悪かったと思います。
ふと、母の表情を見るとしんどそうにしているのです。
それでも、母はいつも我慢してしまうのです。

「お母さんは大丈夫だよ」って。
「それよりも幸ちゃん(私のこと)がお母さんのことで頑張りすぎて、病気になってしまったら、お母さん、困っちゃうよ」と

そういう人なんですよね。
苦しくても相手を優先する。そういう優しい人でした。

◆母のエピソード
そんな母のエピソードをいくつか書かせて頂きますね。

母の病状がどんどん悪化していった頃、私は看護師の友人に連絡をとり、いろいろ教えてもらいました。
母のためになることは、すべてしてみようと思ったのです。

その頃の母は、ほぼ何も口に入れることが出来なくなっていたのです。
だから、次の日に母に良いと聞いた栄養ドリンクを買って母に渡すと「美味しい」と飲むのです。
「本当に美味しい?」と訊いたら「うん」と嬉しそうに言うので、母がまだ口に入れられるものがあるのだと私も嬉しくなって、たくさん買っていったのです。

でも、数日後、母は私に本当に申し訳なさそうにこう言うのです。
「本当はあまり美味しくないのだけど、幸ちゃんがせっかく買ってきてくれたから嬉しくて、ガマンして飲んでいたんだ」と

いつも、自分のことは後回しにして、相手のことばかり考えてしまうんですよね。
空気をよんでしまうのです。

こんなこともありました。
母は最後の1週間くらいはほとんど自分で自分のことができなくなっていました。
水が飲みたければ、私が綿棒でのどを浸す。かゆいところがあれば、掻いてあげました。
でも、私は看護師さんのような経験もないし器用でもないので、母の望むようにしてあげられないこともありました。
けっして上手く出来ていなかったと思います。

それでも、母は私にこう言うのです。
「幸ちゃんの掻きかた、上手いね」
「完璧」って
何度も何度もそう言うのです。

今、思えば、私は母のそのような優しさにこれまでたくさん助けられてきたのだと思います。

それを聞いて、私は・・・
「全然うまく出来なくてごめんね」
「でも、お母さんの気持ち、分かりたいと思っているよ」と伝えると母は泣きながら「上手く出来なくたっていいんだよ。幸ちゃんはお母さんのこと、一番分かってくれているよ」と言うのです。
そして、ふたりで泣いたのです。

母はいつでも自分のことより、私や周りを優先する人でした。
そんな母の優しさを、私は少しでも吸収したいといつも思っていました。

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でも、5月後半になり、母の体調はどんどん悪くなりました。
顔をしかめて苦しそうにする機会が増えました。

それでも、母は私達家族や看護師さんの前でいつも笑顔なのです。
「看護師さんに迷惑かけるから、ナースコールも出来るだけ呼ばなくていい」と言うのです。
もちろん、そうは言っても、母の表情や体調を見て、私達は頻繁にナースコールを押しました。

その時、私は思ったのです。
「この情況で、どうして笑うことができるのだろう?」
「お母さんはいつだって僕たちのことを考えてくれていた」
「でも、その分、いつも自分を犠牲にして無理してきたんだよな」

そして、母に「お母さん、もう無理して笑わなくていいよ」って
母の寝顔を見ながら、心の中でそう思ったのです。

◆母が亡くなる前日のこと
だから、母が亡くなる前の日、私は母に言いました。
 
「お母さん、ツラい時はツラいって言って、いいんだよ」
「苦しい時は苦しいって言って、いいんだよ」
「どうして、いつも大丈夫って言うの! 」
「どう見たって、大丈夫じゃないでしょ!」
 
「どうして弱音を吐かないの?」
「僕たち家族なんでしょ? ツラい時にツライって言ってくれないと悲しいよ」って

「たくさん、迷惑かけていいんだよ」
「もっともっと僕たちにわがまま言ってよ」
「頼ってよ」
「ツラいって言うことも、家族への優しさだよ」

 「弱音を吐くことも、家族への愛情なんだよ!」と嗚咽しながら叫んだのです。

すると、母も泣きながら「そうだよね」って・・・

□■□■□■□■□■□■

そして、母はその日、5回「苦しいから看護師さんを呼んで」と言ったのです。
ちゃんと素直に「ツラい」と言えたのです。

その時、私は「もう母がこの人生でやり残したことはないな」と思ったのです。

それまでの数ヶ月間・・・
1 家族から大切にされていたと知り
2 素直なコミュニケーションをたくさんとり、家族とつながり、家族がひとつになれ
3 ツラいときに「ツラい、助けて」と言えるようになった

母が「この人生で学ばなきゃいけないこと」はすべて終わった。

だから、「そろそろ、お母さんとお別れの時がきたのかもしれないな」
そう思い、私は5月29日の夜にブログを書いたのです。
5/29に書いたブログ 「母のことを祈っていただけますか?」

そして、母は翌日の5月30日昼過ぎ、天国へ逝きました。

◆葬儀の日に私が参列していただいた方にお願いしたこと
その母の葬儀の日、喪主の挨拶は父が行うことになっていました。
でも、前日に父が私に「もしも、お父さんが途中で崩れたら、幸司、挨拶を頼むよ」と言ったのです。
それを聞いて「うん、分かった」と答え、寝ました。

そして、葬儀の日の朝、今度は私から父に「今日お父さんの挨拶が終わったら、少しだけ僕に時間をくれない?」とお願いをしました。
父は「いいよ」と言ってくれました。

◆母の人生を承認してもらった
葬儀当日、父は涙を流しながら立派に喪主の挨拶を終えました。
母の最後の2ヶ月(闘病の状況)を心をこめて、参列者の方々に伝えたのです。

その後、私の話す時間を頂きました。
そこで私は素直な気持ちを伝えました。

本当はすぐにでも母のもとに行きたいと思っていること(それくらいツラいと言うこと)
親戚やみんなの前では元気に振る舞っていた弟も、私とふたりでいた時、「本当は僕(弟自身)もツラくて、もしもここがビルの屋上でお兄ちゃんが一緒に飛び込もうと言ったら、一緒に飛び込んでしまうかもしれない」と言ったこと。

でも、この数ヶ月、どんなに痛くても検査をたくさんして疲れていても、笑顔で頑張る母の姿を見たら、人生を途中で投げ出してはいけないと思っていること。

洗いざらい、伝えました。

でも、私が時間をもらってまで、したかったこと

それは・・・
母の人生を認めてもらいたかったのです。
母のことを褒めてもらいたかったのです。

だから、最後に参列者のみなさんにお願いをしました。

「母の人生は決して大きなことを成し遂げたとか、多くの人に注目されるということはなかったと思います」
「父や私はこのように大勢の前で話をさせていただくこともありますが、母が大勢の人から脚光を浴びることはこれまでなかったと思います」

「でも、母はいつも陰で私達家族を支えてくれました」
「どんな時もお友達や兄弟の力になろうとしていました」

「そんな母を認めてあげてもらえませんか!」
「今まで縁の下で陰となり、頑張ってきた母の人生を褒めて頂けませんか?」と

「母が頑張ってきた証として、母に拍手を送ってあげてもらえませんか?」・・・と

そのとき、そこにいたすべての方(おおよそ100人くらい)が母の人生に拍手を送ってくれたのです。
その光景を見たとき、母の人生が肯定されたように感じ、とても嬉しかったのです。

みなさんの拍手の大きさが私たち家族の思いと重なって、きっと母に届いたと思います。

私は母がずっと裏方で頑張ってきたから、最後に主役になってほしかったのです。
それが、私から母への最後の恩返しとなりました。

◆そして、これから・・・
今日も正直、寂しいです。
でも、本当は母がいないから、寂しいのではなく「優しくしたい人(母)が今、目の前にいなくなってしまったこと」がツラいのかもしれませんね。
優しくしたいのにできないのがツラいのかもしれません。

だとしたら、今、あなたの目の前に大切にしたい人がいるのなら、心から大切にしてあげてくださいね。

大切にするのはです。

明日からとか、優しくしてくれたからとか、来月からとか、ふたりの記念日だから。
そのように「◯◯をしてから」とか「こういう条件がそろったから」ではなく、やっぱり「今」なんだと思います。

もし、あなたにそのような方がいるのなら、その大切な人とのかけがえのない時間を大切にしてくださいね。
今のその人(相手)を愛してあげてくださいね。

◆後悔の気持ちがある
私はよく周りの方に「土肥さんは十分お母さん孝行したよ」と言ってもらいます。
自分でも良いか悪いか母との絆はつよくて、一生懸命母の力になろうとしてきたと思います。

でもそれでも、母をもっと大事にしてあげたかったなと思うし、今日は有給休暇をもらい、ひとり家にいるのですが、やはり母のことをいろいろ思い出すと、今はツラいのです。

この家に母がいないことが寂しいんですよね。

でも、母との思い出を「寂しさだけ」にしないようにしたいと思っています。
あの母に育ててもらったこと、一緒に過ごした日々はわたしの宝物なんですよね。

母に教えてもらったことを、これから私が大切にしていけばいいんですよね。
それが「いつも一緒にいる」ということなんだと思うのです。

母は亡くなりましたが、私は母と50年間、同じ時間(とき)を過ごすことが出来ました。
そこでもらった母からの思いやりや優しさを今度は私が、私の大切な人たち、クライアントの方達へ注いでいけばいいんですよね。

もしかしたら、私がカウンセラーになろうと思ったのも、そんな母の優しさを他の方に分けて差しあげたいと思ったからなのかもしれません。
それを続けることができたら、母はずっと私のココロの中で生き続けるのでしょうね。

今でも時々、気を抜くと悲しくて涙が溢れてきます。
だから、今は焦らず時間を味方にして、時(とき)が経つのを待ち、少しずつ心を整理していこうと思います。

悲しいときは、きちんと悲しみを感じ、私は少しずつ、前へ進んでいきます。

そして、つよくなろうと思います。
幸せになろうと思います。

そしたら、きっと母も天国で喜んでくれるでしょう。

そして、これから先、どんなことがあってもちゃんと自分の寿命を全う(まっとう)したいと思っています。

長文でしたが、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
みなさんに本当に救われました。
たくさんの優しさをありがとうございました。

みなさんがみなさんの大切な人と心が通い合えますよう、心から願っております。

2020年8月6日 土肥幸司

※私は現在休会中ですので、カウンセリングの申し込みは受け付けておりません 。
いつかまたみなさんとお会いできることを願っております。

先日は母のことを祈ってくれてありがとうございました。
翌朝、ブログを見たら、頂いた拍手の数にびっくりしました。
すごく嬉しかったし、勇気づけられました。

カウンセラーの友人たちが私のブログをSNSなどで拡散してくれたこと。
その日に行われたセミナーで参加者の方達が私の母、私のために祈ってくれたこと。
あとから聞きました。

本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
あの時、私は「ひとりではないんだな」と思えました。

先日、私が書いたブログ

みなさんが祈ってくれたおかげで、翌朝、手のぬくもりがある母に会えましたよ。

病院から呼ばれたのが、朝の7時前。すぐに支度をして8時過ぎには病室に着きました。
でも、その少し前から母の意識は遠のき、話すことは出来なくなっていました。

それでも、こちらの声は聞こえるらしく、話しかけると時々、目を開けるのです。
ただ、何か言いたそうでも、話すことは出来ませんでした。

お医者さんからは「午前中もつかどうか」と言われていました。

そういわれたとき、私も父も弟も可能性が低いことは十分、わかっていました。
でも、母と約束したのです。「もう一度、あの家(我が家)に帰ろう」と。

だから、母には酷だと思いましたが、母を一生懸命、励ましました。
「もう一度、あの家に帰ろうと約束したでしょ」
「また、みんなで暮らすんでしょ」
「お母さんに録っておいてと頼まれたドラマやボウリングの番組、録ってあるよ」
「お母さんの寝ている部屋、いつもきれいに掃除してるよ。あそこで寝たら快適だよ」
「お母さんが大事にしていた植木に水をあげているからね。あの花たちもお母さんを待っているよ」
「まだ、逝かないで。もう少しだけ一緒にいるって約束したでしょ」

家族3人で母の手を取り、周りには親戚が数人囲んで、みんなで母を励ましました。
でも、少しずつ呼吸の数が減り、目がうつろになり、意識が遠のくのがわかりました。

周りの親戚はあきらめたと思います。
弟が部屋を出たとき、「もうお母さんがかわいそうだから、励ますな」と言われたそうです。
でも、弟と私は決めていたのです。
最後の最後まで母を励まし続けると。

母は元気になって家に帰るためにがんセンターに行ったのだから、最後までそれを貫こうと決めていたのです。なぜならば、それを母も望んでいたからです。

そして正午になりました。
私たちが握っていた母の手はここ2か月間の何十回にも渡る検査や点滴のせいでむくみ、内出血もしていて手の裏があざだらけになっていました。
その姿を見ると涙があふれてきました。

でも、弟と私はそれでも母に言葉をかけました。
「大丈夫だよ」
「安心して」
「こんな病気治そう」
「奇跡を起こすって言ったでしょ」
「家に帰るんでしょ」

そして、徐々に母の目は上を向いて白目になりました。
黒かった瞳が灰色になり、呼吸は肺でしているというよりは口でしていて。
鯉がパクパク、口を開け閉めしているような感じになりました。

その時になって弟と目を合わせ、引き留めるのはよそうと思いました。

「一緒に行った東北旅行、楽しかったね」
「松島で食べたカキ、美味しかったよね」
「長野や山形で食べたお蕎麦、本当に美味しかったね」
「金沢の街を散策して、すごく楽しかったね」
「お母さんは、僕にたくさんの思い出を残してくれたよ。ありがとう」

「お母さん、本当によく頑張ったね」
「たくさん検査して痛かったよね。ごめんね」
「僕たちが体調悪いのをもっと早く気づいてあげられなくてごめん」

「お母さんの子どもに生まれてきて幸せだったよ」
「お母さんからたくさん優しさ、愛情をもらったよ。本当にありがとう」

「お母さんがいなくなると寂しいけど、僕たち強くなるよ」
「強くなるから、安心していいよ」
「本当はお母さんに僕たちの新しい家族を見せたいと思っていたけど、間に合わなくてごめんね。でも、いつかきっと家族を作り、報告するよ」

「お母さん、本当にありがとう。」
「僕たち家族(土肥家)はお母さんがいたから幸せだったんだよ」

「本当にありがとう」
「そして、お疲れ様」
「僕たち家族はお母さんのことが大好きだよ」

そして、みなさんに祈ってくださいとお願いした翌日、5月30日(土) 14:42に母は天国に逝きました。

爽やかな天気で、病室からは僕たちが子どもの頃、よく連れていってもらった筑波山が見えました。

この2か月間、母は本当に大変だったと思います。
でも、穏やかな顔で逝きました。

母が亡くなる5分程前、もう長く会っていなかった親戚が母に会いに来てくれました。
誰が悪いわけでもないのですが、母の旧家と疎遠になっていた親戚が会いに来てくれたのです。
おばちゃんたちも母には会いたいと思ってくれていたから、最後に私が連絡したのです。
そしたら、すぐに駆け付けてくれて。
おばちゃんは母の名前をたくさん呼んでくれて、本当に嬉しかったです。
その声は母にも届いていたと思います。

私もいとこと35年ぶりに話すことができました。
母がもう一度、みんなをつなげてくれたのだと思います。

それがあの後、あったことです。
6月3日に葬儀が終わりましたが、私はまだ悲しくてしょうがないです。

でも、母のことでしなくてはいけないことがたくさんあります。
口座を解約したり、母の書類を市役所に返したりするたびに寂しくなります。
今も父に「まとめておいて」と言われたことをしているうちにこんな時間になってしまいました。

隣の部屋に母のお骨があるのですが、きっと遅い時間まで起きている私を心配してくれていると思います。
また、もう少し気持ちが落ち着いたら、この2か月で私が感じたことをシェアさせていただきたいと思っています。

母は逝ってしまいましたが、みなさんが応援してくれたおかげで私はあの日、母に会えました。
その感謝の気持ちをお伝えしたくて今日はブログを書かせてもらいました。

ありがとうございました。

※私は現在休会中ですので、カウンセリングの申し込みは受け付けておりません

みなさん、こんばんは、土肥です。
私は今、休会中ですが今日はブログを書かせてください。

私が休会した理由。
それは私自身が心身のバランスを崩したからです。

だから、この4月から身体的にも精神的にも通院してもう一度、カウンセラーができるよう立て直そうとしたのです。

でも、その矢先の4/1。
私の母が入院しました。
最初は胃腸炎だと思い、気軽に地元の病院に行ったのですが、 その日に入院するよう言われ、4/4に家族全員が呼ばれ、悪性リンパ腫の可能性が高いと言われました。

でも、まだはっきりしないと言うことで一週間後に退院し、自宅で結果を待つ日々。
でも、次の週も次の週もやはり病名は分からず。
国立がんセンターの方にも調べてもらいましたが、なかなか分からないとの経過報告で。

4月の中旬に柏の国立がんセンターに連絡を取れましたが、5/12まで待つよう言われました。

自宅にいた母は少しずつ食べられなくなり、徐々に寝ているだけになり、5/4にはテレビのリモコンの使い方が分からないと言いました。
時計も何時だか分からなくなり、それからはトイレに行くのもままならず、家族で交互に母の寝ている部屋の隣のリビングで寝て、夜中にトイレに行く母に付き添うようになりました。
母が弱っていくのはあっという間でした。

そして、5/13に国立がんセンターに入院でき、検査を受けましたが、やはり病名を判断するのは難しいらしく、そのうちに何度も山場がきました。

そんな中でも母は看護師さんや先生に笑顔で必ず、「ありがとう 」と伝えるのです。
どんなに自分がつらくても、帰ろうとする僕らに「気をつけてね」と気遣ってくれるのです。

だから、母は看護師さんのなかでも人気者だそうです。

私は自分ではそう思いませんが、みなさまから「優しいね」と言ってもらうことがあります。
もしも、私がそうだとしたら、間違いなく母に育ててもらえたからだと思います。
あの母の元に生まれてこなかったら、人から優しいと言ってもらえることはなかったと思います。

そんな母が今、苦しんでいます。
だから、みなさん、わがままを承知でお願いします。
私の母を応援してくれませんか?
私の母がもう一度、元気になれるよう祈っていただけませんか?

私も父も弟も何度もそう願いました。祈りました。
でも、なかなか好転しないのです。

苦しむ母が言うのです。
「お母さんは幸ちゃん(私のこと)や裕ちゃん(弟のこと)やお父さんにこんなにもよくしてもらっているのに治らないのは、何か悪いことをしたのかね?」って。
私は泣きながら何度も「そんなことないよ。お母さんがバチが当たるなら、世の中のほとんどの人はバチが当たるよ。」って

でも、私も思うのです。
もしも、神様がいるのなら、どうして母にこんな仕打ちをするのだろう?って。
優しくて自分を犠牲にし、家族のために77年間も生きていた母をどうして苦しめるのだろう?って。

神様なんていないんだとこの2ヶ月、何度も思いました。
でも、少しずつですが、4月、5月とこんなに密に家族4人が過ごせているのは神様がいてくれるからだと思うようにもなりました。

弟や父が母に優しくしている姿を見ると嬉しくて。
それは、私がずっと望んでいたことだから。
母が家族全員から大事にされて欲しい。そう思い、私はずっと母を応援してきました。
その願いが叶ったんです。

元気なときは涙なんて流さなかった母がこの2ヶ月で何度も「ありがとう。お母さんは幸せ」と泣くのです。

でも、私が望んでいるのは元気な母が家族全員に大切にされて欲しいのです。

もう一度、母に大好きなラーメンをたらふく食べてほしい
もう一度、隣町のショッピングセンターに連れて行ってあげたい
もう一度、大好きなボウリングをさせてあげたい
もう一度、大好きなシャーベットを口に入れてあげたい
もう一度、リビングで普通に笑ってテレビを見せてあげたい
そして、私の大好物の母が作った鶏そぼろご飯が食べたい

もう一度、家族4人で普通に暮らしたいのです。

どうか、みなさんよろしければ、それを願っていただけませんか?
祈っていただけませんか?

今日の午後、母の寝顔を見ていました。
その寝顔は美しく、人生を一生懸命、人のために生きてきた優しい顔をしていました。

母の顔は私にとって、どんなトップモデルよりも、人気女優よりも、ミスユニバースよりも美しく、愛おしいのです。

母は10日ほど前の明け方、看護師さんに泣きながらこう言ったそうです。
「みんなが待っているあの家にもう一度帰りたい」と

その母がもう一度、我が家に帰れるよう、祈っていただけませんか?

母は数日前、家族三人に対して必死の思いで「今までお世話になりました。本当にありがとうございました」と叫んで、逝こうとしたのです。
でも、僕らがそれをとめました。
本当は僕らのエゴかもしれないけど、僕ら家族はもう少し母と一緒にいたいのです。

私もこの2ヶ月ほぼ毎日泣いています。
いろいろなことを思い、後悔し、自分を責めては泣いています。
母の頑張っている姿を思い出しては泣いています。
周りの人に優しくしてもらっては泣いています。
母と心を通い合わせ泣いています。
弟と父と励まし合って泣いています。
でも、何十回と泣いても涙は枯れません。とめどなく溢れてきます。

胸が張り裂けそうで、怖くて怖くてたまりません。
でも、それを救ってくれたのが人との絆です。

私の話を何度も訊いてくれる人
私のラインに優しく返してくれる人
何も言わずにただ、うなずいてくれる人
ご飯をご馳走してくれた友人

先日、私が今、大切に思っている人に少しだけ会いました。
その人は泣いている私の手を握ってくれました。
お別れするときに人目をはばからず、(このコロナのときに)ハグをしてくれました。

だから、私は頑張れています。
感謝でいっぱいです。

つらいときに人とのつながりがあるから頑張れているのだと思います。
だから、みなさんも誰かと繋がってくださいね。

母は今、病院の看護師さん、先生にも優しくしてもらい、頑張っています。
僕ら家族も病院の方々に心から感謝しています。
そして、今は弟と私とで交互に泊まり、看病しています。

そして、私は明日の朝、温かい手の母にもう一度会いたいのです。

だから、みなさん、私の母を応援しください!
人の思いは必ず、届くと思うので、みなさんの思いをいただけたらと思い、今日はブログを書きました。
是非、よろしくお願いします。

土肥幸司

※私は今、休会中ですのでカウンセリングの申し込みは受け付けておりません。
※私は神経質でいつもなら文章を何度もチェックしますが今日は走り書きで書きました。読みづらかったらすいません。
 

2020年2月末をもちましてカウンセリングサービスでの活動を一旦休止させていただくことになりました。

理由は、ここで一度立ち止まり、自分の未来について、考えてみようと思ったからです。

人生100年と言われる時代。
だとすれば、折り返しの50歳を来年(2020年)迎えるに当たって、ここで一度、じっくりと自分の気持ちを見つめなおそうと思ったのです。

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こんばんは、土肥です。

こちらの記事は2019年12月16日に発行されたメルマガ 「カウンセラー発!すぐに役立つ心理学講座」です。

【全体概要】
承認欲求のつよい人はどのような気持ちを抱えているのでしょうか。その心の中は「不安、自信のなさ、やるせない気持ち、怒り」など、様々なネガティブな感情が隠れているようです。
そのネガティブな感情を周りから承認されることで消し去ろうとします。しかし、常に周りが主体なので、なかなか不安は拭いきれず、もがくのです。
そのような時にどのように考え、行動すればいいかを解説させて頂きます。

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おはようございます。カウンセリングサービスの土肥(どひ)です。

東京感謝祭 令和元年スペシャルまで2週間を切りました。
今日、私は感謝祭の講演について、書かせて頂こうと思います。

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今、私は自宅でブログを書いているのですが、関東・東海を中心に暴風雨域に入っております。

とても、大型の台風で怖さを感じている方もいらっしゃると思います。
みなさま、くれぐれもお気を付けくださいね。
みなさまの安全を心より願っております。

下記は2019年10月7日に発行されたメルマガ 「カウンセラー発!すぐに役立つ心理学講座」です。

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こんばんは、カウンセリングサービスの土肥 幸司(どひ こうじ)です。
陽も短く、幾分涼しくなり、秋の気配も感じられる時期になりましたね。

今日は11月3日(日)に開催される「東京感謝祭 令和元年スペシャル」の魅力についてご案内させて頂きます。

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こんにちは、カウンセリングサービスの土肥(どひ)幸司です。

最近、私にとって、「前に進むキッカケを頂けたな〜」と感じる出来事がありました。
それも、立て続けにやってくるのです。

ちょうど1年前、私の中でどうしても変えたいことがあり、チャレンジしたのですが、その時は、思うような結果が出ませんでした。
でも、令和になって変わるキッカケをたくさんもらい、今少しずつですが、確実に自分が変われているなと感じています。

もしも、今、変化を求めている方
私と一緒に変わるキッカケをつくってみませんか?

下記が2019年10月、私の面談カウンセリング(東京)のスケジュールです。
是非、お話聞かせてくださいね。

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もう8月も終わりですね。

あなたにとって、今年の夏はどんな夏でしたか?
夏の終わりは、何かを振り返る良い時期なのかもしれませんね。

下記は2019年8月19日に発行されたメルマガ 「カウンセラー発!すぐに役立つ心理学講座」です。

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こんにちは、カウンセリングサービスの土肥 幸司(どひ こうじ)です。

暑い日が続いていますが、体調はどうですか?

暑いと汗をかきます。
正直、汗をかくのは嫌ですよね。


でも、汗をかくと体を活性化させ、血の巡りも良くなるなど、
良いこともあるのですよね。
本格的な夏が来る前に「汗をかく練習をしておくといい」と専門家が言っていました。
(もう、本格的な夏が来ていますが(笑))

やはり、何事も本番で成功するには、練習が大事なのですね。
あなたが幸せになる過程でも、カウンセリングなどで練習をして実践に生かすのが大事なのかもしれませんね(^^)

下記が2019年9月、私の面談カウンセリングスケジュール(東京)です。
秋は、少しもの悲しい季節になります。あなたの寂しい気持ちを伝えて頂ければと思っています。

その心の声を大切に聞かせて頂きます。
そして、そのお気持ちを癒していきましょう。

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もしも、あなたの寿命があと24時間だとしたら...

最後にあなたは、何をしたいですか?

実際に「あと1日」と宣告を受けたら、大きなショックをうけるでしょう。
現実を受けとめることに精一杯で、あっという間に24時間が経ってしまうかもしれません。

でも、人は「死」を意識したときに
今、本当にしたいこと
今、本当に生きたい生き方
今、自分が何を感じているのか
今まで、何を感じて生きてきたのか
に気付けるのかもしれません。

もう20年以上も前になりますが、私は一度だけ、「このまま死んでしまうのかもしれない」という体験をしました。

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こんにちは、カウンセリングサービスの土肥 幸司(どひ こうじ)です。

先日、東京オリンピックの観戦チケットの当選発表がありました。
でも、私は当選しませんでした(><)

「観戦したい」という思いがつよかったので、とても、残念です。

そのように、つよく願っても、叶わないこともありますよね(^^)
でも、そこで落胆し過ぎず、この状況から、どうしたらいいのだろう?と考え、行動することが大事だと思うのです。

だから、私は...
(1) 二次応募がかかったら、申し込んでみるつもりです。
(2) もしも、それにも当たらなければ、沿道で応援できる競技を観に行こうと思っています。

どちらにしても、東京オリンピックを観るという未来は、決まっているんですよね(^^)/

私達はそうやって、夢や目標を叶えていくのかもしれませんね(^^)

下記が2019年8月、私の面談カウンセリングスケジュール(東京)です。
あなたの未来を信じて、面談カウンセリングさせて頂きたいと思っています。

あなたの心の声、是非、聞かせてくださいね。

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7月になり、みなさん、いかがお過ごしでしょうか?
今年の夏も仙台で大塚統子カウンセラーによる心理学ワークショップが開催されます。

心理学ワークショップは、座学だけではなく、他の参加者の方々との触れ合いを感じられる体験型の講座です。
最初は、少し恥ずかしいと感じる方もいるかもしれません。でも、理屈だけではなく「人とのつながり」を感じられ、人の温かみを感じられる。

そのような体験を、多くの方にして頂ければ幸いです。

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みなさん、こんばんは、土肥 幸司(どひ こうじ)です。
梅雨のひと時、いかがお過ごしでしょうか?

私は先日、体験型のワークショップに参加し、ここ最近抱えていた自分自身の問題と向き合う機会を頂き、少しずつですが、確実に前に進めると思えたのです。

「今、人生が停滞している」という方にとって、雑学だけではなく、体験型の心理学ワークショップは、あなたの心境に変化を与える良い機会だと思うのです。
私は改めてですが、先日、そのような体験をしました。

人とのつながりって、いいですね^^
誰かが誰かを思い、心から応援してくれる、信じてくれている。
それが、あなたを変える原動力になるのかもしれません。

そして、その心理学ワークショップが仙台で開催されます。
講師は「仙台の母」。いや、「仙台の良き、お姉さん」と書いておきましょう(笑)^^

大塚統子カウンセラーです。

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