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こんにちは。
カウンセリングサービス原です。
今日は東京に移動してきました。


移動時にホームでまったり、バス亭で待ったりと待ち時間が多かったりするので楽して待つことができないかと思い、1ポールシートというのを買ってみました。
文字通り足が1本のイスです。
足1本って大丈夫か?と思ったのはいらぬ心配で、安定して座れて楽チン♪でした。

ネズミーランドなどのアミューズメントのパークの乗り物待ちなんかに使える!と思いました。
(*^-^*)
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愛を受け取って、与えていく〜見落としている愛はないか探してみよう〜

●見落としている愛はないか探してみよう

もし仮に、あなたの体のどこかにナイフが刺さっていたとしたらあなたの意識はどこに行きますか?


多分、ナイフが刺さっているとこですよね?


『痛い、痛い、痛い』
と、ナイフが刺さっているところに意識がいきます。


今の話は肉体的な痛みの話でしたが、心の場合も同じようなことが起こります。


悲しい、寂しい、惨め、無価値感、罪悪感、喪失感、失敗感というような、いわゆる痛みと呼ばれる否定的な感情がある時は、心が痛くなるのでそこに意識が行きます。


いわば心にナイフ(悲しいと言うナイフ、寂しいと言うナイフ、惨めと言うナイフ、無価値と言うナイフ感、罪悪感と言うナイフ、喪失感と言うナイフ、失敗感と言うナイフなどなど)が刺さっていると、ナイフが刺さって痛いところに意識が行ってしまうわけですね。


ナイフが刺さっている自分の痛みに意識が向いてしまいます。
すると、外の世界の愛に意識が向かなくなりがちです。


・あなたに手を差し伸べてくれる愛
・あなたを気遣ってくれる愛
・見守ってくれている愛
・あなたの欲しい形では無いかもしれないが何かしようとしてくれている愛


などなど、
周りにある愛に気づきにくくなるのです。


痛みがあるとそうなりがちになるものです。


だから、
痛みがある時こそ、
意識的に自分の痛みを見ていないか?
自分の痛みにはまっていて見落としている愛は無いか?
愛が周りにないか見つけてみよう!

というと意識をしてみることをお勧めしたいです。


そうすることで、
「実は私の周りに愛があったんだ!」
と、今まで気づかなった愛を発見できるということがあったりするんです。


・気にかけてくれてたんだ。
・私が悪い態度をとってたのに見捨てないでいてくれた。
・あの人なりに何かをしてくれようとしてたんだ。
・見守っていてくれていたんだ。
・気づかない内に助けられていたんだ。


などなど、
より、今ある愛を見つけられやすくなります。


友人の愛だったり、
家族の愛だったり、
パートナーの愛だったり、
職場の人の愛だったりと。


「気づかなかったけど私の周りに愛はたくさんあったんだ」
と思える体験ができたらすてきと思いません?


おそらく、すてきですよね!


意識的に
自分の痛みにはまっていて見落としている愛は無いか?
愛が周りにないか見つけてみよう!
と思ってみませんか?


そうやっていくことで、すてきな経験がまたひとつ増えるといいですね。