■このテキストはこのブログの中で唯一「僕ではない人の言葉」で書かれたものであります。

僕の師匠である方のご厚意から書いていただいたテキスト。よろしければご覧ください。 


浅野くん、紹介文。

電話や面談のカウンセリングの後、あるいは、ワークショップでセッションを終えた後、よくこんな質問を頂く。
「根本さんは予約が取りにくいから誰か私に合うカウンセラーを紹介して下さいませんか?」

すると、私は即座にできるだけその方に合うだろうと思うカウンセラーの名前を頭の中で巡らせる。
ご相談の内容、その方の性格、今後の方針、アプローチの方法・・・
もちろん、その方のお住まいの地域や職業なども考慮に入れる。

なんせ、私の紹介であるからして、責任が伴う。
「根本さんが紹介してくれたのに?」という疑問を抱かせてはならないと思うから、軽々と答えているようで、意外と必死なのである。

その時、ほぼ100%浮かぶ名前がある。いや、正確にはまず、この名前が最初に挙がるのである。

「こいつなら、間違いないですよ。ただし、最近は生意気にも予約が取りにくくなっているみたいですけど」

それが浅野寿和というカウンセラーである。
結果、必然的に名古屋はもちろん、東京、大阪では必ず彼の名前をリストアップしている。
時には北海道や九州の遠く離れたクライアントさんにすら、「とりあえず、一回、話をしてみてください」とお願いしたことも一度や二度ではない。

なぜか?
おそらく、その思考回路が最も私に近いからである。だから、“間違いのない”というセリフを安心してそのクライアントさんに伝えられる。

たぶんに理論的であり、明晰である。
なぜ、この問題が起きているのか?そして、その背景にはどんな心理があるのか?
その見立て、読み方は実に分かりやすく、論理的である。
論理的であるというこは、理屈っぽいというわけではなく、筋が通っていて、理解がしやすい、という意味である。
私もその筋を目指しているのであるが、どうやら私よりもずっと深く、また広い視野からその問題を見ているらしい。

何人ものクライアントさんから「根本さんも良かったけど、浅野くんもとても良かったです!」という余計な感想を頂いている。(要するに、私よりも浅野くんの方が良かったという意味である。)


ある日、彼のセッションを見る機会があった。
そのとき彼は若干緊張し、それゆえ、いつも以上に慎重に問題(=クライアント)と向き合っているように感じた。
しかし、その後の彼の見解を見ると、なるほど・・・そう来ますか・・・と思わず笑みがこぼれてしまうほど的確、かつ、深淵な視点を感じた。


とても情熱的で、かつ、抒情的である。
彼は感情を上手に見つめ、扱うことができる。
分かりやすく言えば、クライアントの心の琴線に触れるのが憎いばかりに上手いのである。

彼と話をしているクライアントが徐々に表情を緩め、心を開き、許し、素直になっていくのが手に取るように分かってしまう。
徐々に彼の思いに乗せられ、知らぬ間に言うつもりのなかった心の奥深くにある感情を言葉に乗せて発してしまうのだ。

そして、その開いた心の奥に、彼の人生を乗せた言葉(時にそれは愛という名で語られる)が送り込まれるのだ。
だから、クライアントは思わず言葉に詰まり、予定外の涙を流すことになる。

これを読んでいる浅野のクライアントさんも幾度となく“悔しい”涙を流されたはずである。ちくしょー、泣くつもりなんて無かったのに!と。

ちなみに、そんなクライアントの姿を見て、満足げにニヤリとする態度は、私、そして、私の師匠にも通じる厭らしい仕草の一つである。


そもそも彼の紡ぎ出す文章は私に良く似ている、と評価されている。
私自身はその自覚はないのだが、彼の文章を読むと、論理的かつ平易でありながらも、スーッと心の中に飛び込んでくる柔らかさを感じる。
それは私の目指すところと不思議と一致する。
時には「自分もこんな文章を書きたい」と思わせる言葉を彼は描き出しているのである。

一見ぶっきらぼうで、偉そうで、高圧的に見えるのだが、そこにちゃんと愛があるのだ。
もちろん、カウンセリングではそれがストレートに言葉として表現されているのだろう。
だから、クライアント自身、自覚のない我が身の世界を彼の言葉によって拓かれる経験をされるのだと思う。

「浅野さんのカウンセリングがとても好き。私に合っている。」

そんな熱烈な言葉を幾度となく耳にした。そして、それを発するクライアントは、すっかり彼の信者となり、つい私の負けん気を刺激してくるのである。


彼はまっすぐで、かつ、情熱的である。
それだけだと暴走しがちなキャラであるが、それを押しとどめるブレーキをちゃんと彼は持っている。
それだけ彼自身、自分の人生にあれやこれやの苦悩を背負ってきたのである。
実は何度か彼の相談に乗る機会があった。
順風に生きているようで、彼もまた壁にぶつかり、もがき、そして、そこを乗り越えてきた経験を持つ。
だから、クライアントの心の葛藤が手に取るようによく分かる上に、闇雲にクライアントの傷を押し広げたりはしない。

だから、クライアントは安心して彼に任せることができるのだろう。
そこはかとない安心感をきっと彼のカウンセリングは提供している。

その証拠に彼のクライアントはセミナーなどで私に出会う時、「浅野さんにお世話になっている者です」とまるで、信者のように自己紹介する。
しかし、それはうっとりと恋する者のような目ではなく、はっきりと、自分の意志を持った言葉として発せられるのである。

ちゃんとクライアントの足を地に着けられる力量を持っていることがその時点ではっきりする。



彼の言葉にはよくパートナーのことが語られる。
私も彼女のことはよく知っているのだが、お互いの信頼と愛情は決して嫌味ではない生々しさを持ち、自然体な柔軟性を持っている。
それが浅野のカウンセリングにおける安定感を物語っているのかもしれない。
クライアントの世界観を訪問するカウンセラーにとって、帰着すべきホームグラウンドを持つ者は強いのである。

故に、クライアントはブレない彼のカウンセリングに安心して任せることができるのであろう。
もちろん、そんな環境に置かれたクライアントは自然と結果を出してしまう。



彼は強烈な音楽マニアである(そのジャンルは私の口からは到底説明できないので本人に確認されたい)。
ITなどにも結構詳しく、一度決めたらとことんハマるオタクな神経を持っている。

この資質はカウンセラーとしてはとても大切なものである。
実際、私の師匠も自分が興味を持った物事にはとことんハマり、周りを巻き込んで結構な迷惑を振りまいている。

そのマニアックな才覚は当然カウンセリングではクライアントのことをとことん理解しようとする姿勢として発揮されている。
彼はきちんとその人を知り、見つめ、理解しようとし、そして、そうした見識の土台の上に「こうしましょう」という提案を出すのである。

だから、クライアントとしては自分の背丈に合ったその提案を喜んで受け入れ、そして、実践するのだろう。自分を受け入れ、理解してくれた喜びと共に。


そういう根拠の元に私は「浅野だったら間違いはないですよ。最近、あいつ生意気になって予約が取りにくいみたいなので、早めにスケジュールを押さえる方がいいですよ」という言葉を絞り出すほかないのである。


さて、彼は私を飛び越して、私の師匠(もちろん、彼の師匠でもあるのだが)を目指すべく、まずは体型から模倣を始めているようである。
だから、皆さまは彼がドクターストップを受け、ダイエットのための休暇を取らざるを得なくなる前に、一度、浅野ワールドを体験して見られると良いと思う。

なるほど、これが根本が言っていた「マニアックで、情熱的で、分かりやすくも、理知的なカウンセリングなのか」と納得して頂けるはずである。


2014/11/20