■カウンセリングサービスの浅野寿和です。いつもありがとうございます。
今、僕は博多駅にいます。週末の福岡でのセミナーを終え、今から名古屋に戻ります。

今回のセミナーでは、ホテルのバスルームで靴が水没したり、セミナー中にビルの窓掃除が始まったり、いろんなことがありましたが、とても素敵な受講生さんに囲まれ幸せで美しい時間を過ごさせていただきました。

本当にみなさんありがとう。みなさんとの出会いは僕にとっての宝物です。


また、この週末はセミナーに集中したくてブログ更新をお休みにしました。いつもブログ更新を期待して待ってくださってる方、ごめんなさい。

ただ今後も2day以上のセミナーを開催しているときに限り、癒しにエネルギーを投資するため、ブログ更新をお休みさせていただくようになるかもしれません。

なぜ、いきなり僕がこんなことを書き始めたのか?

その理由を今日のコラ厶に書こうと思うのです。

よろしければどうぞ。



■最近になってようやく気づいたのです。

僕は自分に相当厳しい目を向けている、らしい。

いや、相当自分がダメなやつで、できない人間だと思いこんでいるらしい、と。

ある人と話していて、ふと気づいたのですね。

別に自分に厳しい目を向けることが常に悪影響を及ぼすとまでは言い切れないのですが、これが僕のある悩みを作っていることに気づいたのです。


それが、

近い人間、身内に少し厳しい目を向けてしまうことがあること。

普段は表現しない不満がふいに漏れ出てしまうな、ということ。


自らを厳しく律したり、こうあるべきルールを持つこと自体、僕はなんとも思わない、とまではいいませんが、それはそれで意味があるわけです。

そもそも人は意味のないことを続けることは稀でしょうから。もし意味のないことを何故か続けてしまうなら、続けること自体に意味があるわけで。

ただ、自分に厳しく律することに意味があったとして、しかしその度が過ぎことの弊害は確かにあるわけです。


自分を甘やかしすぎてもアレですが、やたら自分に厳しすぎると・・・

日々息苦しさを感じる
喜びを感じにくい
どこか疲れやすい
自分を肯定し難くなり自信を実感として感じにくい
人に愛され必要とされている感覚が薄い、、、

そういったことが起こるわけです。


その結果

言わなくていいと分かっていても漏れ出す不満、愚痴がとまらない。
ネガティブなモノの見方が変えられない。
ついうっかり言ってしまう、いらぬ一言がとまらない。
本当は愛を表現したいのにその真逆の表現をしてしまう、、、

そんなことが起こるのです。

その結果、人に誤った印象を与えることもあれば、ついコミュニケーションがうまくいかない、なんてことも起こります。


これ、僕にとってはかなりのストレスの理由で、なんとか解決のために努力してきたこと。

特に自分にとって

身近な存在
地域、人に対して、

素直な気持ちを表現しない、そんな自分を変えよう心がけようとしてきたのです。


しかし、やはりそれがうまくいかないときもあるわけですよ(笑)

その瞬間、ものすごい自己嫌悪がやってくる。


あんなこと言わなきゃよかった。

あんなふうに人に接したら、こちらの本意ではないにせよ、誤解されるだろうな。

なぜあのとき、しっかり自分の愛とつながった言葉を使えなかったのだろう。


それは

相手にどう思われるか、ではなく

「自分はなぜ本当の気持ちを表現しないのか」という後悔なんです。


つい、大切なのにあえて突き放すことを言ってしまう。
人にあえて厳しい態度を選んで見せてしまう。
褒めたいのにうっかり否定的な言葉を口にする。
負けたくないから強がる。
喜ばせたいのにいらぬ一言を言う。

僕も心にまつわる仕事をさせていただいているわけですから、それすら意味があり、許されちゃうことだとも知っています。

が、これは僕にとって幸せなことでは、ない。


心の癒やしに携わるものとして、どれだけ人を愛の目で見るかの大切さを知っていますし、カウンセリングでもセミナーでもそれは思い切り表現しています。

それこそが僕の喜びでもありますから。

しかし、自分がプライベートモードとなると、つい漏れ出てしまう不本意な言葉や態度も見え隠れするわけですよね。

そんな自分を、誰よりも近くで感じているのも自分です。

その反省から、さらに自分を律し、コントロールしなければー、とつい考えることも多いんですが、「自分へのコントロールが強い人間ほど、コントローラーになりやすい法則」から、さらに素直じゃない自分モードが続くこともあるわけです。


それがなにより悲しい。

そんな時間がちょっと長く続いていたのは事実です。


僕が伝えたいものは、それじゃない。

そう分かっているから、伝わらないことが更に悲しい。


そういえば昔、中学の恩師から言われた言葉を思い出しました。

「浅野は損してる。お前はつい口から出る言葉、態度が手厳しいから。本音は違うし、協調性もあるのに、いつも損ばかりして誤解されている。もっと上手くなりなさい。」

それがその当時は自己嫌悪がひどすぎてわからなかったな、と。そして今もその片鱗が残ってるんだな、とも。

そういえば、別の人からも言われてましたね、最近(笑)なんで損な役回りばかりしてるんですか?と。

ものすごくありがたい言葉、ですよね。

ただ、そこに妙なこだわりを持っていたのは僕でしたね。


ここで心の話をすれば、それこそ僕の内面にある、劣等感や無価値感、罪悪感の影響だとも言えるんです。

更に深く見つめれば権威との葛藤だの、自立が手放せないぐらいの「つながりへの怖れ」の影響かもしれない。


しかしもっとシンプルに考えれば

『自分がいい気分でいれば、起こらないこと』

とも言えるわけです。


自分に厳しくしすぎると、それにどれだけの意味があって必要なことであっても、自分の気分がよくならない事が多い。悪くならないかもしれないけれど、あまり変わらないことも多いんです。

だから今の気分に従った言葉、態度をつい使ってしまう。

たしかに正直者かもしれませんが、僕の苦悩はいつもここにあると言えるんですよね(笑)


例えばですよ・・・

なぜ、名古屋の愛すべき仲間にだけ、本当に表現したい事を表現していないのか、とかね(笑)

「違う、そうじゃない」と心で感じていても、実際に自分が使った言葉には責任が伴うもの。

自分の影響力は自分が回収するものですからね。


しかし、最近ある人と話して、改めて気づいたのです。

こういった自分をも否定し、隠す必要なないのかもしれない、と。それも自分だ、と。

ただ・・・本当の自分を表現したいなら、今はもう少しココロを緩めることが必要かもしれない、と。

そういえば師匠にも同じようなことを伝えてもらいましたっけね。


そうか、そういうことか、とようやく気づいたといいますか。

僕は休む間もなく、ひたすらに走っていればなんとかなる、としか考えていなかったのかもしれない。



「うまく愛せない、愛を表現できない」

そんな後悔や罪悪感があるところには、自分を追い込みすぎてしまうような厳しさがあるもの。

自分を律さないことも問題になるけれど、自分を律しすぎるのも問題なのですよね。

わかってるんだけどなー。ついやっちゃうんですよねぇ。


だから、もう少し自分を休めてみるか。素直な自分になれるように。

ようやくそう思えたんですよね。

ようやく自分で自分を許してみよう、と思えたといいますかね。

・・・実はこれも先日の福岡のセミナーで出会った皆さんが教えてくれたことなんですけどね(笑)



だからまず、セミナー期間中はブログ更新をお休みしようと思うんです。

休みにはちゃんと休むことから実践しよう、と思うんです。

書くことの意味も大切なものですが、時間をかけて「思いを伝えること」の意味をもっと大切に、磨いてみます。

僕は昔から不器用な人間ですけどね(笑)

ただ、長い時間をかけて「優しさ」については学んできたつもりです。

だからこそ、もっと自分らしく、もっと上手に思いを表現できるように成長しようと思うんです。


それが結果的に自分の中にある

『愛をあるだけすべて』

表現する自分になることだ、と改めて気づいたんですよね。

それが僕にとっての幸せなこと、なんだな、と。



ちなみに最後に書いた『愛をあるだけすべて』という言葉。

これ、僕が愛聴し続けているKIRINJIのニューアルバムのタイトルなんですよ(笑)

凄くいい言葉だな、って思って。