2011年12月15日

優柔不断について

こんにちは、カウンセリングサービスの河合一孝です。

「web R25」というウェブサイトのライターさんから取材がありまして、そちらが記事になりました。
『三つ子の魂百まで?優柔不断の直し方はあるのか?』というタイトルで、私も簡単なコメントをさせていただいておりますので、どうぞご覧ください。

記事はこちらです。


取材を受けるにあたり、優柔不断について改めて考えてみました。
考えれば考えるほど奥の深いテーマでしたね。


優柔不断というほどでなくても、大きな選択を迫られれば誰しも迷うもの。
カウンセリングなどでもよく「選択する」とか「決める」とか「コミットメント」とか言いますが、そう簡単なことではありません。
どうしても揺らいでしまいますよね。

どんな問題でもぱっぱっぱっと決められるという人はなかなかいないのではないでしょうか。
多かれ少なかれ誰しも迷うものですし、どこからが優柔不断と線引きできるものでもないでしょう。
いわば優柔不断かどうかというのは程度の問題で、決められないときというものは誰にでもあるかと思います。


この人と結婚していいのだろうか。
この人とは別れた方がいいんじゃないだろうか。
この仕事を続けていくべきだろうか、それとも辞めるべきだろうか。

などといった人生に関わる問題から、

今日の夕飯は何にしよう。
今日はどの服を着ていこうか。

などといった日常の問題まで、
私たちはあらゆるジャンル・あらゆるレベルで迷います。

こっちもあっちもどっちも捨てられない!選べない!
こっちを選んだらこうなるし、あっちを選んだらああなるし、う〜ん、どっちも嫌だ!
こっちにしよ!あー、でもやっぱりこっちも…。

考えすぎて耐えられなくなり投げ出したくなるときだってあるでしょう。

迷いの度合いが大きいときほどそのことで頭がいっぱい。
何度も何度も考え直して、選択の結果をシミュレートして、ありとあらゆるパターンを洗い出して。

それでも決められない。
まだ考え足りないんじゃないだろうか。
もっといい方法、もっといい選択肢があるんじゃないだろうか。
今決めてしまったら後悔するんじゃないだろうか。

でも、どれだけ考えてももうこれ以上新しいことも出てこない…。

迷って迷ってそれでも決められないときは、どの選択肢にもメリットとデメリットがあり、とはいえどのメリットもどのデメリットも決め手になるほどではない、そういう状況です。


決断はしたものの、それで後悔したことは誰にでもあるかと思います。
だからこそ後悔しないように決断前に散々悩むのですが、そういうときってきっとどちらを選んでも同じように後悔したんだと思います。

なぜならどちらにも同じように見過ごせないデメリットがあったわけですから。
だから決められなかったのですから。

それだけ迷うようなことなら、どちらの選択肢にも同じように満足する部分も後悔する部分もあるのです。
どちらの選択肢を選んだとしても、同じように満足もしたでしょうし後悔もしたでしょう。

そういう意味で、どの選択肢も大差ないのです。


選択肢を前にして迷うとき、私たちは正解を求めています。
どれを選ぶのが正解なのかと悩むのですが、そのような問いに決まった正解はありません。
どれも正解ですし、どれも不正解です。

他の誰も正解を教えてはくれません。
正解がないのですから、教えたくても教えることはできないのです。
正解に向かういかなる指針もなく、どれを選ぶのかは完全に自由です。
自分でただただ自由に選び取るしかないのです。

メリットしかない選択肢があるのならそこでは誰も迷いませんから、迷った時点で、どのような決断をするにせよ、必ずそこに付き纏うデメリットも引き受けなければなりません。
決断するとは、自らデメリットを(そして、後悔すること、傷付くこと、失敗することを)選び取ることでもあるのです。

でも、誰もそんなデメリットなんて引き受けたくはない。

だから、自由に選択できる状態というものはとても苦しいのです。

哲学者サルトルは「人間は自由という刑に処せられている。」と言いました。
哲学者ニーチェはこの自由を引き受けて生きる人を「超人」と呼びました(ちょっと違いますが、まあだいたいのところでそういう解釈もできるかと)。
そんなふうに言われるくらい、どんな選択をしてもいいという自由な状態は苦しいのですね。
自由なところに楽園はないのです。


だから、誰かに決めてほしいと願います。

彼氏がもっとはっきり結婚を言ってくれたら…。
夫の方から別れるって決めてくれたら…。
パートナーが変わるって決めてくれたら…。
上司がわかろうとしてくれたら…。

などと相手に委ねたり、または占いや何らかの権威に頼ることもあるでしょう。
カウンセラーに答えを出してほしいと望むかもしれません。

ですが、誰かに決めてもらったとしても、その結果を引き受けるのは自分自身です。
迷った時点でデメリットのない選択肢はなかったわけですから、誰かに決めてもらったとしても、そのデメリットを引き受けなければならないのは変わりません。
代わりに決めてくれた人も責任を取ってはくれません。
後悔したり傷付いたりは、代わりにはできません。
誰が決めようと、決断の責任は自分で取らなければならないのです。

だから、決めるのはとても苦しく、誰かに委ねてしまいたくもなるのですが、でも、どうせ後悔するのなら、どうせ傷付くのなら、どう後悔するのか、どう傷付くのか、誰かに決めてもらうより自分で決めた方がまだ納得できるのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。


話がそれました。

さて、迷ったときにはどうしたらいいのでしょうか。

まず、状況や自分自身の感情が許すのであれば、決めなくても構いません。
「決めない」という選択肢もあるのです。
もちろん、決めない場合も「決めない」という選択の結果は自分で引き受けなくてはならないのですが。


その上で、「やっぱり決めたい」と望む場合は…。

どちらを選んでも後悔したり傷付いたりするのは大差ないのですから、どちらが正解というのはどれだけ迷っても出てこないのですから、思い切って決めてしまいましょう。
その瞬間の直感で決めてしまいましょう。
次の瞬間にはたぶん違う直感がやってきますから、また決められなくなってしまいます。
この瞬間に決めてしまいましょう。
直感を信じられなければ、サイコロでもなんでも構いません。
「えいやっ」と決めてしまいましょう。

この日までに決める、とか、5分以内に決める、とか、時間を区切るのもいいでしょう。
優柔不断な人、決められない人、というのは、時間を掛けて迷うことが癖になってしまっていたりもします。
言い換えれば、時間を掛けて迷うことを自分に許可している状態ですから、「時間を掛けずに決める」という新しいルールを自分に課すのです。


そして、この後が肝心です。

優柔不断な人は、慎重でいろいろなことに気が回るタイプですから、ある選択の後にどのような問題(デメリット)が起こりうるかを予想するのは得意なはずです。
いつもやっていますよね。

優柔不断とまではいかない人であっても、決められないその問題に関しては、あらゆるパターンを想定して悩むはずです。

この作業を、決める前ではなくて決めた後にやりましょう。
決めて選んだ選択肢の結果として起こりうる問題を想定して、事前に対策を練っておきましょう。

正確な未来予測はできません。
決める前に悩んだあれこれも、杞憂に終わることも多くあるでしょうし、ときには想像以上の痛みが襲ってくることもあるでしょう。

どれだけ悩んでも未来を正確に知ることはできないのですから、不正確な未来予測に時間を割くよりも、起こりうる問題に備えておく力やいざ問題が起こったときに対応できる力を付けておくほうが、時間の有効活用になるでしょう。

優柔不断な人が持っている慎重さや想像力、「ちゃんとしなきゃ」っていつも考えている責任感の強さや完璧主義。
こうしたものは起こりうる問題に備えておく力に必要な要素です。

起こりうる問題に備えておけば、いざ問題が起こったときにはゆとりをもって対応できます。

優柔不断な人こそが、持っている特性をうまく活用できれば、「即断即決・フォローも万全」といういかにも「デキル人」に近いのだと思います。


優柔不断さに自信がある皆さま。
皆さまがそれほど悩むことであれば、どちらの選択肢も似たようなものです。
どちらかを選んで失敗したとしても、それは「考えなしに選んで失敗する」ということとは違います。
もしかしたら周りもうんざりするくらい、散々考えているわけですから。
どちらを選んでいたとしても、似たような失敗感を味わわなくてはいけなかったはずです。

だから、自信を持って「適当に」決めちゃってくださいね。

そうすれば、早いうちから決断の成果(メリットの部分)を味わうことができます。
存分に味わっておきましょう。

しかし同時にきっと何度も後悔や失敗感などいろいろな痛みも襲ってくるでしょう。
不本意な出来事も起こるかもしれません。
ですが、そういったデメリットを引き受けて乗り越えたとき、そこで初めてその決断が正解になるのです。

もともと決まった正解などはありません。
皆さまのその後の歩みが、皆さまの決断を正解にしていくのです。


cs_kawai at 18:02心理学  この記事をクリップ!
livedoor Readerに登録
RSS
livedoor Blog(ブログ)