こんばんは、建部かずのぶです。

今日で東日本大震災から5ヶ月が経ちました。
また、もうすぐお盆もやってきますね。
この時期、「お盆休み」と称した数日間の休日になるところもあるでしょうし、
それに併せて帰省や行楽に出かける方もいらっしゃるでしょうね。

お盆は、正式名称は「盂蘭盆会(うらぼんえ)」と言い、ご先祖様や亡くなった方たちがこの期間地上に戻ってこられる期間を指します。
このとき、迎え火や盆踊りなどでお迎えと供養をして、最後に精霊流しや、送り火を燃やして空にお送りするのが一般的です。
(「大文字」で有名な京都の五山送り火は、お盆の送り火の代表的なものですね)

お盆はもともと仏教の行事だそうですが、日本人にとっては、亡くなった方を偲び、そして感謝をするための大切な行事なのです。



被災地では徐々に仮設住宅が完成されていき、学校などの避難所に身を寄せていた方々が新しい住居へ移られているようです。
そして、入居されたのをめどに、避難所も縮小や閉鎖をされてきています。

今までの、他の被災者の方々と支え合いながら、必死に集団生活を送っていた日々から一転して、
各自で生活を始めるとき、人によってはそれまで抑制していた様々な苦悩が浮かび上がることがあります。
これは、集団から離れて初めて、「辛い現実と、自分の気持ちに向き合わざるを得ない時間」が発生したからで、
そこで同時に、周囲に気を遣いながらの生活は、「人との触れあいによる精神的ストレスの緩和」だったと気づかされるのです。

特に、震災で家族や大切な人を亡くした方にとっては、ここで喪失感や孤独感が一気に表出し、
それが辛すぎると、お酒やギャンブル、ハードワークや過食などに走ったり、ゆっくり眠れなくなってしまうこともあります。

もしも今、なんとなく気分がすぐれないなぁと思ったら、一人で抱えないでくださいね。
現在ではカウンセリングなどの専門機関もありますので、誰かに自分の心の状態をチェックしてもらってくださいね。


喪失の痛みは、罪悪感、無力感、失敗感、後悔といった苦しい気持ちを呼び起こし、
寂しさも相まって、孤独感として心をどんどん浸食していきます。

私は、このどうにもならない喪失感を、昔彼女を病気で亡くしたときに強く感じました。
「自分のこの気持ちは誰にも伝わらないのだ、分からないのだ!」と。

たまたまいた環境によるところもあるでしょうし、
もう少し聞いてくれる場所を求めたならば、そこで出会いはあったのかもしれません。

結果として、私はあまりこの話題を人にしなくなりました。
そして、悪意がなくても口が過ぎる方や、話題から距離をとるようになりました。

それくらい心がデリケートになってしまい、ちょっとした言葉でも反応してしまったからでしょう。


大切な人を亡くしたとき、私たちはつい自分を激しく責め続けてしまうようです。
「本当に、自分にはどうすることもできなかったのだろうか・・・」
「こんなことなら、もっといろんなことをしてあげたかった・・・」
「どうして、今まで相手のことを大切にしてこなかったのだろう・・・」

それが、たとえ地震や津波といった甚大な自然災害によるものだったとしても、
「何もできなかった」という無力感が強い分だけ、何度も自責の念に駆られ、後悔と共に喪失感は強まっていくのです。

ですが、ここで気づいていただきたいのは、
「自分をひどく責めてしまうぐらいに、その人のことを大切にしたかった」という、深い愛情が元になっている、ということ。
だからこそ、愛する人に何もしていないと思い、そんな自分を許せなくなっているのです。

そして、もう一つ。
「私に何かしてくれた人がいなくなって悲しい」のではなく、「もう会えなくなってしまって悲しい」のですよね?
ということは、その強い悲しみは、その人の【 行為 】ではなく、【 存在そのもの 】を愛していた証だと言えるのです。

そんな愛情深いあなたが、空を見上げて「天国で幸せになってほしい」と心から祈っているとき、
天国から見ているかもしれないその人も、「この世で幸せに暮らしてほしい」と願っているのではないでしょうか。

もっと言ってしまうと、どれだけ「大切にしてあげなかった」と自分を責めていたとしても、
雲の上から見ているその人は、ただあなたが笑っていてほしいと願い、そっと愛を贈り続けたいのかもしれないのです。

この深く大きな愛の存在を感じることができたときに、
人はようやく自責の念から抜けだし、前を向こうと決心できるのかもしれません。


もちろん、苦悩と悲嘆の渦の中にいるときは、そんな風に考えることもできませんよね。
そんなときは、「泣く」という形で、少しずつ心を洗い流してあげましょう。
泣くことも、話すことと同様に、カタルシス効果という心の浄化作用が得られるのです。

どんな感情も、感じることで消化されると言われています。
裏を返すと、感じない限りは、なかなか解消されないと言えるのかも知れません。

ですが、一人で向きあうのもなかなか大変な事ですので、
誰かに話を聞いてもらいながら、ゆっくりとご自身のペースで感じられたらいいかなと思います。

我慢をするくせなどがあると、ついつい閉じ込めて、見ないようにして・・・という方法を使ってしまいがちなのですが、
心の中に蓄積された状態ですので、ちょっとしたきっかけで、心の傷として疼くこともあり得ます。
そういうときには、時間も経過しているので、ますます表現しにくくなるでしょう。

周りの人が理解しようとしたり、見守ってくれている時に、今できることとして、感情を消化する。
そう思われてもいいのかもしれませんね。


もしあなたが喪失感に苛まれているならば、その人との思い出を振り返ってみてください。
そのとき、悲しみ、寂しさ、罪悪感、無力感、孤独感、後悔などが一気に押し寄せて、苦しくなってしまうかもしれません。
ここではまだ、暗闇をたった一人で歩いているようなものでしょう。

時には信頼できる誰かに助けてもらいながら、勇気を出してゆっくりと様々な感情群をくぐり抜け、
涙と共に痛みを解放し、手放していくと、最後には「愛」にたどり着くことができます。
その愛こそが、暗闇を照らす1本のろうそくの光なのです。

この作業をくり返していくと、ろうそくの光は少しずつ増え、いつしか暗闇を照らす大きな灯火になっていきます。
消えることのない灯火は、自分と大切な人をいつでもつないでくれる道しるべなのです。

この世ではもう会えなくても、自分からつながっていくことができる。
こう思えたとき、自責の念からお互いが自由になり、そして自分の人生に関わってくれた相手に「ありがとう」と言えるでしょう。


もちろん、人の悲しみはお一人お一人みんな違うでしょう。
ただ、今までとは違う見方をしたときに、悲しみの底から抜ける可能性があるのかも・・・。
そんな受け止め方をしていただければと思うのです。

私の場合、闘病中だった彼女が意識を失ってしばらくして、突然意識が戻ってきた時に、
私は、運良く彼女からいっぱい感謝の気持ちをもらえました。

それが、彼女の私への気持ちなのだと思った事で、その後ずいぶん救われたなぁと思います。

波状の様に押し寄せる悲しみに揉まれながらも、「病気で苦しんだ彼女を、これ以上悲しませることはできない!」
その一点のこだわりを持てたことが、私の次への一歩をもたらしたように思うからです。

一番大切なのは、ご自身の気持ち、そしてできるならば、亡くなった人の気持ちかなぁ、と私は思っています。


お盆の迎え火は、ご先祖様や亡くなった方たちが地上に戻ってこられるときの目印になりますし、
送り火は、空にお送りするときに、「しっかりと見ていますよ」という気持ちの表現として行われます。

命日やお盆などは、亡くなった方への供養と感謝が明確になる重要な日です。
ですが、ふと思いついたときに「祈り」という形で、灯火をともすこともできますね。

消えることのない鎮魂の灯火は、絆を思い出す永遠の炎として、心のなかでゆらめきながら燃えることでしょう。