◆建部かずのぶ

◇こちらは心理カウンセラー達が作る癒し系サイト「カウンセリングサービス」のカウンセラーのプロフィールページです。

カウンセリングサービス所属カウンセラー。
大阪地区担当 たてべ・かずのぶ

恋愛、対人関係、自己啓発、ヴィジョン、ビジネス心理などを得意とするカウンセラー。
“少しでも楽に、簡単に、シンプルに”をモットーに、お客様が無理なくできる提案を心がけながら、その思いをしっかりと受け止めている。
元気があって、やさしく、包容力のあるカウンセラーで、どんな話も丸ごと受け止めてくれるため、誰よりも分かってもらえたような気持ちになれると評判である。
問題の先にあるヴィジョンを見、そして、その提案力で、多くのお客様に親しみと温かさを提供している。

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東日本大震災によせて

鎮魂の灯火は、つながりを取り戻す美しい炎。

こんばんは、建部かずのぶです。

今日で東日本大震災から5ヶ月が経ちました。
また、もうすぐお盆もやってきますね。
この時期、「お盆休み」と称した数日間の休日になるところもあるでしょうし、
それに併せて帰省や行楽に出かける方もいらっしゃるでしょうね。

お盆は、正式名称は「盂蘭盆会(うらぼんえ)」と言い、ご先祖様や亡くなった方たちがこの期間地上に戻ってこられる期間を指します。
このとき、迎え火や盆踊りなどでお迎えと供養をして、最後に精霊流しや、送り火を燃やして空にお送りするのが一般的です。
(「大文字」で有名な京都の五山送り火は、お盆の送り火の代表的なものですね)

お盆はもともと仏教の行事だそうですが、日本人にとっては、亡くなった方を偲び、そして感謝をするための大切な行事なのです。



被災地では徐々に仮設住宅が完成されていき、学校などの避難所に身を寄せていた方々が新しい住居へ移られているようです。
そして、入居されたのをめどに、避難所も縮小や閉鎖をされてきています。

今までの、他の被災者の方々と支え合いながら、必死に集団生活を送っていた日々から一転して、
各自で生活を始めるとき、人によってはそれまで抑制していた様々な苦悩が浮かび上がることがあります。
これは、集団から離れて初めて、「辛い現実と、自分の気持ちに向き合わざるを得ない時間」が発生したからで、
そこで同時に、周囲に気を遣いながらの生活は、「人との触れあいによる精神的ストレスの緩和」だったと気づかされるのです。

特に、震災で家族や大切な人を亡くした方にとっては、ここで喪失感や孤独感が一気に表出し、
それが辛すぎると、お酒やギャンブル、ハードワークや過食などに走ったり、ゆっくり眠れなくなってしまうこともあります。

もしも今、なんとなく気分がすぐれないなぁと思ったら、一人で抱えないでくださいね。
現在ではカウンセリングなどの専門機関もありますので、誰かに自分の心の状態をチェックしてもらってくださいね。


喪失の痛みは、罪悪感、無力感、失敗感、後悔といった苦しい気持ちを呼び起こし、
寂しさも相まって、孤独感として心をどんどん浸食していきます。

私は、このどうにもならない喪失感を、昔彼女を病気で亡くしたときに強く感じました。
「自分のこの気持ちは誰にも伝わらないのだ、分からないのだ!」と。

たまたまいた環境によるところもあるでしょうし、
もう少し聞いてくれる場所を求めたならば、そこで出会いはあったのかもしれません。

結果として、私はあまりこの話題を人にしなくなりました。
そして、悪意がなくても口が過ぎる方や、話題から距離をとるようになりました。

それくらい心がデリケートになってしまい、ちょっとした言葉でも反応してしまったからでしょう。


大切な人を亡くしたとき、私たちはつい自分を激しく責め続けてしまうようです。
「本当に、自分にはどうすることもできなかったのだろうか・・・」
「こんなことなら、もっといろんなことをしてあげたかった・・・」
「どうして、今まで相手のことを大切にしてこなかったのだろう・・・」

それが、たとえ地震や津波といった甚大な自然災害によるものだったとしても、
「何もできなかった」という無力感が強い分だけ、何度も自責の念に駆られ、後悔と共に喪失感は強まっていくのです。

ですが、ここで気づいていただきたいのは、
「自分をひどく責めてしまうぐらいに、その人のことを大切にしたかった」という、深い愛情が元になっている、ということ。
だからこそ、愛する人に何もしていないと思い、そんな自分を許せなくなっているのです。

そして、もう一つ。
「私に何かしてくれた人がいなくなって悲しい」のではなく、「もう会えなくなってしまって悲しい」のですよね?
ということは、その強い悲しみは、その人の【 行為 】ではなく、【 存在そのもの 】を愛していた証だと言えるのです。

そんな愛情深いあなたが、空を見上げて「天国で幸せになってほしい」と心から祈っているとき、
天国から見ているかもしれないその人も、「この世で幸せに暮らしてほしい」と願っているのではないでしょうか。

もっと言ってしまうと、どれだけ「大切にしてあげなかった」と自分を責めていたとしても、
雲の上から見ているその人は、ただあなたが笑っていてほしいと願い、そっと愛を贈り続けたいのかもしれないのです。

この深く大きな愛の存在を感じることができたときに、
人はようやく自責の念から抜けだし、前を向こうと決心できるのかもしれません。


もちろん、苦悩と悲嘆の渦の中にいるときは、そんな風に考えることもできませんよね。
そんなときは、「泣く」という形で、少しずつ心を洗い流してあげましょう。
泣くことも、話すことと同様に、カタルシス効果という心の浄化作用が得られるのです。

どんな感情も、感じることで消化されると言われています。
裏を返すと、感じない限りは、なかなか解消されないと言えるのかも知れません。

ですが、一人で向きあうのもなかなか大変な事ですので、
誰かに話を聞いてもらいながら、ゆっくりとご自身のペースで感じられたらいいかなと思います。

我慢をするくせなどがあると、ついつい閉じ込めて、見ないようにして・・・という方法を使ってしまいがちなのですが、
心の中に蓄積された状態ですので、ちょっとしたきっかけで、心の傷として疼くこともあり得ます。
そういうときには、時間も経過しているので、ますます表現しにくくなるでしょう。

周りの人が理解しようとしたり、見守ってくれている時に、今できることとして、感情を消化する。
そう思われてもいいのかもしれませんね。


もしあなたが喪失感に苛まれているならば、その人との思い出を振り返ってみてください。
そのとき、悲しみ、寂しさ、罪悪感、無力感、孤独感、後悔などが一気に押し寄せて、苦しくなってしまうかもしれません。
ここではまだ、暗闇をたった一人で歩いているようなものでしょう。

時には信頼できる誰かに助けてもらいながら、勇気を出してゆっくりと様々な感情群をくぐり抜け、
涙と共に痛みを解放し、手放していくと、最後には「愛」にたどり着くことができます。
その愛こそが、暗闇を照らす1本のろうそくの光なのです。

この作業をくり返していくと、ろうそくの光は少しずつ増え、いつしか暗闇を照らす大きな灯火になっていきます。
消えることのない灯火は、自分と大切な人をいつでもつないでくれる道しるべなのです。

この世ではもう会えなくても、自分からつながっていくことができる。
こう思えたとき、自責の念からお互いが自由になり、そして自分の人生に関わってくれた相手に「ありがとう」と言えるでしょう。


もちろん、人の悲しみはお一人お一人みんな違うでしょう。
ただ、今までとは違う見方をしたときに、悲しみの底から抜ける可能性があるのかも・・・。
そんな受け止め方をしていただければと思うのです。

私の場合、闘病中だった彼女が意識を失ってしばらくして、突然意識が戻ってきた時に、
私は、運良く彼女からいっぱい感謝の気持ちをもらえました。

それが、彼女の私への気持ちなのだと思った事で、その後ずいぶん救われたなぁと思います。

波状の様に押し寄せる悲しみに揉まれながらも、「病気で苦しんだ彼女を、これ以上悲しませることはできない!」
その一点のこだわりを持てたことが、私の次への一歩をもたらしたように思うからです。

一番大切なのは、ご自身の気持ち、そしてできるならば、亡くなった人の気持ちかなぁ、と私は思っています。


お盆の迎え火は、ご先祖様や亡くなった方たちが地上に戻ってこられるときの目印になりますし、
送り火は、空にお送りするときに、「しっかりと見ていますよ」という気持ちの表現として行われます。

命日やお盆などは、亡くなった方への供養と感謝が明確になる重要な日です。
ですが、ふと思いついたときに「祈り」という形で、灯火をともすこともできますね。

消えることのない鎮魂の灯火は、絆を思い出す永遠の炎として、心のなかでゆらめきながら燃えることでしょう。

気持ちを吐き出す時間を作ってみましょう 〜気晴らしのススメ(2)〜

こんばんは、建部かずのぶです。

東日本大震災から、もうすぐ3ヶ月が過ぎようとしています。
強い余震の頻度も少なくなり、またゴールデンウィークもあったことから、日常を取り戻している方もおられるでしょう。

そのせいか、テレビや新聞でも震災に関する報道が以前よりも少なくなってきました。
人々や街が少しずつ日常生活を取り戻す一方で、目の前の景色と自分の気持ちに違和感を持つ方もいらっしゃるかもしれません。


被災された方々は、置かれた立場によって様々な気持ちをお持ちです。
肉親や親族を亡くされた方、家や乗用車を失った方。
一方で何も失わなかったけれど、周りにそういう方がいらっしゃる人も、自分だけが助かっている事への引け目もあるかもしれません。

毎日の生活の中でもいろいろな思いが入り交じり、そう感じる自分にデリケートになってしまうことでしょう。
そのお一人お一人へのケアには、その立場に見合ったサポートが必要になりますし、そのタイミングも人それぞれです。

私が神戸に行った時にも、ボランティアの何気ない一言が被災者を傷つけてしまった、という出来事がありました。
逆に、ボランティアの言葉にホッとした、安心した、といった場面にも数多く出会いました。

人の気持ちって、分かるようで意外と分からない面があるのもまた事実だと思います。


また、自分は被災していないけど、あの震災をどこかで引きずっているのかなぁ、と思われる方もいらっしゃるでしょう。
「でも周りは元気そうだし、なんだか自分だけが取り残されている感じがするんだけど・・・」
「最近どうも調子が悪いし、気分もスッキリしない。今ごろになって、どうしたんだろう・・・」

こんなとき、私たちはつい明るく振る舞って見せたり、あちこち動き回ったりして、何とか日常を取り戻そうと躍起になりがちです。
ですが、どれだけタフな人でも心の疲れを放置し続けると、イライラしたり逆に無気力になったりと、歪みとして現れることも。

「何とかしたい!」という気持ちは、心にゆとりがないと焦りや空回りになり、よけいに疲労感を生み出す結果になってしまいます。
ここでは、そんな自分を嫌悪せず、「今はこういう時期なんだな」と、意識を一旦横に置いておくことが大事ですね。


前回の「リラックスできる時間を作ってみましょう 〜気晴らしのススメ〜」では、気分をリセットするアプローチをいくつか書きました。
ですが、中には「それでも気持ちが晴れないし、なにもやる気が出なくて・・・」と思う方もいらっしゃるかもしれません。

そんなときは、今のその気持ちを誰かに話してみましょう。


カウンセリングでは「話すこと」は「放すこと」と言われますが、自分の感じたことをありのまま話すことで、
イライラや緊張が緩んだり、気持ちがスッキリできる「カタルシス効果」が得られるのですね。
(カタルシスとは「浄化」の意味で、溜め込んでいた様々な感情を解放することによって心が癒される効果のことです)

重い気持ちを一人で抱えたまま何とか前に進もうとしても、何かの拍子にその重みで潰れてしまいかねません。
信頼できる誰かに話すことは、内なるものを外に出すことによって、少しずつ心がほぐれていたり、気分をリセットするアプローチなのです。

例えば、悲しみを抱えた人たちが集まって気持ちを語り合ったり、
またもっと気軽な場として、定期的に茶話会を開くことも神戸では多くみられたことです。


今回の震災の被害は、残念ながら甚大です。
その一方で、とても変な言い方ではあるのですが、気持ちを分かり合える人も多くいらっしゃるとも言えるかもしれません。

ただ、人に話したくない方や、境遇を話して同情されたくないと考える方もいらっしゃるでしょう。
感情を表出するタイミングは人それぞれですので、長い時間を掛けて見守り、いつでも迎えられる場所を作ることが必要です。

もしも、「今、そんな場所なんてないよ」と思うならば、手前味噌ではありますがカウンセリングをオススメします。
プロカウンセラーには初回無料電話もありますし、ボランティアカウンセラーは何度使っていただいてもOKです。

「最近、やる気が出なくて・・」でも、「近所のママ友が気になって・・・」でも、「ちょっとグチらせて!」でもけっこうです。
自分のことを言うのは慣れていないなぁ、と思う方は、まずは日々の出来事をカウンセラーとお話してから、というのもアリですよ。

上手に話すことよりも、自然な会話の中でも少しずつ気持ちは変わっていきますし、そのことで気晴らしにもなりますからね。
安心して自分の気持ちを話すことができる場所としてご利用いただけるなら、とてもうれしく思いますね。

話の内容に善し悪しはありません。人それぞれの思いや受け止め方、感じ方はみんな違うものです。
ただ感じたまま、思ったままを伝えること。それはたどたどしくても、上手に伝えられなくてもかまいません。

いざ話すとなると勇気も要るものですが、話をすることで気持ちが少しでも楽になったり、
余裕ができることによって状況が前に進むならば、それは大きな意味があるでしょう。


未曾有の大災害が起きても、人はいつか日常を取り戻さなければなりません。
ですが、あの極限の緊張状態から一気に戻すことは難しい作業だと思いますので、
自分なりの気晴らしを使って、焦らずに少しずつ心にゆとりを作っていきましょうね。

ふと、自分のボランティア活動を振り返ってみました。

こんばんは、建部かずのぶです。

ゴールデンウィークが終わり、それとともに被災地からボランティアが大幅に減った、という話が伝わってくるようになりました。

震災当初は、多くの役所も被災した事もあり、ボランティアの受け入れ体制が整備されていませんでした。
またインフラも壊滅し、ガソリンは不足。よほど経験を積んで自己完結できる方でないと、なかなか現地に行きにくい状況でした。

また、ゴールデンウィークで、数多くの方々がボランティア活動に参加される一方で、
現地の受け入れ体制や人出のマッチングの関係で、行かない方がいいよという声もあったようです。

少しでも、被災された皆さまの役に立ちたい・・・。
そんな思いがいっぱい詰まった行動であっても、必ずしも上手に活かしきれない面があるのもボランティアだなぁ、と思ったりもします。


ボランティアに関する報道を見ると、私はどうしても、阪神淡路大震災の時にボランティアで参加したときの事を思い出してしまいます。

阪神淡路大震災が起きたのは、1月17日。
私が最初に区役所に駆けつけた4日後は、まるで戦場のような状況で、災害対策本部さえほとんど機能していなかったようです。

その後、毎週末ごとに被災地に通うようになったのですが、行くたびにボランティアの受け入れ体制はどんどん変わっていきました。
ちょうど大学の冬休みにかかる頃だったので、神戸には多くの学生が集まってくれていました。

北海道、東北、関東、東海、中四国、九州・・・。
日本中から泊まり込みでボランティアに来た人も多く、やがてそれが組織的な動きとなり、
気づけば区役所と密接に連携を取り合う、「よろずボランティア 情報センター」という名の大規模なボランティア組織になっていました。

ですが、3月の末になって学生が減ってしまい、また3月中旬に起きた地下鉄サリン事件で、
首都圏では神戸の震災のニュースも少なくなった、という話も聞いています。
ゴールデンウィークには再び多くの方々が参加したものの、その後は一気に人手が減ってしまい・・・という感じでした。

あれだけ当たり前のように参加して下さる多くの人がいて、しかも、誰をどこに派遣する?なんて事が言われていた時期もあったのに、
いつしかみんなが寝泊まりしていたスペースは閑散としてしまい、本部の前に人が見えると嬉しい!という状態になってしまったのです。

最後に残ったのは、地元の学生や遠方から長期滞在で参加してくれた人達に、
当時はまだ珍しかった、企業のボランティア休暇を使って長期滞在してくれる事となった人、そして週末に駆けつける私のような人。

私は仕事もしていたので、ボランティアへの参加は週末だけです。
毎週行くごとに、状況が変わることや、面子の入れ替わりにとまどいつつも、「何かあれば動きますよ」という体勢だったのですが、
気づけば誰もいない中で、主要メンバーの一員のようになっていました。

ここに集まるのは、みんな無給で働くボランティア。
当然、これだけでは生活はできませんし、休みが取れる時期も限られてきます。

今考えても、よく1年に渡ってこの寄せ集め部隊が機能していたなぁと思うのですが、
それは、中心的なリーダーやメンバーがしっかりしていたからこそでしょう。


その後、私は兵庫県北部で起きた大水害の現場にも何度か行きました。
大きな川が決壊して、家が押し流された地域は、今回の津波の被災地ほどではないかもしれませんが、それでも大変な状況でした。
そこで、ひたすら泥かきをするのです。

例えば、床下浸水した家の泥の片付けだけでも、大人が4人がかりで2部屋分で精一杯でした。
隣町の青年会の人たち、そこには消防団の方も混じっていたように思いますが、
その人たちと、水路に貯まった泥を掻き出すだけ作業でも、1日に数十メートルぐらいだったのです。

人が何人いても、全然足りない・・・。
泥との格闘はそんな感じの印象だったりもします。
組織を維持し続けることも、泥との格闘でも、意欲を持った人たちの力があってこそだなぁ、と感じています。


ただ、こういった災害を乗り越えるに従い、役所の側の受け入れ体制も機能しやすくなってきました。
神戸や上越、各地で活躍されたボランティア経験者も現地で活動されていたみたいですし、
ボランティア休暇を設けた企業や、学生にボランティアに対しての単位を設ける大学も増えてきているようです。


ボランティアについての意見は、人それぞれにいろいろあるかと思います。
私の経験の中でも、様々な出来事がありました。

私は幸いにして、長期間携わったので、「確かにいろんな事があるよねぇ〜」と思えるのですが、
例えば、せっかく訪ねていってもやることがなかったとか、善意でした行為が、思いがけず違うことになってしまった・・・。
そんな経験をされてしまった方もいらっしゃるかもしれません。

ボランティア活動も人と人が関わる場面も多くなると、やはり社会というのは存在しますからね。


じゃあ、一体どうすればいいの?
この思いを上手に活かせばいいのです。

力になりたい、助けたい、見ていて放っておけない・・・。
ご自身が持っている善意を大切にし、活かせるところは何かなぁ?と興味を持ってみるといいでしょう。
そして、可能であれば、出来そうなことを形にして欲しいなぁと思います。



ゴールデンウイークに実家に立ち寄ったとき、私の経緯を知っている父や弟に「今回は行かないの?」と聞かれました。
どうも、私は周りからはそう見えてしまうようです。

実際、震災直後からつい気合いが入ってしまい、被災地についてあれやこれやと話すので、
おかげで当初は怖がっていた奥さまも、すっかり私に巻き込まれてしまったのですが(強くなったかも)、
残念ながら、生活を犠牲にしてまで、被災地に赴いてのボランティア活動はできません。

ただ、今の私は当時と違い、カウンセラーとして、
震災で傷ついてしまった方や、報道に振り回されて疲れてしまった方への、心のケアやサポートができる立場にあります。
今の私にできることとして、カウンセリングを通して自分なりのベストを尽くしていく次第です。

東日本大震災の甚大な被害を思うと、ついボランティアに行きたい衝動に駆られたりもしますが、
それは別のことに活かすとして、被災地の事は、遠いながらもずっと応援し続けていますね。

リラックスできる時間を作ってみましょう 〜気晴らしのススメ〜

こんばんは、建部かずのぶです。

今日で、東日本大震災から2ヶ月が経ちました。
最近皆さまは、いかがお過ごしでしょうか?


震災から2ヶ月の間に起きた出来事を振り返ると、
テレビに映し出される痛ましい映像に、なかなか収まらない余震。
原発事故、計画停電、品物不足、風評被害、自粛ムード・・・。
こういった問題が発生するたびに、日本中が先の見えない不安に包まれ、
何だか疲れたかも・・・って方もいらっしゃるかもしれませんね。

今回の震災では、新聞、テレビだけでなく、インターネットやツィッターなどの各種メディアを通じて多くの情報が流れ、
被災地も広範にわたる上に、被害状況も様々で、その度に心を揺り動かされることも多いように感じています。

このようなことは、情報化社会に生きる私たちにとって、
「心の在り方」を考える貴重なキッカケになると言えるのかもしれません。
震災のことは、長期的な支援を考えると、当然これからも見つめ続けていかなければなりません。
ですが、心を痛めるあまり自分自身がつぶれてしまっては、大切な誰かが悲しみますし、日常生活もままならないでしょう。

今の状況が辛い、将来を考えると不安、というストレスが続くとき、心は少しずつ萎縮し、疲労感からやがてぐったりとしていきます。
そういうときこそ、自分に気晴らしをあげて、心にゆとりを作ることが求められてくるのです。
ほんのひとときでも気が紛れることで、心が穏やかになり、現実の受け止め方も少し変わっていくと思うのです。


では、どんな気晴らしがいいのでしょうか?
 ・自分にとって好きなこと、楽しいことをする(ドライブ、カラオケ、散歩、買い物、友人とのおしゃべりなど)
 ・五感が喜ぶことをする(ぬるめのお風呂、マッサージ、アロマ、音楽、空や風景、美味しいごはんやスイーツなど)
 ・小さいけど楽しみと思える目標を作る(明日の飲み会、週末のライブ、来月の映画鑑賞など)

という風に、「今の自分ができる」気晴らしを見つけて、やってみたいことからはじめてみてください。
もし、その時にうまく楽しめなくてもOKです。「じゃあ、次はこれ?」と、自分なりの“プチ気晴らし”を探求してみましょう。


中には「うーん、なんだかおっくうで・・・」とおっしゃる方もいらっしゃるかもしれません。
そんなときには、「深呼吸」が簡単にリラックスできる方法としてオススメです。

人の心と体は密接につながっていて、体が緊張していると、心も同じように緊張するんですね。
また、ストレスに陥ると、無意識的に呼吸が浅くなりがちです。いわゆる「息苦しい」状態になってしまいます。
ですので、体からのアプローチ法として、ゆっくりと深い呼吸をくり返してみてください。


震災直後の私たちは、「とりあえず、何とかしたい!」という気持ちで、常に張り詰めていました。
そしてこう考えているときの顔は、きっと眉間にしわが寄って、ピリピリした状態と思います。

それから2ヶ月が経ち、心の在り方を考えられる余裕が少し見えてきた今、
意識して「とりあえず、休もうか?」と自分に声を掛けてあげてみませんか?
どうするかはその時の選択によりますが、それだけでも気持ちをリセットするキッカケにはなりますね。

被災地の方々も、被災していなくても心を痛めた方々も、辛い現実を受け止めるというのは、ものすごく時間を掛かる作業です。
そう考えると、気晴らしとは心を癒し、パワーを取り戻すための大切な一歩なのかもしれませんね。

「津波てんでんこ」の教え。

こんばんは、建部かずのぶです。

東日本大震災では、本当に多くの人命が失われました。
人が1人亡くなるということだけでも大きな出来事なのですが、
それが今回のように1万人を超えると、あまりにも膨大ではありますが、お一人お一人が本当に尊い命です。

亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたしますとともに、ご遺族の方々へ心からお悔やみ申し上げます。


日本という国は、四季があり、自然の恵みもあり、世界的に見て本当に豊かな国だと思います。
その一方で、日本は「地震大国」でもあり、また台風や火山といった自然災害で、何度も多くの人や街が犠牲になる経験もしています。

そして今回の大震災では、地震に加え、改めて大津波の恐ろしさを、テレビを通して見せつけられました。

地震に関するニュースや新聞を見ていると、たまに「津波てんでんこ」という言葉を見受けます。
これは三陸地方で言い伝えられている言葉で、「てんでんこ」とは「てんでんばらばらに」という意味で、
「もし津波が襲ってきた時には、家族であろうが構わずに、各自ばらばらに高台に逃げろ!」という先人の知恵です。
また「自分の命は自分で守れ。そして一家絶滅を防げ」ということも含み、一人だけ助かっても非難しない、という厳しい教訓だそうです。

少しでも津波から街を守ろうと、地理の教科書でも出てくる壁のような防潮堤を作った宮古市の旧田老町や、
世界最大級の防潮堤を作った釜石市や大船渡市などもありましたが、それでも、残念ながらこの大津波は防げませんでした。
結局は、少しでも高台に逃げるという必死の行動をとることで、多くの命が助かったのです。

リアス式海岸で風光明媚な三陸海岸は、海に山が迫る入り組んだ地形であり、天然の良港が立地しやすい場所なのですが、
一度津波が起きると、その地形で波が湾内で高くなってしまい、容赦なく集落を襲うという性質があります。

それ故に、昔から大きな津波に襲われる事が多い三陸地方の方々は、この「津波てんでんこ」の教えを守り、
日常的に避難訓練をしたり、避難路を確保されたりしていた様です。
過去の悲しい教訓から、「命と自分たちの街を守ろう」という、自助・共助の意識を持ち続けていたのでしょう。


震災についてインターネットで見ていた時、元自衛官という方が書かれていた、
「非常時には、あらかじめ準備していたこと以上のことはできない」という言葉が印象的でした
そのために自衛隊の方々は想定できる様々な事案に対して、訓練をされているそうです。

私たち個人のレベルでここまでする必要はないかもしれませんが、
今回の災害に限らず、過去の災害から、もし学びになることがあるとすれば、一度その事を考えてみてもいいのかもしれません。

前もって避難場所や避難路、緊急時の連絡方法、或いは守ってくれる場所や安心できる場所を作っておくことができたなら、
いざという時に落ち着いた行動ができるかもしれませんからね。


平和な毎日が続くこと。
それ自体はとてもいいことなのですが、一方で、こういう言い伝えのような言葉は、「気にしすぎだよ」と打ち消されがちですし、
また、わざわざそんなことは考えたくない、って方もいらっしゃるかもしれません。

ただ、残念ながら、災害は忘れたころに起こってしまうのです。
そして近しい人を亡くしたり、今まで慣れ親しんでいた街が一気に消えてしまうなどの辛い出来事は、
被災された方のそれぞれの受け止め方によって記憶されていきます。

もちろん中には、どうかそっとしておいてほしいと考える方もいらっしゃいます。
そういった方に対しては、心の回復を促すのではなく、何も言わずにそばで寄り添うなど、ただ受け入れてあげることが先決でしょう。


ただ残念ながら、災害の体験は、時間とともに風化が進んでいきます。
今回の震災で失われた尊い命を忘れないためにも、教訓としてどう生かしていくか?と考えると、
やはり「この体験を分かち合いたい」という語り部の存在と、次世代への語り継ぎの継続が不可欠なのです。

だからと言って、いきなり使命感に燃える必要もありません。
無理して心の負担になってはご本人が辛いだけでしょう。
神戸の震災の場合も、何年も経って、それこそ、最近になって伝えていこうと思い始めた方もおられます。
できる人が、その人なりの伝え方で、後世に教訓として伝えれることができるといいなぁと思います。


「津波てんでんこ」は、津波の多い地方ならではの言い伝えです。
多くの人が津波で犠牲になった悲しみを、子孫には味わってほしくない、との思いから、一人一人の命の尊さを教えてくれています。

街が無くなっても、誰か一人でも生きてくれればいい。その命があれば、きっと子孫の笑顔につながるだろう。
この、祈りにも似た教訓を、私たちは忘れてはいけないのでしょう。


4月も半ばを過ぎ、街のあちこちで咲き誇っていた桜が、春風によって花吹雪になり、ひらひらと舞い散っていきました。
下を見ると道に花びらの絨毯を作り、上を見れば今度は若葉が主役になっています。
華やかに咲き、一気に散っていく桜の姿に、私たち日本人は儚さを感じるのではないでしょうか。

桜の命はとても短いですが、一年後にはまた美しく咲き、その姿は私たちに自然の生命力を見せてくれます。
人の心はこんなに規則正しくはありませんが、それでも少しずつ現実を受け入れ、時間を掛けてゆっくりと回復していきます。
(もしも悲嘆が強く、日常生活に支障をきたすようでしたら、カウンセリングなどの専門機関も一度検討してくださいね)

そして何年後か、自分の口から出来事について語ることができたなら、
それは過去を自分なりに整理し、そして人生はまだ続いていると感じられるところまで消化したと言えるのかもしれません。

「津波てんでんこ」は、防災意識を高める教訓と同時に、
喪失を乗り越えた先人の心の強さを私たちに教えてくれる言い伝えとして、末永く語り継いでほしいと思うのでした。

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