恋愛やご夫婦、その他の対人関係が、
とっても、退屈になってしまうそんなときがあると思います。

いつどんな人間関係でも、出会いがあり、
お互いのもっている良い面をわかちあう時期がありますよね。
とっても楽しく、新鮮で、関係性が進展していくときです。

やがて、わかちあうネタがなくなってきて、倦怠期とよばれる、
退屈さにおちいります。何をしても無駄に思え、
やる気がうせ、その感情に触れるのがいやで、
顔を見るのも嫌に感じる場合すらあるかもしれません。

こんなときのガマンというのは、この関係性をじわじわと、
死にいたらしめることはあっても、よりよくするのに、
役に立たないことが多いです。

ガマンするより、その退屈な、マンネリ感や、
退屈さを抜け出したいという気持ちをわかちあってみることを、
おすすめします。

退屈相手のせいでも、自分のせいでもないわけですから、
相手や自分を責めるような表現の仕方はしないように、
気をつけましょう。

「何か、退屈だね」

といきなり言うと、相手が自信をもっていないタイプだと、
僕と(私と)いると楽しくないのかな?自分はダメなのかな・・・
と誤解してしまう場合がありますから、配慮がいりますね。

「今のままもいいんだけど、もっと楽しめるアイデアあるかな?」

こんな雰囲気が込められていると、誤解もしにくいのではないかと、
思います。でも、この文言のまま、とってつけたように使うと、
変ですから、自分流にアレンジしてくださいね。

実はこれは私たちが自然に日常の中で使っている、
コミュニケーションや感覚だと思います。

よく子供時代だと、みんなで遊んでいるときに、
ひとつの遊びに飽きたら、だれかれとなく、あきた、
つまらなくなってきたと言い出して、まただれかれとなく、
新しい遊びを思いついて、それをはじめて、またあきたら次へと、
展開していくことってよくあったと思います。

子供はガマンが苦手ですから、すぐ次の展開へ移ろうと、
できるんですね。子供の中でも良い子タイプよりやんちゃタイプの方が、
すぐ次の遊びを考えたりしやすいのもそのせいかもしれません。

パートナーシップで大切なのはひとりではなく、
一緒に考えることですね。

退屈さは、新たな新鮮な体験や、関係性の前触れです。
二人にやってきている、何らかの新しい物事、関係性が
得られるときなんです。

退屈さについて、わかちあうとき、2人の間に、
それに気づくチャンスが訪れることでしょう。