2012年02月01日
4月22日感謝祭(大阪)講演のお知らせ
4月22日(日)に大阪にてカウンセリングサービス感謝祭を今年も開催
いたしますが、私も講演をさせていただくことになりました![]()
![]()
![]()
講演のタイトルは「ありふれた奇跡〜ミラクルはあなたのすぐそばに〜」
です。
2年ほど前、加瀬亮くんと仲間由紀恵さん主演の「ありふれた奇跡」と
いうドラマがあったのをご存知でしょうか。そのドラマを見ていた頃から、
いつか、「ありふれた奇跡」というタイトルで、みなさんの前でお話できる
機会があるといいなあ、と思っていたのですが、今回そういう機会が巡っ
てきて、本当に嬉しく思っています。
ドラマそのものの中では、「奇跡とは何か」みたいな話はほとんどなく、た
だひとつひとつの出来事が重なっていく中で、ふっと人と人の心がつなが
る瞬間があって、その時きらりと光るものがあることを「奇跡」として描いて
いるように思いました。
あるいは、「きらりと光る」以前に積み重なっていた出来事のひとつひとつ
もまた、奇跡なのかもしれません。
奇跡って、ふっと起こるんです。起こそうとして起こるものではない。けれど、
起こそうと思っていなくても起こる、そんなものです。
奇跡は、すべての人に起こります。毎日、起こっています。
あえて「奇跡だ!」と思わなくても、奇跡の恩恵を素直に受け取って生きて
いると、ひどい不満はあまり出てきません。いろいろあるけどなんとなく幸
せ、という感覚で暮らしていけます。
もし今あなたが、苦しい思いで一杯だったり、そこまででもないけど、なんと
なく幸せじゃないんだよね、という感覚だったとしたら、奇跡の恩恵を素直
に受け取れるコンディションではないのかもしれません。
そう、それはコンディションの問題です。あなたという存在には、何の問題も
ありません。
では、奇跡の恩恵をそのまま受け取れるコンディションになるにはどうした
らいいのでしょうか。
それには、いくつかのポイントがあります。
講演ではそういったポイントをわかりやすくお伝えしたいと思います。スピリ
チュアル?と思われがちなタイトルですが、そこをしっかり理論立てて納得
していただくことに、私はものすごく情熱を感じる人間です(笑)
同時に、理論だけではないものもみなさんの心にお届けしたいと思ってい
ます。一粒で二度おいしい、二倍おいしいお話をさせていただくべく、構想
を練っております。
ぜひぜひお越しください!感謝祭でみなさまにお会いできることを心待ちに
しております![]()
2012年01月22日
リアルとファンタジー
くるこのコトバ。
『あなたのしたいことは何ですか?』
『手に入れたいものはなんですか?』
『したいことをしている自分をイメージしましょう』
『ほしいものを手に入れている自分をイメージしましょう』
『幸せになっている自分をイメージしましょう』
なぜこういうことがよく言われるかというと…
私たちは無意識に自分にいろいろなことを禁止していることがあります。
そんないいものが手に入るはずがない、私なんかが手に入れてはいけな
い、私なんかが幸せになってはいけない
などと。
いわば、自分にかけた悪い魔法のようなものです。やりたいことをやり、ほ
しいものを手に入れ、幸せになっている自分をイメージすることは、この悪
い魔法を自然に解いていくような効果があるのです。
ところが、いくら「幸せな自分」をイメージしても、どこかリアル感がない場合
もあります。そしてそういう場合、イメージしても、いい効果が得られないこと
が多いと思います。そして何だか空しくなります。「言われた通りやってみた
けど、全然じゃん…。効果がある人もいるみたいだけど…きっと私はそういう
人とは何かが違うんだ…あーあ(タメイキ)」なんて感じるかもしれません。
違いがあるとしたら、それはどんな違いなんでしょうね。
「うまくいく人は、何かが優れていて、うまくいかない自分は、何かが劣って
いる」みたいに感じてしまうかもしれませんね。でもそうでもないんじゃないか
と私は考えています。
◇リアルとファンタジー
「幸せになっている自分」をイメージして、結果いい変化が起きる場合、イメー
ジした時点ですでにそれなりのリアル感が持てている、と考えられます。
逆に、いい変化が起きない場合は、リアル感がなく、ふわふわとしたファンタ
ジー状態なのではないでしょうか。
リアル感がある状態というのは、「幸せな自分」をイメージすると同時に、具体
的にどうしたらそうなるか、ということも思いつくことができる感じと言ったらい
いでしょうか。深く考えなくても、「あ、なんかあれしたいな、よし、やっちゃおう」
という感じで、思いつくし、思いついたらやれるのです。
結婚したい、じゃあ相手を探さなきゃ!そのためには、結婚相談所に登録した
り、友だちに紹介を頼んだりしてみよう。
と考えて、実際に行動できる。
ファンタジーというのは、思い描いた時はいい気分がしたり、高揚感を味わうこ
ともありますが、じゃあ具体的にどう動く?ということはなんだか思いつかなか
ったり、思いついてやれるような気がしても、いざやろうとすると途端にやる気
がなくなったり、自信がなくなったり、取りかかることができなくなってしまうよう
な感じです。無理やり始めてみても、途中で進まなくなったりします。
結婚したい、相手を探さなきゃ。結婚相談所かあ…なんかもっと自然な出会い
がいいしなあ、友だちに紹介してもらったら、断る時断りにくいしなあ…、それ
に、結婚しなきゃと思うのも、なんか考え狭くない?そんな時代じゃないよね…
などと、「できない・やらない」理由がいくらでも出てくる。
リアルとファンタジーには、このような違いがあるように思います。
◇なぜファンタジーになってしまうの?
「幸せになっている自分」をイメージしても、ファンタジーになってしまうとしたら、
それはどうしてなのでしょうか。リアルに思い描き、行動に移していくことができ
る人と、何が違うのでしょうか。
人として何かが違うということではないと私は思います。違うのは、心理的にど
ういう段階にあるか、ということではないかと思うのです。
ある程度、気持ちが安定しているかどうか、が大きいと思います。「こうなりた
い、こうしたい」ということのために具体的に行動するためには、そこそこ情緒
が安定した状態が必要です。逆に言えば、情緒がそれなりに安定していれば、
案外自分の希望に向かって動く力が自然に湧いてくるのです。
ファンタジーになっているとしたら、多分、気持ちが安定した状態になっていな
いわけです。
ということは、まずは、「気持ちが安定した状態になる」ということが必要ですよ
ね。となると、どうして安定していないのか?です。
気持ちが安定しない根本原因として挙げることができるのは、よく言われるよう
に、
自分には愛される価値がないという思いがある(無価値感)
自分はよくない人間だという思いがある(罪悪感)
この2つではないかと思います。無価値感や罪悪案がベースになって、自分を
責める気持ちや、自分を大切にしない行動などが出てきて、全体として、自分
自身が傷つき、自分が追い込まれていくような状況になってしまいます。そうす
ると、精神的にとても疲れ、不安定になります。
そういう段階にある時、「幸せな私」はなかなかリアルなものとしてはイメージで
きず、「ファンタジー」になってしまいます。けれども、自分の気持ちと向かい合う
という作業を適切にしていけば、やがてこの段階は通り過ぎ、次の段階に移り
ます。次の段階とは、そこそこ気持ちが安定し、自分が幸せになるということがリ
アルになってくる、ということです。
そういうことです。今、自分が心理的にどの段階にあるのか。「幸せを手に入れ
た自分」をリアルにイメージできるか、ファンタジーになってしまうか、はそのこと
にかかっているのだと思います。
◇どうしたらファンタジーでなく、リアルになる?
もし、「幸せな私」がリアルでないなら、今の自分にとってリアルな目標を見つけ
ることが必要かもしれませんね。「幸せな私」が今は手が届かない遥か遠くにあ
るとしたら、手を伸ばせば届くように感じられるものを当面の目標としてイメージ
するのです。
例えば、不安定な時というのは、自分の状況も実はよく見えていないこともあるの
で、「まずは自分に何が起こっているか理解する」という目標でもいいと思います。
「無価値感や罪悪感って何なのかわかりたい」とか、「少しだけでもいいから自分
を大切に扱いたい」とか、自分にとってリアルなところまで目標のハードルを下げる。
この、ハードルを下げる時、一時的に心に痛みを感じることが多いと思います。
「今までの目標はハードルが高すぎたんだ」と認めるわけですから、今の自分は
そこまでいける段階にないんだ、ということをはっきりと見ることになります。でも、
痛みは一時的なものですし、今の自分を素直に認めることは、実は一番の近道
とも言えるのです。
今の自分には高すぎて登りようがなかったステップを、自分が踏み出せる高さに
するということです。高すぎるといっても、「今の段階の自分にとって」ですしね。自
分が足を上げていけるステップを繰り返して上っていけば、やがてはかつて高す
ぎたあの場所にも手が届くようになるわけです。スモールステップを大切にする、
ということは、一般的な問題解決方法としてもこの頃はよく言われているようです。
自分にとって、実現がリアルに感じられる小さな目標を立てること。くつをそろえる、
とか、そういうことでもいいんです。よかったら試してみてください。
自分にとってはスモールステップが必要なんだな、ということを素直に認めること
は、特に初めての時はなんだか穴の中に突き落とされるようなショックが伴うかも
しれません。でも、その時の感覚はとてもリアルです。リアルに自分のつらさを感
じられる。リアルに自分の感情とつながる。そのこと自体が大きな一歩となります。
ファンタジーの中にいる時もつらさは感じますが、つらさ自体がぼんやりととらえ
どころがなく、つらいのに、そのつらさが遠くにあるような感じになったりします。
ファンタジーの中に居続けると、時々高揚感を味わうことができるのですが、その
あと必ずと言っていいほど、憂うつがやってきます。私たちは本能的に知っている
のかもしれませんね。ファンタジーの中に、本当の幸せがないことを。
大丈夫。一歩ずつ、本当の、リアルな幸せに近づいていきましょうね!
2012年01月12日
大学の選択を間違ったことが人生の失敗だ、と思う場合
お正月気分が終わり、日常が戻ってくると、これからの時期、4月から
始まる来年度への動きがいろいろと出てきますね。受験もそのひとつ
でしょう。推薦などでもう進学先が決まっている場合もあると思いますが、
これから試験を受ける受験生もたくさんいますよね。
受験と言えば…
カウンセリングの中で、「大学の進路選択で自分の願っていたのとは違う
方向に進んでしまったことが、その後の人生がうまくいかなくなってしまっ
た大きな原因のような気がする」、というお話を伺うことが時々あります。
大学を卒業して何年も、あるいは10年、20年と経っているけれど、いま
だにそのことを考えてしまい、つらい気持ちになるわけです。詳しくお話を
伺ってみると…
フランスに興味があって、フランス語を大学でやろうと思っていたが、親の
「法学部に進んでほしい」という期待を無視することができず、法学部に進
んだ(親の期待に応えようとした)
生徒の気持ちを理解して支えてあげられるような教師になりたいという密
かな情熱がありながら、親が「教師や公務員など堅い仕事につけ」とやた
らと言うことに反発し、教育学部には行かず、「堅い仕事に結びつかない
のでは」と親が思うような学部に進んだ(親に反発した)
などなど、それぞれの事情がありますが、共通していることは、「自分の本
当の希望を大事にできなかった」ということです。自分の気持ちを優先でき
なかった、と言ってもいいでしょう。
こういう場合、よくよく伺うと、大学の進路選択だけでなく、実は日常のいろ
いろな場面で「自分の気持ちを優先する」ということができない状態が見え
てくることがほとんどです。進路選択についてはもちろんですし、それ以前
も、その後も、ずっと「自分を後回しにしてしまう」というパターンで生きてき
ているわけです。
そうして何かと自分を後回しにしていることで、人生全体が貧乏くじを引いた
ような状態になってきて苦しんでしまうのですが、「どうしてこうなったんだろ
う」と振り返った時、大学の進路選択は特に「大きなこと」として感じられるよ
うです。
ただ、です。
ただ、大学の進路選択を抜いて考えても、「自分を後回しにする」という生き
方は(知らないうちにうっかりそうなってしまうのですが)やがて自分の首を
締めていくものです。ですから、本質的には「大学の進路選択さえ間違わな
かったら…」という問題でもないのです。
大学のことを含め、「自分を後回しにする選択をしてきたな」と思うようであれ
ば、その行動パターンを変えていくことがキーポイントになってきます。
行動パターンを変えるために、カウンセリングでは、そもそもどうして自分を後
回しにしてしまうクセがついてしまったのかな、というところからお話を伺って
いくことが多いです。そこには必ずそれぞれの事情があります。自分を後回し
にしてしまった自分が悪いわけではなく、ただ、そうなってしまう事情があった
のです。
その事情が見えてきた時、「自分を後回しにしなくてもいいんだな」ということ
に気付き、行動パターンを変えていく第一歩が自然に踏み出せます。
そうやって「今」のパターンが変わっていくと、心はとてもラクになっていき、「今」
がいい形で廻り始めます。そうすると、過去のことは以前ほど気にならなくなっ
てくるんです。
大学の選択に限りませんが、過去のことがやたらと気になる時は、そこに隠れ
ている自分のパターンを見つけることでこれから先が随分変わってきます。過
去のことが気になるというのは、未来へのヒントを見つけるきっかけを捜す、心
の自然な動きなのかもしれませんね![]()
2011年12月14日
ドクターストップならぬカウンセラーストップ
新年ですね!![]()
今年もよろしくお願いいたします。みなさんにとって、楽しいことがたくさんある一年になりますように!!!
さて、新年になったところで、4月からの「新年度」に向けての動きもぼちぼち出てくることかと思います。PTA、何かのグループやサークル、団体活動での次年度役員をどうするか、というような話もそういうことのひとつですよね。もう12月ぐらいからそんな話は出ているかもしれません。今回はそんな話題にまつわる内容です。
![]()
頼まれると断れない。
頼まれなくても自分がやらないといけないような気がして手を上げてしまう。
やらないならやらないで罪悪感てんこもり。
ご相談の中で、こういう話が出てくることがあります。
職場、家族関係の中、地域社会、個人的な趣味の場でも、人が集まるととりまとめをする人、その人をサポートする人、などなど、いろいろな「役割」が生まれてきます。
その役割を、自分がしんどくない程度にできるといいのですが、時間や気持ちに余裕がない状態だと、ちょっとした役割も重たく感じてしまうことがあります。
そういう時は、無理して役割をこなさなくてもいいんです。
特に、「気持ちに余裕がない」というのは、意外にたいへんなものです。気持ちは目に見えないので、自分でも自分の余裕のなさの程度がどのくらかいのものなのかピンときにくいのですが、知らないうちにけっこう崖っぷち、というぐらい追いつめられていたりします。
加えて、「気持ちに余裕がない」ということの背後には、子ども時代から積もり積もってきたいろいろなつらい思いが隠れていることが多いものです。ということは、長いこと重い荷物をしょって歩いてきたようなもので、大きな疲れも一緒に抱えていることもあるのです。
自分の気持ちがそういうコンディションであるとしたら、そんな状態で何かの役割を引き受けるというのは、足を骨折したランナーがマラソンに出るようなものです。
これは無理がありますよね。無理で当たり前な話なんです。
そして、骨折したランナーがマラソンに出ようとしたら、どうなると思いますか?
ドクターストップがかかるんです。
心に余裕がないのに、ついつい引き受けてしまう、という方には、「カウンセラーストップをかけさせていただきたいところですよ」とお伝えしています。それぐらい、ことはせっぱつまっているのです。
3月の年度末に向けて、PTAとか、サークルとか、いろいろな団体の中で、「来年度この役引き受けてもらえませんか」などというやり取りがぼちぼち出てくると思います。そんな時、「余裕ないけど引き受けないといけない、ああ、困った、どうしよう!いっそカウンセラーに相談したい!」という程の気持ちになるとしたら、すでに「カウンセラーストップ」を受けてもいいだけの状態になっているといえます。
でも、人間関係もあるから引き受けないわけには…、という方は、どうしようもないものを一つだけ引き受ける、などのようにしてみてください。その他のものは、上手に断りましょう。
ところがこれまた、上手に断ることができそうにない、と頭を抱えてしまうこともあるんですよね。
そういう場合は、結婚されている方であれば、「あんまり出かけると主人がいい顔しないんです」とか、束の間亭主関白になってもらうのもアリです。
「引き受けてもらえる?」と言われたら、「う〜ん…」とあいまいに言っておいて、そのままにしておくという手もあります。場合にもよると思いますが、必ずしも「できない」とはっきり返事しなくてもいいんですよ。
もし、ご自分が体調を崩しているとかそういうことがあれば、思い切って何も引き受けないようにするのがベターだと思います。「今体調を崩していて、また元気な時にはやらせてもらいます」でいいんです。
無理していると、無理していない(ように見える)人に対して怒りが湧いてきたりします。「私はこんなに大変な思いをしているのに」と。それも、「私は自分が無理しているから腹が立つんだな」と意識できればまだいいのですが、自分自身わけもわからず何かやたらと周りの人に腹が立つような場合は、「私って少しのことですぐ怒るなあ、怒りっぽい奴だなあ」と、自分に対しても嫌気がさしてきたりもします。
そんな状況になっていれば、カウンセラーストップ、です。骨折ランナー、ですよ。
もちろん、頭でわかってもなお、引き受けてしまったり、引き受けられないことで自分を責めたり…そういうこともあります。人間そんなものです。そういうときは、そんな自分に優しくしてあげましょう。「引き受けたくないのに引き受けちゃう、しんどいね、よしよし」「引き受けなくちゃと思ってしまうから苦しいね、よしよし」と。
しんどすぎるのに引き受けてしまうとしても、それが悪いわけではないんです。そういうクセがついてしまうだけの事情があったんですよ。「私にはそういうクセがあるんだな、無理してがんばってきてるんだな、そんな自分をいたわってあげよう」という気持ちがあるだけでも、心の負担感は少なくできます。
それに、「自分をいたわる発想」ができれば、いずれは「重荷に感じたら引き受けないようにする」ということも、じわっとできるようになってきますよ〜。
また、すこーし重荷なんだけど、まあ仕方ないか…、という場合などは、「私、引き受けるんだろうな」と思いつつも、いろいろと状況を確認して、世間話もしながら、まあそういう状況ならいいか、と思えば引き受ければいいし、すぐに決心できない場合は「考えさせてもらっていい?」と、少し時間をもらってもいいと思います。
いろいろな状況があると思いますが、新年、そして新年度、自分を大切にしつつ、楽しめるといいですね![]()
![]()
![]()
2011年12月10日
人生困ってナンボ、困ることは悪いことじゃない
この頃そう思います。
だって、困らないと人間ずるずると今までのやり方でやってしまう
んですよね。何となく閉そく感を感じたり、行き詰まり感に気付いて
いても、「これは困った!」と本格的に思わないと、なかなか自分の
やり方を変えることができないのが人間のようです。
ピンチはチャンス、というのは、そういうことなんだと思います。困る
からこそ新しいチャンスがやってくる。困るからこそ、チャレンジする
勇気が出る。
だとしたら、人生案外本当に「悪い出来事」とか「失敗」とかって、そ
んなにはないのかもしれません。
困ってしまっている自分に対して「バカだなあ、こうならないようにす
ればよかったのに」という気持ちがとても強くなり、自分をすごく責め
てしまう。
そういうこともあるかもしれません。でも、自分を責めることにエネル
ギーを使うのはちょっともったいないのではないでしょうか。
「おお、困ってしまったということは、次に行くチャンスがきたんだ」と
いう感覚でとらえると、次に行くことにこそエネルギーを注ぎたいとこ
ろです。
とはいえ、自分を責めることって、「ハイ、すぐやめます」ということが
なかなかできないんですよね。
それは、「困ること(失敗)はいけないもの、ない方がいいのだ」という
思い込み、観念があるからかもしれません。子どもの頃、大人たちか
ら、「失敗しない方がえらい」みたいなメッセージを数限りなく送られる
ので、そう思い込んでしまうのも無理はありません。
でもそれはやはり建前なところがあって、そんな大人たちだってけっこ
うな失敗を重ねながら生きているんですよね。
そしてよくよく現実を観察してみれば、困るからこそ生み出されたもの
がなんと多いことか!
困るからこそ周りの人たちに相談したり、助けてもらったり、人の絆も
深まっていきます。
困らない、ということは、実はとっても味気ないことなのではないだろう
か、と今では思います。
また、「困らせていはいけない」という思い込みに縛られてしまうことも
ありますよね。
何か頼まれた時に、「私が断ったら困るだろうな」とか、いろいろ考えて
しまって、しんどいのに引き受けてしまったり、断っても後味が悪くて
「本当にこれでよかったのかな?」と考え込んでしまったり。
こういうことを言ったら相手は困るだろう、と思うと、言いたいことを言え
なかったり。
でもそれだって、相手が困ったっていいんですよね。そこで、その人は
その人なりに考えるでしょう。
そして何か工夫して、うまく切り抜けるかもしれない。それはこちらがコ
ントロールすることではなくて、その人の問題です。そして、その問題が
その人の内面を豊かにするのだとしたら、それで全然OKですよね。
また、例えば自分の子どもが何かで困った時、困ったことを叱ったり責
めたりするより、「おー、困ったか、この子どうするかな?」と大らかに
見守ってあげられたら。「困ることは悪いことじゃないよ、困って考えて、
成長するんだよ、いっぱい困ったらいいんだよ。一人で答えが出ない時
はいつでも相談にのるよ」と声をかけてあげられたら。
子どもはどんなに安心できるでしょう。それは過保護に守られる感覚と
は違っていて、自分の足で歩くことをしっかり見守ってもらえる安心感。
自由なのに、包まれているような温かさ。
人生困ってナンボ。共に困りながら、そしてそこから生まれるものを受け
取り、喜び、人生の味を今日も明日も味わいましょう!
2011年10月05日
教育ママと療育ママ
教育ママ―教育熱心なお母さんのこと、ですよね。近頃あまり
耳にしなくなりましたが、いつの世にも教育熱心な母親はいま
すよね。古くは孟母三遷、ですか。孟子の母は、我が子の通う
学校に合わせて三回引っ越しをした、という故事ですね。
一方、療育ママ―というのは、みなさん聞いたことのない方が
ほとんどだと思います。一般的な用語ではなく、ある病院の先
生がおっしゃったのを聞き、私自身が「なるほどー」と思った
言い回しです。
ハンディを持つ子のお母さんは、「療育」という言葉に何らか
の形で出会います。「療育」というのは、育っていく過程でそ
の子の特性を観察しつつ、その子の将来にとって好ましい成長
を実現させるために工夫して育てていく、というようなことで
す。
で、「療育ママ」というのは、療育に熱心なお母さん、という
ことです。我が子のハンディのことをよく勉強し、様々な工夫
をし、できる限りのことをしようとしている母親、です。
教育ママと療育ママはよく似ています。どちらも我が子のため
に自分のエネルギーをつぎ込みます。
そして、結果的に出てくる気持ちが「期待」です。こんなにや
っているのだから、いい結果が出てほしい、と思うのは人情で
すよね。けれども期待通りにはなかなかいかないもので、そん
な時、ついつい怖〜い顔になってしまうこともあるんですよね。
子どもにとっては、期待されること、期待にうまく応えられな
かった時にお母さんが怖い顔になること、などがストレスにな
ってしまうのもまた人情、です。
もうひとつ、教育ママ、療育ママが子どもに与えてしまうしん
どさがあります。それはママ自身の「怖れ」です。
どうして教育熱心になるか、療育熱心になるか、と言えば、
「そうしないとやばい!」というような気持ちがどこかにある
から、ということが多いと思います。これは子どもの将来に対
する怖れ、なわけです。
この怖れが子どもにじわっと伝わります。しかも少ーし変換さ
れます。「ボクは、アタシは、そのままではいけないらしい、
そのままの自分では幸せになれないらしい…」というように。
そしてやがて、「そのままの自分はダメなんだ」とけっこう強
く思い込むようになります。自分の存在そのものを否定された
ような気持ちになる、と言ってもいいでしょう。
親としてはそんなことを思わせるつもりはさらさらないですよ
ね。むしろ、自分に自信を持ってほしい、という思いが強いの
ですが…。
でもやはり、落ち着いて考えれば、親自身に「そのままを認め
る、受け入れる」という感覚がなかったり、希薄だったりしま
す。お母さん自身が、「そのままの自分でOK」とは思えてい
ないわけです。そして、その感覚が子どもに伝わってしまう部
分もあると思います。
そうすると子どもは、自分の荷物とお母さんの荷物と、両方を
背負うことになります。目に見えない心理的な荷物ではありま
すが、二人分は重いのです。そして、深刻な事態になってやっ
と親も「これでは願っていることと逆のことになってしまう」
ということに気付く場合もあります。
深刻な事態とは…子どもがストレスから心身症になってしまっ
たり、いろいろ驚くようなトラブルを起こしたり、情緒不安定
になってしまったり、です。
でも、大丈夫、そのことで親が真剣に自分の心や我が子と向き
あい、成長した時、子どもは素直に反応してくれます。そして、
今まで味わったことのない親子の温かいつながりを感じること
ができます。
ギフト、ですね。
教育、療育に興味があることは別に悪いことではありません。
ハンディを持つ子の親の場合は、障がいに関する勉強はやっぱ
り大切ですしね。いろんなお母さんがいていいと思いますし、
たまたま学び系のことが好きなお母さんなら、自然に教育・療
育熱心にもなるでしょう。
このような記事を書かせていただいたのは、私自身も痛〜い思
いをしたからです。悩めるママさんたちー、一緒にぼちぼちや
っていきましょうね〜(^^)
2011年09月28日
自分のせいだと思ってた、自分が悪いんだと思ってた
昨夜、眠りに落ちる前に、布団でごろごろしながら息子(小4)が言った
言葉です。息子は発達障害の診断を受けています。だんだん大きくな
ってきて、この頃は自分のハンディのことをいろいろ考えているようです。
もともとちょっとおませなところがある子で、すでに思春期みたいなこと
も言うようになってきました。
「何のために生まれてきたのか」とか、「何のために生きるのか」とか、
哲学的とも言える質問を受け、母はたじたじです
息子のことを理解するために、発達障害や自閉症スペクトラム関連の本
をちょこちょこ読んでいるのですが、そういった本にも興味を示すようにな
り、「読んで」と言ったり、自分でペラペラめくったりもしています。特に4コ
マ漫画などで解説してあるものは息子も自分で読めるので、絵のあるペ
ージを探してはじーっと見ていたり。
そんなこんなの中で、冒頭のような言葉が彼の口から出たのでしょう。
「あん太郎(仮名です、もちろん・笑)のせいじゃないし、あん太郎が悪いの
でもないよ」と優しく言うと、「うん…」と背中を向けたまま答えてくれました。
障がいに限らず、病気の子どもも、「病気である自分」を悪い存在だと感じ、
「何だかよくわからないけど自分が悪い、病気になったのは自分のせい」な
どと考えていることがあります。
両親にケンカが絶えないことや、親の離婚を自分のせいのように感じる子
どももたくさんいます。
子どもに限らないのですが、私たち人間には、追いつめられて余裕がなくな
ると、「よくわからないけど、どうも自分のせいみたいだ、きっと自分が悪い
んだ」と感じてしまう心理があるようです。
そして、一旦そう感じてしまうと、自分を責める気持ちがずっとつきまといま
す。そして、この「自分を責める」という感覚は、心をとても疲れさせてしまい
ます。
絶えず耳元でもう一人の自分が「お前が悪い」とささやき続けているのを想
像してみてください。これは精神的にキツイですよね。何も手につかなくなる
し、がんばって何かやってもすぐくたくたになってしまいます。
でも、自分責めのせいでこんなに疲れるのだとは知らず、さらに自分を責め
てしまいます。「これぐらいのこともできないなんて、やっぱり自分はダメな、
悪い存在だ」と。
もしも自分の子どもが、何かの事情でこんなふうに自分を責めているようだ
ったら、そっと言ってあげてください。「あなたは何も悪くないよ」と。子どもは
素直なので、大好きなお母さんやお父さん、信頼できる大人が本当に心から
そう言ってあげると、それなりにその言葉を受け取ってくれます。
大人の場合は、自分も含めて…、やはり子どもほど素直ではないんですよ
ね
子どもの素直さはやっぱり何とも言えずかわいく愛おしいです
