カウンセリングサービスの帆南尚美です。
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私が育った家族は、家族の中で、おまえばかだな、とか、そんなことやってるようじゃまだまだだな、とか、ほんとにムカつくわ、という言葉が、「愛してる」の代わりに使われていました。

親子揃って、はっきり愛情を表現するのが恥ずかしかったのだろうと、今になって思います。

しかし、育った環境は自分のとっての常識を作ることが多いようですから、私は友人やパートナーとの間で、ほんとムカつく、とか、馬鹿じゃないの?などを、本当にあなたって可愛らしいとか、私はあなたを愛してるわ、という意味で使っていました。

きっと、皆文字通りの意味に私の言葉を受け取って驚いていたのだろうと思いますが、誰も私に何も言いませんでした。

しかしその後、知人のひとりから、なぜ仲良しの私からそんなにひどいことを言われるのか分からない、と怒りを露わにされました。

私はクエスチョンマークで頭がいっぱいになりました。私は愛情表現をしていたのに、なぜこの人を怒らせてしまったのだろう、と。

自分の常識が世間に通用するものではないことに気づくまで、少々時間がかかりました。

それからというもの、私は自分の常識に基づく発言が人を傷つけてしまうのではないかと怖くなり、発する言葉のひとつひとつに異常なほど気をつけるようになりました。

何より、愛しいと思っての発言がその人を傷つけてしまった、ということが、とてもショックでした。

私は、自分の言葉が、正しく自分の気持ちを表すように気を付け、直していきました。

それでも子どもの頃からの癖が抜けず、皮肉っぽい言葉が出そうになります。

どのようなときにそうなるのかな、と考えてみたのですが、

どうやら私は親密感を感じれば感じるほど、本心を伝えるのが恥ずかしくもあり、怖くもあり、愛情を裏返したような皮肉な言葉しか出てこないようでした。

今では、そのようなときに、あぁ私は恥ずかしいんだな、ストレートに伝えることに抵抗があるんだな、と思い、自分で自分に「素直になっても大丈夫だよ」と許可を出すことにしています。

そもそも自分の気持ちとしては、皮肉な言葉もストレートな表現も、愛を伝えていることに変わりは無かったはずなのですが、

愛を直球でそのまま伝えることを覚えると、皮肉な言葉を使うよりも、ずっと自分の心が満たされることに気づきました。

自分の愛情を相手が受け取りやすい方法で伝えてみるということは、自分の怖れを乗り越えて、相手に与えるということかと思います。

そして、心理の世界では物理的な世界と違うことがあります。
物理的な世界では、たとえばお金は使えば使うほど少なくなりますが、
心理の世界では、与えれば与えるほど増えるといいます。

今まで恥ずかしさや怖れの陰に隠れて小出しにしていた愛情を、まっすぐ表現することによって、私の中の愛が増えていき、私の心が満たされていったのでは、と思っています。

南町田