観念とは、「こうあるべき」「こうするべき」「○○はこうだ」といった固定化され、柔軟性を欠いた考え方です。
例えば、「男はこうあるべき」「母親はこうあるべき」「先生はこうあるべき」「遅刻はしてはならない」「自分は愛されない人間だ」などが観念です。
これらの観念は、誰かから教えてもらったり、誰かの様子を見て学んだもので、今まで自分自身が傷つかないようにそれを利用して自分自身を守ってきました。
しかし、観念は状況の理解を妨げ、他人を遠ざけ、自分を縛り、他人をも縛るものなのです。
私たちは、この世界は戦場であると言わんばかりに観念という強固な鎧で身を固め、自分の身を守ろうとしていますが、本当に観念は必要なものなのでしょうか?
観念が無くなると、私達は傷ついてしまうのでしょうか?
観念で身を守る裏側には、観念を手放してしまうと私はとんでもない私になってしまうという自己否定の概念があります。しかし、本当にそうでしょうか?
例えば「人を殺してはいけない」という観念を棄てると、あなたはすぐに人を殺し始めるのでしょうか?

今週の癒しのテーマは、観念を手放すことです。

観念の呪縛から解き放たれて、自由で柔軟な私に変化してみましょう。
そして、あなたの周りの人達への呪縛も一緒に解いてあげましょう。

先ずは、あなたの持っている観念を紙に書き出してみましょう。
いくつの観念が見つかったでしょうか?
そして、それらの観念に「今まで守ってくれてありがとう」とお礼を言って手放しましょう。
あなたは、どんな自分に生まれ変わった感じがするでしょうか?