自己概念のお話にもなりますが、私が20代だった頃には「自分探し
」なんて言葉がありました。
本当の自分とはどんな人間なのか?
それを知りたくて色々なことをやってみたり、あちこち旅行に行ってみたり、なんてことをするわけです。
旅行雑誌とかの表紙にもよくそういう特集記事のタイトルが書いてあったように思います。
そして迷走することも・・・
それはそれとして、それでは本当の自分とはどんな自分でしょう?
今までも何度か書いているテーマではありますが、一つの見方として、それは良くも悪くも「自分が納得できる自分」ということができるのではないかと思います。
つまりは自分が持っている自己概念に一致する自分です。
何しろ「これだ!
」と思うときというのは納得感があるものだと思うのです。
何故だか説明はできなくとも、とても納得できる
その納得感こそが大切なのだと思います。
そして、納得感があるということは、自分の価値観や観念に一致しているということではないでしょうか。
例えば、自分が良かれと思ってやったことを誰かに批難されたら、納得できませんよね。
でも、そこに自分も理解できて筋が通っていると感じる理由があれば納得できたりします。
それは、自分の価値観や観念に一致すると理解できたからです。
そうすると、本当の自分というのはつまるところ、自分自身が常日頃から思っている自分像を感じられたときに「見つけた気がする
」のかも知れません。
ということは、です。
本当の自分も結局のところは自分自身で選んでいるということになるのではないでしょうか。
私達は人格や価値観の形成に遺伝や育生環境による影響をとても強く受けます。
が、それぞれに意志もあり、親兄弟とは違う人生があり、その過程で人格も価値観も変わっていきます。
そして、いつの間にか変わってしまうこともあれば、意志の力で変えていく
こともできます。
だからこそ、本当の自分を選んでいけるのです。
ということで、タイトルのお話です。
私達は何になるかを選ぶことができ、何にでもなることができます。
もちろん、何になろうとするかで難易度は異なるでしょうが、なろうとすることに制限はありません。
また、一度目指した自分になれなかったとしても、改めて選び直すことはいつでも可能
です。
が、ここにとても大きな問題があります。
私達の時間は有限で、私達の心も身体も一つしかなく、手が届く範囲は限られていることです。
服に例えましょう。
どんなデザインで、どんな素材で、どんな色の服を身にまとうか。
それは選ぶことができます。
しかし、同時に身にまとうことができる服の数や種類には限りがあります。
例えば、身につける服の色は3,4色が限度だと言われています。
それ以上はまとまりが悪くなって、見た目に落ち着かないものになってしまうのです。
また、キレイめのカシミアコートと防寒性能に優れたダウンを着て、その下にはウールとデニムのジャケットを1枚ずつ、更にそのしたにコーデュロイのシャツとネルシャツと・・・なんて風にひたすら着込んでいくのも無理があります。
だからこそ、今日は何を着るのか選ぶことがとても大切になってきます。
もちろん、明日は明日で別の服を着ればいいでしょう。
明後日は更にまた別のもの。
でも、同時に全ては着られないのです。
今日は何を着るのか、選んでいきましょう。
そして、同じくこの人生では何を選びましょうか?
」なんて言葉がありました。本当の自分とはどんな人間なのか?
それを知りたくて色々なことをやってみたり、あちこち旅行に行ってみたり、なんてことをするわけです。
旅行雑誌とかの表紙にもよくそういう特集記事のタイトルが書いてあったように思います。
そして迷走することも・・・

それはそれとして、それでは本当の自分とはどんな自分でしょう?
今までも何度か書いているテーマではありますが、一つの見方として、それは良くも悪くも「自分が納得できる自分」ということができるのではないかと思います。
つまりは自分が持っている自己概念に一致する自分です。
何しろ「これだ!
」と思うときというのは納得感があるものだと思うのです。何故だか説明はできなくとも、とても納得できる

その納得感こそが大切なのだと思います。
そして、納得感があるということは、自分の価値観や観念に一致しているということではないでしょうか。
例えば、自分が良かれと思ってやったことを誰かに批難されたら、納得できませんよね。
でも、そこに自分も理解できて筋が通っていると感じる理由があれば納得できたりします。
それは、自分の価値観や観念に一致すると理解できたからです。
そうすると、本当の自分というのはつまるところ、自分自身が常日頃から思っている自分像を感じられたときに「見つけた気がする
」のかも知れません。ということは、です。
本当の自分も結局のところは自分自身で選んでいるということになるのではないでしょうか。
私達は人格や価値観の形成に遺伝や育生環境による影響をとても強く受けます。
が、それぞれに意志もあり、親兄弟とは違う人生があり、その過程で人格も価値観も変わっていきます。
そして、いつの間にか変わってしまうこともあれば、意志の力で変えていく
こともできます。だからこそ、本当の自分を選んでいけるのです。
ということで、タイトルのお話です。
私達は何になるかを選ぶことができ、何にでもなることができます。
もちろん、何になろうとするかで難易度は異なるでしょうが、なろうとすることに制限はありません。
また、一度目指した自分になれなかったとしても、改めて選び直すことはいつでも可能
です。が、ここにとても大きな問題があります。
私達の時間は有限で、私達の心も身体も一つしかなく、手が届く範囲は限られていることです。
服に例えましょう。
どんなデザインで、どんな素材で、どんな色の服を身にまとうか。
それは選ぶことができます。
しかし、同時に身にまとうことができる服の数や種類には限りがあります。
例えば、身につける服の色は3,4色が限度だと言われています。
それ以上はまとまりが悪くなって、見た目に落ち着かないものになってしまうのです。
また、キレイめのカシミアコートと防寒性能に優れたダウンを着て、その下にはウールとデニムのジャケットを1枚ずつ、更にそのしたにコーデュロイのシャツとネルシャツと・・・なんて風にひたすら着込んでいくのも無理があります。
だからこそ、今日は何を着るのか選ぶことがとても大切になってきます。
もちろん、明日は明日で別の服を着ればいいでしょう。
明後日は更にまた別のもの。
でも、同時に全ては着られないのです。
今日は何を着るのか、選んでいきましょう。
そして、同じくこの人生では何を選びましょうか?



に注目することがあります。
のように感じたり。
、とか。


からです。

と知っているから何もかもを抑圧しているのです
が必要な場合は多くありますが、時には
を飲みながらあの番組を見ると決めている

