明日は今日の風が吹く

明日は明日の風が吹く、と気楽に考えられない小心者です。 明日は今日の続き、昨日は一昨日の続き、10年後は今日の続き・・・全てに起源があり、理由がある。 だから今日を精一杯生きよう、と前向きに思うだけで、行動は全く戸惑っていない人生折り返し地点にいる会社勤め女の昔話と日々のつぶやきを気まぐれに書いています。

宅建について(2)

昔々 運動会で張り切って走っていた頃、自分が不動産関係の仕事をするなんて夢にも思っていなかった。
が、その一方で確固たる信念も夢も大してなかったので、こういう事になったのだとも思う。宅建を取るまで・・・・自分の場合。

1)諸々の理由から不動産関係の会社でお仕事を始める。
  だが、なんの興味もなく、淡々と事務仕事をする日々でほぼ9年。
  (仕事はほぼ事務処理。物件売買など関係せず。ただ契約書やら、固定資産税やらの書類は垣間見ていた)
      ↓
2)何かそこで働いた意味・メリットを自分自身で見つけるために、宅建でもとった方がいいのかなと思い始める。
      ↓
3)でも学校に通うのは面倒だし、お金もかかるし・・でも、書店の本はどれを買えばいいのか分からず、とりあえず、yes, you can!の通信コースを申し込む。
      ↓
4)民法;頭イタイ。隣の家の敷地からから自分の家の敷地へ伸びて来た木の根っこと張り出して来た枝、無断で切っていいのはどちらなのか?未だに曖昧。
宅建法;なんとなく、読めば分かるような、でもどっちだっけ?というようなものばかり。
税法等;取得税や固定資産税は分かるものの譲渡の際の税法?家も買った事ないし、興味もないし・・・・
届出法等;へぇ、そうなんだ。と思うものばかり。でもとっつきやすかった。
テキストを読んで、ミニテストを自分でして、月一だったか、添削問題を提出する。
      ↓
5)電車の中では過去問題集をやっていた。
  一方、Webでの無料問題集をひたすらやった。
      ↓
6)それでも足りない気がして、オーハラオーハラやる気になったらオーハラの過去問題集を書店で買った。それぞれの分野毎に4冊位。
      ↓
7)Webの無料問題集サイトは、自己の習得具合もデータで出てくるもので、一応なんとかOKの判断はあったが、ギリギリまで不安。
      ↓
8)・・・でも受験日はやってくるもので、受験。

という感じでした。
結果的には、"宅建は過去問だ"という気持ち。
Webサイトは一問一答式。○×で回答していく。過去問題が、10年以上に渡って登録されている。
テキストでインプットしたら、あとはひたすらアウトプットの練習。繰り返し繰り返し。
他の資格もこのサイトで勉強したいが、新規登録がなかなかできない・・・・・
・・・それを言い訳に今は資格の勉強はしていない。。。。。。
と、これを書きながら、何かしないとなぁ、と思い始めたのであった。(多分思うだけ。)

オーラリーディングで

「オーラリーディング」と言われましても、なんのこっちゃ、なのであるが、ちょうど去年の今頃、してもらおうかどうしようか、と3ヶ月程悩んだものである。
そのサイトによると、その人の周りにあるオーラの色を見て、またそこから見えるものを伝えてくれる、占いでもない、霊視でもない、なんというか不思議なものであるが、今の自分はどうなのか?とか、人間関係の悩みがある時とか、そういう時にも見てもらっている人もいて、そのお客様の声を読みながら、かといって気軽に受けられる値段ではなかったので、決めるまでに3ヶ月、悩んだのである。
それで結局、見てもらったのであるが、直接 対面して見てもらう方式と、電話等の遠隔でのリーディングと両方あり、家にいてもOKという事で、私は電話で見てもらったが、その結果がすごかった。
覚えているものだけの記載になりますが、仕事のこと、将来のこと、親のこと、等。

仕事:自分の直属の上司2人について、名前を言っただけで、その人がどういう人か言い当てた。本当に、その通り。自分が作成したホームページが・・と言っただけで「あ、内容がまだまだですね。スカスカです。もっと色んな事を発信した方がいいと思います。」とこれまたスカスカ状態をお見通し。今後は、私がもっと彼らを巻き込んで色々やりたいことを提案していけば良い。何でも出来る状況なのにやっていないのはもったいない、と。
また、その上司一人と私は、過去に出会っていて、その時に彼が私に酷い事をしたらしい(笑)。何かは言われませんでしたが、その酷い事をした時の思いを現世に引き継いでいて、私に悪いと思っているらしく、それ故に、仕事でも良くしてくれている、というのがある・・・らしい(笑)。

夫とについて:これまた私がもっとこれやろうよ、こういうのはどうか?と色々提案している絵が浮かぶ。今後いつになるかは分からないが、絶妙のタイミングで、そういう時はやってくる。そうすると老後がどうとか、考える事がなくなる。

親について:こちらは過去に私が母親にひどいことをしたらしく、それを今も引きずっている・・・らしい。

こういうのを知ったから、どうというのか、またその時何を求めていたのかは今となってみると自分ながらに理解ができないが、当時は、何かもっとやらなければ、という気持ちが強く、でも何をすべきか分からない、という時期であったから、こういうリーディングに惹かれてしまったのではないかと思う。
だからと言って、今、何をすべきかを見つけたわけではないが、当時リーディングをしていただいてとてもすっきりした気持ちになったから、良かったのだと思う。

電話口で1時間程、リーダーの方がほぼしゃべっていらっしゃいましたが、それだけで癒された気持ちになるのは、やはり当時の自分には合っていたものなのだろう。
多分、あと1年位したら、また見てもらいたい気持ちになるかもしれないが、その時はその先生の所に行って見たいかなと思う。

宅建について(1)

宅建について、なんて、あんたも偉そうな事を書けるようになったんだねぇ、ほぅほぅ・・・と思って頂ける程、十分な内容は全くありません。ただ、何となく書きたくなったのは、こうして様々な角度から様々な過去の出来事を振り返っていると、印象に残る出来事、印象に残る人、という方はいらっしゃるもので、今回は、あの先生ともっと早く出会っていたら、自分ももっと楽しく宅建の勉強ができたのになぁ、と思う方のお話です(と言っても短い)。

自分は、最初のインプットは通信教育の教材から。その後は通信の問題をやりながら、インターネットの無料宅建問題集をひたすら。そして最後の方は 別の学校が発行している過去問題集を数冊やりこなす。そんな感じで多分1年半位やりました。結果的にはスクールに通った訳ではなく、独学でしたが、合格したあと、宅建登録実務講習を受けなくてはならず、どこの学校がいいかと少し選びながら、それでも最終的には内容ではなく、日程と行きやすい場所から決めて行ったのが L E C さんでした。それは自分が通信教育を受けた学校でもなく、問題集を買った学校でもなかったのですが、大きい学校ですし安心でしょう、という事もあり、"たまたま"受けたのですが、その"たまたま"出会った先生は、とても素晴らしかった。講義の時から、メリハリのある凄い先生だなぁとは思っていたのですが、その先生は その学校でも人気で、また個人でも宅建の合宿をされる程の熱血大先生なのでありました。
(更には余談(?)ですが、某TV番組の 温泉関係のクイズで優勝した、温泉マニアな先生でもありました。)
久しぶりにその先生を思い出し、先生のblogに行ってみましたが、やはり相変わらず熱血で、そしてプライベートなお話ではちょっぴりアンダーなネタが盛り込まれた日記も書かれたりでお元気そうでした。(でも過去にはとても悲しいお話もあり、苦しくもなりました)
そして思うのは、この先生のクラスに通っていたら、もっと楽に宅建の勉強が出来たかもな、ということ。
東進の先生方も素晴らしいですが、こういう実務系のスクールにも良い先生がいらっしゃるんですね。
先生は東京が主ですが、ブログでも為になることを書かれているので、ご興味のある方は、"L E C 宅 建 水 野" でググって頂ければ、トップにブログが出ると思いますのでご覧になってみて下さい。

水 野 先生、2011年 2月頃 水道橋でお世話になりました。
万万一 このブログをご覧になることがあれば(無いと思いますが)、イチコメ下さいませ。

英語について(1)

先日の投稿で、英語が好きだったの、うっふん、と書いたが、今はどうか。
嫌いでもないが、好きでもない。出来るに越したことはないが、あの頃の様な勉強熱はない。しゃべる力は落ちていると思う。でも読解力は以前よりついたかも・・・本当か?前職の不動産ベンチャー企業で、読みたくもない、読んでも面白くない、英語の契約書を無理やり読まされていたから。と言っても全ページではなく、主要なところを抜粋して、要約すると言うような作業が有ったからだ。
昔々英語が好き、と思ったのは単なる憧れ。その後実際に、英語圏の某国の人と仕事をすることになるにつれ、英語が嫌いというのではなく、その国の人が嫌い⇒英語が嫌いという気持ちに一時期陥った事はある。でも今は、やはりとりあえず分かると楽しいと思う事もあるから、英語嫌いにはなっていないと思う。

英語から離れて久しく、先日 これまた久しく 海の外に旅行に行った。
去年9月、結婚5周年であったが、大きな行事もなかったので、どこか連れてけ〜と騒いだら、とりあえずグアムに、とグアムに行って来たのが今月の話。この年にして初めてのグアムで、更にはパッケージ手配とはいえ、個人行動の旅行なので、途中何かあったらどうしよう、と緊張していたのであるが(マイ ハズバンド キャン ノット スピーク イングリッシュね)、実際はそれなりに楽しかった。
観光客は、ほぼジャパニーズ、でも現地スタッフはほぼ英語オンリー。ちょっとした予約ややり取り等、難しい事は必要ないが、英語は必要だった。少しずつでも喋っていると、感覚が戻って来るのか、頭の中が活性化されるのか、英語が好きなの(はぁと)の時代に戻るのか、段々元気になっていったのが分かった。
結局は、できることなら、日本語が楽。しかしながら、時々は自分の老化防止の為にも英語は必要なのだろう、と単なるツールだけではない、"英語の使い方"を発見したグアムの旅であったが、今後 どういう頻度、方法で英語を続けて行くかは全く不明であり、いつか気持ちが爆発したら、またいつかのように学んでみたいと、このブログを書きながら気付いた自分であった。

(英語については、また追々)

気がついたら"不動産"のお仕事に

昔々それはまだ私がリカちゃんハウスで遊んでいた頃(今でも遊んでいたらどうするよ?)、将来は?と聞かれると”学校の先生になりたい”と言っていたのであるが、諸々の諸々なる事情と、自分の根性の無さから、それは断念する事にした。
そんなこんなで普通の企業に就職はしたのであるが、仕事を始めた頃は、ただ仕事をするだけでは嫌よ〜このまま"OL"は嫌よ〜、そう私は留学するの〜、だから働くの〜と、親は決して出してはくれないであろう留学費用を貯めるためにせっせと働いていたのであった。
本当は6年働いて2年留学するつもりが、若気の至りで3年で我慢の緒が切れる(こんな日本語はないと思う)事が会社であり、"えぇい、辞めてやるっ!"と、今の就職難からは考えられないような決心をし、目標金額も半分位しか貯まっていないのも考えず、あっさり辞めてその3ヶ月後には渡豪していたのであった。この話はまた追々書きたいのであるが、今なら、留学するならしっかりと、語学留学だけじゃだめよ〜と思うのであるが、当時はとりあえず英語よ!と単なる語学留学、しかもたったの8ヶ月という、箸にも棒にもひっかからないような中途半端な留学をしてしまい、お金も底をついて来たのですんなり帰国してしまった。

・・・で、その後は リカちゃんハウスで遊んでいた頃(今でも遊んでいたら・・・)の願いに少しは近づくような、英語の、と言っても、"子供"の先生をする事となった。そこで4年半。その間はとにかく英語英語の日々で、TOEICと英検は自分なりに勉強し、履歴書にもなんとか書けるレベルまで頑張った、と思う。
そのまま子供英会話の先生でも十分だったのだが(後になってその会社は破産宣告しますが・・・笑)、もっと英語を使いたいわ!ふんっ=3と、鼻息荒く、辞めてしまった、またも若気の至りな自分。
・・・とここまでは、地元での話。そこから何を思ったか、東京で働きたい!とこれまた無防備な決心をし、仕事先も決めないまま東京に来てしまったのも、今から考えると”あんた、アホちゃう?”と言いたい様なおばかさんであったが、上京した後は、とりあえず派遣か?と派遣登録し、単発で行ったお仕事先から、直接契約をして頂く事になり、そこで3年。しかし英語は殆ど使わなかった。みんないい人でとても楽しい職場であったが(これもまた追々)、当初の希望であった”英語系”の仕事につきたく、これまた派遣ではあるが外資系の事務的なお仕事に就き、そこでも派遣から直接契約にして頂いたものの、ITバブルがはじけ(ITの会社でした)、自分が関係していたプロジェクト終了と共に私も終了。初めてのリストラ体験。あぁこれはきっと、あんなに安定していた会社をえぇい!辞めてやるっ!と勢いで辞めてしまった罰なのね、と当時感じていればもっと謙虚な人間になっていたかもしれないが、そんな事より、次の仕事、どうするのよ〜と、これまた仕事探し。

その結果、その頃から出てきた、今度はtemp to perm;派遣をしてその後よければ社員に、という紹介予定派遣で、仕事についたのが、不動産関係。一応外資でした。外資と言ってもしゃっちょさんが米国人というだけで、米国に本社があるわけでも何でもない、社員20人位のベンチャー企業でした。
派遣会社の人からの当初の説明は、大まかには「外資系、不動産、事務」というもので、それに加えて社名から、ほうほう、多分オーストラリアとかの土地を買ったり色々しているんだわ、と買ってに想像して詳しい事は聞かずにそのお仕事に就いてしまった、また考え無しの自分。
ところがところが、オーストラリアの"オ"の字もなく、実際は、PC操作がやっとこさなおじさまのお手伝いと、いまいち指示が下手なお兄様からの書類作成依頼と、扱っているものはコテコテ日本、関東圏内のビル等で、それはそれは夢も何ともないどんよりとしたお仕事でした。肝心の英語は、と言うと、その部署にいたアメリカ人スタッフや、隣の部署にやってきたアメリカ人の偉い役職のご婦人のお手伝いもあり、少々は使ったりしておりましたが、素晴らしく理想的、というものではありませんでした。
いつの間にか文体が変わっておりますが(どうかお気になさらずに)、その会社もどうだかなぁ、と思っていたので、やっぱり違うわ!、他に探そう、とこっそり仕事探しもしておりました。・・・その間、ここに行くかも、というところもあったのですが、結局、なんだかんだと、なんだかんだで、気がつけば10年、今までで最長となる勤務期間を記録したのでありました。

なぜ、そんなに続いた(続けた?)か、おそらくそれは、職務があまりしんどくなかった事、ここに居るということは、自分に何か学ぶことがあるのではないかと思ったという事、お給料が最初はあまりよくなかったので、もう少し頂けるまでは頑張ろうと思った事(欲張りでんな)、等が理由ではないかと思う。周囲の人も、面倒な人は面倒であったが、そうでない人はそうでもなく(どこでもそうだと思いますが)、居心地もそれ程悪くなかったというのも理由かもしれません。
そして結局、そこでの自分がどうなったか・・・下世話なお話のお給料は、入社当初に比べると、段々よくして下さり、賞与も業績がいい時は嬉しいと思う位に頂きました。
学んだ事は・・・主にExcelについて。さっぱりわからなかった関数も、今では結構好きであるし、様々な書式を作るのも好きになったし、Excel万歳!と自分なりに思う。
それから、不動産の知識について。自分の職務は直接お客様と接するものではなかったが、それなりに契約書の読み方だとか、固定資産税がどうのとか、物件運営についての流れだとか、周りのマネージャーからの見聞きではあるものの、なんとなく、知るようになった、という感じではありましたが、それの集大成(?)として、いわゆる宅建主任者資格を取得し、その会社を去る事となったのが2011年4月。

そして今は、その会社で部署は違うけれどお世話になった方が、ご友人と設立した不動産関係の会社にお世話になっています。
今の職務の内容は、様々です。こってり不動産系の事から、ホームページの制作迄。経理系も少々。小さい会社なので、仕事の種類が増えて自分には良かったと思います。だからと言って、これが自分にとってベストかと言うと、それは多分違っていて、日々の仕事の一方で、他に何が自分にできるのだろう、と模索しているのが現実であり、その一環として、このブログがあるのかもしれない、と思うわけであります。

2004年10月頃〜最近まで

当初このブログを始めた2004年は、一人暮らしだった。PCを初めて購入した、という事もあり、家でPCが楽しかった。時間も暇もあった。
勤務先は不動産系、月〜金の9:00〜18:00勤務。週末は友人と会ったり、旅行に行ったり(一人だったり、友人とだったり)、そんな日々だった。あ、いや婚活、していたかも。そうそう、していた。でも特別に誰か一人とお付き合いはしていなかった。週末は婚活パーティに行ったり、知り合った人とお茶を飲んだり。(そこから続くかどうかはその時次第)
そんな日々を続けた後、2008年9月に、奇跡的に結婚した(笑)。親が「もう諦めていた」と言っていた程の自分が・・・である。
だから、結局、2004年10月:ブログを始める(2004/10〜2004/12の間の投稿分は、exblogに移植した)⇒だらだら過ごした後、2008年9月:結婚。⇒この頃からブログ不精になる。⇒2014年2月:独り言をつぶやきたいと、ブログを再開。
こんな感じですね・・・とさらっと書いたが、10年近くが経っているのね!と今気がつく。その間自分は、何をしてきたのだろう、成長の幅も全くない年齢ではあるが、何かは変わったのだろうか、という事を思い出しながら、今後もつらつら書いて行くのだと思う。

「彼女の生きる道」から始まった

2004年10月、暇だから、と始めたこのブログの当初のタイトルは、
「彼女の生きる道」だった。それは当時のドラマ「僕の生きる道」・・・だったかな、クサナギ君が主演のものから頂戴したのであった(安直)。
暇だから・・・というのと、ブログが世の中に出始めたので面白いかな、というのと、ライブドアさんも有名になって、と言うのと、久しぶりに会う友人にその間のアレコレを話すのもなんだし、話すほどのことでもないけど共有して頂けたら嬉しいかな、というので、よかったら見てね、というノリで始めて、友人にも紹介していたこのブログ。
自分にしては結構続いていたのだが、ある時に何かのワードがひっかかり、訪問者数が膨大になったことがきっかけで、止めることにした、正確に言うと、他に一旦引越したのと、別に写真だけ撮っていたので、「写真ブログを始めたのでそちらに来てね」、とこのブログは休止したのであった。
その引越し先が、今もまだあるが、
写真ブログ:exblog:「Quatre saisons」
新たな日記:exblog:「彼女の生きる道〜その後〜」
・・・である。が、これまた写真は、撮ったものから選別するのが大変(上手く撮れているのがなかなかないから)、というのと、途中で結婚し、その後なんだかんだとブログを書く時間がなくなり、日記の方もほぼストップしてしまった。
日記の方は、時間がない(暇なくせに)のとは別に、「こんなの載せてもどうなのかな?」と思うようになり、段々遠のいていった、と言うのもある。
ここに行って、これ食べて、どうだった、というようなものがなんだか面倒になってしまったのである。
なんとういうか、FaceBookで言うところの"リア充"系の日記のような気がして、ちょっとイタイかも、と思うようになったのである。(FaceBookについては、別途書きたい)

そんな訳で、ブログとはすっかり離れていた日常であるが、最近は自分を客観的に見たいというか、何か気持ちを発したいという衝動に駆られ、どうしたものかと考えていたところに、「原点に戻ろう」ということで、こちらで再開する事にしたのである。(ライブドアさん、サービスを続けていて下さっていてどうもありがとう)

こういう経緯なので、今までの日記(そのまま残しておきます)はほぼ日々の日記、今後は昔々のお話やら、日常で思った事等を中心に自分の頭の中の整理という意味で、またぽつぽつ続けて行きたいと思います。(文体変わり、すみません)

・・・しかしながら、昔の勢いで"これは!"と思うものがあれば写真付で嬉々として載せたりするかもしれません...

お引越し先

写真ブログはここでやってます。
また遊びに来ていただければ 嬉しいです。
「Quatre saisons」:http://miohaneda.exblog.jp/

Thank you!

昨日がblog開設1周年の日。
これからもよろしくお願いします、とご挨拶すべきなのですが、
これからは写真ぶろぐの方に専念(?)すべく、
こちらのぶろぐはお休みいたします。
だらだらとどうでもいいことばかりだったにもかかわらず、
読んで下さりどうもありがとうございました。

リンクを頂いているみなさまのリンクは、
再開ブログの方でも引き続き貼らせて頂きました。
また、これまで通りみなさまの所にはお邪魔させて頂きますので、
今後共よろしくお願いいたします。

Many thanks to everyone!

--
cuao

横浜のお菓子

45f0c740.JPG万葉倶楽部のお土産売り場には、伊豆、熱海、湯河原地方のお菓子やら干物やらが置いてあった。そして横浜のお菓子も…。ただ、横浜生まれ横浜育ちの友人も「知らないよぅ」と言うものでしたが、おいしそうだったので、買ったもの。
濱楽のかりんとう
かずさ屋の「ピーまん」と「雅芋」
かりんとうは、会社に持っていこうと思ったが、このお休み中におやつが欲しくなり、つい開封してしまった。ちょっとだけ、のつもりがたっぷりついている黒糖に負けて、今は半分しか残っていない...。
ピーまんは説明が難しい。しっとり餡にピーナツが入っているのだが、、美味しくて、雅芋は、和風スイートポテト。甘さも程よく、あと2個位買っておけばよかった…と思いましたね。
でも、どれも結局、ネット通販できちゃうから、いざとなれば買えますが、こういうのはそこから買ってくるから嬉しいのかな、と思ったり。。
昔の名前で出ています
とある理由からこちらでもブログをやっていました...
日記:
「彼女の生きる道〜その後〜」
写真:
「Quatre saisons」
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