ルネサンスのセレブたち

歴史・美術・本。ネクラな趣味に生きるローマ在住ジャッポネーゼ

レオナルドは両利きだった!というニュース

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今回調査の対象となったレオナルドのスケッチ、通称「8P」。このスケッチの裏側には、右手で書かれた文章が残されていたそうです。(Wikimedia Commonsより)



ブログの更新もすっかり気まぐれになりました。
本当なら、今夜も仕事に追われているはずだったのですが、こんな記事を読んでしまったばっかりについついブログを書いてしまった次第です。明日はしゃかりきに仕事をしなくては。
私に今夜仕事をさせてくれなかった罪な男は、レオナルドです。
レオナルドのニュースはさらさら読み流していればよかったのですが、フィレンツェの権威「国立輝石修復研修所(Opificio delle Pietre Dure」の研究ともなるとそのままバイバイという気分になれず。

左利きでしかも鏡文字を書くことで有名なレオナルドですが、輝石研究所の最新の調査によれば、レオナルドは少なくとも若いときは両利きであったそうです。
調査された作品は、レオナルドの作品としてはもっとも初期のものであるトスカーナの風景を描いたスケッチ。
作品は、ウフィッツィ美術館所有で在庫目録では「8P」と呼ばれています。
1473年8月5日という日付が残るこのスケッチには、紙の裏と表に文章が残されていました。レオナルドが21歳の時のスケッチということになります。
同じインクで残されたこの2つの文章を、研究所の研究者やカリグラフィーの研究者が、赤外線などの最新技術を使用して分析した結果、紙の表に残された鏡文字は左手で、裏に残された左から右に流れる文章は右手で書かれたことが判明したのだそうです。いずれも、レオナルドの手蹟であることも確認されました。
研究に参加した美術史家のチェチーリア・フロジニーニは、「レオナルドは生来左利きでした。しかし、幼いころに右手で書く訓練をさせられたのでしょう」と述べています。

また、作品はさまざまなテクニックを試すようにスケッチに多くの重なりが見られ、レオナルドは残された日付よりもずいぶん前からこのスケッチに取り組んでいたのではと推測されています。

レオナルドの、若き日の試行錯誤の軌跡といったところでしょうか。

例によって、だからなに?と言いたくなるニュースですみません。

フランス対イタリア レオナルド争奪戦勃発

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1974年以降、ルーヴルを出たことがありません。

 アイデアとかモノを作り出す力という点において、イタリア人は素晴らしい能力があると思います。
それなのになぜか、それを売り出すマーケティングにおいてはフランス人に著しく劣り、常に後手後手になるためか、臍を噛むことが少なくないのです。

 今年、レオナルドの500年忌をめぐってイタリアとフランスが揉めています。
 揉めているというより、泰然としているフランス人に対してイタリア人が勝手に怒っているだけのようですが、イタリアに生まれてイタリアで過ごした期間が圧倒的に長かったレオナルドを、フランスの領土で死なせたことはイタリア人にとって千載の遺恨なのでしょう。
 なにしろレオナルドはインターナショナルなスター。死後500年を機に、芸術的文化的なイベントが目白押しで、経済的な効果も絶大といわれているのです。ようは、カネが動くのですよ、レオナルドの名のもとに。

 ルーヴル美術館で開催されるレオナルド展に、イタリアに残るレオナルドの作品なんぞ貸してやるもんか!という怒りの記事が、イル・ジョルナーレ紙に載っていました。

①『モナリザ』は、1911年に盗難にあい、1913年にローマ、フィレンツェ、ミラノに、1962年にワシントンとニューヨーク、1974年に東京とモスクワに貸し出された以外、なぜルーヴルの外に出ようとしないのか!

②『モナリザ』はルーヴルから一歩も出ないというのに、なぜウフィツィ美術館にある『キリストの洗礼』は、やすやすとパリ行きの飛行機に乗ろうとしているのか!

③1452年に生まれたレオナルドは、1516年までフィレンツェ、ミラノ、マントヴァ、ヴェネツィア、パヴィア、ローマ、パドヴァなどで過ごした。1517年から死までの2年を、フランスのアンボアーズで過ごしただけだ。それだけなのになぜ、フランスはあんなに大きな顔をしているのか。

④芸術作品の貸出が、コンテ政権とマクロン政権の紛争を解消するための道具として使われるのであれば、頭を下げるのはフランスのほうだ!

⑤イタリアは自国にある芸術作品を他国に貸し出す余裕があるのならば、自国民にそれらを公開する機会を増やすべきだ。トリノの王立図書館が所有しているレオナルドの『自画像』、パルマ国立美術館にある『ほつれ髪の女』を実際に目にできたイタリア人は、それほど多くないはずだ!


こんな具合です。
ルーヴルのレオナルド展ばかりが注目されることが、イタリア人には不愉快この上もないといった感じ。
まあそれでも、イタリアには『最後の晩餐』もあるし、レオナルドの足跡もあちこちに残るし、金持ち喧嘩せずと鷹揚に構えていればいいと思うのですが。



そして、ミラノとパリを結ぶTGVにもレオナルドの4作品が描かれた車両が登場したそうです。





 

詩人は津波を見たか 1343年の地震とペトラルカ

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1343年11月の津波を目撃した(可能性のある)ペトラルカです。

 

 サイエンスの分野から、文学や美術を通して歴史の実態に迫るというニュースが近年増えています。ダンテの睡眠障害の話も面白かったのですが、本日ニュースになっていたのはペトラルカが証人となった津波の記録です。

 

  ピサ大学とイタリア国立地球物理学火山学研究所の共同研究によると、詩人ペトラルカは中世にナポリとアマルフィの海岸を襲った津波を目撃した可能性があるのだそうです。


 それは、1343年に起きたナポリ・アマルフィ周辺の地震に伴って起きた津波であり、ペトラルカは聖職者で自身がつかえていたジョヴァンニ・コロンナに向けて「まったく奇妙な嵐 ( una strana tempesta )  」という表現を使用しています。これが、中世に3度ほど起こったはずのストロンボリ島を震源とする地震に伴う津波のひとつであるというのが研究者たちの主張なのです。


 この1343年の地震は、エオリア諸島のストロンボリ島を震源とした地震であったそうで、20021230日にも、同様の地震とそれに伴う小さな津波が観測されています。ちなみに、ストロンボリ島は地中海に浮かぶ有名な火山島。「ストロンボリ式噴火」なる言葉の語源にもなっています。





 

 当時のペトラルカは、アヴィニョンの法王クレメンス6世の使者としてナポリに滞在していました。1125日に発生したと思われる地震と、それによる津波によってナポリ湾に浮かんでいた多くの船が沈没したそうです。

 修道院に滞在していたペトラルカは、夜半の地震で飛び起きています。地の底から響くような揺れではあったが、夜半でも灯りをつけることができず、地鳴りのような電のような奇妙な音に恐れおののいた、とジョヴァンニ・コロンナに書いています。そして、多大な船の被害や人の命が失われたことにも触れています。ナポリは壊滅状態で、それを説明する言葉が見つからないとも。

 当時は、地震とそれに伴う津波の概念などあるはずもなかったのですが、これはまさしく地震と津波の歴史的な証言なのでしょう。

 

 当時のストロンボリ島は、イタリア、ギリシア、スペインからの船が停泊する海上の要衝とされていました。十字軍の遠征のために各国から集まる船団の基地であったためです。ところがその後、島はまったく無人となり17世紀の終わりになってようやく再入植がはじまっています。

 研究者たちは、地震に伴う津波の規模が現代のわれわれが推測するよりもよほど大きかったことがペトラルカの手紙でうかがえるとしています。

 また、今後もストロンボリ島を震源とする地震とそれに伴う津波が起こらないとは断言できないと警鐘も鳴らしているのです。


 しかし、こうした現象の証人がペトラルカであったというのがまたイタリアの面白いところ。「津波」は、イタリアでも「Tsunami」と表現されます。これを「まったく奇妙な嵐」と表現したペトラルカ、ほかに言葉が見つからなかった天才のショックが伺えるというものです。


 ちなみに、この研究結果は『Scientific Reports』に詳細が掲載されています。

 バタバタ過ごした一日を終えた夜に書いておりますので、誤訳を見つけたらまた修正いたします。

 

 

レオナルド・ダ・ヴィンチが彫った(かもしれない)彫刻

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雑誌『Il Venerdi`』の表紙。レオナルドが制作したといわれる彫刻だそうです。イエスの表情はとても生き生きとしていますが…。


 日本人学校に行く前に寄った姑の家に最新の『Il Venerdi`』があり、なにやら不思議な表情を浮かべた聖母子の彫刻が表紙になっていました。

 姑いわく、「私が読んじゃったら渡すけど、イタリアの研究者がレオナルド作の彫刻を発見したってニュースよ」とのこと。

 レオナルド関連のニュースは、眉に唾をつけて読む必要があります。
 しかし、ラ・レプッブリカというメディアのまじめな記事ならば読む価値もあるのだろうと、雑誌をもらう前にネットを検索して探してみました。


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1月31日 ラファエッロが描いた夫婦の結婚記念日!


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メディチ家にもローマ法王にも負けないくらいの金満家です。1504年1月31日が結婚記念日です。

 515年前の今日、アーニョロ・ドーニとマッダレーナ・ストロッツィが結婚しました。
 それ誰?と言いたくなりますが、ラファエッロが描いたかの有名な夫婦像がその方たちです。20代前半のラファエッロが、レオナルド・ダ・ヴィンチの『モナリザ』に影響を受けて描いたという伝説が残ります。

 ウフィツィ美術館ではこの2人の結婚記念日を祝い、本日入館するカップルは1人分の入館料を無料にしてくれるそうです。


 ラファエッロやミケランジェロに作品を注文できた大富豪の筆頭はもちろんメディチ家やローマ法王庁ですが、アーニョロ・ドーニもその一人。自らの結婚式の記念に、自分と妻の肖像画をラファエッロに注文しただけではなく、ミケランジェロに「トンド・ドーニ」と呼ばれる聖家族を描いた作品を描かせています。ミケランジェロによる聖家族の作品もまた、二人の結婚の記念に注文したという説があるほか、1507年に誕生した夫妻の長女マリアの洗礼式の記念であったいう説もあり。
 ウフィッツィ美術館ではここ数か月、夫妻の肖像画とミケランジェロの作品を共に展示しているそうです。ドーニ一家の自慢大会みたいですが。

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 ドイツ人のウフィッツィ美術館館長エリック・シュミット氏はカップルへの入場料サービスについて、「ちょっと早いですが、バレンタインに向けた美術館からの小さな贈り物、といったところです」と語っています。

 ラファエッロに自画像を描かせた豪儀な夫婦、永遠にその名を歴史の中に残すことになりました。実際の夫婦仲はどうだったのか、野次馬として気になるところです。

ノーベル受賞の化学者を魅了したヴェネツィア金髪

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ノーベル賞受賞者コンラート・ブロッホが憑かれたように研究した「ヴェネツィア金髪」。こちらは、ティツィアーノが描いた『鏡の前の女』(1515年頃、ルーヴル美術館所蔵)




「およそ天より形を為して下すもの、雨、雪、霰、霙、雹なり」

 豪雪地帯といわれる新潟の『北越雪譜』などを引用してはかの地の人に怒られそうですが、なにしろ静岡県育ちの私は雪に慣れていません。
 今日も、窓の外を眺めていれば「およそ天から形を為して下ってくるもの」が、雨から雪へ、雹へ、霙へ、また雨へ、そして大風にといった具合に変化して、娘を学校に迎えに行くべきか、もうちょっと待つべきか、おろおろしておりました。
 日がとっぷり暮れた今は、風の音がまるで竜神が舞い上がっているのかと思うほど外でうなっています。

 最近、レオナルドのことばかり書いていたので、たまには別のテーマに触れたくなりました。
 コンラート・ブロッホという化学者と、ティツィアーノが描く美しいヴェネツィア金髪のお話です。
「ミスター・コレステロール」というあだ名を持っていたブロッホは、1964年にノーベル生理学・医学賞を受賞しました。
 ブロッホは美術愛好者であり、とくにティツィアーノが描く「Rosso Tiziano (ティツィアーノの赤)」と呼ばれるヴェネツィア美人の髪の毛の色に執着して、『Blondes in Venetian Paintings』なるエッセイまで出版しているのです。残念ながら、イタリア語にも日本語にも翻訳はされていないのですが。


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エリザベス二世のコレクションに残るレオナルド・ダ・ヴィンチの親指の指紋

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ほとんど公開されてこなかったレオナルドのスケッチが、500年忌を機に展示されます。この中に、レオナルドの左手の親指の指紋が残っています。(Wikimedia Commons )


 英国が誇るレオナルドに関するコレクションの中に、レオナルド・ダ・ヴィンチの親指の指紋が残されていたことが判明しました。 レオナルドの作品に彼の指紋が残っているのは、なにもこれが唯一の例ではありません。
  しかし、今回この親指の指紋が大きなニュースになっているのは、まず指紋が残る彼のスケッチ『循環器と女性の臓器』がほとんど一般公開されてこなかったこと、そして肉眼でもその指紋が確認できるという点にあるのだそうです。
 また、科学者たちによって綿密に調査が進められ、正しくレオナルド自身の指紋であるというお墨付きももらっているそうです。

 2019年がレオナルドの没後500年にあたるために、世界各地でそれにちなんだイベントが開催されます。
 2月からは、イギリス国内12か所において王室コレクションのいくつかが展示されることで話題になっています。
 王室コレクションが所有するレオナルド関係の美術品は550点に上るといわれ、その数は世界でも一、二を争うものであることはまちがいありません。 くだんのスケッチは、1509年から1510年頃にレオナルドが描いたと推測されています。
 普段はウィンザー城のどこかで、温度や湿度が厳格にコントロールされて保管されている秘宝であるため、来月からの展示にはレオナルドファンが大興奮なんだそうです。




 スケッチの中に残されている指紋は、左利きであったレオナルドの左手の親指のもの。 鑑賞者から見ると、向かって左側、右腕の上腕のあたりに残っています。
 肉眼でも確認できるほどくっきり残る指紋は、インクで汚れた手でレオナルドがその紙を手にしたことを表しています。天才レオナルドが、うっかり貴重な科学的かつ医学的なスケッチを汚しちゃった、というのがファンにはたまらないのだとか。  
 天才のエピソードならば、どんなくだらないことでもニュースになってしまうということでしょうか。


格子柄のマントをまとう天使

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シモーネ・マルティーニが1333年に描いた『受胎告知』の一部。大天使ガブリエルのマントの裏地は、なんとチェックの柄!


  祖母の遺愛の着物に、黄八丈があります。
 先日、美術に関する本を読んでいたところ、黄八丈の格子柄にそっくりのマントをまとう天使の姿を見つけました。
 面白かったのは、着物の格子柄も格からいうとあまり高くないのと同様に、西洋においてもチェックの柄はあまり身分の高くない人々のものであったことです。
 
 西洋絵画に描かれる格子柄も、なかなか愉しいものでした。
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書籍マニアであったコロンブスの息子

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コロンブスの次男が著した書籍の表紙(Wikimedia Commons )



 雪というのは、降っているときと降った直後の美しさは無類なのですが、その後がいけないです。
特に私のように雪が降らない場所で育ったものにとっては、いかに雪用の靴を履き転んだ時の用心のために両手をあけて歩いていても、へっぴり腰にならざるを得ません。

 今年もまた、憂鬱な雪の季節がやってきました。
すでに水道管が凍ること1回、雪で学校に行けなかったのも1回。
外の階段で、娘が「鬼はそとー!福はうちー!」と叫びながら、凍結防止の塩をまいてくれています。

 ところで先日、コロンブスの息子についての記事がありました。
アメリカ大陸へたどり着いたコロンブスについては、功罪ともにいろいろ論争もあるようですが、その息子が大変な書籍マニアであったことは初めて知りました。

 庶子で次男であったという彼、イタリア風に発音すると「フェルナンド・コロンボ」という名前でした。スペイン風に、「エルナンド・コロン」としても知られています。
 父のコロンブスに同行してアメリカまで行って、フェルナンドはなにを見たのでしょうか。

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我が家にやって来たレオナルドのサプライズ

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いずれはこの世から消えゆく運命といわれるレオナルドの自画像。ほんとにはかなげ、というのがわたしの第一印象。



今朝、いつもより早く起きて通常より早く出勤しようとしていた夫が
「そうそう、今日はレオナルドの仕事で文化活動省に行ってくる」
と言うのです。
ローマにあるレオナルドといえば、ヴァティカンにある『聖ヒエロニムス』くらいしか思い浮かびません。

私「レオナルドのなんだって?」
夫「自画像だよ」
私「レオナルドの自画像?新しい発見でもあったの?」
夫「レオナルドの自画像っていったら、ほら、あのひげを生やしたあれだよ」

ひげを生やしたレオナルドの自画像は、確かトリノにあったはず。
しかし、今年はレオナルドの死から500年。記念の年に、ローマの文化活動省で修復でもするのかしらん、ととっさに思いました。
詳しい話をする間も惜しんで、夫はさっさと出勤していきました。

お昼過ぎに、くだんの自画像の写真が送られてきました。
本物だ!
帰宅した夫はしかし、娘相手に遠過去の活用の復習につきあっていて、いっこうにらちがあきません。
ようやく夕食の時間に尋ねると、
「どうもこうもないよ。今日は、機械を使った作業はできなかった」
そうです。

その理由はこうです。
レオナルドの自画像はとにかく脆弱で、ゆくゆくはこの世から消えゆく運命から逃れられないといわれてきました。
歴史家たちは「このまま運命に任せる」ことを主張し、修復士たちは「なんとか将来に残す」ことを切望している。議論ばかりが続いて、いっこうに作品の今後が決まらないとは長年新聞でも話題になってきました。
夫は今日、調査のための機械の不具合を見に行ったのですが、機械は元に戻っても作業はその議論に阻まれて結局進められなかったのだそうです。

実際、送られてきた写真もはかなげでか弱げでした。作品を手にした夫は、「知らぬ間にどこかが破損しないかひやひや」するのが先で、感動もなにもなかったそうです。
ちなみに、レオナルドが描いた足の部分の習作も文化活動省が一時的に預かっているのだとか。

笑ってしまったのは、修復士やそれにかかわる化学者たちのあいだでレオナルドが「縁起が悪いもの(Portasfiga)」と呼ばれていることでした。なんでも、修復所や美術館が高額の機械を修復や保存の調査のために購入し、いざレオナルドの作品を調査する段になると、とたんに機械の調子が悪くなることが多いからなんだそうです。夫が呼ばれたのも、その機械の不具合が原因だったのですが。
「すわ、レオナルドの呪いか」などと考えないあたりがイタリア的で、「まったく厄介な奴だなあ」というこのニュアンス、世紀の天才も形無しです。

今回の調査の責任者は、女性の化学者。偶然にも、夫の大学時代の恩師の奥さんでした。
夫に言わせると「絵にかいたようなクレイジーな学者」だそうですが、レオナルドのデッサンがどのようなペンで描かれたのか、「Codex Purpureus Rossanensis」という6世紀の古文書がなぜ紫色なのか、その紫色の原材料がなんであったのかを発見した人として学界では知られています。

新年早々、レオナルドの話題でいい刺激になったのですが、文化活動省みたいに「縁起が悪い」ことが我が家に舞いこまなきゃいいけど、とちょっと心配にもなった本日でした。


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