ルネサンスのセレブたち

歴史・美術・本。ネクラな趣味に生きるローマ在住ジャッポネーゼ

イタリア中部地震と文化遺産の被害

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このクリヴェッリを見に、先週は私たちはアスコリ・ピチェーノにいました。一週間後に地震がこの地を襲うことなど夢にも思わないまま。




ローマで揺れを感じたのは、二日前の夜でした。
私は絶えて久しく経験したことのない地震の揺れにびっくりしてとび起き、「これ、地震だよ!」と叫んだのですが、地震の経験がほぼ皆無の夫は「まさか」と言って当初は信じず、ラジオを入れてようやく納得。
書棚から本が一冊落ちただけの揺れでしたが、静岡育ちで地震は人一倍怖い私はその後まんじりともしませんでした。
1時間後、さらに軽い揺れがありましたが、ローマはその程度だったのです。

ところが朝起きて、その被害の大きさにびっくりしました。
被害は大きくなるばかりで、毎日ニュースを見るのがつらいです。
しかも我が家は先週、地震の被害が大きかったマルケ州を旅行中でした。例によって計画などまったく立てず、マルケのアスコリ・ピチェーノ ( Ascoli Piceno ) でカルロ・クリヴェッリの作品を見たかったこと、イル・ファット・クオティディアーノ紙で紹介されていた「食のヒーローたち」のオリーヴェ・アスコラーナを食べたかった、それが理由でした。

マルケ州は、アドリア海に面して背後には山を控えている風光明媚の地です。
私にとっては、ピエロ・デッラ・フランチェスカとカルロ・クリヴェッリの地です。
小高い丘に、美しい中世の町並みが広がるこのあたり、観光客やバカンスの客も一カ所に集中することはないので、渋滞も人混みにもあうことがありません。
だから、お目当てのカルロ・クリヴェッリの「アスコリ・ピチェーノの祭壇画」も「聖母子像」も心ゆくまで眺めることができたのでした。
あれから一週間後に、まさかこのような悲劇が襲うなんて想像もしていませんでした。

地震の前日、眼下にローマを見渡せる我が家のバルコニーからは、乾いた空気のためかローマ中で頻発している火事がいくつも見えました。バカンス中は涼しい夏だったのに、8月も後半になって蒸し暑く、山の上の我が家でも午後は暑い日差しにあえいでいました。
子供たちを遊ばせるために我が家に遊びに来ていた友人は、ナポリ出身の旦那さんが1980年に大きな地震にあったことを話していたのですが、あれも予兆だったんでしょうか。

被害にあって亡くなった人の数も増え続けている今、文化遺産について語ることは不謹慎かもしれません。
が、教会や美術品はときにはそれに強い思いを抱く人にとっては心のよりどころとなります。
地震の被害にあった街の、美術品が受けた損傷についての記事がありましたのでそれを書いてみます。



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キリストと聖ヨハネ

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14世紀の初頭、ジョットーがスクロヴェーニ礼拝堂に描いた「最後の晩餐」のシーン。聖ヨハネはキリストに抱きついています。これが、ヨハネとキリストの伝統的な構図だったようで、あるわあるわ、二人がいちゃいちゃしているシーンが。



夏休み二週目です。

先週は夫の発案で突然、カゼンティーノ国立公園、イーモラ、フォルリー、サン・マリーノを旅行してきました。
それについてはまた書きます。

今週は珍しく自宅でぐうたらしています。やらなくてはならない仕事がてんこ盛りなので、そうそうのんびりしていられないのですが、夫も娘もいる家のなかでは耳栓でもしない限り仕事に集中できません。
今朝も家族で朝寝坊をし、バカを言いながらのんびり朝食をしました。
そのときの話題です。

ヴィットーリオ・ズガルビ ( Vittorio Sgarbi ) という美術評論家がいます。
イタリア在住の日本人には非常に評判の悪い評論家で、しょっちゅうテレビに登場しては問題発言ばかりしている下品な男です。
こんな下品な男が崇高なる美術を語ったら、日本だったらとんでもないスキャンダルになるでしょう。が、言動は下品でも彼はフェデリーコ・ゼーリとも仕事をしていたほど美術史家としては一流の人で、この下品さで美術を語れるのもイタリアならでは、という気がします。
私が好きなフィリップ・ダヴェーリオは、醜男ですが下品ではありません。が、独特のユーモアを交えつつ美術を語り、聞く側を笑わせることではスガルビも一緒です。

今朝、私たち夫婦がインターネットで見て大笑いしたスガルビの評論は、レオナルド・ダ・ヴィンチ作「最後の晩餐」についてでした。
直訳はとてもできません、下品すぎて。
でもおなかを抱えて大笑いしたのは事実です。
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友人が訳した「レオナルド本」が出版されました

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友人の真弓さんが翻訳された『レオナルド・ダ・ヴィンチの秘密』。実は私もこの本の出版にわずかにご縁があったんです。


実は先週一週間、インターネットがないまま過ごしました。
ネットが入りにくいな、と感じたのは先々週の金曜日。土曜日にはまったく通じなくなり、月曜日に夫がイタリア・テレコムに連絡したところ「非常に大規模な故障」という返事。なんでも、修理のための部品の到着を待ってからの修理開始になるとかで、毎朝電話しても「今日中に戻るかどうか・・・」という心許ない返事ばかり。夫は「その部品は中国から届くのか、それともブラジルからか?!」とテレコムに怒鳴っておりました。
我が家はケータイも入りにくく、ゆえに日本の母ともスカイプができず、イライラはつのるばかり。
が、先週も半ばになると「どうせイタリアだし」とあきらめがつき、ひたすら本を読んでアナログ生活をしておりました。娘も姑とバカンス中、夫はピサ大学に出張、私はまさに耽読生活でした。

ネットが戻ったのは先週の金曜日。実にまるまる一週間インターネットがない生活でした。
まあ、私もかなりパソコンに依存している身ですので、たまにはこんな生活もいいかと前向きに思うことにしております。

今日はある書籍の宣伝です。
この本の日本での出版には、実は私も少しばかりご縁があったんです。


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ボッティチェッリの二人のヴィーナス

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トリノのサバウダ美術館で9月18日まで公開中の二人のヴィーナス。ボッティチェッリとその工房作、ということになっています。双方とも、制作年は1490年。向かって左側がトリノのヴィーナス、右がベルリンのヴィーナス。双子みたいにそっくりさんですが、髪型が微妙に違うところがご愛敬。それにしても、ボッティチェッリはこのポーズが相当気に入っていたんですね。




皆様、大変ご無沙汰をしております。
最近は、更新のたびに冒頭にこのフレーズを載せなくてはいけないくらい、更新が間遠になってしまいました。
その理由は後で述べるとして、やはりこういうニュースを目にするとブログに書かずにはいられません。

ボッティッチェッリが1490年に描いたといわれる二枚のヴィーナスが、トリノで公開中とのこと。
一枚はトリノのサバウダ美術館 ( Galleria Sabauda ) 所蔵、そして今回初めてイタリアで公開された「姉妹」のヴィーナスはドイツのベルリン美術館 ( Gamaldegalerie ) 所蔵だそうです。



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コロンブスが書いた「アメリカ大陸発見」の手紙

コロンブス
1519年にセバスティアーノ・デル・ピオンボ ( Sebastiano del Piombo ) によって描かれたコロンブスの肖像画。


先日も申し上げた通り、仕事が立て込んでおりましてブログはほぼ休止状態です。
申し訳ございません。
今朝、ボローニャに出張した夫から「これは読んだほうがいいよ」というメッセージが。
なんと、コロンブスが「アメリカ発見」について触れた手紙が本日ローマでお目見えだそうです。
短い記事でしたので、仕事の合間にさらさらっと訳します。


フィレンツェから盗まれアメリカで見つかったコロンブス ( Cristoforo Colombo ) の手紙が本日、ローマで行われる会議に登場します。
コロンブスが「アメリカ大陸発見」について書いたといわれるこの手紙、本日11時からアンジェリカ図書館 ( Biblioteca Angelica ) において美術遺産保護部隊 ( Carabinieri per la Tutela del Patrimonio Culturale ) の隊長マリアーノ・モッサ ( Mariano Mossa ) 、文化財文化活動省大臣ダーリオ・フランチェスキーニ ( Dario Francheschini ) 、アメリカ合衆国大使ジョン・フィリップス ( John.R.Phillips ) 臨席のもと、公開されます。

この手紙は、1492年にコロンブスがアメリカ大陸を発見したことを受けて、本人が1493年に書いたものでその歴史的価値は計り知れないといわれています。

この会議の主催理由として、まず二国間の協力のもとに歴史的価値のあるものの調査が進められることの意義、文化遺産の不正取引の取り締まりの重要性、などがあげられており、文化遺産の保護について国境を越えて話し合う必要性を強調しているようです。


詳しいことはまだなにも発表されていません。
しかしいつ、フィレンツェからこんな歴史的価値のある手紙が盗まれたのでしょう。
しゃあしゃあと盗んでおきながら、「二国間の協力」などと言われてもなんだかしっくりこないお話ではあります。
また続報がありましたら記事にいたします。





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ヴェローナで盗まれた17作品、ウクライナで見つかる!

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ウクライナで無事保護された作品のひとつ、ティントレットの『サムソン』。そのほかにもルーベンス、マンテーニャ、ピサネッロなどなど大作が17作品も盗まれた歴史に残る盗難事件でした。



2015年11月19日にヴェローナで発生した盗難事件、一時は作品の帰還が絶望視されていましたが、なんと盗まれた17作品すべてがウクライナで発見されました。

実は今仕事が立て込んでいて、ブログはしばらく休止しようかと思っていたのですが、これを読まなくては寝ることなどできません。


それではいってみましょう。続きを読む

ヴァティカンで見よう 真夏の夜の夢

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ラッファエッロが1514年ごろに描いた『聖ペテロの釈放』。牢の外には月が見えて、天使たちが発する光が美しいこの作品は夜の情景です。このように美しい夜をヴァティカン美術館でお過ごしください、とヴァティカン美術館館長が述べております。


ヴァティカン美術館館長アントニオ・パオルッチ ( Antonio Paolucci ) は、5月6日から美術館の夜間開館を実施する、と発表しました。
ラッファエッロがが描いた『聖ペテロの釈放』のような美しい夜を、と記事にはありました。

詳しいところをお伝えいたします。

ヴァティカン美術館館長によるこのありがたいはからいは、5月6日からと7月29日まで、9月2日からと10月28日までの二回にわたって実施されます。
この期間は金曜日の夜に限り、ヴァティカン美術館は23時まで開館しているそうです。 ( 入場は21時30分まで ) 。
パオルッチ館長の意図は、なるべくローマ市民にこの機会を利用してヴァティカン美術館を訪れてほしいとのことで、地元でありながらなかなか長蛇の列に並んで入館する気が起こらないローマっ子へのプレゼント、といったところ。

さらに美術館では、サンタ・チェチーリア音楽院とイタリア国立音楽委員会( Comitato Nazionale Italiano Musica ) が提携しコンサートも行われます。
世界各国の音楽、ピアソラのタンゴからロシアの合唱、ジャズなどがヴァティカン美術館内グレゴリアーノ館 ( Museo Gregoriano Profano ) で演奏される予定。

「これを ( 夜間にヴァティカン美術館内で美術と音楽に触れること ) を幸福といわずしてなんというのでしょう?」とパオルッチ館長は語っています。







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炭化したパピルスの解読技術

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炭化してしまった巻物。これまでは炭化したパピルスは、細心の注意を持って一枚一枚はがしていかないと読めなかったんだそうです。それが、最新技術によりこのまま解読可能になりました。




本日のローマの新聞は、英国プレミアリーグのレスター優勝で埋まりました。
昨夜はローマ対ジェノアの試合もあったのに、そんなニュースはそっちのけでレスター優勝のニュースが新聞を埋めたのは、レスターの監督がローマ出身のクラウディオ・ラニエリであったからです。
ローマは下町テスタッチョの出身のラニエリ、過去にも監督としてかなりいいところまではいっていたのですが、リーグ優勝の経験はこれが初めて。レスターにとっても、クラブ創立132年目の快挙でした。
英語でのインタビューは、まるで喜劇俳優のようなのほほんとしたやり取りと独特の笑い声がほほえましいのですが、イタリア語になるとチャキチャキのローマ弁になります。
しかし、運にも才にも恵まれた今シーズンのラニエリ監督、いい顔をしているなあとインタビューを見ながら思いました。
彼は下町の肉屋の息子です。そして、レスターの優勝がかかっていたトッテナムとチェルシーの試合が行われていたころ、彼は96歳の母親に会いにイタリアに帰省中であった、というエピソードも人々に親しみを感じさせました。イギリスの新聞にも「マンマ・ミーア、ラニエリは優勝の可能性の瞬間はマンマを訪問中」と書かれていました。
というわけで、ラニエリの実家があるテスタッチョでも、彼の偉業をたたえたフェスタを企画中なんだとか。

話は飛んで。
新聞にも歴史雑誌にも載った少し前の記事です。
西暦79年に起きたヴェスビオ火山の大噴火で、周辺の町は火山灰に埋まりました。
その際、多くの書物も犠牲になりました。焼失はしなかったものの、火山灰の熱で炭化してしまった巻物の書物が、新しい技術により解読可能になるかも、というニュースです。
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今日は何の日 5月2日 レオナルド・ダ・ヴィンチの命日

leonardo autoritratto
本日はレオナルド・ダ・ヴィンチの命日です。1519年、67歳でフランスのアンボワーズで死去。亡くなる4年ほど前に描かれたとされるこの自画像は文句なしに美しいと思います。彼の才能は広範囲すぎて理解できませんが。





月曜日の私は忙しい。

週末に仕事をするので、月曜日は朝から家事に追われます。
本日5月2日がレオナルドの命日と知ったのは、買い物に行く車の中のラジオでした。
亡くなったのは1519年。67歳でした。
ラジオでは、レオナルドが書き残したといわれる一文を紹介していました。

La pittura è una poesia che si vede e non si sente, e la poesia è una pittura che si sente e non si vede.

「絵画とは、目で見る詩である。詩とは、耳で聞く絵画である」。

日本語にするとよけいに意味深長になるこの一文が、ラジオで聞いた後は頭から離れませんでした。

私は自分で絵は描きません。
なので、レオナルドの描いた絵はまったく根拠もなく眺めます。好きか嫌いか、といわれると絵画についてはあまり好きではありません。素描や彼が残した膨大な手稿は好きですが。

が、文章は私はシロウトでも書きます。
だから、レオナルドが書いた文章は、余韻として頭に残り色々なことを考えさせてくれます。
たしか、赤毛のアンも「ほら見て。私にはあそに詩が見えるわ」ときれいな景色を見て言うシーンがありました。まったく想像力のない友人のジェーンが、「アンの言っていることがわからない」とぼやくのが印象的でしたが。
レオナルドが創造したのは、なにも絵画や設計図だけなのではなく、文章も立派に作品になりうるのでしょう。
「どこから手をつけていいかわからない万能の天才」も、自分の趣味の分野からなら近寄れるかも、と思った本日でした。

それでは今から娘をプールに連れて行きます。









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ナチに強奪された3作品がミラノで見つかる

tre opere
70年ぶりに保護された3作品。左から、バルドヴィネッティ作『三位一体』、チーマ・ダ・コネリアーノ作『聖母子』、ジローラモ・ダイ・リーブリ作『キリストの割礼』。イタリアという国の所有ということになっているこの三点、居間に飾っていた二人は隠匿罪で取り調べを受けています。



イタリアから芸術作品を強奪したのはナポレオンだけではありません。
1944年、ナチの武装親衛隊 ( Waffen-SS ) はルッカ近郊の町からフェリックス・ボルボン=パルム公所有の美術品を盗み出していました。

戦後、フェリックス公が所有していたお宝の大半は元に戻ったのですが、今回見つかった3作品だけは行方不明になっておりました。

イタリア語の記事と英語の記事では伝えるところが微妙に違っておりますが、私はイタリア語の新聞記事を要約してみます。

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