ルネサンスのセレブたち

歴史・美術・本。ネクラな趣味に生きるローマ在住ジャッポネーゼ

和紙を貼られたピエロ・デッラ・フランチェスカの祭壇画

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ブレラ美術館の顔、ピエロ・デッラ・フランチェスカ作『モンテフェルトロの祭壇画』。イタリアを襲った大寒波で、ブレラ美術館の空調設備が故障、室温と湿度が下がってこれらの作品の絵の具の剥落が心配されています。絵の表面にベタベタ貼られているのは、日本の和紙です。

先週は、私にとって「イタリアのだらしなさ体感週間」でした。

滞在許可証の更新のために移民局に向かったのですが、あまりの乱雑ぶりに改めて唖然。
「外国人の奥さんなんてもらって後悔してるでしょ」と同伴していた夫をからかったら、「イタリア人であることを後悔するね」と憮然としていました。

そして、10日以上も前から我が町は断水に悩まされてきました。
大寒波到来のあと、町中の水道管が破裂し、水道から普通に水が出る状態に完全に戻ったのは数日前の日曜日の夜半です。街の半分以上が断続的な断水に悩まされた先週、市長のFBのアカウントは不平不満がこれでもかと書き込まれました。私はFBのアカウントだけではなく、サイトに設定されていた市長のメール、ローマ市、保険省、環境省にまでメールを送りました。そのうち、ローマ市のみから3日後くらいに返事がありましたが、「メールをありがとうございます。これからも我々のアカウントをよろしく!」みたいなノリで、私の怒りは火に油を注がれたかのごとくメラメラするばかり。
夫はそんな奥さんにおそれをなしていましたが、外国人の私でさえこれだけメールを送りまくってるんだからあなたもなんとかしなさいよ!とたきつけて、いくつかの新聞社に現状を送らせました。

市長がようやく重い腰を上げて、水道とエネルギー事業をつかさどるACEAに「個人的にも我慢がならん」と通知し、警察が介入した2日後くらいにようやく通常に戻りました。
私は今回のACEAのだらしなさを一生忘れません。できれば、物理的に抹消して欲しい、と過激な思いまで抱いております。
私が住む街は、街自体が古いのだから水道管が故障したり破裂したりするのは避けられないのです。市民が怒ったのは、水道の故障についてではなく、ACEAが現状も知らせず、打開策も出したのか出さないのかわからず、ひたすら沈黙していた点です。おまけにACEAが送ってきた給水車は、空なのかこれまた蛇口が凍結したのか、水も一滴も出ないまま今も広場に放置されています。とにかく、怒れる市民の神経を逆なですることしかしなかったのが、今回のACEAの対応でした。
というわけで、自宅と姑の家を行ったり来たりし、前触れもなく水が戻る数時間に家事をこなしシャワーをして、その間にも大嵐はくるわ、雪は降るわで、ヘロヘロになりました。

まあ、これだけサバイバルを経験すると、これから先なにが起こっても泰然としていられそうな度胸はつきましたけど(自慢になりません)。

しかし、寒波で大迷惑を被ったのは人間だけではないようです。
ブレラ美術館では、寒さのため空調がうまく機能せず、所蔵している美術品に被害を与えていると伝えています。続きを読む

流出するイタリアの国宝

flagellazione
1441年に、マエストロ・デッロセルヴァンツァがシエナ共和国の財務省の注文を受けて制作した、歳入歳出書の表紙。木製の板にテンペラで描かれています。遠近法が駆使されたこの美しい作品を、現代の研究者たちは口を揃えて、「1400年代中期の傑作」と呼んでいます。この小作品は、本来はシエナの古文書で保管されているはずでした。ところが2016年12月のサザビーズの競売に登場し、まれに見る高額で落札されました。イタリア政府は、またしても国宝級の史料をみすみす流出させてしまったことに頭を抱えています。




今朝起きたら、夫に「これは読んだほうがいいよ」といわれた記事です。

国外に流出するはずのない、国立古文書館の歴史的史料であり芸術品でもある作品が先日、ロンドンのサザビーズにかけられました。
この作品は、イタリアでも国宝級といわれるレベルのものであり、イタリア政府は競売の事実を知り青くなりました。が、サザビーズは、「作品は、100年もの間ドイツ人のコレクションであったのだから、競売には問題なし」と発表しています。

シエナ共和国の歴史の一部ともいえるこのお宝は、いったいどこに流れていくのでしょう。

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英雄たちの涙

Giotto,_strage_degli_innocenti,_lacrime
ジョットーが1305年頃にパドヴァのスクロヴェーニ礼拝堂に描いた『幼児虐殺』。子供を奪われて涙を流す母親の姿。



日本も寒いそうですが、欧州も寒波に襲われています。
普段は雪が降らないイタリア南部にも大雪にみまわれ、雪をかぶった美しい歴史建造物の写真が新聞にもアップされていました。
ローマは雪こそ降りませんでしたが、町中の噴水が凍りました。
我が町は、噴水だけではなく水道管も凍ってしまい、恒例の断水です。それだけなら気温が上がれば水が戻るはずなのに、戻ったかと思うとまた水が出なくなる、という状態を繰り返しています。街に張り巡らされた水道管があっちこっちで破裂して、石畳から水がわき出てそれがまた凍ってしまいます。
今日はわずかに気温が上がって道路の凍結も収束に向かっていますが、水道管の工事はあまりにあちこちで行われていて、もうなにがなんだかわかりません。給水車は今も街の広場に待機しているので、当分終わらないってことなんでしょうか。水が戻っても水圧は低くて、ヒヤヒヤしながら洗濯機を急いでまわし、食器を洗い、ちゃっちゃとシャワーをして、バスタブやバケツに水をためておく。なんだか非常時みたいな生活です。やれやれ。

買い物にでも出かけて凍結した坂道で転ばれたら目も当てられない、と夫は思っているらしく、「家で暖かくして本でも読んでれば?」というので、こういうことには素直な私はもっぱら本を読んだりドキュメンタリーを見たりしています。そうでもしていないと、イライラ感からは逃れられません。

美術のドキュメンタリーを見ていたら、中世のお堅い絵画から脱出したジョットーは「むき出しの歯」や「悲嘆の涙や雄叫び」をはじめて絵にした画家だと説明していました。

で、涙についてちょっと興味を持ちました。続きを読む

スウェーデンの片田舎で

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ホワイト・クリスマスを夢見て向かったスウェーデンですが、残念ながら雪が降ったのはクリスマスのあとでした。
Öregrund という田舎町で。これ、お昼ごろの光です。

 

昨年末、一週間ほどスウェーデンの田舎で過ごしてきました。

義弟のガブリエーレとそのパートナーのハンナは、彼女の出産のためにスウェーデンに滞在しており、クリスマスを一緒に過ごそうよと招待してくれたからです。
寒がりの私は、こんな機会でもないかぎり北国に行くことはないだろうと思い、思い切って行ってみることにしたのです。

一週間を過ごしたのは、ストックホルムから130キロの所にあるオストハンマルという人口5000人弱の小さな街です。
ハンナとガブリエーレは、ハンナの両親が住む家の敷地内にある一軒家に住んでいて、私たちのためそこから歩いて5分ほどのこれまた一軒家のベッド・アンド・ブレックファーストを借りておいてくれました。


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ローマ市の美術館キャンペーン広告のスキャンダル

natale nei musei
「冬の休暇は美術館で!」と呼びかけるローマ市のポスター。それぞれの絵画に添えられた一文は、なんと盗用であったことが判明しました。




皆様、あけましておめでとうございます。

以前のように書く時間が確保できず、書かなければ気力もなくなるという悪循環で、2016年の記事の更新はひどいものでした。
それでも読んでくださる方がいるというのはありがたいものです。

2016年の師走は、これまでになく慌ただしく過ぎまして、冬の休暇は義弟と彼のパートナーがいるスウェーデンの田舎で過ごしてきました。寒がりの私は自ら北欧に行こうなどとは思ったこともないのですが、義弟と彼女のあいだに可愛い男の子が生まれて、「ぜひ遊びに来て」とチケット代まで送られてきたので、彼女の実家があるオストハンマル ( Östhammar ) という小さな街で一週間を過ごしてきました。

出発前に夫が「石灰沈着性腱炎」なるものにかかり腕が動かせなくなる騒動があったり、娘の身分証明証の期限切れに気づいたのが出発前日であったりと、まったくバタバタと出発したのです。しかしスウェーデンに到着すればまだ1ヶ月を迎えたばかりの赤ちゃんがおり、午後の3時過ぎには日が暮れてしまう静かな彼の地の生活があり、まるで別世界に遊んできたようでした。

イタリアに戻り、大晦日は仕事。仕事のあとは新年を過ごす友達の家に直行し餃子を山のように作り、一晩を過ごして家に戻れば洗濯物の山です。
夫は今日から仕事に戻りましたが、風邪を引いた私はぐずぐずと過ごし、これまた山のような娘の宿題につきあっております。

以前のように新聞をがつがつと読むこともなくなってしまったのですが、美術関係の記事はやはり気になります。
醜聞から幕を開けた2017年ローマ美術広告のニュースです。


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地震におびえる中部イタリア

salviamo centro italia
地震の被害を受けたマテリカの市長の要請を受けて、中部イタリアを救うために画家や作家も思いを作品に託しています。その一つ、傷つけられ血を流すマルケ州の丘陵地帯。



8月にイタリア中部をおそった地震は、その後もやむことがなく、余震を繰り返していました。
ローマがふたたび地震に襲われたのは10月26日、夕方に二回、私は地震を感じましたが、夫も娘も「本当?」とのんきなものでした。
10月30日の朝、夏時間が終わりいつもより1時間多く寝たのんびりした日曜日、まるで地面が20センチくらい横にずれた?と思うような揺れに襲われ、のんきな夫も息を潜めました。
その後、とくに大きな余震はなく、私は仕事のために車でローマに向かいました。ローマの道は、もともと穴だらけです。運転中の揺れで、その後の余震は私も知りません。
ただ、町中に入ったとたん、道に人があふれていてびっくりしました。
地下鉄が止まっている、とすぐにわかったものの、日本と違い被害の状況や震源地がすぐに発表されるはずもありません。
時間が経つにつれて、被害の状況が明らかになってきました。
今回も、震源地はイタリア中部のアペニン山脈沿い、聖ベネデットの生地ノルチャが最も大きな被害を受けました。前回の地震では、過去の被災を生かして死者が出なかったノルチャ、今回も死者こそ出なかったものの、中世以来伝わる文化遺産が大きな被害を受けたことがニュースで伝えられています。

8月の地震とそれに続く余震で、中部イタリアの文化遺産の被害は、文化財・文化活動省に報告されたものだけで三千件に及びました。10月30日の地震により、さらに二千件の被害が報告されるであろうと文化活動省は頭を抱えています。

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栗祭り終了+雑記+ポンペイの遺跡、車いす用の見学コースが完成のニュース

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普段は静かな街もごらんの通り。それでも、例年よりは人出は少なめでした。


ポンペイのニュースもちょこっと書いていますが、今回は本当にくだらない内容です。

ロッカ・ディ・パーパの栗祭りが終わりました。
ここ数年、ロッカの栗の木は寄生虫の被害がひどく、栗祭りで振る舞われる栗はほかの街から購入しているというヘンな状況が続いております。
ようやく、昨年から寄生虫退治対策がはじまり ( 寄生虫をやっつける別の虫を森に放つのだそうです ) 、栗の収穫量がわずかに上昇したそうです。

ところが、イタリア全体では新たに栗の木に寄生虫が発生しており、今年の秋の栗の収穫量が激減しました。
カンパーニア州では、中国から運び込まれたというこの寄生虫のせいで、90%の栗が収穫できない危機的な状況なんだそうです。
赤ワインを飲みながら暖炉やオーブンで炒った栗を食べるのは、イタリアでは秋から冬にかけての風物詩です。が、この状況では、栗は庶民の手には届きにくいものになりそうでつらいです。
ロッカ・ディ・パーパは、以前にも書きましたが、貧しかった時代に栗の粉でパンを焼いていたので、山は栗の木で覆われています。歩いていると、頭上から栗のいがが落ちてくることもあり危険なほどです。
町の代名詞ともいえる栗が、わずかでも寄生虫から救われつつあるのは我が町には朗報ですが、イタリア各地の栗も迅速に寄生虫から救われてほしいものです。


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ジョヴァンニ・ベッリーニ 500年忌


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ナポリのカーポディモンテ美術館より、ヴィチェンツァに貸し出されているジョヴァンニ・ベッリーニ作『キリストの変容』。本来は、ヴィチェンツァのドゥオモを飾っていた作品です。ベッリーニの500年忌を記念して、400年ぶりの里帰りをしました。手前に描かれた木の柵に白い紙が貼られています。ここに、「IOANNES BELLI/NUS ME PINXIT」というベッリーニのサインがあります。


皆様、お元気でいらっしゃいますか。

最近は家でも仕事が増えて、さらに9月にはじまった娘の小学校はまだバタバタしており、毎日があっというまに過ぎていきます。
娘の誕生日が終わったと思ったら、日本人学校のバザー、今週末はロッカ・ディ・パーパの栗祭りです。
学校が始まってもう1ヶ月以上経っているのに、娘と級友の教科書がまだ入荷しません。出版社は、「在庫がない」の一点張り。夫はかっかして、出版社に直接電話をかけ、再版の予定がないのなら出版社に保管されてるオリジナルを学校まで持ってこい!と、出張先のミラノの地下鉄の中で叫んだそうです。
来週は先生と父兄の懇談会があります。クラスの父兄代表を決める投票があるのですが、ウチの夫はやる気満々で、来週もスポレートの出張を一日早めて父兄会に参加する、と言っています。モンスターペアレンツにならなきゃいいが・・・と私はとても不安です。
母親の私はというと、幼稚園とおさらばし小学校の新しいママたちと新たな関係を作らねばならず、人見知りが強い私にはかなりの苦行。というわけで、第一回目の懇談会も夫が出席しました。担任の先生は、1ヶ月も経てば18人の子供の個性くらいはわかるらしく、夫に「あなたの娘はtenace だ」と言ったそうです。「tenace ってどういう意味?」と、思わず食卓で辞書をとろうとした私に、娘は「ママ、『諦めない』ことだよ」と教えてくれました。あとでこっそり辞書を引いたら、tenace とは「粘着力のある、強靱な、頑固な」という意味でした。これを小学生風に意訳すると、「あきらめない」という意味なのでしょう。先生の評は確かに、娘の性格を言い得て妙です ( 誰に似たのだ? )。

昨日、仕事が一段落しました。
とはいえ、読まなくれはいけない本は山積みですし、契約中の仕事もまだあるのですが、とりあえず今日は一休みでした。
というわけで、久々に美術ニュースです。
今年は、ヴェネツィアの巨匠ジョヴァンニ・ベッリーニ ( Giovanni Bellini ) の500年忌なんだそうです。
それを記念して、生前にベッリーニがヴィチェンツァの街のために描いた作品が、『高名なる客人たち ( Ospite Illustre ) 』と称したイベントに参加中です。

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病名がつく前に病を発見していたマンテーニャ

camera degli sposi
アンドレア・マンテーニャの傑作『婚礼の間』のフレスコ画。この絵のなかに、まだ病名もないある病気を持った人物が描かれているのです。その人はどこにいるのでしょう。 ( Mantova, Palazzo Ducale, 1465-1474 )


ご無沙汰をしております。

この月曜日から娘が小学校に上がりました。
車での送り迎えは運転が苦手な私には苦行でして、一週間でヘロヘロに疲れてしまいました。
イタリアの小学校は、入ってみないと準備するものさえわかりません。
というわけで、小学校に上がったとたんに必要なものを買いそろえるためにバタバタと毎日が過ぎ、親のほうがばてています。
イタリアの小学校は親の送り迎えが義務です。学校が終わる時間には、親たちの車がいっせいに学校を目指し、駐車スペースの争奪戦が始まります。イタリアでは必須の縦列駐車ができない私は、もう覚悟を決めて学校が終わる30分以上前に学校に到着し、車のなかで仕事をすることに決めました。夫には、「マジ?」と言われましたが、イライラと駐車スペースを探して事故をするよりはこのほうがよっぽど気が楽というものです。

仕事も山積みで、ここしばらくブログも書いていなかったのですが、今日仕事から帰ってきたら夫が「たまにはブログも書いたら?」と教えてくれたのがこの記事。
マンテーニャと聞けば、私も放ってはおけません。
短い記事でしたので、久々の更新です。

マントヴァで活躍したマンテーニャが、ある病気の病名がつく80年も前に、その症状を絵画に残していた、というニュースです。

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イタリア中部地震と文化遺産の被害

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このクリヴェッリを見に、先週は私たちはアスコリ・ピチェーノにいました。一週間後に地震がこの地を襲うことなど夢にも思わないまま。




ローマで揺れを感じたのは、二日前の夜でした。
私は絶えて久しく経験したことのない地震の揺れにびっくりしてとび起き、「これ、地震だよ!」と叫んだのですが、地震の経験がほぼ皆無の夫は「まさか」と言って当初は信じず、ラジオを入れてようやく納得。
書棚から本が一冊落ちただけの揺れでしたが、静岡育ちで地震は人一倍怖い私はその後まんじりともしませんでした。
1時間後、さらに軽い揺れがありましたが、ローマはその程度だったのです。

ところが朝起きて、その被害の大きさにびっくりしました。
被害は大きくなるばかりで、毎日ニュースを見るのがつらいです。
しかも我が家は先週、地震の被害が大きかったマルケ州を旅行中でした。例によって計画などまったく立てず、マルケのアスコリ・ピチェーノ ( Ascoli Piceno ) でカルロ・クリヴェッリの作品を見たかったこと、イル・ファット・クオティディアーノ紙で紹介されていた「食のヒーローたち」のオリーヴェ・アスコラーナを食べたかった、それが理由でした。

マルケ州は、アドリア海に面して背後には山を控えている風光明媚の地です。
私にとっては、ピエロ・デッラ・フランチェスカとカルロ・クリヴェッリの地です。
小高い丘に、美しい中世の町並みが広がるこのあたり、観光客やバカンスの客も一カ所に集中することはないので、渋滞も人混みにもあうことがありません。
だから、お目当てのカルロ・クリヴェッリの「アスコリ・ピチェーノの祭壇画」も「聖母子像」も心ゆくまで眺めることができたのでした。
あれから一週間後に、まさかこのような悲劇が襲うなんて想像もしていませんでした。

地震の前日、眼下にローマを見渡せる我が家のバルコニーからは、乾いた空気のためかローマ中で頻発している火事がいくつも見えました。バカンス中は涼しい夏だったのに、8月も後半になって蒸し暑く、山の上の我が家でも午後は暑い日差しにあえいでいました。
子供たちを遊ばせるために我が家に遊びに来ていた友人は、ナポリ出身の旦那さんが1980年に大きな地震にあったことを話していたのですが、あれも予兆だったんでしょうか。

被害にあって亡くなった人の数も増え続けている今、文化遺産について語ることは不謹慎かもしれません。
が、教会や美術品はときにはそれに強い思いを抱く人にとっては心のよりどころとなります。
地震の被害にあった街の、美術品が受けた損傷についての記事がありましたのでそれを書いてみます。



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