ルネサンスのセレブたち

歴史・美術・本。ネクラな趣味に生きるローマ在住ジャッポネーゼ

地震におびえる中部イタリア

salviamo centro italia
地震の被害を受けたマテリカの市長の要請を受けて、中部イタリアを救うために画家や作家も思いを作品に託しています。その一つ、傷つけられ血を流すマルケ州の丘陵地帯。



8月にイタリア中部をおそった地震は、その後もやむことがなく、余震を繰り返していました。
ローマがふたたび地震に襲われたのは10月26日、夕方に二回、私は地震を感じましたが、夫も娘も「本当?」とのんきなものでした。
10月30日の朝、夏時間が終わりいつもより1時間多く寝たのんびりした日曜日、まるで地面が20センチくらい横にずれた?と思うような揺れに襲われ、のんきな夫も息を潜めました。
その後、とくに大きな余震はなく、私は仕事のために車でローマに向かいました。ローマの道は、もともと穴だらけです。運転中の揺れで、その後の余震は私も知りません。
ただ、町中に入ったとたん、道に人があふれていてびっくりしました。
地下鉄が止まっている、とすぐにわかったものの、日本と違い被害の状況や震源地がすぐに発表されるはずもありません。
時間が経つにつれて、被害の状況が明らかになってきました。
今回も、震源地はイタリア中部のアペニン山脈沿い、聖ベネデットの生地ノルチャが最も大きな被害を受けました。前回の地震では、過去の被災を生かして死者が出なかったノルチャ、今回も死者こそ出なかったものの、中世以来伝わる文化遺産が大きな被害を受けたことがニュースで伝えられています。

8月の地震とそれに続く余震で、中部イタリアの文化遺産の被害は、文化財・文化活動省に報告されたものだけで三千件に及びました。10月30日の地震により、さらに二千件の被害が報告されるであろうと文化活動省は頭を抱えています。

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栗祭り終了+雑記+ポンペイの遺跡、車いす用の見学コースが完成のニュース

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普段は静かな街もごらんの通り。それでも、例年よりは人出は少なめでした。


ポンペイのニュースもちょこっと書いていますが、今回は本当にくだらない内容です。

ロッカ・ディ・パーパの栗祭りが終わりました。
ここ数年、ロッカの栗の木は寄生虫の被害がひどく、栗祭りで振る舞われる栗はほかの街から購入しているというヘンな状況が続いております。
ようやく、昨年から寄生虫退治対策がはじまり ( 寄生虫をやっつける別の虫を森に放つのだそうです ) 、栗の収穫量がわずかに上昇したそうです。

ところが、イタリア全体では新たに栗の木に寄生虫が発生しており、今年の秋の栗の収穫量が激減しました。
カンパーニア州では、中国から運び込まれたというこの寄生虫のせいで、90%の栗が収穫できない危機的な状況なんだそうです。
赤ワインを飲みながら暖炉やオーブンで炒った栗を食べるのは、イタリアでは秋から冬にかけての風物詩です。が、この状況では、栗は庶民の手には届きにくいものになりそうでつらいです。
ロッカ・ディ・パーパは、以前にも書きましたが、貧しかった時代に栗の粉でパンを焼いていたので、山は栗の木で覆われています。歩いていると、頭上から栗のいがが落ちてくることもあり危険なほどです。
町の代名詞ともいえる栗が、わずかでも寄生虫から救われつつあるのは我が町には朗報ですが、イタリア各地の栗も迅速に寄生虫から救われてほしいものです。


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ジョヴァンニ・ベッリーニ 500年忌


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ナポリのカーポディモンテ美術館より、ヴィチェンツァに貸し出されているジョヴァンニ・ベッリーニ作『キリストの変容』。本来は、ヴィチェンツァのドゥオモを飾っていた作品です。ベッリーニの500年忌を記念して、400年ぶりの里帰りをしました。手前に描かれた木の柵に白い紙が貼られています。ここに、「IOANNES BELLI/NUS ME PINXIT」というベッリーニのサインがあります。


皆様、お元気でいらっしゃいますか。

最近は家でも仕事が増えて、さらに9月にはじまった娘の小学校はまだバタバタしており、毎日があっというまに過ぎていきます。
娘の誕生日が終わったと思ったら、日本人学校のバザー、今週末はロッカ・ディ・パーパの栗祭りです。
学校が始まってもう1ヶ月以上経っているのに、娘と級友の教科書がまだ入荷しません。出版社は、「在庫がない」の一点張り。夫はかっかして、出版社に直接電話をかけ、再版の予定がないのなら出版社に保管されてるオリジナルを学校まで持ってこい!と、出張先のミラノの地下鉄の中で叫んだそうです。
来週は先生と父兄の懇談会があります。クラスの父兄代表を決める投票があるのですが、ウチの夫はやる気満々で、来週もスポレートの出張を一日早めて父兄会に参加する、と言っています。モンスターペアレンツにならなきゃいいが・・・と私はとても不安です。
母親の私はというと、幼稚園とおさらばし小学校の新しいママたちと新たな関係を作らねばならず、人見知りが強い私にはかなりの苦行。というわけで、第一回目の懇談会も夫が出席しました。担任の先生は、1ヶ月も経てば18人の子供の個性くらいはわかるらしく、夫に「あなたの娘はtenace だ」と言ったそうです。「tenace ってどういう意味?」と、思わず食卓で辞書をとろうとした私に、娘は「ママ、『諦めない』ことだよ」と教えてくれました。あとでこっそり辞書を引いたら、tenace とは「粘着力のある、強靱な、頑固な」という意味でした。これを小学生風に意訳すると、「あきらめない」という意味なのでしょう。先生の評は確かに、娘の性格を言い得て妙です ( 誰に似たのだ? )。

昨日、仕事が一段落しました。
とはいえ、読まなくれはいけない本は山積みですし、契約中の仕事もまだあるのですが、とりあえず今日は一休みでした。
というわけで、久々に美術ニュースです。
今年は、ヴェネツィアの巨匠ジョヴァンニ・ベッリーニ ( Giovanni Bellini ) の500年忌なんだそうです。
それを記念して、生前にベッリーニがヴィチェンツァの街のために描いた作品が、『高名なる客人たち ( Ospite Illustre ) 』と称したイベントに参加中です。

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病名がつく前に病を発見していたマンテーニャ

camera degli sposi
アンドレア・マンテーニャの傑作『婚礼の間』のフレスコ画。この絵のなかに、まだ病名もないある病気を持った人物が描かれているのです。その人はどこにいるのでしょう。 ( Mantova, Palazzo Ducale, 1465-1474 )


ご無沙汰をしております。

この月曜日から娘が小学校に上がりました。
車での送り迎えは運転が苦手な私には苦行でして、一週間でヘロヘロに疲れてしまいました。
イタリアの小学校は、入ってみないと準備するものさえわかりません。
というわけで、小学校に上がったとたんに必要なものを買いそろえるためにバタバタと毎日が過ぎ、親のほうがばてています。
イタリアの小学校は親の送り迎えが義務です。学校が終わる時間には、親たちの車がいっせいに学校を目指し、駐車スペースの争奪戦が始まります。イタリアでは必須の縦列駐車ができない私は、もう覚悟を決めて学校が終わる30分以上前に学校に到着し、車のなかで仕事をすることに決めました。夫には、「マジ?」と言われましたが、イライラと駐車スペースを探して事故をするよりはこのほうがよっぽど気が楽というものです。

仕事も山積みで、ここしばらくブログも書いていなかったのですが、今日仕事から帰ってきたら夫が「たまにはブログも書いたら?」と教えてくれたのがこの記事。
マンテーニャと聞けば、私も放ってはおけません。
短い記事でしたので、久々の更新です。

マントヴァで活躍したマンテーニャが、ある病気の病名がつく80年も前に、その症状を絵画に残していた、というニュースです。

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イタリア中部地震と文化遺産の被害

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このクリヴェッリを見に、先週は私たちはアスコリ・ピチェーノにいました。一週間後に地震がこの地を襲うことなど夢にも思わないまま。




ローマで揺れを感じたのは、二日前の夜でした。
私は絶えて久しく経験したことのない地震の揺れにびっくりしてとび起き、「これ、地震だよ!」と叫んだのですが、地震の経験がほぼ皆無の夫は「まさか」と言って当初は信じず、ラジオを入れてようやく納得。
書棚から本が一冊落ちただけの揺れでしたが、静岡育ちで地震は人一倍怖い私はその後まんじりともしませんでした。
1時間後、さらに軽い揺れがありましたが、ローマはその程度だったのです。

ところが朝起きて、その被害の大きさにびっくりしました。
被害は大きくなるばかりで、毎日ニュースを見るのがつらいです。
しかも我が家は先週、地震の被害が大きかったマルケ州を旅行中でした。例によって計画などまったく立てず、マルケのアスコリ・ピチェーノ ( Ascoli Piceno ) でカルロ・クリヴェッリの作品を見たかったこと、イル・ファット・クオティディアーノ紙で紹介されていた「食のヒーローたち」のオリーヴェ・アスコラーナを食べたかった、それが理由でした。

マルケ州は、アドリア海に面して背後には山を控えている風光明媚の地です。
私にとっては、ピエロ・デッラ・フランチェスカとカルロ・クリヴェッリの地です。
小高い丘に、美しい中世の町並みが広がるこのあたり、観光客やバカンスの客も一カ所に集中することはないので、渋滞も人混みにもあうことがありません。
だから、お目当てのカルロ・クリヴェッリの「アスコリ・ピチェーノの祭壇画」も「聖母子像」も心ゆくまで眺めることができたのでした。
あれから一週間後に、まさかこのような悲劇が襲うなんて想像もしていませんでした。

地震の前日、眼下にローマを見渡せる我が家のバルコニーからは、乾いた空気のためかローマ中で頻発している火事がいくつも見えました。バカンス中は涼しい夏だったのに、8月も後半になって蒸し暑く、山の上の我が家でも午後は暑い日差しにあえいでいました。
子供たちを遊ばせるために我が家に遊びに来ていた友人は、ナポリ出身の旦那さんが1980年に大きな地震にあったことを話していたのですが、あれも予兆だったんでしょうか。

被害にあって亡くなった人の数も増え続けている今、文化遺産について語ることは不謹慎かもしれません。
が、教会や美術品はときにはそれに強い思いを抱く人にとっては心のよりどころとなります。
地震の被害にあった街の、美術品が受けた損傷についての記事がありましたのでそれを書いてみます。



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キリストと聖ヨハネ

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14世紀の初頭、ジョットーがスクロヴェーニ礼拝堂に描いた「最後の晩餐」のシーン。聖ヨハネはキリストに抱きついています。これが、ヨハネとキリストの伝統的な構図だったようで、あるわあるわ、二人がいちゃいちゃしているシーンが。



夏休み二週目です。

先週は夫の発案で突然、カゼンティーノ国立公園、イーモラ、フォルリー、サン・マリーノを旅行してきました。
それについてはまた書きます。

今週は珍しく自宅でぐうたらしています。やらなくてはならない仕事がてんこ盛りなので、そうそうのんびりしていられないのですが、夫も娘もいる家のなかでは耳栓でもしない限り仕事に集中できません。
今朝も家族で朝寝坊をし、バカを言いながらのんびり朝食をしました。
そのときの話題です。

ヴィットーリオ・ズガルビ ( Vittorio Sgarbi ) という美術評論家がいます。
イタリア在住の日本人には非常に評判の悪い評論家で、しょっちゅうテレビに登場しては問題発言ばかりしている下品な男です。
こんな下品な男が崇高なる美術を語ったら、日本だったらとんでもないスキャンダルになるでしょう。が、言動は下品でも彼はフェデリーコ・ゼーリとも仕事をしていたほど美術史家としては一流の人で、この下品さで美術を語れるのもイタリアならでは、という気がします。
私が好きなフィリップ・ダヴェーリオは、醜男ですが下品ではありません。が、独特のユーモアを交えつつ美術を語り、聞く側を笑わせることではスガルビも一緒です。

今朝、私たち夫婦がインターネットで見て大笑いしたスガルビの評論は、レオナルド・ダ・ヴィンチ作「最後の晩餐」についてでした。
直訳はとてもできません、下品すぎて。
でもおなかを抱えて大笑いしたのは事実です。
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友人が訳した「レオナルド本」が出版されました

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友人の真弓さんが翻訳された『レオナルド・ダ・ヴィンチの秘密』。実は私もこの本の出版にわずかにご縁があったんです。


実は先週一週間、インターネットがないまま過ごしました。
ネットが入りにくいな、と感じたのは先々週の金曜日。土曜日にはまったく通じなくなり、月曜日に夫がイタリア・テレコムに連絡したところ「非常に大規模な故障」という返事。なんでも、修理のための部品の到着を待ってからの修理開始になるとかで、毎朝電話しても「今日中に戻るかどうか・・・」という心許ない返事ばかり。夫は「その部品は中国から届くのか、それともブラジルからか?!」とテレコムに怒鳴っておりました。
我が家はケータイも入りにくく、ゆえに日本の母ともスカイプができず、イライラはつのるばかり。
が、先週も半ばになると「どうせイタリアだし」とあきらめがつき、ひたすら本を読んでアナログ生活をしておりました。娘も姑とバカンス中、夫はピサ大学に出張、私はまさに耽読生活でした。

ネットが戻ったのは先週の金曜日。実にまるまる一週間インターネットがない生活でした。
まあ、私もかなりパソコンに依存している身ですので、たまにはこんな生活もいいかと前向きに思うことにしております。

今日はある書籍の宣伝です。
この本の日本での出版には、実は私も少しばかりご縁があったんです。


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ボッティチェッリの二人のヴィーナス

due venere
トリノのサバウダ美術館で9月18日まで公開中の二人のヴィーナス。ボッティチェッリとその工房作、ということになっています。双方とも、制作年は1490年。向かって左側がトリノのヴィーナス、右がベルリンのヴィーナス。双子みたいにそっくりさんですが、髪型が微妙に違うところがご愛敬。それにしても、ボッティチェッリはこのポーズが相当気に入っていたんですね。




皆様、大変ご無沙汰をしております。
最近は、更新のたびに冒頭にこのフレーズを載せなくてはいけないくらい、更新が間遠になってしまいました。
その理由は後で述べるとして、やはりこういうニュースを目にするとブログに書かずにはいられません。

ボッティッチェッリが1490年に描いたといわれる二枚のヴィーナスが、トリノで公開中とのこと。
一枚はトリノのサバウダ美術館 ( Galleria Sabauda ) 所蔵、そして今回初めてイタリアで公開された「姉妹」のヴィーナスはドイツのベルリン美術館 ( Gamaldegalerie ) 所蔵だそうです。



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コロンブスが書いた「アメリカ大陸発見」の手紙

コロンブス
1519年にセバスティアーノ・デル・ピオンボ ( Sebastiano del Piombo ) によって描かれたコロンブスの肖像画。


先日も申し上げた通り、仕事が立て込んでおりましてブログはほぼ休止状態です。
申し訳ございません。
今朝、ボローニャに出張した夫から「これは読んだほうがいいよ」というメッセージが。
なんと、コロンブスが「アメリカ発見」について触れた手紙が本日ローマでお目見えだそうです。
短い記事でしたので、仕事の合間にさらさらっと訳します。


フィレンツェから盗まれアメリカで見つかったコロンブス ( Cristoforo Colombo ) の手紙が本日、ローマで行われる会議に登場します。
コロンブスが「アメリカ大陸発見」について書いたといわれるこの手紙、本日11時からアンジェリカ図書館 ( Biblioteca Angelica ) において美術遺産保護部隊 ( Carabinieri per la Tutela del Patrimonio Culturale ) の隊長マリアーノ・モッサ ( Mariano Mossa ) 、文化財文化活動省大臣ダーリオ・フランチェスキーニ ( Dario Francheschini ) 、アメリカ合衆国大使ジョン・フィリップス ( John.R.Phillips ) 臨席のもと、公開されます。

この手紙は、1492年にコロンブスがアメリカ大陸を発見したことを受けて、本人が1493年に書いたものでその歴史的価値は計り知れないといわれています。

この会議の主催理由として、まず二国間の協力のもとに歴史的価値のあるものの調査が進められることの意義、文化遺産の不正取引の取り締まりの重要性、などがあげられており、文化遺産の保護について国境を越えて話し合う必要性を強調しているようです。


詳しいことはまだなにも発表されていません。
しかしいつ、フィレンツェからこんな歴史的価値のある手紙が盗まれたのでしょう。
しゃあしゃあと盗んでおきながら、「二国間の協力」などと言われてもなんだかしっくりこないお話ではあります。
また続報がありましたら記事にいたします。





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ヴェローナで盗まれた17作品、ウクライナで見つかる!

tintoretto
ウクライナで無事保護された作品のひとつ、ティントレットの『サムソン』。そのほかにもルーベンス、マンテーニャ、ピサネッロなどなど大作が17作品も盗まれた歴史に残る盗難事件でした。



2015年11月19日にヴェローナで発生した盗難事件、一時は作品の帰還が絶望視されていましたが、なんと盗まれた17作品すべてがウクライナで発見されました。

実は今仕事が立て込んでいて、ブログはしばらく休止しようかと思っていたのですが、これを読まなくては寝ることなどできません。


それではいってみましょう。続きを読む
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