panettone
イタリアのクリスマスの代表するお菓子といえばこれ、パネットーネ。その起源はミラノにありました。



ここのところよい天気が続いています。
それなのに一家で風邪を引いて、別に熱が出るわけではないのですが、家族三人で咳と鼻水に悩んでいます。

訳したい記事はいずれも大特集か、ページ数の多い項目になり、師走のあわただしさの中で訳す気分にもなれないので、今日はお手軽な記事からです。( 夫には、君って言い訳辞典みたいだねといわれるのですが、いつもいいわけばかりですみません )。

クリスマスが近づくと、イタリア中のスーパーや食材店にパネットーネ ( Panettone ) とパンドーロ ( Pandoro ) という箱入りのお菓子が並びだします。
パネットーネには干し果物などが入っているので、それがあまり好きではない私はシンプルなパンドーロのほうを好みますが、そのふわふわした食感はあまり外出をしないゆえクリスマスの雰囲気を堪能しているとはいえない私にも、ああ12月だなあという感慨を覚えさせてくれます。

というわけで、今日はこのパネットーネとパンドーロの歴史から。
いずれもインターネットで拾った記事ですので、裏づけは十全ではございませんが。

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パネットーネが生まれたのは、スフォルツァ家統治下のミラノだといわれています。一説では、時の権力者ルドヴィーコ・イル・モーロが催したクリスマスの晩餐会での「けがの功名」であった模様。

まずは、その売り上げではパンドーロをしのぐだろうと思われるイタリアのクリスマスのシンボルでもあるパネットーネからです。
こちらは調べるとミラノに起源を持つお菓子でした。
その歴史は古く、生まれたのはミラノ公爵ルドヴィーコ・イル・モーロ ( Ludovico Maria Sforza detto il Moro ) の時代といいますから16世紀にさかのぼります。
ローマにすむ私にはその発音はよくわからないのですが、ミラノの方言では「 panaton 」とか「 panatton 」と呼ばれて親しまれてきたそうです。

典型的なパネットーネの大きさは、高さが30センチほどのクーポラ型をしています。
材料は、水、小麦粉、バター、卵、砂糖、オレンジとシトロンの皮の干したもの、干しブドウで、現在においても500年前とほぼ同じレシピが使われています。
かつては900にも及ぶパン屋さんやお菓子屋さんで、そのレシピを使ったパネットーネが売られていたそうです。大量生産する大企業のパネットーネが幅を利かせているとはいえ、現代のミラノにおいても多くのパン職人たちが伝統的なパネットーネを作り販売し、その伝統を守っているそうです。
2005年に発布された法令では、「パネットーネ」と名乗るには材料についてもその分量を厳守することが決められています。

パネットーネ誕生の伝説はいろいろあるようですが、以下の二つが特に信憑性が高いものとしてミラノに伝わっています。

ひとつめ。

ミラノの郊外コントラーダ・デッレ・グラツィエ ( Contrada delle Grazie ) というところに、鷹匠のウゲット・デッリ・アテッラーニ ( Ughetto degli Atellani ) という人が住んでいました ( メッセールの敬称つきなのである程度の教養がある人だったと思われます ) 。
この人が、パン屋の美しい娘アルジーサ ( Algisa ) に恋をし、彼女に近づくためにその父であるパン屋の元に弟子入りしました。彼のおかげでパンの売り上げが大変伸び、さらに彼は新しいお菓子を考案することにしました。
それは、真っ白な小麦粉に卵、バター、蜂蜜、干しブドウをこねて焼いたもので、このお菓子は大評判になります。ミラノ中の人がこのお菓子を買い求めたそうで、若い二人は後に結婚し幸せに暮らしました、というおとぎ話。

ふたつめ。

ミラノ公爵ルドヴィーコ・イル・モーロ付のコックは、ある年のクリスマス、公爵が高名な貴族たちばかりを招いた晩餐会の食事を担当しました。あまりの忙しさで、窯に入れていたお菓子のことを忘れていたので、お菓子は焼け焦げてしまいました。コックが絶望するのを見て、皿洗いの少年トーニ ( Toni ) がこう言います。
「食料庫に残っていた小麦粉とバターと卵、シトロンの皮、干しブドウを使って、今朝私はお菓子を焼いたんです。よろしかったらそれを供されたらどうでしょう」。
コックは背に腹はかえられぬ、とばかりにそのお菓子をテーブルに運びましたが、お客様の反応が怖ろしく、カーテンに隠れて晩餐会の様子を震えながら見ていました。
お客たちはこのお菓子のおいしさに驚き、公爵にお菓子の名前を尋ねました。コックはすかさず、「トーニが作ったお菓子です ( L'è 'l pan del Toni ) 」と答えました。
これがパネットーネ ( Panettone ) の名前の由来といわれています。

二つ目のほうが話の収まりとしてはすっきりしますね。

また、18世紀のイタリアの哲学者で歴史家でもあったピエトロ・ヴェッリ ( Pietro Verri ) は、9世紀のミラノにはクリスマスの時期に暖炉を囲んだ家族が家長から大きなパンをちぎって一口ずつ与えられる、という風習があったと書いていて、これもかんぐればパネットーネの先祖といえそう。
さらに15世紀のパン職人組合の規則によると、貧しい人々が普段食する粟やキビの粉を使ったパン ( pan de mij ) を作る職人たちは、身分が高い人用の白い小麦粉を作ったパン ( pane micca ) を焼くことは禁止されていました。
唯一、クリスマスの日のみ、身分の上下に関係なく同じパンを食べることができたそうで、これはパン屋さんから貧しい人々へのプレゼントでした。そのパンこそがパネットーネで、小麦粉、バター、蜂蜜、干しブドウが材料でした。人々はこのパンを、「 pan di scior 」とか「 pan de ton 」と呼んでいたそうです。

というわけで古くからミラノに根付いていたこのパネットーネ、ミラノの支配者がイタリア人からオーストリア人に代わっても変わることはなかったそうで、クリスマスにはミラノの行政長官がメッテルニッヒ ( Metternich ) にパネットーネを贈ったという記録も残るほか、ミラノ出身の詩人たちもこのパネットーネのことをうたっているそうです。


pandoro
パンドーロ。粉砂糖は食べる寸前にまぶします。最近はこのパンドーロにチョコレートが入っていたりしますが、やはりシンプルなものがおいしい。

さて私の大好きなパンドーロのほうですが、その誕生はヴェローナ ( Verona ) といわれていますが、パネットーネに比べると起源がはっきりとしていません。
言い伝えによると、オーストリアやフランスから伝わったお菓子がイタリア化したものだとも言われています。
原材料は、小麦粉、砂糖、卵、バター、ココアバター、酵母。卵をふんだんに使うせいか、パンドーロは中を切るときれいな狐色で、これが「金色のパン ( pandoro )」という名前の由来となったんでしょう。
その形は木の株を模したものといわれ、上から見ると八角形の星型がバンドーロの典型的な形です。

ヴェローナの人たちはパネットーネに対抗してその歴史を探ったようで、彼らによればローマ時代の博物学者プリニウスが触れている、パン職人の Vergilius Stefanus Senex なる人が焼いた「panis」がその先祖とのことですが、材料は小麦粉とバターと油で、これならばありとあらゆるパンの先祖とも言えるのではないでしょうか。
また別の説によれば、「黄金のパン ( pan de oro ) 」という名前は、ヴェネツィアの富裕層のテーブルに供されたパンに由来するともいわれているようですが。

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これがパンドーロの先祖、ナダリン。パンドーロほどふわふわではないので高さはなく、形も特に決まっていなかったそうです。

ところでヴェローナにはもともと、クリスマスの時期に食する「 Nadalin 」というお菓子が存在していました。
このお菓子の歴史も古く、その起源は13世紀、スカーラ家がヴェローナを治めていた時代にさかのぼります。
現代のパンドーロに比べて、バターの量も少なく香りも強くはなく、あのふわふわした食感のない少し固めのお菓子であったようです。その形も、ごくたまに星型のものもあったようですが、多くは丸くて低いケーキであったそうで、まあ素朴なお菓子だったのでしょう。
1894年に、ドメニコ・メレガッティ ( Domenico Melegatti ) という人が、印象派の画家アンジェト・ダローカ・ビアンカ ( Angelo Dall'Oca Bianca ) の知恵を借りて、八角形の高さのあるやわらかいケーキを考案し特許を取得しました。
これがパンドーロが世に出た最初の記録になります。

ヴェローナでは、その伝統を愛してパンドーロを食する人が圧倒的に多いそうです。 
パンドーロは、食する直前に粉砂糖を満遍なくまぶすのが正統、と言われていて、我が家でもパンドーロが入った袋に粉砂糖を入れ夫がその袋をぶんぶん振り回しているのを、娘が大喜びで眺めています。

ちなみにパネットーネもパンドーロも、家庭で作るには非常に煩雑な作業を要することから、マンマの料理万歳のイタリアでもこのクリスマスのお菓子はお店で買うのが常であります。



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ロッカ・ディ・パーパのみではなくカステッリ・ロマーニ地方に伝わるようですが、これがご当地のクリスマスのお菓子です。カロリーの高いありとあらゆる木の実を練りこんだ感じです。町から里帰りした人々に供されたおかしなんだそう。


ところで、いつも行くパン屋さんでも最近、クリスマス用のお菓子を販売しています。
12月に入ってこれを見たときには、「これはいったいなに!?」と叫んでしまったのですが、パン屋の奥さんによるとロッカ・ディ・パーパで伝統的に食べているものだそうで、とてつもなく胃にもたれそうな一品でした。
「重そうだね」とつぶやいた私に、お客で来ていた年配のシニョーラが「薄く切って食べるものなのよ」と教えてくれました。その材料は、砂糖、蜂蜜、チョコレートの粉、コショウ、オレンジピール、アーモンド、くるみ、松の実、ヘーゼルナッツ、シナモンなどなど、いかにも貧しかった山の町において祭日のお菓子がどれだけ人を喜ばせたかと思わせるカロリー満タンのお菓子なんです。
というわけで、私はこの町のクリスマスのお菓子を食す勇気を持てないまま今に至っております。
( cucciola追記: あとから気がついたのですが、実はイタリアにはパンフォルテというクリスマスのお菓子がありまして、その形状と非常に似ております。パンフォルテは西暦1000年ごろからクリスマスに食していたようですが、時代が下るとともに中身はどんどん充実して、やはり上述の木の実やオレンジピール、メロンの皮、スパイスがふんだんに盛り込まれていったそうです。パンフォルテは、シエナのそれが有名 ) 。

実家では、母がよくシュトーレンを焼いていました。ドライフルーツが苦手な私だったのですが、母はオレンジピールから手作りして、この手のケーキが好きな祖父が喜んで食べていたのを思い出します。
待降節に作り、クリスマスにもおいしく食べることができるというこのケーキ、私は母が作るのをみるたびに、『赤毛のアン』の一文が頭に浮かんだものでした。
「作ったケーキをすぐにいただかないで、おいしくなるのを待つなんて素敵じゃない。待って待って結ばれる恋人たちのようですもの」( cucciola注・頭の中のうろ覚えなので、村岡花子さんの訳を正しく書いているわけではありません ) 。

母は、クリスマスイブ当日には生クリームとイチゴがたっぷりのったショートケーキを作ってくれたのですが、この生クリームがたっぷりのケーキをクリスマスにいただくって日本独特の風習なのかなあなんて思いつつ書いています。










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