ジネヴラ・デ・ベンチ
20代前半のレオナルドが、1475年頃に描いたといわれる「ジネヴラ・ダ・ベンチの肖像」。富裕な銀行家の娘であったジネヴラには、隠れた悲恋があったのだとか。アメリカのワシントン・ナショナル・ギャラリーが所有するこの肖像画、「アメリカのモナリザ」の別称もあります。


長い長い夏休みがようやく終わり、イタリアも学校が始まりました。
それなのに、27日まで午前中授業で帰ってきてしまう子供たち、いっこうにエンジンがかかりません。
宿題宿題と頭を抱えるのはママたちだけで、今日の宿題はなに!?と、いささかヒステリー気味のママたちのメッセージがひっきりなし、ワッツアップのメッセージ着信音がりんりん鳴りひびく日常が戻ってきました。

毎年のことながら、9月は夫は学会ばかり。
学校やお稽古ごとがはじまり、慌ただしく気ぜわしい毎日に加え、今年の9月はとにかく寒い!
昨日、ロッカ・ディ・パーパの朝の気温は6度でした。
衣替え、などと悠長なことは言っていられず、冬の衣類が入っている箱から必要なものだけ引っ張り出して着ている感じです。

芸術の秋を告げる季節にふさわしいレオナルドのニュースです。
レオナルド・ダ・ヴィンチが描いた「ジネヴラ・ダ・ベンチ ( Ginevra de' Benci ) の肖像」の裏に記されたラテン語のモットー「virtutem forma decorat ( 直訳ですが、『美は美徳を飾る』みたいなかんじ ) 」の文字とビャクシンの木を表すラテン語「iuniperus」の文字を入れ替えて50ものラテン語の文章を作り上げ、その文章のなかにジネヴラの悲恋が隠されている、と発表したのはカルラ・グローリ ( Carla Glori ) なる研究家です。

このモットー、「ジネヴラ」という女性の名前にかけて、イタリア語では「ジネープロ」と呼ばれるビャクシンの木の枝に、リボンをかけるようにして書かれています。ちなみに、当時はビャクシンの木は「清純」の象徴であったそう。
「ジネープロ ( Ginepro ) 」はラテン語では「
iuniperus」。
 
裕福な銀行家の娘であったジネヴラは、1473年に15才年上の男やもめルイージ・ディ・ベルナルド・ニッコリーニという男と婚約、1474年に結婚しています。
この肖像画は、その結婚のあとに描かれたと言われていて、それというのもジネヴラの父アメリゴ・ディ・ジョヴァンニ・ベンチは、レオナルド・ダ・ヴィンチの父ピエロと昵懇の仲であったからなのだとか。

グローリ女史によれば、ジネヴラは15才年上の婚約者を忌み嫌い、1475年にヴェネツィア大使としてフィレンツェに着任したベルナルド・ベンボという男性を愛するようになったといいます。
その名前がなぜ登場したのかと言えば、ワシントン・ナショナル・ギャラリーが行った赤外線調査で、ジネヴラのモットー「
virtutem forma decorat」の下に、「virtus et honor (徳と名誉)」というベルナルド・ベンボのモットーが書かれていたことが判明したからなんだそうです。
そのモットーとともに、ベンボの紋章であるドングリ、ヤシ、月桂樹が描かれており、ジネヴラを表すビャクシンの小枝がその中心にあるという構図なのです。

motto
これがくだんの絵です。「美は美徳を飾る」の文字がリボンに書かれ、そのリボンが真ん中のビャクシン(ジネープロ)と、ベルナルド・ベンボの紋章である月桂樹とヤシに巻き付く構図。赤外線の調査では、ジネヴラのモットーの近くに、ベンボのモットー「徳と名誉」が書かれていたことも判明。


ちなみに、ベルナルド・ベンボの息子がかの有名なピエトロ・ベンボであり、彼は後にルクレツィア・ボルジアと浮き名を流したことでも有名。父子で当時の有名な美女たちを惑わせたのですから、DNAに男の魅力が組み込まれていたのでしょう。

レオナルド・ダ・ヴィンチは、残された数々の手稿からも「Rebus」と呼ばれる言葉遊びを愛好していたことでも知られており、父が懇意にしていた人の娘さんの結婚とその陰にあった恋を、密かにその肖像画の裏に書き込んだのでは、と言われています。
ちなみに、グローリ女史が研究した50のフレーズの例を挙げると、ジネヴラが愛したベルナルド・ベンボは

eruditus, optimas, orator, poeta 教養がある最高の人 雄弁家 詩人

逆に、夫となったルイージ・ディ・ベルナルド・ニッコリーニについては

ferus, rudis, usurpator  粗野で横暴な簒奪者

とさんざんな言われよう。
ちなみに、「15才年上の男やもめ」であったルイージですが、結婚当初ジネヴラは16才であったのですから夫も再婚とはいえまだ31才。よほど醜男であったのか、性格が悪かったのか、あるいはライバルのベルナルド・ベンボが魅力的すぎたのか、想像が広がっていきます。

そのほか、

Pura sumit torturam foedere  結婚の契約により責め苦を味わう潔白な者

Tum e toro praefert sudarium 新婚の床は棺

などなど、ジネヴラの悲劇をこれでもかと伝える50フレーズになっているわけです。
まあ、こんな暗号云々よりも、レオナルドが描いたジネヴラの仏頂面を見れば結婚への思いは一目瞭然ですが。

なんだか、ダン・ブラウンの小説レベルの研究結果にも見えてきますが、それは私がラテン語を解さないせいもあるかも知れません。



ちなみに、調査の結果では肖像画の裏に描かれたモットーや植物も、レオナルド自身の手になることが判明しています。

再来年2019年は、レオナルドの500年忌。
暢気なイタリアも、祖国が世界に誇る天才の記念の年のイベントについては、早くもいくつかのプロジェクトを始動させているようです。
楽しみですね。



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