Piero, Double portrait of the Dukes of Urbino 02 480.jpg
ピエロ・デッラ・フランチェスカが描いたフェデリーコ・ダ・モンテフェルトロの肖像画。この作品が制作されたと推測される1465年頃にはすでに、彼は「通風」の痛みに悩んでいたはず。



ご無沙汰をしております。

2月は私たちが住む田舎は、雪に振り回されました。
昨年の教訓を生かして、寒波が道に撒く塩が市役所から配布され、就寝前に水道の蛇口をひねっておくことが徹底されましたが、一度は予報よりもかなり大量の雪が短時間に降り積もって子供のお迎えにもさしつかえるほど。
雪がやめば、今度は雨と強風で憂鬱な2月でした。

久々の更新は、ウルビーノ公爵フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロに関するニュースからです。
彼が医師に送った手紙から、公爵の持病が判明しました。
「痛風」です。
ピサ大学とチューリッヒ大学の共同研究によって、ルネサンスの英邁な君主ウルビーノ公爵フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロの持病が明らかになりました。
医学誌『Clinical and Experimental Rheumatology』に掲載された研究は、公爵の遺体の調査と残された文献がもとになっています。
古生物生理学(paleopathology)の分野から調査した公爵の遺体からは、彼が痛風の炎症で苦しんだ痕跡はっきり読み取れたそうです。

ピサ大学教授アントニオ・フォルナチャーリはこう語っています。
「我々はまず、右足の第1中足骨の形態学検査において、X線の写真の分析とともに病理を確認しました。フェデリーコ自身も、自己診断で『自分は痛風である』と認識していたようです。当時はしかし、『痛風』の定義は範囲が広く、リュウマチ性の疾患も『痛風』でひとくくりにされていました」。

さらに幸運なことに、フェデリーコ公爵が自分の病気について触れた手紙が残されています。
1462年、法王ピオ二世に雇われてラツィオ州の戦場にいたフェデリーコ・ダ・モンテフェルトロは、侍医に手紙を書いています。手紙の中でフェデリーコ公爵は、足の痛みのあまり床から起き上がることさえできない、と苦痛を訴えています。
フィレンツェの国立古文書館に残されたこの手紙では、公爵はルネサンスの教養人に相応しく自分自身の病状を冷静に詳細に記述しているそうです。また、症状の改善のために医師が提案した厳しい食餌療法に従わなかったことも自白しているのだとか。高名な傭兵として、戦場で鍛えた体でさえ絶えきれない痛みであったのでしょう。とくに、夜間の痛みが耐え難いと訴えています。
侍医が数ヶ月前にフェデリーコ公爵に提案した食餌療法は、それ以前に公爵が苦しんでいた症状がぶり返さないために処方されたものであったそうです。

この手紙の存在によって、現代の医学によって確認されたフェデリーコ公爵の右足の溶骨性の損傷は、古文書の分野からも証明されたことになります。

そこで、研究者たちは公爵の家族にも痛風で苦しんだ人がいたかどうか調査を進めました。
息子のグイドバルド・ダ・モンテフェルトロをはじめ、フェデリーコ公爵の家族の遺体を調査したものの、結果を得るために充分な条件を遺体は保有しておらずこちらの調査は滞ったままです。
ただし、痛風が遺伝性である可能性は高いため、今後も生体分子分析を通して研究は続くとしています。

歴史上の人物で、痛風に苦しんでいた例は多いといわれています。
とくに有名なのは、メディチ家の「偉大なる」ロレンツォですが、ピサ大学の調査で痛風であることが判明しているのはスペイン王カルロス一世、トスカーナ大公フェルディナンド一世などなど。

フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロは、1400年代のイタリア半島では英邁な君主であり傭兵としても優秀な人として知られていました。ピエロ・デッラ・フランチェスカの手による、公爵と妻が向き合う形で描かれた肖像画はつとに有名です。
しかし、侍医にあてた手紙には痛みと不安にさいなまされて医師に助けを求める一人の人間の苦しみが伝わってきます。

最後にフォルナチャーリ教授は、過去において人々がどのような症状に苦しみどのような治療がなされていたのかを現代医学の分野から研究することは、医学や人類学の分野において重要なことだと強調しています。

いずれにしても、フェデリーコ公爵の今回の例は科学の調査と古文書の調査が合致した、幸福な例といえるでしょう。











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