中年空手百条委員会

委員長の有明省吾です。2002年に40代で空手を始め現在も続いています。なぜ続いたのか、これからも続けるにはどうしたらよいのか。中年空手の神髄とは何か?私の見聞してきたことを、私なりに好き勝手に書き綴った、加齢なる空手ブログです。(背景の写真は、40歳年下の若者と真っ向勝負している私です)

中年空手家のみなさん!体力の衰えを気にせず、空手に取り組み続ける方法に興味はありませんか?苦行ではなく、楽しみながら、生活の張りになるような取り組みをしていく中で、空手だけではなく、仕事やプライベートに対して前向きになれる取り組みをしてみませんか?この委員会はそんな方法を提案します。いつのどの記事にもコメント歓迎です。一日以内を目安に御返事します。

飛び蹴りをロマンで終わらせていいのか?


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中年空手百条委員会の有明省吾です。

 私が中学時代に購入した空手の入門書では、どの流派でもトップページに必ずといっていくらい「飛び足刀蹴り」の華麗な写真が掲載されていました。以下の写真などはもう芸術の域に達しています。
kumite

 当然のことながら、私もこの飛び蹴りを休み時間中にとばしまくる中学生でした。中学時代の同窓会が5年前にあったのですが、同級生の多くが「ああ、ブルース、リーのマネして飛び蹴りしてた有明君ね」と言ってましたから、いかに強烈な印象を旧友に与えていたかがわかるでしょう。

 そもそも、最初に我々に飛び蹴りを教えてくれたのはこの人です。

 今この動画を見ると、よくもまあこんなチャチなアクションに熱くなっていたなあと思うのですが、それでも当時の興奮がよみがえってきますね。私が仮面ライダーのマネをしていたのが小学校3、4年のころ。1970年、71年のころだったと思いますが、74年になるとあの人が私のまえに現れます。

 これでもう私は飛び蹴りに決定的に魅了されてしまいましたね。一方、テレビのキックボクシングでは沢村忠が「真空飛び膝蹴り」でKOの山を築いていました。1970年代はまさに「飛び蹴りの時代」と言ってよかったと思います。この華麗な蹴り技に魅了されたのは私だけではなかったと思います。あちこちでこの真似をする奴があふれていましたね。夜に犬の散歩に行ったときなどは、近所のお菓子屋の倅が、二階の部屋で飛び蹴りの練習をしているのが見えました。

 で、まさか、まだそんなことをしている人がいるとは思いませんでしたが、最近以下の動画を見つけて衝撃を受けました。いるんですねえ。やっぱり。とてもうれしくなりました。

 このバカバカしさが実に懐かしいですが、それにしてもこの人は、今こんなことをしているだけあって、飛び蹴りのレベルが突き抜けています。いかに練習を続けているかがわかります。しかし、多分この人が本当にやりたいのは、蹴り終えてからのリーの表情だと思いますね。これが実に気持ちよさそうです。その気持ちが痛いほどよくわかります。当時、公園でこんなことしてたやつが一杯いましたよ。私も含めて。
  
 さて、ところがです。高校時代に剛柔流の道場に入門して気づいたのですが、基本稽古のなかに「飛び足刀蹴り」というのが全く行われていません。組手でもこれを使っている人を見たことがありません。これはどういうことなんだろうと思って先輩に聞いてみると

 「そんな技を先輩相手の組手で使ったら、多分殺される」

 と言ってました。あまりにも無礼で人をなめた攻撃だからだということです。よほどの実力差がないと出せないような非現実的な技をあえて出してくるのは相手をなめてるからだという話を聞いて、「ははあ、そういうもんなのか」と思いました。

 確かに、今、入門直後の白帯の人が、組手で私に「飛び足刀蹴り」を出してきたら、気持ちとしてはちょっとカチンとくるものがあるかもしれません。これはロマンの世界の話であって、現実にはなかなか使いこなせない技だということは間違いがないでしょう。

 その後、プロレスの世界でタイガーマスクが「ローリングソバット」を見せるようになってからは、飛び蹴りのロマンは「飛び後ろ回し蹴り」に移行していったような気がします。こうした回転系の飛び蹴りはとくにフルコンの試合ではしばしばみられるようになっていきます。後ろ蹴りなどは、軽く跳躍して出してくる人がいますし、「回転胴回し蹴り」などが頻繁に使われていますね。昔はこの技はここぞという時の捨て身技という感じで使われていましたが、最近ではちょっと意表を衝きたいと思った時から、勝ち逃げのための時間稼ぎまで、さまざまな用途で使われています。

 で、もういい年になってきた私には、いよいよ飛び蹴りというのは非現実的な技になってきています。高らかに飛びあがって、相手の頭上から襲い掛かるような真似はもはや不可能です。しかし、そんな大技にはならなくとも、最近蹴りの瞬間に自分が「浮いている」と感じることがあります。一種の飛び蹴りに近い状態で蹴りを出していると感じることがあります。

 最近、蹴りを出す瞬間に、軸足の膝を「抜く」という感覚で行っています。抜くとはつまり、軸足の膝から下を地面から引き抜くようにほんの数センチだけ縮めるような感じです。そうすると、頭の位置は上下しませんが、体がほんの一瞬、数センチだけ浮いて落下します。

 剛柔流の型、サイファには、左に沈み込んで移動し、伸びあがりながら前蹴りを出し、次に右に沈み込んで移動し、伸びあがりながら前蹴りを出す、という動きがあります。この、伸びあがった時に、一瞬膝を抜いて落下しながら蹴るということを教わりましたが、この感覚は一瞬ですが「飛び蹴り」に近い状態になります。

 こんな蹴り方をすると特に回転系の蹴り技で瞬時に軸足が回り、キレがよくなるのです。よく後ろ回し蹴りは沈みながら蹴ると高く上がると言われますが、これに近い感覚です。正確に言えば沈む前に一瞬足を抜いて浮いている状態です。飛んでいないけれども飛んでいる。これもまた一種の飛び蹴りに近いものです。こういうところに「飛び蹴り」の感覚が生きているのかもしれないと思いました。

 極真の往年の名選手、山崎照朝師範の上段回し蹴りは、軸足が親指一本で立ってたと言われますが、これもまたそれに近い感覚なのかもしれません。
山崎2

 ド派手な飛び蹴りにあこがれた青春時代でしたが、最近ふと考えるのです。高々と舞い上がって飛翔し、上から相手を狙うというイメージは美しいものでしたが、もしかすると、あれは蹴り技の極意の寓意だったのかもしれない。実際にはあんなに高く舞い上がりませんが、しかし、地味でも間違いなく、蹴り技は「浮いている」「飛んでいる」状態で行われるものなのかもしれません。

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裏拳もまた正拳の基礎である。

裏拳

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中年空手百条委員会の有明省吾です。
 28日土曜は午前中の稽古会のみが実施されました。まあ、ここは静かなお寺の集会所で4.5人で細々と稽古しているのでコロナの影響は受けませんが、従来夜間に行っているフルコンの稽古は、3月いっぱい稽古場が閉鎖になっていたのですが、引き続き4月いっぱい使用できないことになってしまいました。4月からは代替の稽古場での稽古となるそうです。試合も続々と延期の通知が来ています。果たしてこれはいつまで続くのでしょうね。

 さて、稽古会ではいつもの基礎的な練習に加えて、まず「裏拳」の稽古を行いました。裏拳は肘を突きだすように直線的に出します。極真空手の基本ではそのように教わりますが、この剛柔流の稽古会でも「まっすぐに突く」裏拳を稽古しました。上記のイラストのように、肘や手首のスナップを活かして曲線で打つ方法もあるようですが、ケース、バイ、ケースということなのでしょう。

 今回この裏拳を、「正拳突き」の基礎として稽古しました。

 肩を動かさずにこの裏拳を直線的に突きだし、慣れてきたところで、裏拳を返して正拳にして突く稽古をしました。これはなかなか面白い稽古でしたね。こうすることで、肩の動きを押さえ、肘主導の突きの感覚を覚えて初動を消していきます。突き込んだあとに若干肩が前に出たり、腰が切れたりしても構いませんが、最初から肩をうねらせ腰を切って突くことは避けていきます。

 加齢が進んでくると、無駄な体力ロスを避けることが重要になってきますが、そのためには突きの命中率を上げることも重要ですね。試合のように手数、手数の攻撃ではなく、ある程度精度の高い突きを出し、乱打しなくとも相手にダメージを与えられるような突きを出すことが大事になってくると思います。(当然試合では印象が悪くなりますが)そのために、「初動を消す」ということが重要になってくると私は考えています。捨て技なしにみな命中させるというのが究極の理想ですが、まずそのために初動を消す稽古を繰り返しています。

 その後、重心移動をしながら突きを出していく練習を行いました。また、蹴りを出す際の軸足の重要性を確認しました。蹴りあげる際には胴体を落とすような意識を持つと、腰が割れて蹴り足が上がりやすくなってきますね。

 ただこれだけの稽古をしただけですが、現在でも広背筋などに筋肉痛が残っています。こういった動作の感覚を説明されるときに、しばしば「この動きはサイファのこの部分の動き」「スーパーリンペイのこの部分の動き」と言われます。形の中に含まれている動きが、そのまま攻撃動作の基礎になっていることを確認しながら稽古が進みますが、形をちょくちょく稽古していると、指導者の言わんとすることがよくわかりますね。形というのは、そういう理解を早くさせ、意思の疎通が的確に行えるためのものなのかもしれません。

 さて、それにしてもコロナですね。私の住んでいる県では、まだ感染者数が極めて少ない状態でおりますが、時間の問題かもしれません。今後の稽古がなお予断を許さない状況になってきました。ただし、運動をすることと、その結果よい睡眠ができることは、免疫力の向上に役立ちます。場合によっては一人稽古を続けなければならない事態になるかもしれませんが、どんな形でも稽古は続けていきたいものです。

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「大人の空手」の初心者指導を考える

初心者

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中年空手百条委員会の有明省吾です。

 26日木曜日は有明稽古会です。6名のメンバーが参加してくれました。出入り自由の稽古会なのでメンバーは都合のいい時間にやってきます。最初に空手女子のKHさんが稽古場に現れました。彼女はまず基本稽古を通して行いました。私はその詳細をチェックしました。その後、前蹴りを実際に「当てる」稽古を行いました。私が相手になって、実際に前蹴りを当てさせます。ほぼ正面を向いて立ってあげて、みぞおちを狙わせます(アバラを狙う前蹴りはまだ教えません)。スピードを保ちつつ、力のコントロールもしっかりと行わせて、蹴りっぱなしにさせないことが大事ですが、同様にして金的蹴りではなく、前蹴りになるような軌跡を学ばせます。

 実は、相手をしているこっちは結構恐怖です。力のコントロールと狙いの定まらない前蹴りを受けるというのは実に嫌なもので、金的を晒す恐怖もありますし、時に当たりがそこそこに痛いです。実はKHさんの前蹴りはどうしても「金的蹴り」の軌跡に近くなり、そのまま組手で使わせるのはちょっと危険です(蹴りの威力はなかなかあるのです)。こういう蹴り方は痴漢相手に存分にやれということで、今はしっかり「前蹴り」を教えています。

 全般に今の若い子は回し蹴り系の技は実にうまいです。初心者のうちから私よりもうまいような人が結構います。しかし前蹴りに関しては結構苦労する子が多いような気がします。

 そんな稽古をしているうちに、先週から参加しているKBさんがやってきました。全くの初心者さんですが、とても熱心な方です。今回は正拳突きの定位置での稽古を行ったあとで、前屈立ち追い突きを稽古していただきました。これは全く私の個人的な考え方なのですが、正拳から下突きから上段受けから、蹴り技まで、一通りのことをいっぺんに教えるよりも、最初の三か月は正拳と前蹴りの稽古をしっかりとした方がいいと考えています。特に大人になってから空手を始めるのであれば、こうして一部の技にじっくりと取り組んでいくことが、基本をしっかりと身に付けるにはいいように思っています。
 
 また、一つの技を繰り返し稽古して突き詰めていく奥の深さを感じることは、大人でなければ味わえない楽しみだと思います。子供だと集中力が続かない部分があり、指導者のキャラクターや話術で楽しく引き込んでやらないと、これがかなり難しいと思います。

 KBさんは早速汗だくになって、前屈立ち追い突きの稽古を繰り返しています。どんな初心者であっても、稽古に黙々と取り組む姿勢からは、武道家のオーラがにじみでてくるものです。上手い、下手はあるにせよ、真剣に取り組んでいる限り、みな等しく武道家なんだなあと感じます。

 この間にKHさんにはサポーターを付けさせてスパーリングの相手をします。だいぶ様になり始めていますが、そろそろ「心が折れる」という経験をし始めています。最初から心が折れてしまうと稽古が続きませんが、そろそろ少しづつそういう場面に直面させる必要があると思い、かなり手加減はしたものの(ほとんと当ててませんが)、「試合モード」での組手を経験させています。3ラウンド程度スパーリングを行ったところで、またKBさんの稽古を見て、気づいた点をアドバイスしてきます。

 これも私の考えなのですが、初心者が定位置での正拳突きを繰り返しすぎると、だんだん肩に力の入った、手の力だけでの突きが癖になってくるように思います。よって、前屈立ちで移動しながら、スムーズに突きを出す、移動の力で突く、という感覚を覚えさせた方がいいのではないかと考えています。まだまだ前屈立ちが身についていませんが、それは当然ですね。逆にいうと、前屈での移動が様になってくると、空手の体の使い方が身につき始めてきます。いろいろな技を教えるのはそれからでも遅くないと思います。そして、そこからの上達はとても早いと思います。今は私とスパーリングをするまでに成長した空手女子のKHさんは、まさにこのスタイルで稽古をしてきて上達がとても早かったですね。

 で、ここで、NMさん親子が三人でやってきました。お子さんは中学生と小学生です。NMさんはご自身で空手を稽古されているだけではなく、ご自宅では二人のお子さんのトレーナーもされているようですね。いい親子だなあと思います。

 で、自然とここでの稽古はNMさんには、家でお子さんにアドバイスができるような指針を理解していただき、お子さん二人には指針に沿った稽古をしてもらっています。今回は回し蹴り、後ろ回し蹴り、内回し蹴りの稽古をしましたが、NMさんには指導のポイントを理解していただきました。驚いたのは、これで実際にNMさん自身も回し蹴りが高く上がるようになったことですね。指導者の視点を持って技を見直してみると、自分の上達が早くなるということだと思います。それはそうでしょう、最終的に稽古とは自分で自分を指導することですからね。指導者の視点に立つことは、間違いなく自分の上達を早くします。

 この間、KBさんは前屈立ち前蹴りの移動稽古を、KHさんはサイファの形を稽古しています。KBさんは前蹴りに関しては早くも実用レベルになっています。あれを組手ではもらいたくないですね。慣れないうちは前蹴りでパワーを出すのは難しいもので、蹴っても跳ね返される状態からスタートするのが普通なのですが、最初に骨盤をまくりあげる予備運動(片足立ちになって膝を両手で抱え込み、そのまま臍を上に向けるようにふんぞり返る)を入念に行ってもらったところ、きわめていい具合に前蹴りが出ています。この予備運動は剛柔流の稽古会で学んだものですが、極めて有効ですね。

 KHさんはいままで「平安」を中心に稽古していましたが、いま「サイファ」に入っています。ご承知の通り、平安は首里手系の型ですが、サイファは那覇手系の型です。こうしてみるとやはり動きの感覚が全然違いますね。かなり戸惑いながらも稽古を重ねています。実は、この型には接近戦での重要な体の使い方が含まれています。スパーリングを本格的に始める時期にこの型を教えていることには意味があります。まずは順番や動き方を覚えてもらっていますが、そこから接近戦の体の使い方を教えていく予定です。

 と、こうして指導者然として物を言ってますけど、当然、彼ら、彼女らの指導は、私にとっても貴重な稽古です。実際に上達させることができれば、自分の上達も早くなることが間違いないからです。そして、気づかなかった発見が結構あります。そして、そこから、自分なりの教え方を組み立てていくことができます。そして、最終的に、私は、私自身をそうして教えていくつもりです。いや、これはいい勉強の機会ですね。

 
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伝説の映像で見る「自分のペース」の重要性


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中年空手百条委員会の有明省吾です。

 若い連中と組手をしていて、つい熱くなって連中のペースに引き込まれ、体力が続かなくなってボコボコと攻撃をもらうことの多い昨今です。そういう問題に直面している中で、この伝説の動画を見直してみたのですが、やはり自分のペースの大事さを感じさせられました。

 これは極真空手と太気拳の交流稽古の様子を撮影した有名な動画でみなさんもご覧になったことがあるでしょう。聞くところによれば大山倍達先生には内緒で行われていたもののようで、あとでバレてからは行われなくなったそうです。しかし、昭和っぽいですね。「交流稽古」というと事実上の「他流試合」を意味していた時代の空気がぷんぷんと漂っています。極真の選手の中にも「太気拳」を稽古していた人が当時は多かったようですね。戦える拳法だったということでしょうか。

 この8ミリで撮影したと思われる画面の暗い動画は松井館長と、太気拳の島田師範の組手動画のようです。前半はなかなかいい勝負で、あの松井館長も顔面にボコボコと攻撃をもらい、取っ組み合いになって押されがちになっています。島田師範は太気拳の構え、テンポ、リズムを守って攻防を行っています。世界の松井館長を相手にこの戦いぶりは只者ではありません。しかし、私の見たところでは、戦っていくうちに島田師範が、ファイティングスピリット全開になって太気拳らしさを一瞬失い、足を止めて打ち合い出したところ、顔面に強烈な突きをもらってしまうシーンがものすごいですね。このほんの一瞬が勝敗を分けてしまったようです。極真の得意な戦い方の土俵に立ってしまったということでしょうか。

 やっぱり、いざとなると、自分のやっている武道の技術よりも、喧嘩魂のようなものが全面に出てきてしまうものでしょうね。強い人の核の部分には、間違いなくそういう生来の気持ちの強さがあると思います。こればっかりは努力で身につくものではなく、私のようなヘタレにはとてもまねのできないことです。
  
 しかし、こうして自分のペースを崩した瞬間に痛い目にあうというところだけは、私のレベルでも理解できました。ペースというのは「戦い方」ということです。太気拳には太気拳の戦い方があり、極真には極真の戦い方があります。どっちが強いということではなく、自分の戦い方を一瞬でも離れてしまうと痛い目にあう。これは前半に松井館長が結構押されていたことにおいても、同じことが言えるのかもしれません。

 私はいま、こんな強い人同士の戦いを、僭越にも「講評」するという愚を犯しておりますが、自分の稽古に活かしたいという視点でこの動画を見ています。私のレベルでこの貴重な動画を教訓とさせていただくために、多少失礼な物言いをしていることをご理解ください。

 私自身、やっぱり、中高年の組手の仕方を研究している途上なのですが、猛烈なラッシュで押し込まれると、猛烈にやり返そうとする自分がいます。それは明らかに30年前の自分が取るべき戦い方であって、今の自分がそうすれば早晩負けてしまうことははっきりしてしまいます。しかし、ムキになって熱くなり、それに応じてしまうところに問題を感じています。その結果、昨今稽古していることが見事に頭から飛んでしまうのです。脱力すれば効果的な攻撃ができるはずなのに、ガチガチに力んで殴り合いに応じています。「負けるもんか」という根性がアダになってしまっています。

 以下の動画も、「自分のペース」「自分の武道の戦い方」という点で見てみると興味深いものですが、8分を過ぎたあたりに登場する、赤いシャツを着た方の戦いぶりがとても勉強になりました。


 奇妙な動きが目立ち、体も小さく、とても強そうには見えない方ですが、この方は最後の最後まで自分の戦い方のペースを守っています。その結果、勝ちこそしないけれども、決して負けてもいないという戦いを展開していますね。相手は世界の松井館長ですよ。これは大したことです。小柄な彼は最後まで自分であるというよりも太気拳であり続けたということかもしれません。

 一連の動画を見ると、体の大きな人は取っ組み合いに持ち込んででも勝とうとしていますが、体の小さな人はあくまでも太気拳の動きを守ろうとしているように見えます。力の勝負では勝てないだけに、技で対抗しようとしているかのようです。このあり方がとても勉強になりました。

 大変貴重な動画だと思います。このような過激な交流を行いながら技を磨こうとしていた当時の関係者の皆さんには本当に深い敬意を覚えます。私は最後まで自分の戦い方を冷静に続けるべく修業すべきだという啓示をいただきました。

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抑圧が深く武道にかかわる話。


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中年空手百条委員会の有明省吾です。

 月刊「秘伝」が発売になって、ぱらぱらと記事をめくっていました。今月は中国北派拳法の特集です。中で興味を引いたのが宮原保先生の記事ですね。先生の師事された温敬銘という中国武術の達人の話が出ていましたが、そこに「
銬手翻子拳」という、ちょっと変わった拳法が登場していました。温先生はこの拳法でも知れた達人だったようです。

 この拳法は「
銬手」という字でわかるとおり、両手を鎖、もしくは枷でつながれた状態を模したものです。監獄に繋がれた人がこうして編み出した拳法だと言われているようです。両手の間隔が確かにある長さよりも広がりませんね。

 あくまでも伝説なのでしょうが、この手の伝説は結構多いように思います。

 形意拳の
郭雲深は、試合で人を打ち殺してしまったことで監獄に繋がれることになりますが、獄中、手かせをされたまま「虎形拳」の稽古をしているうちに、それがコンパクトで破壊力のある「虎撲子」という技になってしまったという話を聞いたことがあります。

 あの有名なカポエイラも、鎖で手を繋がれた奴隷たちがダンスの稽古のふりをして必殺技を練っていたという有名な伝説があります。


 空手にしても、「島津藩の琉球支配で武器を取り上げられた沖縄の人たちが徒手空拳の武術を作り出した」という説がありますね(これはいまは否定されているようです)。

 また、武道とは関係ありませんが、昨今「プリズナ―トレーニング」というのも流行りですよね。狭い刑務所の中での囚人たちのトレーニングという意味なのでしょうが、これもなんとなく同じにおいがしますね。

 なんなんですかね。この抑圧系の伝説ってのは、結構人に好まれる何かがあるのでしょうか。いや、これはあるでしょう。孤独と絶望の中で黙々と武技を磨いている姿というのは非常に絵になることは間違いありません。武技を磨くというのはどういうことかを最も象徴的な形で伝えています。漫画「あしたのジョー」なんかに近いイメージがありますね。そういえば主人公の矢吹丈も少年院の中でボクシングの練習をする場面が印象的でした。そんな中で一筋の光を見つけていく男たちの姿は確かに美しい。

 また、どんなに制約があっても、その時に応じた形で稽古は可能だということを寓意しているようにも思えますね。両手がつながれて自由が奪われたとしても、技を磨くことは可能なんだから、普通の社会人が仕事だ、仕事だいって、稽古をやれねえわけねえだろう!自宅は狭くて稽古できないなんて言ってる場合じゃねえ。ボーッと生きてんじゃねえよ!というような一喝を浴びせられたような気持にもなります。

 うーむ、これは強烈ですねえ。

 制約があればあるほど、それを利して技を磨くことは可能なのだという執念の激しさがありますね。昔、勝新太郎の演じる盲目の剣士、「座頭市」という映画がありましたが、あれなどは、目が見えないという絶望的な状況の中で、目に頼らずに全身の感覚を研ぎ澄まして剣をふるっていましたね。実際に組手なんかでも目に頼りすぎると失敗することがあり、この映画もあながち嘘っぱちだとは思えないところがあります。

 まあ、こういう「武道精神を教える」という意味がこれらの伝説にあることは間違いのないところなのですが、技術論的にももしかすると深い意味があるのではないでしょうか。両手を繋がれた状態、一見不自由な状態にすることで、却って技の威力を増す工夫がここに隠されているのではないでしょうか。

 剛柔流の稽古会で「弧拳」の使い方を稽古したことがあるのですが、孤拳で相手の胸を突くと、突きのように腕の力が入りにくくなりますが、それゆえに体は全身の力を伝えようとして、結果的に大きな威力が出ます。寸突きなどは最初弧拳で行うと感覚がつかみやすいらしいです。制約をかけることで、より大きな力を導いています。

 実は、今日、両手を肩幅に開いてから手首を囚人のように縛り、その状態で「平安」の型をやってみました。一つ間違えるとただの変態になってしまいますが、驚いたことに平安その4までは支障がほとんどありませんでした。(5では最後の卍受けにちょっと支障があります)むしろ、動きに無駄なブレがなくなり、型がシャープに極まるような気がします。これはもしかすると大変な発見をしたのではないかと驚いてしまいました。制約を受けることで体を慎重に使う意識が生まれてきたのかもしれません。

 ただし、これは人前で稽古できませんね。道場で後輩たちにこれをやらせると明らかに何かと誤解されますから決しておすすめいたしません。しかし、妙な快楽に目覚めない程度に、試してみることをオススメします。

 もしかすると、こういう抑圧系の伝説の中には、実は技術論的な秘密があるのかもしれませんね。なんでも自由になるというと、体はどこを使えばいいのだと迷ってしまうようです。動きを制限して「ここは使うな」と言ってやった方が、効率よく体が使えるということもあるのかもしれませんね。

 さて、最後に、片腕で全日本学生剣道大会で優勝した選手がいます。私はこの7分の動画を見て号泣してしまいました。いよいよ稽古をサボれなくなりましたね。みなさんぜひご覧ください。


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初段をFirst stepと英訳して妙に納得した話。


初段

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中年空手百条委員会の有明省吾です。
  
 仕事の中で、時折、外国人留学生なんかに日本文化を紹介する機会があります。そこで、いろいろと質問をされることもあります。彼らはそれなりに日本の文化を勉強しているので、質問もなかなかいい点を突いてくることがあります。

 「日本の歴史の中で、なぜショウグンとテンノーが必要だったのか」

 なんてのは、なかなか深い質問ですね。こっちも苦労して答えますが、時にたじたじとすることもあります。中には武道に興味のある留学生もいて、いろいろな質問を寄せてきます。

 「ショーメンに礼!といっているが、ショーメンとはだれのことか?」

 というのも、なかなかすごい質問でしたね。まあ、「神前に礼」といったり、「正面に礼」といったりしますが、礼をする以上は相手がいなければならないはずなのに、誰もいない方向に向かって一斉に礼をするのは奇妙に見えるらしいですね。この質問に答えるのもなかなか苦労しましたが、

 「米軍がアメリカの国旗に敬礼をするようなものだ」

 といったら、意外と簡単に納得してくれました。国旗は国の精神を象徴したものだが、同様にして道場では「武道の精神」の追求に身を捧げる意志をこうして表しているのだという具合に説明しました。ま、これはあくまでも私の意見ですけど、あながち間違ってはいないと思います。

 道場に神棚を置いているところだと、もうちょっと説明がややこしくなります。当然、「あの神様はなんの神様だ?」と聞かれることもあります。

 道場の神棚には「香取」「鹿島」の神様が祀られているという説があります。どちらも日本の建国に大きく関わった神様であり、また剣の威力にかかわる神様だと言われています。また、不動心や道をすすむ強い意志を象徴する神様だと言われています。まあ、まさに日本武道の精神そのものです。神様に祈ると考えるのが嫌な場合には、武の道を強い意志を持って歩むのだという決意を新たにし、武道精神を尊重していると思えばいいかもしれません。「精神」という言葉の中には「神」という字が入っているので、こう考えて間違いないと思います。

 郷に入っては郷に従えで、だいたいの留学生は納得します。ただ、神棚の中に何が入っているのか気にする留学生もいますね。偶像崇拝を禁じている宗教なんかの人はその辺にこだわるようです。まあ中には鏡が入っているので、しつこく聞いてくる人には「汝自身を知れ」「自分の中に神を見いだせ」という意味だとでも言っておくと大体納得してくれます。これはちょっと苦しい説明ですが、嘘だとは言い切れません。

 こんな感じで、我々にとっては当たり前のことを、丁寧に説明するってのはかなり骨が折れることですね。当たり前ってことは、つまり「だって、武道といったら神棚でしょう」といってみな納得しているということですから、神棚がある理由なんて普段はあまり考えていませんよね。

 私自身が深く考え込んでしまったのは

 「なぜ武道ではイチダンと言わずにショダンというのか?」

 という質問です。初段という言葉をとっさに「First step」と英訳して解説してしまいましたが、大体の外国人は驚きます。あのクロオビを取得するのがゴールだと思っていたら、それはただのファースト、ステップに過ぎないということに驚愕するようです。私も自分で英訳していながら、驚愕しました。

 「そうか、そういうことだったのか」

 妙に納得してしまいました。空手の修業をする中で、黒帯は一つの目標です。しかし、子供のころから空手をやってきた子が、黒帯取得を機に道場をやめてしまうという話をよく聞きます。これは、空手に級位が細かく設定されており、かなり長い期間を「色帯」で過ごさなければならないことに由来するのかもしれません。黒帯がゴールに見えてしまうか、一区切りの時期という意味合いになってしまうのでしょうね。

 私は中学時代に剣道初段を取得しましたが、それ以前に「級」を取ったことはありませんでした。いきなり初段からスタートなので、まさにファーストステップという感じでした。この辺が空手では実に細かく、たとえばフルコンでは10級から10段階のステップをたどって昇級をしていくことになります。「飛び級」をすることもありますが、普通にやってれば5年で黒帯でもかなり早いという気がしますね。私は13年かかっています。

 しかし、これがまさに、ファーストステップなのですね。ここからは自分で歩き出すのだという意味なのかもしれません。教えをしっかり守って基礎がある程度できたのだから、それを道具にして空手の道を歩みなさいということなのでしょうね。

 いや、これは深いわ・・・・・・・・・。

 と、仕事中に考えこんでしまいましたね。剣道とか柔道とかは、段位を高くしていくなかで生涯にわたる修業のモチベーションを維持しているのかもしれません。そういう意味では初段はまさにスタートラインという意味合いが大きいですね。一方で空手なんかはそれなりのレベルになるまでは段を取れない仕組みになっていますが、そんな中で、黒帯が一つのゴールだと考えがちになります。しかし、その結果燃え尽きてしまってはいけませんね。

 段がステップだとすれば、級はアプローチですね。助走です。ステップに至る重要な過程ですね。まだまだ飛べないけれども、飛ぶために必要な時期なのでしょうね。いや、これはいいことに気づいたなと一人で悦に入っていると、外国人留学生がこんなことを聞いてきました。

 「じゃあなぜ級は10級からカウントダウンになるのか?」

 助走だからです。最初のステップまで残り何メートルか?というような意味でしょう。いやはや、外国人に武道を説明すると、普段考えないことを考えますね。勉強になります。

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初心者を教える

初心
(本当に空手をやっている子が道着のモデルをすると、白帯でもこんなに凛々しく見えますね)

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中年空手百条委員会の有明省吾です。

 今日は有明稽古会の日で、6名が参加してくれました。特に、体験参加の申し込みをしてくださったKBさんが初参加です。40代後半。空手や格闘技は未経験ですが、登山などのスポーツをされて上半身のたくましい方です。今日はこのKBさんの指導を通して、初心者の指導のポイントをいろいろと勉強してみました。

 実は、有明稽古会は「大人の空手」をキャッチフレーズにしています。それに惹かれての参加だそうで、さっそく私の考える「大人の空手」の第一歩を経験していただきました。私が初心者を手掛けるのは、ちょくちょくここに登場する空手女子のKHさん以来二人目です。彼女の指導でうまくいったと思うことをさらに凝縮して、空手未体験者の第一歩にふさわしい稽古にしようと思いました。(有明稽古会は個人指導中心です)

 今日KBさんに体験していただいたのは、正拳と前蹴りだけです。ほかの技は当分教えない予定です。この二つがある程度身についてくれば、ほかの技術はすんなりと覚えていけるようになることをKHさんの指導の時に実証ずみです。この二つの技は空手のセンスを磨くためには重要だと思います。初心中の初心。基本中の基本・・・・つまり奥義だということです。
  
 まず30分間、肩甲骨の運動を行いました。胸を開いて両手を一杯に引ききます。次に胸を閉じながら両手をできるだけ前に出す。猫背になるくらい前に腕を伸ばします。ゆっくりとこれを繰り返します。お気づきの方もいらっしゃると思いますが、これはもうすでに「突き手」と「引き手」の感覚をつかむ稽古になっています。空手の突きはこの引き伸ばしを同時に行っているものです。両手を協調させる感覚も養えます。いきなり正拳突きを教えないで、この「奥義」を繰り返して稽古してもらいました。まさか本人は初回の稽古で空手の奥義を教わっているとは思わなかったでしょうね。早くもこの稽古だけで全身汗だくになっていましたね。本気で取り組んでくれたのがよくわかります。

 慣れてきたころに、以下の動きを行ってもらいました。今度は少し勢いがついてきます。
 正拳基礎
 これは押しでもネコパンチでも殴りでもない、「突き」の動きを教えるための練習です。落下の勢いに合わせて両手を突きだしますが、この際に後ろから両肘を押してやると、「突く」という感覚が身につきやすくなります。また、腕や方の力みをできるだけ取るようにしてこれを繰り返します。

 そして、この感覚を覚えたところで、並行立ちになって正拳突きを出す稽古に入ります。なんとまあ地味な稽古でしょう。ゲーム感覚の少しもない、子供なら5分で飽きる、そして体力の溢れる若者であればこんなことよりミットやスパーリングをやりたくなるでしょう。しかし、ある程度仕事人生を送ってきた大人は違いますね。内に籠っていくというのか、のめり込んで何度でもこれを繰り返して、翌日に激しい筋肉痛に見舞われることになることがとても多いですね。こうなってくると、時折ポイントを指摘してあげるだけで十分な状態になります。KBさんは黙々と汗だくになってこれを繰り返していましたね。

 この後、前屈立ちになって追い突きをする練習に入ります。ここにも空手の奥義が隠されていると私は思っているので、入念に稽古してもらいました。移動の際に頭が上下しないことで、接近を察知されにくくなることも経験してもらいました。大人というのは、何のためにこれをやっているのかを理解すると、それに向けて黙々と努力することができます。

 ちょと休憩して次は前蹴りの稽古です。片足をひょいと上げ、膝を抱え込み、その状態で骨盤を前にまくり上げる練習からスタートです。まくりあげるとは、臍が上を向くようにすることです。左右でこの感覚をつかんだあとで前蹴りの動作に入らせると、上達はとても早いです。基礎となる体の感覚をまず覚えてもらって、その後技の練習に入りました。KBさんはこの前蹴りのセンスがあるようです。

 この後、前屈立ちで追い突き、前蹴り・・という移動稽古を行って今日の体験は終わりです。1時間半くらいの稽古でしたね。汗だくになりながらも、稽古にのめり込んでいたKBさんの様子を見ると、この人は自宅でも多分これを繰り返してくれるだろうなと確信しました。中年空手家の第一歩に立ち会うことができて光栄でした。

 参加者はほかにKHさんと、NMさん親子(息子さん二人で合計三人)も参加しました。それぞれに自分のテーマを決めて稽古をしていましたが、私はジムのトレーナーのように、あちこちに飛んで回ってはポイントをアドバイスしました。自分の稽古にはなりませんでしたが、空手を研究する最良のチャンスだったと思います。

 有明稽古会も軌道にのってきました。こうして仲間が増えてくれることを今から楽しみにしています

 
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それぞれの「強さ」を求めるために。

強さ

 (これもいい漫画でしたね・・・・・スラムダンク)

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中年空手百条委員会の有明省吾です。

 みなさん強くなりたいですか?「Yes」であれば問題はありません。求める強さも人によってさまざまだと思います。組手の強さ、心の強さ、健康、なんであっても本気でそうなりたいと思っているなら中年期から空手を始めても続くでしょう。

 さて、問題は、そのために「空手」を選んでいるということですね。空手を通して心や体を強くしたいと考えていらっしゃると思います。それでいいと思います。続けている限り間違いなくそうなるでしょう。

 ただし・・・・・この「空手を通して」というのが肝心です。空手がうまくなる、強くなる。それを目指していくことがとても大事なことだと思います。目指しているけれども強くなれない、上手くなれない。それでも別に構いません。人それぞれですから、しかし、空手が強くなろうとしない、うまくなろうとしない。こうなってくるとちょっと話は変わってきますね。長く続けられるかどうかの境界線がそこにあるような気がします。

 健康になりたいから空手を始ることはとても素晴らしいことです。一方で、健康になるために空手をやってるんだから、別に強くなれなくてもいい・・・・・・・・と考えるのは微妙です。確かに努力の結果なかなか強くなれなくてもこれは仕方ありません。それでいいと思います。なお強くなろうと努力すれば問題ありません。しかし、強くなれなくてもいいと最初から決めてかかって一歩踏み出す姿勢を失ってしまうと、結果的に長続きもしなければ健康にもなれないのではないでしょうか。

 強くなろうとして努力するからこそ、結果的に健康になるように思います。

 空手を通して・・・・とはそういうことだと思うのです。中高年で空手を始めるとなかなか上達しないという状態になることが普通です。空手の基本も初心者にはなかなか複雑怪奇なものですからね。注意されてもなかなか覚えるものではありませんし、動きを覚えても妙な癖がついたりすると、それがなかなか取れません。これも仕方がないことです。

 しかし、たとえば稽古を始めて3年も4年もたっているのに、「型の演武中は下を向くな」と注意されてきたことがいまだに身についていないとすると、これはどうでしょう。自覚がなくとも心のどこかに「うまくなれなくてもいいや」と諦めている部分があるのだと思います。実に私は茶帯になるまでこの下を向く癖がとれませんでした。人間ですから、いくら頑張って努力しているつもりでも、やっぱり、そうはいかないものです。

 実に18年たった今でも、「あららら」と気づくことがあります。身に付けたつもりで実はスルーしてきた細かい部分がたくさんあります。上手く見せていただけで、実は上手くなっていなかったのです。「おれはこの程度で十分」と頑固に思っていたのかもしれません。こんな部分にもっと几帳面に対応していれば自分はもっとうまくなっていたのかもしれません。本当に強い人というのは、こういう部分がとても謙虚なのかもしれませんね。

 私の稽古はこうした「あららららら」を発見して、それを改善することが中心になっています。それなくしてこれ以上の上達はないでしょう。上達をあきらめてしまうとモチベーションは決して続きません。「あらららら」のおかげで稽古が続いています。全く情けない話なのですが、こうして稽古をしていると、確かに健康になっているのがわかります。

 これは組手でも同じです。私は稽古の中で、40歳年下の若者ともスパーリングをしています。この連中が生まれてたときに私はすでに体力の峠を越していたのです。体力もパワーもとても私の及ぶところではありません。反射神経も若さにはかないません。まさに毎回「あらららららら」の連続です。余裕を持って若者をいなして「まだまだ青いな。稽古しろよ。」なんてカッコイイセリフが吐ける状態ではありません。

 しかし、強くなることを決してあきらめてはいません。なれるかどうかは別です。しかし、諦めるのは死んでからでも遅くありません。正直痛いのもしんどいのも嫌ではありますが、何とかする方法がないか・・・・・と、ここで剛柔流の稽古会に参加することにして基本と形の見直しを始めました。これによって私のフルコンタクト空手の見方が大きく変わりました。年寄りでも戦えるヒントのようなものをたくさん発見しています。そして、それを発見しても、実践するためには今まで疎かにしてきた部分をしっかりと身に付けなければいけないことに気づきました。やっぱりここでも「あららららら」だったのです。

 結局のところ、未熟だからこそ続いているということですね。未熟だからやめますというのは嘘だと私は思っています。それは変わろうとする努力をあきらめていることに過ぎない気がします。諦められるということは、多分やるのは空手でなくてもよかったのかなと思います。中高年になるとどうしても「今の自分でいいんだ」という気持になりがちですが、最終的にはこんな心の老化との戦いなのかもしれません。この戦いを繰り返すなかで、心もまた強くなっていきます。

 仕事の都合や健康上の理由で、5年、10年と空手から離れるのは仕方ありません。また、初心者のうちから組手をガンガンやる道場に入ってしまって、とても中高年には無理だと感じてやめてしまうことも、これは仕方がありません。でも、空手が好きなら、どこかで自分のあった道場を見つけて、そこで黙々と稽古を続けていけるでしょう。それでもいいと思います。

 ただ、一番よくないのは「俺は健康のために空手をやっている」「俺は心の修業のために空手をやっている」「仲間とワイワイやれるならそれでいい」と言いながら、いつの間にか上達を拒んでしまっていることです。自覚があるかどうかはともかくとして「これ以上はできなくてもいい」という気持がそこにあって、それを放置しているなら、空手は続かないでしょう。強くなろう、うまくなろうと努力しても身につかないものが沢山積み残されるのが空手なのです。最初から「できない」「やらなくていい」と決めつけてしまえば、早晩空手は行き詰ってしまうでしょう。行き詰ってしまえば健康も心も仲間もありません。

 健康であれ、心であれ、仲間であれ、少しでも上達しよう、強くなろうという気持があってこそです。そして、そんな気持ちでいても、なお心のどこかには「これでいいや」という自分がいます。それを探し出しては「いいわけねえだろ!ボケ!」と一喝しながら前に進んでいくしかありませんね。だから、できない自分、弱い自分を責めてはいけません。その自覚が、実は空手を続ける重要なモチベーションになりうるのです。

 それぞれの求める強さは様々であっていいと思います。組手が弱くても心が強くなっていくのならそれでも構わないでしょう。しかし、それぞれの強さを求めるために必要なことは、「空手が強くなりたい」「空手がうまくなりたい」と思う心と、そのための取り組みではないでしょうか。それさえしっかりしていれば、それぞれの求める強さが必ず手に入ると私は思います。

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3月14日の稽古 すべての蹴りは実は前蹴りである。

蹴りの基礎
 中年空手百条委員会の有明省吾です。

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 さて、14日は午前中の稽古会に参加です。

 四股立ちという立ち方がありますね。この稽古会の最初に、この四股立ちについて、上記のイラストのようなイメージを持つ練習を行いました。下記の動画で両手を下に伸ばしているのも、こういうイメージを持つことと関係があるかもしれません。で、これが最終的に蹴り技のイメージにつながっていくというお話しになっていきますね。


 まあ、四股踏みというのは、あちこちでその効果があると言われている運動で、最近では女性のシェイプアップにも有効だということが注目されています。その人の求める目的に応じて様々なメリットがある稽古法だと思いますが、空手的には「蹴り」を出す際の体の感覚をつかめるという点にもメリットがあります。
  
 まあ、簡単に言えば力士のように高々と足を上げて四股を踏めれば回し蹴り、横蹴り系の蹴り技はかなりうまくなるだろうということです。特に柔軟性に恵まれない人にとっては、このような足の挙げ方は大きなヒントになると思います。

 で、その蹴り技のスタートラインとしての四股立ちは、足腰の上に胴体が乗っているというイメージではなく、胴体の両脇から足が生えているというイメージから始まります。これは要するに、股関節を緩めて胴体をずどんと落とす、両足の間に胴体を落とし込むような感覚ですね。上体を前に倒しながら股関節を最大限緩めてから、上体をすっと起こします。

 一般に「腰を落とす」と言われる動作は、腰をただ落とすのではうまくいかず、思い切り股関節を緩めて沈み込み、最後にすっと上体を起こすようなイメージが大事なようです。ですから腰を落としているよ言うよりも腰を引き上げるというほうが実は正確な言い方かもしれませんね。この立ち方だと足の筋肉で立つというキツい状況が改善します。脛の骨が積み木のように全身を支えてくれるようになるからですね。

 ここで股関節を緩めるという感覚がわかったところで、片足をひきつけます。両足が揃って膝が曲がっている状態になりますが、ここから、また四股立ちに戻る。こんな動作を繰り返します。股関節の開閉をここで意識します。何度かこの開閉を繰り返したあとで、また両足をそろえ、そこから前蹴りを出すように膝を持ち上げてやりますが、この際に、股関節を開く意識で足を持ち上げると、蹴り足がぐぐっと上がっていきます。同様にして回し蹴りを出すように膝を側面に持ち上げると、これまた「ぐぐっ」と足が上がります。

 股関節を開く意識というのは、冒頭イラストのように、両足の間に体を押し込むようなイメージと言えます。たとえば横蹴りにこれを応用すると、軸足に重心を移してから、両足の間に胴体を押し込むような意識で蹴りを出してやることで、自分の柔軟性とは違う原理が働いて、少しづつ足が上がるようになっていきます。これは相撲の四股踏みと同じような原理なのかもしれません。なお、体を両足の間に押し込むためには、腹を突きだすように前に出そうとすることが有効です。前かがみで蹴りを出す癖のある人は、むしろ腹を前に出した方が足が上がりやすいようですね。

 さて、実はこうしてみると、横蹴りも(ということは後ろ蹴りも)、回し蹴りも、原理的には前蹴りと同じ動きになっていることに気づきます。両足の間に体を落とし込んでやるという意識はすべて共通なのです。フルコン空手をやっている方は特に試していただきたいのですが、前蹴りを出しながら軸足を返してやると、横蹴りになり、あるいは回し蹴りに近い軌跡になるはずです。(三日月蹴りともちょっと違う軌跡です)ご承知の通り、前蹴りのように膝を引き上げてから、回し蹴り、横蹴りを出されると相手は相当に判断に迷うことになるでしょう。

 まあ、こういう戦術的な面はともかくとして、蹴りというのはどっちかと言えば「やっているうちにうまくなるから」という感じで、数をこなして稽古をするところが一般的なのかもしれません。こんな感じで原理原則から稽古する機会が私にはあまりなかったので、才能、柔軟性においてどうしても遅れを取ってきたのですが、こうした知恵を使って稽古すれば、今からでも十分に弱点を補えそうな気がしてきました。

 実は、上記の「両足の間に体を押し込む」という感覚が身につくと、骨盤が微妙にスライドします。押し込んでいるのだから当然なのですが、前蹴りは前方向に、横蹴りは蹴る方向に骨盤がスライドします。このスライドを意識するとより一層両足の間に体が押し込まれていくようです。そして、横方向への蹴上が難しいひとは、この骨盤のスライドが一つの可能性になるかもしれません。私は少なくともこれで、横蹴りがかなり改善しました。

 で、この骨盤のスライド(と私が勝手に呼んでますが、もっと正確な言い方があるのかもしれません)は、剛柔流の型「セイサン」の中で教えられています。最後の直前に出てくるちょっと特殊な前蹴りがそれに当たります。以下の動画ですと1分27秒のあたりに出てきます。ちょっとみると「遅い前蹴り」に見えるだけかもしれません。


 この前蹴りは通常と違って踵から出しています。当たる直前もしくは当たった直後にスナップを使ってつま先を前に出してインパクトし、その後踵を真下に落とすようにしてもとに戻します(剛柔流ではこれをカカト落としというそうです)。ミットを持ってこの蹴りを受けてみると、嫌な衝撃がきます。至近距離での前蹴りで見えにくいのも嫌です。

 この際のスナップを効かせる場面で骨盤のスライドが前方向に起きています。このスライドが蹴り技の秘訣だということをここでこの型は教えているようなのです。フルコン空手においても、上段から落としてくるカカト落としには、骨盤を前にずらす動作が伴っているはずですが、この感覚を普通の前蹴りに活かすと、前蹴りがぐっと伸びていきますね。

 とまあ、こんな感じで文章は理屈っぽいのですが、稽古はきわめて地味で、同じ動作を黙々と繰り返すのみ。息が上がるような疲れは一切ありませんが、筋肉が絞られるような、骨が軋むようなしんどさがありましたね。汗もダラダラではなく、じわり、ポトポトという感じで噴き出してきます。指導者のOさんの説明を受けつつ、自分の体でそれを感じて、多分こういうことなんだろうなと思ってまとめたのがこの記事なので、もしかしたら不正確な表現があるかもしれません。両足の間に体を押し込むような意識のことを、指導者のOさんは「腰を割る」という言葉で表現していましたね。

 稽古後に、この意識を軸足を回転させる「回し蹴り」「後ろ回し蹴り」にも応用して練習をしました。いずれも「腰を割る」動きを意識して行いましたが、かなりいい感じです。後ろ回し蹴りなどは、カカトを当てる蹴り方ですが、蹴るときにはつま先を意識したほうが上手に蹴れるということもわかってきました。

 どうも、指導者のOさんは、私の前回の記事を読んでくれていたようです。そこでの私の躓きを見たOさんは、Oさんなりに解決法を提示してくれたような気がしました。これは大変にありがたいことだと思います。今回の稽古は、私にとっては、机の引き出しからドラえもんが現れたようなものでしたね。

 帰宅後はいつも以上に体がガタガタになり、猛烈な睡魔が襲ってきました。3時間は爆睡したでしょうか。目が覚めた後、せっかくつかんだ感覚を忘れないように練習をしようと思ったのですが、股関節はじめあちこちが痛かったので、体を休めることにしました。今夕、また近所の公園で、この感覚を思い出すために稽古をしようかと思っています。

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2ランク帯下に見える稽古をしよう。

色帯

 
 中年空手百条委員会の有明省吾です。

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さて、木曜日の有明稽古会は人が集まらず、私一人で二時間ほど稽古をしました。稽古会を主宰すると、自分だけはどんな時でも休めないですね。こういうところに、指導者のむずかしさがあるなあとつくづく思います。

 公園稽古と違い、閉ざされた空間での稽古です。誰も見ていません。こういう状況だとつい気が緩みがちになりますね。サンドバッグとかがあれば、それなりに集中できるかもしれませんが、どうも仕事の疲れのせいか集中力が途切れがちです。

 そこで、「今日は2ランク帯下に見える稽古をしよう」と思いつきました。

 誰でも、自分の得意技ばかりを稽古すれば、帯相応かそれ以上に見えると思いますが、自分の苦手な技ばかり集めて稽古したら、帯が2ランクぐらい下がって見えると思います。幸いだれも見ていないことだし、もっとも下手くそな技ばかりを稽古しようと思い立ちました。結果的にいうと、これはなかなかいい稽古でした。

 まず「横蹴り」を横移動しながらひたすら繰り返します。ゆっくりと20分、30分、繰り返します。勢いで出すのではなく、体幹の筋肉を使ってゆっくりと出していきます。これが相当にしんどいながらも、10分もすると技のコツをつかみ始めてきます。
 
 この「コツをつかむ」というのは、具体的に言えば「ああ、あの動きと同じなんだ」と気づくことです。横蹴りを出し続けているうちに、クルルンファやサンセール―という型の中にある「関節蹴り」の出し方を思い出し、私の横蹴りの出し方をそれに近づけていきます。そうするとうまく蹴りが出るようになります。こういう時にも型稽古は役に立つものだなあと思いますね。困った時の答えが結構隠されているように思います。

 そして、極真空手でよく練習する「五本蹴り」を稽古しました。私はこの稽古が苦手なのです。ここでは松井館長の芸術的な五本蹴りの動画を紹介します。これは流派を問わず大変いい稽古だと思いますので、一人稽古をされている方は参考にしてみてください。
 
 これ、簡単に見えるかもしれませんが、この動画のようにスムーズにこれを出すのは中高年で空手をやる人には至難です。体の硬い人が足をあげようとして扇風機のように振り回すと最悪の結果になります。軸がブレブレになってバランスが最悪になり、足の着地点が定まらなくなってしまい、まっすぐに前進することすら不可能になります。いうなれば、倒れる前のコマみたいに、よたよたしてしまうのです。松井館長は本当に回り続けるコマですよね。

 で、私は足を腰の高さまでしか上げないことにして、軸を意識して五本蹴りを繰り返しました。足を振り回すのではなく、体の軸を回転させて足がそれについて運ばれる感覚です。やっているうちに、これもまた何かの型で稽古した感覚だと、体の記憶が気づき始めます。何だっけ、この動きは・・・・・・・・・・・・。そうです、何度もこのブログで話題にしている「平安裏」の型です。最近この型を何度も稽古しているのですが、背中方面にくるくると回りながら技を出しているような型ですね。この型も足を振り回して回転しようとするとうまくいきません。体の軸を回転させ、足はそれについてくるのみ・・・・そんな型です。

 20分、30分と続けていると、さすがに体がいい具合の動き方を勝手に見つけてくれます。平安裏の感覚がやはりとても重要なのです。平安裏の型が極真空手にある理由は、やはり極真が蹴り技を重視するからなのかもしれないなと思いましたね。特に体の硬い人や、蹴り技のセンスに乏しい人は、こうして蹴りのセンスを身に付けていくのかもしれません。

 考えてみれば、道場稽古で、苦手な技を20分、30分と連続して行うことってのはなかなかないですよね。一斉稽古なので自分だけそれに集中しているわけにはいきません。まあ、後で自分でそれを繰り返して稽古するしかないのですが、それをサボったままにしておくと、後々ツケが回ってくるのかもしれません。

 とまあ、30分ほどこれを稽古したおかげて、今日は腹筋が激痛ですが、毎日30分、これをやる時間が取れれば、短期間で相当蹴り技が変わってくるように思いました。今日も職場の廊下で、誰もいないのを確かめてから、この五本蹴りを何度か練習したのですが、体の軸がしっかりとしてくると、足を振り回さなくても回転が加速してくる気がします。

 最後にスーパーリンペイの型を稽古しました。これもまったくど下手で、人前で稽古しているのをとても見せられないような状態なのですが、誰も見ていない閉鎖空間の中で、思い切り、ど下手さを炸裂させて稽古しました。しかし、この型も本当によくできているもので、ここに至るまでの剛柔流のほかの型の動きがとても参考になります。

 まあ、才能のある人は黙々と技を繰り返せば上達も早いと思うのですが、才能のない私のような人間にとっては、才能の代わりに「型の知恵」が役に立っているように思います。その型がどんな体の使い方を教えようとしているのか、それをしっかりと理解したうえで形稽古をすることが大事かもしれません。私は剛柔流の稽古会でそれを学んでいるのですが、最近ではこんな感じの動画も多く大変勉強になります。

 ここでは、型の教えている体の使い方を抽出し、それを実際の技に応用するという流れが紹介されていますが、型はこんな秘訣を間違いなく教えてくれるもののようです。


 
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