秘伝極真空手
日貿出版社
1976-04


 中年空手百条委員会の有明省吾です。
 
 今から40年ほどまえに、「秘伝 極真空手」という本が出版されました。
 最初海外でThis is Karateというタイトルで出版され、ベストセラーになったものが
 国内で日本語版として出版されたものです。
 著者はもちろん、大山倍達先生です。

 当時でも8000円という大変高価な書籍でした。
 知り合いの電気屋のせがれが、この本を持っていたので
 拝み倒して借りてよみました。電話帳のような大きさで持ち運びが大変でしたね。
 現在は絶版になってはいますが、古書として流通しています。かなり高価です。
 15年ほど前に、この続編である「続秘伝極真空手」と2冊セットで、2万円で購入しました。

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くみて4

 昨今の極真空手しか知らない方は多分衝撃を受けるでしょうが
 この写真のように、まるで伝統派の教本を見ているような内容です。
 上記写真は「組手」の技術を紹介したものと、組手の構えです。
 猫足立の構えを撮っているところに、剛柔流のにおいが強い気がします。

手のひら 組手
 当時の極真の試合動画などを見ても、このような構えで組手が行われていました。
 実際に相手に「当てる」ことを前提に試合をしているだけで
 基本的には今日と異なり、空手らしい構え方、戦いかたをしていたようです。
 沖縄剛柔流の東恩納盛男先生の組手を見ると、この辺の組手にとてもよく似ています。

 また、極真から独立された中村忠師範の著書などを読むと、極真会館も、その初期には
 大学の空手部などとも頻繁に交流稽古をしていたことが書かれています。
 これら空手部は伝統派の流派だったようですが、
 それでも組手が成立していたということですね。
 当時の伝統派も、今日のようにフットワークを多用しておらず、
 あるいは極真との組手も可能だったのかもしれません。
 中村忠師範も剛柔流の出身なので、当時の極真の稽古にも
 剛柔流らしさが残っていたのかもしれません。
 10年以上前に見た動画で、模範組手をしていた中村師範が
 しっかりと引手を取って構えていたことがとても印象に残っています。
 
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 これは、極真会館設立以前の大山先生と、剛柔会の山口剛玄先生の写真です。
 ともに稽古をしていたころの写真と思われますが
 山口先生は十段位の赤帯をしめているようですね。
 そして、大山先生の帯に注目してください。黒帯ではありません。
 高段者の帯ですね。赤字で中央が白になっているようです。
 大山先生は極真以前はこのように剛柔流の高段者として知られていました。
 また、当時の山口先生の道場では「当て止め」と呼ばれる方法で組手を行っていたようです。
 打ち抜かないけれども実際に当てる。そんな稽古だったようです。
 これも極真会館の稽古に影響を与えていたのかもしれません。

 あの「牛殺し」のときには、マンガでは大山先生が孤独のうちに行ったことになってますが
 実際には伝統派の先生方も数多く協力していたようですね。
 空手の威信をかけた一代イベントだったらしく、たとえば玄制流の祝嶺正献先生などは
 その会場で空手の演武をされたようです。
 当時の大山先生は伝統派空手のホープだったと言えるかもしれません。
 (事実、そのように書かれている本もあります)
 
 極真会館設立後も、大山先生は海外出張などで忙しく
 剛柔流や松濤館流の道場から「師範代」を借りてきて稽古をさせていたようです。
 当然、稽古も伝統派的なものが中心になっていたようです。組手以外は。
 極真空手の中に、いろいろな流派の要素がごっちゃになっているのは
 それが大本の原因なのかもしれませんね。

 表向きは、そんな大山先生が、伝統派を猛烈に批判したことで
 伝統派との関係がおかしくなったということになっているようですが
 それはあくまでも一因であり、
 実際には、伝統派のバックについていた大物、S氏と大山先生との
 関係がこじれたことが大きいようです。
 いろいろな事情通の話を総合すると、S氏と大山先生は基本的には「歩み寄り」の路線を
 模索していたようですが、なにかお互いに感情を害することがあったらしく
 それで歩み寄りの姿勢がパアになったというのが実情のようです。

 さて、その後、極真も伝統派も、試合中心に技術の発展を見せますが
 その過程の中で、お互いに全く異なる組手をするようになっていきました。
 ルールの中で勝つということは、つねに新しい勝ち方を模索する動きを生みますね。
 極真も、伝統派も。
 極真においては、「顔面突きがないなら、顔面ガードは不要だ」という戦いかたが主流になり
 一時期は「相撲空手」などとも言われるようになりました。
 
 私も極めて古い極真ファンであり、ファン歴は昭和49年ごろまで溯ります。
 そのころはまだ「伝統派的」な色合いが強く残っていたように思います。
 そして、そんな時代の極真が好きになった人間です。
 なので、「相撲空手」などと呼ばれるようになって以降の極真の試合はあまり見なくなりました。
 
 これは、あくまでも私のこだわりの問題なのですが
 私は伝統派っぽかった極真が好きです。
 フルコンタクト空手を修業していながらも、伝統派の稽古会に参加したり
 伝統派の本をいろいろと読んだりしているのもそれが理由です。
 そして、私の中では、伝統派だ、フルコンだという区分もあまり意味がありません。
 どっちも空手なので、どっちも好きなのです。
 もはや両者は遠くかけ離れてしまっており、いまさら一緒になれと言っても無理ですね。
 また、一緒になる必要も、もはやありません。
 しかし、私は極真空手の中の伝統派的だった部分にこだわっていきたいと思います。
 現に、その基本の中には、古い空手に通じるものがいくつも残っています。
 そんなものの意味を発見したりしながら、
 フルコン空手の稽古を続けていきたいと思っています。

いよいよ年末ですね。皆様はいかがお過ごしでしょうか。常連の方も初めての方も、ぜひコメントで近況をお知らせください。また、ご訪問のおりには下記をクリックしてくださると励みになります。変わらぬ応援をよろしくお願いします。