キュリオス速報

2ちゃんねるで話題になったニュースや、おもしろニュース、その他をまとめます!!

歴史

1:2016/02/25(木) 07:37:16.37 ID:
イースター島、人殺しの武器を作らなかったと新説 | ナショナルジオグラフィック日本版サイト
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/16/022400064/


 ラパヌイ(イースター島の現地名)のモアイほど、世界的に有名な遺跡は数少ないだろう。
また、その石像を作り上げたポリネシア人たちの悲しい結末ほど、人類の未来への警鐘となる話も少ないだろう。
この記事の続きを読む

【古人類/遺伝】現生人類、ネアンデルタール人からうつ病など計12の病気に関連する遺伝情報を受け継ぐ/米バンダービルト大など[02/12]

1
:2016/02/14(日) 01:06:16.50 ID:
現人類、うつ病受け継ぐ? ネアンデルタール人から
共同通信47NEWS 2016/2/12 04:00
http://this.kiji.is/70590176763086325

【ワシントン共同】現生人類は数万年前に祖先が混血したネアンデルタール人から、
うつ病など計12の病気に関連する遺伝情報を受け継いでいると、
米バンダービルト大などのチームが12日付の米科学誌サイエンスに発表した。

関連が深かったのは、うつ病や気分障害のほか、日光を浴び続けることで皮膚に赤い斑点やかさぶたができる
「日光角化症」や血液が凝固しやすい病気、たばこへの依存などだった。
遺伝情報を担うDNAの塩基配列に、ネアンデルタール人との混血に由来する変異がある人は、これらの病気の危険性が増すという。

------------
▽関連
Science 12 Feb 2016:
Vol. 351, Issue 6274, pp. 737-741
DOI: 10.1126/science.aad2149
The phenotypic legacy of admixture between modern humans and Neandertals
http://science.sciencemag.org/content/351/6274/737
http://science.sciencemag.org/content/351/6274/737.full
この記事の続きを読む

【国立科学博物館】日本人のルーツは? 世界初、旧石器時代の航海再現で解明へ

1
:2016/02/11(木) 00:45:53.25 ID:
 【東京】われわれの祖先は偉大な航海者だったのか? 国立科学博物館は「3万年前
の航海 徹底再現プロジェクト」を実施する。日本人の祖先の一部は、旧石器時代の約
3万年前に大陸と陸続きだった台湾から海を渡って琉球列島に渡った可能性が高く、同
館の海部陽介人類史研究グループ長らが、当時の航海の様子を再現して検証する。9日
同館で会見した海部さんは「海を渡って移住した祖先が直面し、乗り越えた困難を検証
したい」と話した。

 海部さんら人類学や考古学の研究者、海洋探検家など20人以上でチームを結成。当
時使ったと考えられる草を束ねた舟か竹のいかだを3隻作り、今年7月に与那国島から
西表島、来年7月に台湾から与那国島への実験航海をする。旧石器時代の航海の実験は
世界で初めて。

 琉球列島の遺跡調査から、約3万年前には日本人の祖先が住んでいたとみられる。海
底地形や化石の研究などから、沖縄に定住した集団は台湾から海を渡ってきたとみられ
る。

 台湾からの航海には、目的とする島が小さく遠いことや、世界最大の海流の黒潮を越
えることなど、困難が多い。実験を通し、どのような舟や航海技術、人数規模だったの
かなど、大きな謎を解いていく。一連のプロジェクトをネットで公開し、多くの人と試
行錯誤し体験を共有する。

 総費用は約5千万円で、ことし7月の航海に必要な2千万円を一般からネットで募集
する「クラウドファンディング」を活用し、調達する。

沖縄タイムス:http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=153408&f=i
この記事の続きを読む

【政治】 森鴎外はスパイだった?モラルに欠けた軍医が権力の頂点に立てた理由 (現代ビジネス)

1
:2016/02/07(日) 06:32:05.06 ID:
2016年02月07日(日)

森鴎外=山県有朋の“スパイ”説の真相を追っている。

二人の交流が文献で確認できるのは、日露戦争後の明治39(1906)年6月、歌人としても知られた山県の肝いりで和歌研究会「常磐会」が結成されてからだ。

歌壇の重鎮4人が選者として招かれ、鴎外と、彼の盟友・賀古鶴所が幹事になった。それから鴎外は山県と親しくなり、山県のブレーンにるのだが、その経緯を述べる前に『軍醫森鴎外』(日本図書センター刊)という本にふれておきたい。

これは、鴎外直属の部下だった山田弘倫が、自らの見聞や先輩・同僚らの証言をもとに、軍医としての鴎外の足跡をたどった、貴重な記録である。そのなかに第二軍軍医部長として日露戦争に出征した鴎外の意外な素顔が描かれている。

第二軍は明治37年5月、中国の遼東半島に上陸。1日で4300人の死傷者をだす激戦のすえにロシア軍を撃退した。直後に問題となったのが、前線各地の野戦病院に収容された負傷兵の処置だった。

敵が反撃してくる前に、彼らを後方に運ぶ必要があった。だが、第二軍ではその後送体制が整備されておらず、担架や車両もわずかしかなかった。患者の後送をどうするかは、野戦病院ごとの判断に委ねられた。

そこで一計を案じたのが、七里庄の野戦病院を任されていた軍医・飯島茂である。彼は、軍の輸送船から陸揚げされた食糧を前線まで運んでくる中国人たちの荷馬車に目をつけた。

中国人は揚陸地から2日がかりで食糧を運んで9円の賃金を得るが、帰路は積み荷がないので一銭ももらえない。そのため途中で逃亡する車夫もいた。ならば、賃金を割り増しして帰路は患者を運ばせればいい。

飯島は食糧輸送の責任者に話をつけ、午前中に、中国人の馬車86台で患者300人を後送する準備万端を整えた。

次ページ 俺の面子を潰すな!
(続きや関連情報はリンク先でご覧ください)
引用元:現代ビジネス http://gendai.ismedia.jp/articles/-/47703
この記事の続きを読む

このページのトップヘ