ハタイ先生IMG_3903


ハタイクリニックの幡井勉先生がお亡くなりになった。
日本にとにかく一番早くアーユルヴェーダを紹介し広めた功労者であり、アーユルヴェーダ界の重鎮、そして東方医学や統合医療の礎を日本の医学界に築かれた医師である。

寒かった昨日、2月10日の午後1時26分だった。
私はsatvikことハタイクリニックスタッフの佐藤真紀子と一緒に今年10月のアーユルヴェーダイベントの打ち合わせで会場の聖路加大学へ向かうところ。そこで彼女から電話で訃報を聞いた。

先生が喜んで楽しみにしてくださっていたイベントの打ち合わせである。こんなときだけれど、決行することにして、築地へ向かう。
けれどかなり動揺しており傘を取りに寄った自宅で傘を忘れて、しかもコートの袖を反対に通して着られず閉口したり、日比谷線を反対方向に乗ってしまって遅刻したり。

打ち合わせ後ふたりで東邦医大の霊安室に向かう。
東邦医大は先生が教鞭をとられていた大学。ご遺体は先生らしく献体である。
もう翌日には遺体が引き取られるので亡くなったその当日しか面会はできない。ホルマリンに浸けられた遺体はゆっくりと一年かけて研究に役立てられるのだそうだ。

1年以上の闘病でお痩せにはなったものの、穏やかなきれいなお顔。触るとまだ柔らかい。
娘のような孫のような家族のような、ハタイクリニックの沢山のセラピストさんが先生の足をマッサージしながら目を真っ赤にして「先生生き返っちゃうかもね」と泣き笑い。
先生は患者さんをおろそかにされることを望まないからと、こんな日にも予約の患者さんの施術をきちんとこなして、次々とスタッフがかけつける。

先生はこの家族のようなスタッフを本当に大事にされた。
去年の忘年会では車椅子ながらもサプライズでマントに学帽、高下駄(これは結局危なくて履けなかったけど用意してくれとせがんだらしい)で往年の旧制高校バンカラ、幣衣破帽を演じて旧制高校風の正調で琵琶湖周航の歌を歌い上げ、喝采を浴びたそうだ。
死にかけても(と、敢えていわせてください)ネタを仕込む91歳である。
satvik曰く、先生の「被り物道」は黒帯級。お茶目度120%だ。

先生は平和を何よりも愛されていた。
第二次世界大戦では従軍医師として当時のビルマで捕虜になった。
だから先生がミャンマーにどうしてももう一回行きたいのだとお聞きして、二年前のお正月に私とsatvikはミャンマー行きを計画していた。けれど軍事政権の壁は厚く断念。旅行社曰くとてもリスクが大きいと・・・行きたい土地はかなりの奥地だったのだ。

先生は医師会にも属しておられない。それは憲法9条との難しい兼ね合いなのだという話を伺ったことがある。

先生はちょっとエロい。
40歳年下の飲み友達である伊藤武氏と飲みに行くと、話題はそっち方向だったと・・・私は何故か知っている(笑)
富山での学会で某女性医師の講演を私が褒めたときは、それに対して「いい足だな」とお答えになった。

先生は愛妻家である。
晩婚の伴侶は元聖路加病院の婦長。あの日野原教授と同年代で同僚として渡り合ってきた筋金入りの元祖キャリアウーマンである。
ラブラブの逸話はいくらでもある。晩年少し記憶があやふやになる事がある奥様が何かに脅えてしまったりすると人目も憚らずにずっと手を握り安心させ、不安が治らないとチュッチュし続ける。
やがて奥様は深く安心しにっこりなさる・・・。
なんてイイオトコなんだ幡井勉は!!!!あの世代にそんな素晴らしい男性がいたとは!
女にとっての真のイイオトコとは、「愚妻が」と呼ぶ謙譲ではなく、人前だろうが本質的に必要な愛情をその場でためらわずに実行できる度量である。

先生は熱い心を見つけるとどこまでもサポートしてしまう。
若いが真剣に何かに取り組んでいる、お金はないが志が高い。そんな話を聞くと自腹で飛んでゆき、出来る限りのサポートをしたり自分の人脈から繋がりをつけて切っ掛けを与えてあげる。
そのお世話になった人の数は知れない。
最後のそんな旅は、今回私と一緒にスリランカへ行った隠岐の海士町のサミーラ君を訪ね励ます旅だった。アーユルヴェーダのハーブであるゴトゥコラは母国スリランカの大事な薬草。それを日本で普及させ島興しもしたいと奮闘しているスリランカ青年が日本にいると聞き、境港からフェリーで3時間以上かかる隠岐まで、去年病床から出かけていった。
今週末までスリランカに残っているサミーラに私は連絡を頼み、そちらでお祈りするようにと伝えた。

先生はロマンチストである。
私の一冊目の著書が出版された打ち上げをペイズリーで行ったときに沖縄行きの話になった。
先生はあくまでも自分は飛行機ではなく船で行くと駄々をこねた。理由は、だんだんと陸地が見えて近づいてくるあの景色が堪らなくいいからなのだそうだ。
道端の花も何気なくさっと一本摘んで奥様に差し出したりされる。

奥様は、昨日弔問に訪れた方々にしっかりと先生の最期の様子を説明されていた。私はメモをとった。
「苦しまなくて良かったわ。ひとつふたつ、苦しそうな息をしてましたけど(胸をさわって)ここらへんで息をして苦しまなかった。年をとったからしょうがない。幸せな人生だったと感謝しています」 状況説明を具体的になさるあたり、さすが元婦長である。
「みんなに集まっていただいて、主人も幸せですね。私も幸せ」
(立派な人でしたねと言われて)「立派じゃないです、いいかげん。でも悪い人じゃなかった。のろけることができるだけ、いい人だった。幸せな生涯だったと感謝しています」
しっかりお話されつつも近くにいた男の子を指さして「あら、あれはワンコちゃん?」
お二人とも既に神様の領域。ちなみに奥様は先生より年上で95歳とお聞きした。

先生ご夫妻はクリスチャンである。
葬儀は不要との遺言でお葬式はない。そもそももう献体されてしまってご遺体もない。
写真を囲んでのお別れ会は小規模に行われることが決まったが、それぞれがその場で祈りご遺志を胸にアーユルヴェーダ界の未来に貢献することがご恩返しである。

私は最後のお別れに深く深く頭を下げ、お礼を言った。
学会報に執筆の機会を頂いたり本の帯を書いていただいたり、伊藤センセと突然福島の薬草園まで連れて行かれたり、感謝し慌ててあたふたしつつも沢山のことを示し諭して下さり、学ばせていただいた。

人を育てるとはどういう事か、真に平和を愛するとはどういうことか、言葉以外で行動で生き様で教えていただいた。

霊安室を辞してから、ハタイクリニックのスタッフさんたちと一緒に食事をしながら先生の思い出を語り合った。
誰もがとっておきの爆笑話を持っている。大いに笑って涙ぐんで、私たちは先生にお別れした。

深夜終電ギリギリで帰宅し、本当は塩を身体に振るのだけど・・・と気づいたがすぐに思い直した。
先生の素晴らしい気を頂いてきた。既に何よりもそれは清らかで素晴らしい。清める必要など全く無いのである。

家ではとーちゃんを相手にさっきスタッフのみなさんからお聞きしたばかりの愛一杯の爆笑話をしながら、とても温かい気持ちになった。詳しくは次回の学会誌シャーンティ・マールガで、編集長であるsatvikが素晴らしい話にまとめてくれることだろう。

ハタイクリニックのセラピストさん達は日本の財産だと私は思っている。
インドでも何回もアーユルヴェーダの施術を受けたが彼女たちにかなうテクニシャンはいなかった。
日本人ならではの細やかな気遣いと観察眼で施術台上での身体の向きに合わせた枕の高さにまで気を配り、オイルの温度管理やスチームの当たり方などすべてを最良にと常に整えている。
インドから招いた医師との勉強会と実践の修業を兼ねての河口湖合宿では早朝から夜遅くまでの施術でヘロヘロになりながらも深夜まで勉強会を続け研鑽を積んでいる。
マッサージをしながら油の吸い込み方をみながら圧のかけ方を変えたり、スチームのやり方を変えたり、シローダーラをしながら患者のリラックス度をみて油を落とす速度や落とす場所の移動をしたりなど、そんなことができるセラピストが世界にどれだけいることか。

はっきりという。彼女たちは本物で、一流である。
それを育てたのは幡井先生だ。

先生が望まれた聖路加でのイベントのミーティングに校舎へ入ったとき、入り口には受験の二次募集の合格者一覧が貼り出されており、合格した若い女性が携帯で一覧の番号の写真を撮っていた。

確実に世代は受け継がれてゆく。

わたしにとって、先生は本当に、世界一のイイオトコだった。
幡井先生、先生に恥ずかしくないような人生を歩んでゆきたいです。

合掌。


※上の写真は2006年3月、ハタイクリニックでの出版記念パーティーにて先生と奥様
 新井由己撮影


(スリランカブログは次回また続きをアップします!)