ニューハウス
チェッティナード料理って聞いたことありませんか?
南インドTamil Nadu州の料理で、グルメなインド人なら目を輝かすという通な料理です。
またはチェッティナードは土地の名前でもあり、チェッティヤールという銀行業などで世界的な財を成した一族のホームタウンでもあります。
このブログの最後にチェッティナードのことがよくわかる動画を貼りました。
ペイズリー帰国子女スタッフががんばって訳し香取が補足し、それも貼りました。聞き取れなかった単語もありますが、かなり参考になると思います。よろしかったらまずそれをご覧ください。

出会いは・・私が過去あるときチェッティナードのドライチキンを食べたのです。そのとき、その香りと味が何をどうしてどうすればこうなるのかが全く解らずしかもノックアウト級の美味しさで・・・いつか必ずこの謎を調べる!と誓ったのでした。
でね、今思うとあの料理は有名なチキン65の原形です。詳しくは動画を見てね。

ところがこの町は建築でも有名でした。この写真はかつてのチェッティナードスタイルの邸宅にきちんと手を入れてある有名なお屋敷です。
ああ、何から話せばいいんでしょう。私たちここに泊まるはずだったんです。

でも地図でみるからにそこはとんでもない田舎で、周囲には何もなく、そこにだけなぜこのような食文化や建築があるのかが、全く解らない不思議な場所。


チャトニバー
スリランカでツアー一行と別れた私はそのあと単身チェンナイへ。
初日の夜まず今回一緒にフィールドワークをしたChiliちゃんとチェンナイにあるチェッティナードレストランへ。
これはそこの、なあんと「チャトニバー」!!ワゴンでやってきて、欲しいだけ取ってくれるのよ、チェッティナードのチャトニが20種類食べ放題!!
何気なく一種類を頼んでそのまま会話に戻るchiliちゃんにまず、香取あきれました。
「あなたねっ!いくらチェンナイ在住でインド料理に困ってないからってね、この、今目の前にあるチャトニバーが日本のインド料理ファンが泣いてひれ伏して拝むほどスゴイってわからないのっ!」
「はーー?」(彼女の口癖w)
「いいわ。とにかくね、私は今感動してるの。このチャトニバーだけのためにでもここに来る人絶対いるわよっ」
「はあ・・・」

in car赤パンジャビ
chiliちゃんのお家に泊めてもらって積もる話などもしながら夜は更けて。
チェンナイでの料理修業の話はまたあとから書きますね、まずは2人で「いざ!チェッティナード」
タミルナードゥは広い広い。まず飛行機でマドゥライへゆき、お迎えの車に乗り田舎道をすっとばすこと約3時間。それまで2人でメールをあれこれプランして・・だけどインドらしくどんでん返しの連続で、それでもやっと待望の地を踏む充実感といったら!

このブログはとっても長くなると思います、でも書きます。書きたいんです。お付き合いください。

cマンション1
マドゥライから車はどんどん奥地に入り、バードサンクチュアリを抜け、野生の孔雀とかが歩いてたりする「This is 大自然〜」なエリアに入り、
するとイキナリ付近には全く無かった大きな街!
さらに行くとどでかく古いお屋敷街!

マンション3
あっちにもこっちにも、一定の特徴を持ったインドと西洋をミックスした大きなお屋敷・・・それが有名な「チェッティナードマンション」でした。

手入れが行き届かないお屋敷
今では手入れが行き届かず寂れたものがほとんど。

そもそも、チェッティナード料理の修業がしたいという香取のためにchiliちゃんが駄目元で交渉してくれたのが、一族のトップに君臨する(と言って過言でない)マダム・ヴィサラクシー・ラーマスワミーでした。何がどう繋がったものやら幸運なことに直接マダムの助けを得て、マダムのお屋敷に泊まる手はずに。
そのときチェンナイ在住の有名料理家Viji先生ですらぶったまげて、
「あのかたの所に!信じられない!」
「きっとスゴイお屋敷なんでしょうね」
「お屋敷じゃないわよ!パレスよ!」

実際に行って見たらやはりパレスでした。部屋は60以上、窓の数は1000以上・・・
それが一番上の写真です。

雨期の田舎道
そもそも雨期のタミルナードゥ、田舎道はこんな感じなんです。
歩くなんて無理。夜は明かりもありません。地図もちゃんとない。迷惑かけないように車を雇って動きます。
節約のつもりで歩くなら行かないほうがいい。
サソリやヘビに対応できません。たぶん動物もいるよ。
今回は本当の本当の上流階級のかたにお世話になるわけで、しかもやはりオープンな雰囲気のコミュニティーでもありません。アポイントを秘書のかたからしっかり頂き身なりも整えそしてインタビューも何しに来たんだかと思われないような内容の質問ができるようでないと。
これは若い頃の私には無理でした。この年になり可能なことでした。
インドのコミュニティーは外国人ゲストに表面的にはよく接してくれます。けれど突っ込んだ取材や調査をするには内側の細かいマナーなどがわかってないと話になりません。
私がインドとの国際結婚経験者であることも今回とても役立ちました。もちろん現役在印邦人マダムであるchiliちゃんとのコンビだったことも良かった。
それでも私はチャンナイで、マダムの取材をしたことがあるジャーナリストの女性を事前に単身訪問してチェッティナードのことやマダムのことを事前勉強しました。この時点でもう、英語でパニック寸前でしたが、やりたい事がある情熱ってすごいですね、なんとかなるもんだ。
本当に不思議とchiliちゃんを通しいろいろな縁や運がつながり可能となったのでした。

エントランス
古いお屋敷のエントランスはこんな感じです。
ここでマダムのご親戚の若い人の婚約式があったのです。
私たちはそこに呼んでいただき、そして婚約式で出る200食のご馳走の仕込みを前日から見学させていただいたのでした。
当日はなんと朝5時から出かけてゆきました。

タイル
チェッティヤール建築の特徴のひとつ、幾何学模様のタイルです。
このデザインが敷き詰められたときにハッとするほど生きるのです。


ジャパニーズタイル
ジャパニーズタイルです。実際日本で焼かれ、輸出されたものです。
こういう洋風趣味な、少し東洋テイストなものが喜ばれていたのですね。
チェッティヤールの財力がまさか日本にこのようなものを発注していたとは。

チェティヤール籠
チェッティヤールの人々はとても独特な鮮やかな色彩感覚を持っています。
これが籠なのですが、とっても素敵。
マダム・ヴィサラクシーは、このような伝統手工芸で女性の自立を支援しているのです。その功績が認められ表彰され去年は雑誌の表紙にもなりました。
とても聡明なパワフルな素晴らしい女性です。

サリー選び中
このように、サリーの柄や色彩も特有のものです。
私はサリーのデザインを選びながらスリランカの伝統織物の柄との共通点に驚いていました。
あとから、スパイス使いにも共通点があることがわかりました。
スリランカ帰りだったからこその発見だったかもしれません。
そしてその疑問には鮮やかな答えが用意されていました。
下の動画を見ればわかります。
チェッティヤールの人々はスリランカ寄りの海岸からの移住者たちだったのです!

マダムと

この方はマダム・ヴィサラクシー・ラーマスワミー。
髪を剃って行う伝統のプージャ(ニームの葉だけでできたドレスをまとった女だけでその儀式のゆかりのお寺で行うお祈りの儀式)をされたばかりで剃髪されていました。
お写真を撮ってもいいですか?と聞いた私に一瞬
「髪がこんなだから・・・」とおっしゃったものの、
「ちゃんとそのプージャのあとだったことを添え書きします。とても素晴らしい伝統だと思います」
と言った私に対して一瞬考えすぐに頷いて
「わかりました、そうね、撮りましょう」と。
判断が速くてすっきりした思考の女性であるとよくわかりました。
このマダム、わたし大好きだな・・とときめきながらのツーショット。

重い木彫りの扉
マダムは一族の長であったご主人に15歳で嫁ぎ16歳で女の子を出産。そのあとは子どもに恵まれず、ご主人が先立たれるまで長く大奥様としてこのような見事な木彫りの扉(これもチェッティナード建築の特徴のひとつ)の奥で生きてきました。
雑誌のインタビューでは「その扉はまるで牢屋の扉のようだった」と、古い時代の女性の生活を語っています。
才能ある男たちが財を成す。女たちは屋敷の奥にいるが、女たちの才能もまた計り知れずただそれを発揮できないできた。これからの時代は変わってゆくべき。
これがマダムの主張ですが、これは普通の女性がいい出してもインドの世間は動きません。
マダムのような、トップにいる女性だからこそ、周囲が何も言えないのです。
未亡人になられてからのマダムの精力的な活動はまさに国から賞を取るに値します。

バンガラの部屋
実はマダムはチェンナイ在住。チェッティナードには親族の婚約式のためにやってきました。その到着が予定より遅れたため、私たちはマダムのお屋敷(というかパレス)には泊まらず、マダムの妹さんが経営されている古い邸宅をリノベーションしたホテルに宿泊しました。
結果的にはこれが良かった。お屋敷には連日通い中はしっかり見学できましたし、このホテルにはそれはそれで料理を習ったりさせていただきました。

ランチ@バンガラ
ホテルのランチは純南インド式。すっごくおいしかった。
ものすごく寛いで泊まりました。ランドリーも半日できれいに仕上がるなんて、こんな田舎町では普通ありえません。凄腕の女性マネージャーがいて何もかも快適。

ポロタのばす
でもですね、何だかケララの料理が多いの、で聞いて見たらケララからの出稼ぎの人がキッチンには多いらしい。でもってこれはキッチンスタッフと一緒にケララポロタを作って遊んで・・・じゃなくって勉強会してるとこ。私が生地を伸ばすだけで喜んでくれました。
厨房のひとたちとももっと仲良くなりたかったな。あと2日くらいいたら一緒にキッチンに立ってたねたぶん。彼らもだんだん私の事解ってきてくれて、帰る日のランチにはチェッティナード伝統食を用意してくれて「これもあるけど食べる〜〜?」ときたもんだ。
食べるに決まってるっしょ!もーそれ作れるならもっとはやくやってよー!

さあ、ここまでがイントロダクション。
長いブログでごめんなさい。

これはね、もうオタクの世界なの。
突っ走っちゃったの今回。
呆れた人も惰性でここまで読んでしまった人も、
この動画は観たほうがいいよ。

そして次回はようやく、チェッティナード料理の修業のお話。

では、以下、チェッティナードのことがよくわかる動画とその翻訳です。
これをご覧になれば本当のチキン65は干した肉からつくらなくてはならないことがわかります。
そして私が初めて食べて感動したあの味は確かに、干した肉独特の歯触りや旨みでした。

貧しい土地で保存食として肉を干した。そして海外へ出て仕事をする事が多かった。
航海には軽く持ち運びやすく保存の利く干し肉が最適だった。
そしてそれはチェッティヤールの人々のフレイバーで料理された!!

そう、本当のチキン65のレシピは単なるスパイシーな唐揚げではないのです。




チェッティナードにようこそ

チェッティナードは 大きな古い邸宅(mansion) その独特の食 また受け継がれている文化などで有名。
75の村(village)から構成され 約70キロにわたります。
カライクディはその代表的な地域で 中でもカナルカタン村はチェッティナードの邸宅のある村で、近年インド政府により遺産として登録されたため重要な地域です。
チェッティナード カナルカタン村は Madurai Tiruchirappall Thnjavukそれぞれの街から約80キロに位置しています。
11,000以上の古い邸宅があり、その多くが、チェッティナードの人々がインドの他の都市や海外に住んでいたころに得た富で建てられ、バハマ・マレーシア・セイロン・インドネシア・シンガポールなどの海外とのビジネスにより富を得た時代に作られたものです。
第二次世界大戦勃発をきっかけに、海外とのビジネスは破綻し、チェッティナードに人々が戻ってきました。ただ チェッティナードは水不足の影響で農耕や産業には向かない土地柄のため、仕事を求め、チェッティナードの人々は大きな街へ出稼ぎに行った。ただし、家族の行事や寺院の祭りなどに必ず戻るので、邸宅のメンテナンスはなされていたのです。
ナガラタークスともよばれ9つの寺院があります。
・Iraniyur
・Ilayathangudi
・Valravanpatti
・Velangudi
・Mathur
・Pilliarpatti
・Nemam
・Soorakkudi
・Iluppakudi
もともとチェッティナード人はチョーラ王朝時代、海岸沿いのKaveripoompattinam(Thanjavur=タンジャーヴールの近く)に住み【注:今はPuharと呼ばれ、スリランカに面した港町です】、ビジネスセンスに定評があった。特に、船乗りたちは遠く広く取引をしていた。男は外で働き、女性と子供は家に残っていた。あるとき 男たちが外へと出ていた間に津波に襲われ、男たちは家族を失ってしまったのです。
そのころ、チョーラキングの取り立てが機になり王朝のもとで、ビジネスの再建と繁栄を試みた。
村は72となり、チェッティナードとなった。現在のチェッティナードとなった。
海からの影響が多大だったことから、海から遠く、降水量の少ない地域を選んだのにもかかわらず、警戒心から、邸宅の1階部分は地面から4〜5フィートのところに作られ、中庭と他の居室には1フィートほどの段差が設けられ、水の浸入を防止した。
雨水は水路をとおり街の低い位置にある池に流れ込む様に整備された。
第二次世界大戦をきっかけに、人々はチェッティナードに戻らざるを得なくなった。
人々は充分な資産や収入を得ることができなくなってしまった。人々は大邸宅ともに残され、生活はままならなくなった。
チェッティナードは降水量の少なさから農耕や産業に適さないため、やがて人々は他の大都市へ移り住み、子供には熱心に教育を施した。現在その子供たちは成長しエンジニアや医師や高い教養をもつ世代となり、インドの年や海外にも多く暮らしている。しかし、チェッティナードの大切な役割がのこっている。例えば結婚式や還暦おお祝いや家族の行事などには、今でも邸宅で行われている。

マンションの説明
この100年前のマンションは、人工大理石ででき、100部屋 チェッティナードの生活様式に則り、SARラーマスワミー・チッティヤールという高名なSA家により建てられたもの。
1902年に建設が開始され完成までに10年を要した。
4万平方フィートの広さにおよび、角部屋はそれぞれ念入りに仕上げられている。
ビルマの木、イタリアの大理石、イギリスの鉄を使っている。
10年以上の歳月をかけて建設された建物は、大変な労力がかかっており、ほとんどの資材は海路で運ばれた。木はビルマから、大理石と御影石はイタリア、鉄はイギリス、タイルは日本から、またその他の資材も世界中から取り寄せた。
近くに港はなく、トラックなどの車両もない時代、働き者の男たちによって牛などに荷を積んで目的地まで運ばれた。
その正確な仕事ぶりは、柱や木造部の完成度の高さや全体のデザインや建築そのものからも分かる。
邸宅に入ると、まず前庭の横をとおる。そこには、伝統的なトゥルシーの木があり、ポルチコにつながる。ポルチコの先には美しいベランダがあり、その奥の大理石のホールへとつづく。この大理石ホールの床は白と黒のイタリアの大理石。柱は黒く輝く大理石で作られている。結婚の間(marriage hall)と呼ばれている。
このホールの先にメインの中庭があり、2階建ての造りは、1980年代初頭バーミングハムから輸入された鉄の柱で支えられている。
2階部分のベッドルームは絵などの装飾はなく、バスルームが付いていて、角室には共有の長く広いバルコニーへの出入り口があり、そこから村を一望することができるようになっている。ここからは人々の日常生活を見ることができる。
バルコニーからは、近くのほかのマンションのチェッティナードのスカイラインをつくっているすばらしい屋根の部分も見える。
メインの中庭の奥にはまた別のホールがある。
そのホールの先にはさらに中庭があり、その中庭は通路に囲まれ床には手作りのタイルが敷き詰められている。
中庭の両側には2つの大きなダイニングルームがあり、現在1つはミュージアムとして、またもう1つは視聴覚室として使用されている。
中庭を囲んでいる柱は厳選された資材で作られ、前庭の柱は石灰と卵黄、結婚の間は黒い大理石、メインの中庭に続く通路の柱は45本の「?の木」でできており、他の木より加重に耐え、磨くと光る。
2つめの中庭の柱は鉄の1/3は石造りである。
フロア材も石灰・大理石・タイルやレンガなど庭ごとにちがうものが使われている。
また金属製の板はあちこちにはめ込まれている。

チェッティナードの食について
アジア中で有名なチェッティナード料理は、今では世界中で知られる料理となりつつあります。
チェッティナードの人々が世界中を旅したことにより、様々な材料を持ち帰り独特なレシピが生まれた。ほとんどのチェッティナード料理にはスパイスが使われているが、スパイスのフレーバーを引き出していることが大切な要素である。
米や豆、麦や穀類を基本に、シナモン・クローブ・カルダモン・カスカス【注:ポピーシードのことですがこの写真は粒が長く大きく不明】・胡椒・ベイリーフ【注:テージパッタではなくヨーロピアン種の写真になっているのが正確なのか不明】などのスパイスをあわせる。
チェッティナード料理は素材にバリエーションがある。
例えば、色やサイズに違いのある様々な種類の米や、砂糖にも精製糖やジャガリやカルパティなどがある。
【注:正確にはカルッパッティーは砂糖椰子(パルミラ椰子)から作るジャガリー(画面の右側)、左側がサトウキビのジャガリー(ヴェラム)です】
パニヤラム・クニパニアラム・コルカッタイ・シーヤムはたくさんあるチェッティナード料理独特のスナックのごく一部です。
チェッティナードチキン・ウプカリー【注:去年『食楽』誌に紹介したウプカレー、チェッティナード料理だったのです】・オクラのカレー・・・などは独特なサイドディッシュです。
デザートでも甘いコルカッタイやパニヤラムなどが代表的です。
食事はバナナの葉で供され、ビンロウは消化を促すために噛みます。
研究者によると、世界中で有名なチキン65という料理もチェッティナード自慢料理の1つといわれている。
チェッティナードの人は、チキンを防腐剤とともにマリネしたあと日干しで乾燥させ、その軽くなった肉は持ち運びに適し、調理しやすいため、航海中のキッチンでは重宝した。このチキンは65日間悪くならないということから、チキン65と呼ばれるようになったと。

【ご案内】
次回のブログの予告はchiliちゃんのブログ でみる事が出来ます。
私が食べすぎで困っている顔はスルーしてください。.