本文抜粋 


 多少、極端ではあるけれども、「一人の統治」のほうが、はっきりと、分かりやすく、善悪が現れるゆえに、その統治に対する賛否も、どちらかに偏ることが多い。これに対し、「複数の統治」、ことに、権限がより多く分散しているような体制においては、「一つのことを決めるのにも、多大な時間がかかる」ような状態にとなる。

 一人の統治であろうと、複数の統治であろうと、「悪いことを企む人」は、悪いことをするのである。それゆえ、政治的な体制というものを「いじる」だけでは、根本的な解決にはならない。

「善き人」がこの世を埋め尽くせば、この世は自然に善くなる・・・・。

「平和」を求めるのならば、政治的な体制が、どうのこうの、と言うよりも、むしろ、すべての人が「善き人」にとなることにと、力を注ぐべきである。

 理想的な世界というものが、「すべての人が平和に楽しく暮らせる世界」であるとするならば、すべての人が、このような善き思いを持つようにと、力を注ぐことこそが、「真の政治」ではないだろうか。ここにこそ、「政治の目的」がある・・・・。



                                  本文 


  トマス・アクィナスの統治論  

 トマス・アクィナスの『君主の統治について』という著作は、当時のキプロス王にと献呈したものであるようだけれども、一貫して、「一人の統治」がもっとも望ましいということを主張している。

 少々、「おべっか」めいたところもあるように思うけれども、そうしなければならない当時の事情もあったのであろう。そんな中、複数の人間による統治と、一人の人間による統治との違い、および、どちらが有益かということについて、簡潔に以下のように述べている。

≪・・・・複数の人間たちは、もし、まったく相反目していたならば、民衆を保全することは決してできないであろう。というのは、とにもかくにも、統治することが可能であるためには、複数の人間たちのうちに、「何らかの一致」がなければならないからである。それは、例えば、何らかの仕方で一致しているのでなかったら、一艘の船を多くの人間たちが、一つの方向へと引き寄せることができないのと同じことである。

 ところで、複数の人間たちは、彼らが一体であることへと近づく限りにおいて、統一される、と言われる。それゆえに、一つのものへと近づいていく限りでの複数の人間たちよりも、一人の人間が統一することのほうが、優っているのである。・・・・≫



  一人の統治  

 確かに、一人の人間が、すべての重要な実行権をもっており、それがすみやかに遂行されるのならば、「事」は、善きにも悪きにも、即、実現する。それゆえ、「善き人」がその君主となった場合には、その治世が長く続くことが、多くの人々によって望まれる。

 けれども、「悪き人」がその君主となった場合には、多くの人々によって、その「君主の交代」が望まれる。さらには、君主となった時点においては、「善き人」であった人が、長ずるに従って、「悪き人」にとなっていった場合には、「悪き人」にと移行していった頃から、多くの人々によって、その「君主の交代」が望まれるようになる。



  複数の統治  

 このように、多少、極端ではあるけれども、「一人の統治」のほうが、はっきりと、分かりやすく、善悪が現れるゆえに、その統治に対する賛否も、どちらかに偏ることが多い。これに対し、「複数の統治」、ことに、権限がより多く分散しているような体制においては、「一つのことを決めるのにも、多大な時間がかかる」ような状態にとなる。

 それゆえ、その時間短縮をはかるために、「癒着」、「談合」、「密約」といった類のものが生じてくる。そして、その本来の目的を知らない者によって、「癒着」、「談合」、「密約」といった類のものが、私腹を肥やすために、悪用されるようになるというわけである。



 「悪いことを企む人」は、悪いことをする  

 このように、一人の統治であろうと、複数の統治であろうと、「悪いことを企む人」は、悪いことをするのである。それゆえ、政治的な体制というものを「いじる」だけでは、根本的な解決にはならない。



  真の政治の目的  

 要は、「善き人」がこの世を埋め尽くせば、この世は自然に善くなるわけであるから、「平和」を求めるのならば、政治的な体制が、どうのこうの、と言うよりも、むしろ、すべての人が「善き人」にとなることにと、力を注ぐべきである。

 法律、制度、政体といったものは、その本来の目的を見失うと、「悪いことを企む人々」によって、私腹を肥やすための道具とされてしまう。

 そういったものは、本来、「平和を維持するためには、どうすればいいか」という目的のために、試行錯誤されているものである。なぜ、このような目的があるのかと言えば、大多数の人々が、「平和」を望んでいるからである。

 一度、全世界で、「あなたは、平和を望みますか、それとも、望みませんか」というアンケートを、世論調査のような掻い摘んだアンケートの仕方ではなく、すべての人を対象に行ってみるといい。

 おそらく、「望まない」という人が、恐ろしく微々たる数であることを知るものと思われる。実際、「悪いことを企む人」などは、少数のそのまた少数であり、本音では、大多数の人々が、「平和」を望んでいる。誰もが、「平和で楽しく暮らしたい」と望んでいるのである。

 それゆえ、理想的な世界というものが、「すべての人が平和に楽しく暮らせる世界」であるとするならば、すべての人が、このような善き思いを持つようにと、力を注ぐことこそが、「真の政治」ではないだろうか。

 ここにこそ、「政治の目的」があるものと思われる。





-参考文献-

『君主の統治について』 トマス・アクィナス著/柴田平三郎訳
〔岩波書店〕 P26





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