本文抜粋 


 自らがより高いリスクを負う上司にこそ、部下はついてくる。

 人は、よい事をしてもらうと、「お返し」として、その人によい事をしたくなる。

 愛は、実際、人を選ばない。
     どんな人にも分け隔てなく、思いやり、気遣い、よかれと思って行動する。

 部下のリスクをなるべく減らし、
     自らがより高いリスクを負うようにする上司は、慕われる・・・・。

 上司の心根を部下が知る時、部下の心にも、「愛」が目覚めてくる・・・・。

「能力」がいくらあっても、この「愛」に目覚めていないのならば、冷徹な機械がてきぱき動いているだけであって、「温かみ」が感じられない。「発展」に「温かみ」が感じられるのならば、その「発展」は、真に正しい「発展」である、と言えよう。



                                  本文 



  上杉謙信の戦い方  

≪・・・・謙信の戦い方は、「常に、軍の先頭に立ち、敵陣に真っ先に切り込んで行く」という戦法をとった。軍の一番後方にいて、床机(しょうぎ)に腰をかけ、采配を振るって、「あそこへ行け」というような指揮は、絶対にとらなかった。

 馬を疾駆させ、後方を疾走する部下に向かい、「続け」という方法をとった。つまり、「あそこへ行け」ではなく、「ここへ来い」という、所謂、陣頭指揮をとったのである。

 これが謙信のリーダーシップである。そのために、謙信の部下は末端に至るまで、「謙信公のためなら、今日、討ち死にしても悔いはない」という高いモラール(戦意)を持っていた。・・・・≫



  部下は上司の真似をする  

 自らがより高いリスクを負う上司にこそ、部下はついてくる。自らの保身にばかりはしる上司は、部下を、自分のことしか考えない人物にと育て上げる(?)。

 最初は、上司のそうした保身への反発から、「では、自分もしていいんだ」と正当化し、それが常態化してくると、それがその部下の人格を形成するようになってくる。つまり、「保身ばかりにはしる部下」が「育ってくる」わけである。



  分け隔てのないのが、愛の本質である  

 ところが、人は、よい事をしてもらうと、「お返し」として、その人によい事をしたくなる。よい事をしてもらうことによって、自らの心の奥底に眠っていた「良心」が目覚めるからである。

 上司が自らの「身」をかえりみずに、部下や会社を守ろうとする(不正によってではなく、正当な手段による)行為には、その上司の部下や会社に対する「愛」が宿っている。

 愛は、菩薩の魂の基調である。愛とは、他の人をおもいやることであり、他の人を気遣うことであり、総じて、「他の人によかれと思って成す行為」である。

 愛とは、一般に言われているところの「同性愛」とは、全くの別ものである。愛は、実際、人を選ばない。どんな人にも分け隔てなく、思いやり、気遣い、よかれと思って行動する。男性が男性に、女性が女性に、男性が女性に、女性が男性にという具合に、分け隔てなく、行うものである。



  より高い地位にある者は、より高いリスクを負うべき  

 それゆえ、「菩薩的な人」が上司にとなると、その上司は部下を「おもいやる」ことを、ごく当たり前のこととして行うわけである。その過程で、部下のリスクをなるべく減らし、自らがより高いリスクを負うようにする上司は、慕われるのである。

 そうした上司の心根を部下が知る時、部下の心にも、「愛」が目覚めてくるというわけである。そうなってくると、相乗効果によって、上司と部下の関係も良好となり、結果的には、より困難な仕事をも乗り切れるだけの「チームワーク」が発揮されるわけである。

 つまり、「菩薩的な人々」がより多くなれば、その職場は発展せざるを得ないわけであり、そのような職場が増えてくれば、会社としても、発展せざるを得ないわけである。



  温かみのある発展こそ、真の発展である  

 このように、「発展」の原動力は、実は、「愛」にあるのである。「能力」がいくらあっても、この「愛」に目覚めていないのならば、冷徹な機械がてきぱき動いているだけであって、「温かみ」が感じられない。「発展」に「温かみ」が感じられるのならば、その「発展」は、真に正しい「発展」である、と言えよう。





-参考文献-

『男の禅』 童門冬ニ著〔青春出版社〕 P108~P109







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