本文抜粋 


 確かに、トラヤヌス帝は、軍隊を引き連れて各地へと赴いていたのは事実であるようである。けれども、それは、ローマ帝国の国境付近における他からの侵略を防ぐための防衛戦であった。



                                  本文 


  本当は優しい、トラヤヌス帝  

≪・・・・私は、その場から、歩を移して、ミカルの後ろに白く光る、もう一つ別の場面を近くから見ようと近づいた。

 そこには、ローマの君主の栄えある事蹟が、一篇の絵巻物となっていた。その徳に動かされて、グレゴリウスが偉大な勝利を与えたのだが、この人は、ほかならぬ、皇帝トラヤヌスだった。

 そのそばに、手綱にすがりついた哀れな寡婦が、悩みと涙にかきくれた姿で描かれていた。皇帝の周囲には、騎士たちが堂々の隊伍を組んで行進し、皇帝の頭上には、金色の鷲が風にのって燦然と舞っていた。

 こうした人たちの中で、哀れな女が頼んでいた、「陛下、死んだ息子の讐を討ってくださいませ。身も心も引き裂かれる思いでございます」

 皇帝が答えた、「私が帰還する日まで待つがいい」

 「でも、陛下」と、老婆は苦悩に焦慮する人のように言った、「もし、陛下がお帰りあそばしませぬと」

 「私の代理の者がしてくれるだろう」

 すると、老婆が、「御自分で善を施すことをお忘れになりましたら、他人の善行があなた様のなんの功徳になりましょうか」

 そこで、皇帝が答えた、「そうか、では安心するがよい、いま、出発前に、私は自分の義務を果たすとしよう。正義の求めだ、慈悲の情が私を引きとめる」・・・・≫



  トラヤヌス帝が引き返した真相  

 トラヤヌス帝に関する史実については、トラヤヌス帝の次の皇帝のハドリアヌス帝が、その記録をすべて消滅させたゆえに、文書として残されているものはほとんどなかった。

 けれども、「地球の記憶」には、ちゃんと残らず、記されている。おそらく、ダンテもそれを観たものと思われるけれども、観るに、トラヤヌス帝にすがりつくこの寡婦の息子は、些細なことから、ある男たちと喧嘩になって、四人ぐらいであろうか、袋叩きにされて殺されてしまったようである。

 はじめ、トラヤヌス帝は、「そんなことぐらいで、引き返せるか」と、思ったようであるけれども、「慈悲の情が私を引きとめる」と言ってはいるけれども、このことに関する後の評判を気にしてか、引き返すことにした。

 実際、非常に鮮やかに観えるのだけれども、当時、トラヤヌス帝は、ローマ辺境の国境地帯を荒らしていた蛮族を討ちに行くところであった。

 トラヤヌス帝は、軍隊から十人ほどを選んで、その十人ほどの騎士たちと引き返し、軍隊本体は、そのまま、予定通り、国境地帯へと先に行くように命じた。そして、その日のうちに、手分けして、寡婦の息子を殺した者たちを探し出し、翌日、処刑した後、軍隊へと合流したのであった。



  侵略を防ぐための防衛戦  

 トラヤヌス帝に関する書物などを読むと、ローマ帝国の領土を最大限に広げた侵略者のように描かれているものが多いけれども、本当にそんなような人物であったのだろうか。

 観るに、確かに、トラヤヌス帝は、軍隊を引き連れて各地へと赴いていたのは事実であるようである。けれども、それは、ローマ帝国の国境付近における他からの侵略を防ぐための防衛戦であった。

 そうしたローマ帝国への侵略者たちを討って、それを鎮圧していたために、結果的に侵略者たちの領土が、ローマ帝国の属国にとなっていったゆえに、全体的に見ると、領土が増えているように見えていた、ということである。



  グレゴリウス一世の祈り  

 ダンテも、『神曲』の中で詩っているように、グレゴリウス一世が、トラヤヌス帝の「その徳に動かされて」、祈りによって救ったように描かれている。実際、このグレゴリウス一世を観てみると、非常に「念」の強い方であり、その強い念によって祈った結果、トラヤヌス帝が「天」へと昇って行く、という光景が観える。

 とは言え、トラヤヌス帝自身は、地獄に堕ちていたようには観えない。地獄ではなくて、天国でも地獄でもない中間的な世界に留まっていたようである。〔その中間的な世界を、『煉獄』と呼んでいいかどうか、ということに関しては、少々、疑問であるけれども・・・・〕

 その中間的な世界にて、生前の自らの人生を思い出しながら、「反省」しているトラヤヌス帝の姿が観える。

 興味深いのは、グレゴリウス一世のトラヤヌス帝を救おうとする『祈り』が、その中間的な世界に留まっているトラヤヌス帝の心に作用して、「反省を促している」ことである。トラヤヌス帝自身は、「促されて」反省している、という自覚はなく、不思議にも、グレゴリウス一世のほうも、「反省」を促すようには祈っていない。

 グレゴリウス一世は、単純に、「救われるように、救われるように」と祈っていただけである。このグレゴリウス一世という人物も、「霊的な目」を開いていたようで、実際は地獄に堕ちていたわけではないのだけれども、その中間的な世界で、あれこれ悩んでいたトラヤヌス帝を霊視していたようである。そんな姿を観たグレゴリウス一世は、憐れに思い、祈っていた、というのが真実である。



  キリスト教を研究していた、トラヤヌス帝  

 以外に思うかも知れないけれども、トラヤヌス帝は、生前、「キリスト者」と思えるほど熱心に、キリスト教を研究していた。キリスト教に詳しい人々から、いろいろ話を聞いていたようであり、自身も、文献などを読んで、研究していた。ダンテが、「その徳」と言った、この「徳」は、そのような「キリスト者」的な心情をすでにもっていたトラヤヌス帝の心境を、尊敬の念をもって称したものである。

 キリスト教に関する書物を読んでいるトラヤヌス帝の姿は、観るに、淡い金色のオーラに包まれている。質素な部屋の中で、静かに「お祈り」でもしているかのように、それらの書物を読んでいるトラヤヌス帝の姿が観える。口元に、優しい微笑みを浮かべながら、静かにうなずいているトラヤヌス帝の姿が観える・・・・。





-参考文献-

『神曲・煉獄篇』 ダンテ著/平川祐弘訳
〔河出書房新社〕 P140~P142







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