ひゃくはち

主にAVのレビュー、AVの魅力を語ります。レズAV、ハメ撮り作品が多めになります。AV=18禁作品ですので、対象年齢未満の方はご遠慮下さい。 中心はAVレビューですが、興味関心を持ったこと全般について語りますので、エロ要素ゼロの時もあります。 タイトルの「ひゃくはち」は、自分自身の煩悩をさらけ出す場所、という意味で名付けました。

snis716pl

新年、あけましておめでとうございます。
かなりお久しぶりのエントリーになってしまいました。
AVも色々見ているのですが、なかなかレビューとしてまとめる気にならず、いつの間にやら数ヶ月経過。
まあ、気が向いた時に地道に書いていきたいと思います。

さて。
この年末年始、DMMでは、比較的新しめの作品を50%オフで販売するセールを開催しておりまして、今まで気にはなっていたけど手を出せずにいた作品を何本か購入しました。その中でも、今回の『JKお散歩』の出来が良かったので、ちょっとレビューを書いてみたいと思います。ブランク後のリハビリなので、短めに。

かつて、先日亡くなった(元)AV女優の紅音ほたるさんは、「AVはファンタジー」と公言していました。ファンタジーだからこそ、実際には起こりえないことが作中で起きる。AVを見る側もそれを知っておくべきだ、と。逆に言えば、ファンタジーだからこそ、モラルも法も飛び越えて、「やってはいけないこと」「できないこと」を画面上に現出できる訳です。
『JKお散歩』もまさにそれで、ハッキリ言ってしまえば、中年のオッサンが金で女子高生を買ってセックスをするお話な訳です。法的にも倫理的にも問題がある行為ですが、ファンタジーだからこそ、作中だからこそ許されている。そして、ファンタジーがあからさまにファンタジー然としている「作り物感」が前面に出ていては、視聴者は没頭できません。作り物感を出来る限り薄くし、現実感を持たせるのが、良い監督であり、良い演者である訳です。

『JKお散歩』はシリーズもので、以前、天使もえちゃんの出演作についてレビューした時には、物足りなさを感じたのは事実です。しかし今回は、その物足りなさが見事に払拭されています。何と言っても、主演の橋本ありなちゃんがカワイイ。いや、ただカワイイのではなく、ちゃんと女子高生に見える。そこだ何と言っても大事。「してはいけない」というインモラルさが性的興奮を喚起する訳ですから、「してはいけない相手と、してはいけないことをしている」ように見える事こそ、この手の作品の肝な訳です。
そして、(金銭的な交渉シーンは無いにしろ)色んな意味でキモイおじさん達に大サービスをしてあげるありなちゃんの健気さよ。「こんな女子高生(あるいは風俗嬢でも良いんですが)、絶対にいるわけないだろ」、と思いながらも、「なんて良い娘なんだ・・・」と思わせてくれる笑顔とエロさ。この作品はありなちゃんの代表作になるのではないでしょうか。
そして、三者三様のキモさをだしながらも、生理的に嫌われないギリギリのラインを保つ男優陣と、沢庵監督の手堅い演出。シリーズを通して、着実にパワーアップしていることが窺われます。

もはやユニコーンのような、想像上のイキモノである「女子高生」を拝める作品として、その手の嗜好を持つ方には是非見ていただきたい一本です。

前回のエントリーに続き、渋谷で行われたタートル今田(今田哲史)監督作品上映会の感想を。
二本目は『北朝鮮の夏休み』という作品でした。
こちらの作品は、今田監督の日本映画学校時代の同級生であり、中国人監督である任書剣監督が、北朝鮮へ一泊二日のバスツアーで旅行をした際、現地の様子を撮影したドキュメンタリーです。今田監督は構成・編集を担当しています。この作品が完成するまでの背景がなかなか面白いので、今田監督による極私的作品解説を読んでいただければと思います。

さて、本編について。
任監督はカメラ一台を持って、北朝鮮へのバスツアーに臨みます。国境では厳しい検査を受け、バスには中国語の話せるガイドの他に、「指導員」という名の監視役が二人同乗。撮影対象や現地の人との接触にも口を出されるなど、いかにもイメージ通りの「北朝鮮らしい」管理されたツアーが続きます。普通の人なら、あまりの口うるささに嫌になってしまって白けきった旅になりそうなものですが、任監督は違います。見ているこちらがハラハラするような、悪く言えば傍若無人、良く言えば高度な(?)人懐こさで、地元の方々、ガイドや指導員の人たちにぶつかっていきます。この辺りが、我々が日本の報道で目にする北朝鮮ドキュメントと一線を画すところです。

確かに、ホテルの様子や食事が(日本人の感覚からすると)何だかおかしかったりはするのですが、この映画に出てくる北朝鮮の人々は、単に「我々とは異なった文化で暮らす人」であり、例えば洗脳されていたりとか、騙されたりしているわけではない、ごく普通の人なわけです。そんな当たり前の事が、何だか胸を打ちます。

作品序盤に、北朝鮮に入国する際のバスの中から物乞いの人を撮っている映像があるのですが、その映像を見た時、急に20年以上前の事を急に思い出しました。
20年ちょっと前、アメリカ横断の旅行をしていたときのこと。アメリカ南部のエルパソというメキシコ国境を臨む街に立ち寄った時に、せっかくメキシコが目の前にあるのだから、いっちょ入ってみるかぐらいの軽い気持ちで、現地の日帰りバスツアーに参加しました。アメリカから国境を渡った瞬間、街の風景は一変しました。もちろん、街並みはいわゆるヒスパニック文化の色が濃いのですが、いかにも貧しい人が多いのです。バスの両脇には物乞いの人が並び、中には障害を持った子供を抱え上げ、哀れみを乞う母親の姿もありました。その人達の姿を見た時、オレはその人達を人として認識できず、目の前の「出来事」として目を逸らす事しか出来ませんでした。

任監督は、北朝鮮の人たちをありのままに切り取っていきます。仕事で観光客の監視についている人たちさえ、一緒に食事をし、言葉を交わし続ける内に、プライベートな素顔が垣間見られるようになります。それはまさに、目の前の人を色眼鏡で見る事無く、人として認識し、相対しているからこそだと思うのです。

ツアーは一泊二日で元の中国国境に戻るのですが、この作品が面白いのは、国境を再び中国側に越えた後、ホテルの中にある北朝鮮のお土産コーナーで出会った金君という青年へのインタビューに、けっこうな時間を割いている所です。本来は北朝鮮国内でのインタビューや出来事に絞ってまとめるのでしょうが、あえて中国でのインタビューを突っ込んでくるというあたりが、「編集:今田哲史」たる所以なのかもしれません。
金君は20歳そこそこ。従軍経験もあり、何だか斜に構えた物言いをする青年です。中国人を嫌い、日本人を嫌い、「どうせ死ぬなら戦争で死にたい」などと、刹那的な事を口走ったりもします。そんな金君が、カメラの前で一人になった時に見せる、あどけない表情。ああ、これがドキュメントなのだな、と、つくづく思わされます。

テレビなどのマスメディアで見て来た北朝鮮の姿。この作品の映像には、オレが今まで抱いてきたイメージと重なる部分も確かにありますが、極々普通の、人間としての顔を見せてくれる市井の人たちを見るにつれ、ラインを越えなければ見えない風景は確かにあるのだな、と思わせてくれます。何だか無性に、リゾートじゃない普通の街に旅に出たくなる、そんな映画でした。

10月13日、8月一杯でAV監督を引退されたタートル今田監督(今田哲史監督)が制作した2本の映画を上映するイベントが、渋谷LOFT9で開催されました。2本とも、色々と語りたいことが湧いてくるような、優しくて、なおかつ刺激のある映画でした。
今回は、今田監督が日本映画学校の卒業制作で撮ったドキュメント映画、『熊笹の遺言』について書きたいと思います。

この映画は、群馬県の草津町にあるハンセン病患者の療養所、「栗生楽泉園」で暮らす、3人の元ハンセン病患者の方々への取材によって構成されています。絵を描くことを生きがいとしている時治さん。療養所内で結婚したご主人に先立たれたあいさん。ハンセン病患者の国を相手取った訴訟に於いて、リーダー的な存在の谺さん。それぞれがいろいろな思いを抱いて、この療養所で暮らしています。

ハンセン病という病気のことをどれだけの人が知っているでしょうか?正直オレは、ほとんど知りませんでした。この病気にかかると皮膚や身体に変異、変形が起きること。今では特効薬による治療が可能で、感染力も低い病気であること。かつては罹病者の姿から、非常な(非情な)差別を受け、患者さんが世間から隔離されていたこと。ざっと言って、この程度の知識しか持っていませんでした。あと、谺さんの事は、なんとなくですが知っていました。自分達の人権を守るために戦う「闘士」だという認識でした。
東京都東村山市にも「全生園」という療養所があり、幼い頃、東村山市に縁があったオレは、オトナ(確か両親ではない)に「あそこにはあまり近づかない方が良い」と言われたことがあったのを思い出しました。今思えば、まさにそれは、差別の片鱗だったのだと思います。

『熊笹の遺言』は、ハンセン病患者の方々は、差別と抑圧に晒されながら生きなければならなかった。その悲しく辛い歴史を紐解き、国や差別を糾弾する映画・・・にはなっていません。もちろん、歴史的背景や現在(撮影当時)の状況は語られますが、そこにはあまり深く突っ込んでいかず、あくまでも3人の「人間」を正面から捉えた内容になっています。

本当にこれ、卒業制作なの?と疑ってしまうぐらい、3人の登場人物それぞれに寄り添い、無理強いせずに「本当のところ」を聞き出していく。確かにこれは、今田監督らしいスタイルだし、もう若い頃からある程度確立されていたのだなぁ、と感慨深いものがあります。
(自殺した)妹さんの肖像画を利根川に流そうとする時治さん。盲目の少年との出会いに救われた思いを持ちながらも、彼に嫌われることを恐れるあいさん。消せない望郷の思いを抱えながら、足立区に向かう谺さん。ドキュメンタリーが必ずしも「演出」しないものだとは思いませんが、3人との対話の中で自然とこれらのエピソードが生まれたことに、今田監督とスタッフの方々の真摯な姿勢が現れていると思います。

映画を通してみた中で、自分の内側を覗き込んでいるような気分になった瞬間が2回ありました。

3人がそれぞれの状況や思いを語っているのを見る内に、オレの中に根ざしていた偏見に気付かされました。オレは患者さん達の見た目から、話す事が不自由なのではないかと勝手に思い込んでいたのです。しかし、登場する3人の患者の方は、非常に明瞭な言葉で、ご自身の思いや意思を語っていきます。病気の影響で目が不自由になったり、喋りにくかったりする事はあれど、言語機能に障害があったり、知性に影響があるわけではないのです。そんな単純な事すらろくに考えもせず、思い込んでしまっていた自分が凄く恥ずかしく感じました。
もしかすると、オレが意識せずに持っていた偏見は、彼ら患者さん達が被ってきた差別に根ざしていたものと、イコールなのかもしれません。

もう一つ。映画の終盤で今田監督と谺さんが荒川の河川敷で凧揚げをするシーン。最初に揚げようとした和凧はうまく揚がらず、いわゆるゲイラカイトのような三角形の凧で再チャレンジするのですが、その凧の図柄が漫画の『ONE PIECE』だったことにハッとしました。ここに出てくる人たちは、今の時間と地続きの、同じ日本で生きているというごく当たり前の事実。ハッとしたという事は、いつの間にかオレはこの映画を、どこか別の時間軸と言うか、「物語」として捉えていたのでしょう。つまりはどこまで行っても他人事なのです。ドキュメンタリーは、一つの物語でありながら、血と肉を備えた人間が「向こう側」にいるということを再認識した瞬間でした。

この映画が重いテーマを扱っていながら、どこか軽やかな印象を与えてくれるのは、出てくるシーンがすべて晴天なせいかもしれません。今田監督が手伝って、谺さんが揚げた凧は、どこまでも透き通る青い空に吸い込まれるように浮かび上がっていきました。あの空は、時治さんが絵を流した利根川にも、3人が苦しい時を過ごしてきた草津にも繋がっています。喜びも悲しみも、希望も絶望も呑み込んで。
楽観的にあっけらかんとしているわけではありませんが、必要以上のセンチメンタルを廃した、バランスの取れたドキュメントだと思います。あまり先入観を持たずに、まずはフラットな気持ちで、多くの人に見ていただきたいと思います。

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