新春COSANA団体戦でチームコサナ見事優勝!

 2017年19日に新春COSANA団体戦が12チーム48名(1チーム男女2名ずつの4名)でコサナテニスアカデミーのテニスコートで開催されました。2017011001
















 

 この新春COSANA団体戦は女子ダブルスと男子ダブルスで戦い、1-1になるとミックスダブルスのタイブレーク戦で勝敗を決めます。まず、3チームずつA~Dのグループに分かれ、それぞれリーグ戦で1位から3位まで決め、その後、1位と2位のチームの8チームがトーナメントで優勝を決めます。途中、はずれくじのない抽選会があり、賞品も優勝、準優勝、3位、4位、3位トーナメント優勝、準優勝にすべて結構いい賞品がもらえます。
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私のチームは初めて出会った4人の混成チーム(2人は夫婦)でした。リーグ戦を1位通過し、トーナメントでも3試合すべて勝って見事に優勝したのでした。ちなみに私の戦績はパートナーに恵まれ、リーグ戦が⑥-1、⑥-0でトーナメントは準々決勝、準決勝、決勝と⑥-0、⑥-0、⑥-0とパーフェクトな勝ち方でした。

 

決勝で5-0となった時に参加者の一人から「社長!営業的にそれでいいんですかぁ?」と冗談ぽく言われましたが「勝負は勝負!」と答えておいたのでした。
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またプチ自慢してしまいました。申し訳ありません。

 

 ちなみに研究員のUさんとFさんのチームも参加していました。どちらも3位トーナメントに進み、UさんのチームとFさん(先生と日頃呼ばれている)のチームが対戦し、Uさんが勝ち、決勝戦も勝って優勝し、ビールを手にしたのでした。Fさんに賞品は何もありませんでした。
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2017年最初のブログ~12月28日(水)から1月3日(火)までの1週間~

 明けましておめでとうございます。

 

昨年、東工大の大隅教授が『オートファジー理論』ノーベル賞を受賞されて、何かとオートファジーに関わるお問い合わせを受けることが多かったのですが、年末に特に増えましたので、『健康まめ知識』の方には伝えられるところのみを記述しました。10万人に一人の割合で発症するニーマン・ピック病C型にかかった息子さんを持つお父さんが専門ではないにもかかわらず、詳しく調べられ、シクロケムからその機能性成分を販売してもらえないかとの問い合わせをもらったりもしていますが、それも、オートファジーに関する機能性成分でした。機能性成分の多くは生体利用能が低く、それゆえ、シクロケムの技術である環状オリゴ糖を使った吸収性向上技術が鍵を握っているようです。

 

今年も昨年同様に年末年始の行動記録を残すのが目的です。読んで喜んでもらう内容ではあまり“ないよう”ですが記録に残しておきます。

 

 28日(水)、毎年恒例の行事、午後3時より日本橋・赤坂・神戸・岡山の4つのオフィスをTVで結んで納会をしました。いつものように社員旅行で撮った写真のコンテストがあり、その後は私のカメラで撮った1年間の様々な行事の写真を皆で振り返りました。納会後の2次会は『おかん』という居酒屋でいつものように盛り上がりました。この2次会は私のベテランテニス挑戦のためのパートナーであったNHさんの送別会も兼ねていました。私が7月より月の半分を母の家に泊まることになったため、ベテランテニス挑戦を断念したこととNHさんを必要としている会社があるのが理由でした。全日本ベテランテニス選手権出場は成し遂げられていますが、その全日本選手権で1勝する目標を達成できていないのが少し残念です。
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 久々にたくさん飲んだ翌朝の29日(木)から31日(土)午前中までは岡山で母と一緒に過ごしました。31日の午後、神戸に帰り、体を動かしていないことに気付き、久々に高尾山山頂に登り、1年前には未完成だった新社屋を望遠カメラで撮りました。写真をみるとコサナマークが確認できます。
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31日(土)の夕方はー昨年と同様にチムジルバンスパというスーパー銭湯に久々に行きました。登山とサウナで喉が渇いていたところ、娘が買っていてくれたドイツビールのバイス(白)ビールをおいしく飲み干したのでした。

 

 元旦(日)、先ず、昨年と同様に一番にテレビを点けてダイヤモンド富士の写真撮影を行ないました。今年も『大吉』でした。
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家族みんなでお雑煮を食べて、近くの多井畑厄神さんに初詣に行って、いつものようにおみくじを引きました。今年は『小吉』でした。多井畑厄神さんではおみくじの順番は『大吉』⇒『吉』⇒『小吉』⇒『半吉』⇒『末吉』⇒『凶』だそうです。よって、『小吉』はいい方なので満足したのでした。

 

 昼から岡山に移動しました。チーちゃんの散歩、車いすの母と買い物を済ませた後、散歩に弓削にある弓削八幡宮に一人で初詣に出かけました。私の幼少期から高校時代くらいまで弓削八幡宮に大晦日の深夜12時ごろ出かけ新年を迎えていたところです。万富から弓削、そして弓削から万富まで約1時間ですのでノルディックウォーキングのコースにもいいなあ、と思いながらの散歩でした。正月1日なのに誰にも会いませんでした。
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2日も母の家に泊まり、3日には久々に神戸に帰り、テニスをしました。初打ちです。自分よりも明らかにレベルの高いUさん、Hさん、Sさんがコサナのコートに来てくれました。そこでこの日はU・H組、U・S組、S・H組の何れにも勝利しました。今年もテニス運は良さそうです。プチ自慢を入れておきました。ごめんなさい。

 

最後になりましたが、本年もどうかよろしくお願いいたします。


自宅に住むようになった母の活動量の変化

 ご存知のように今年の8月から私の母はグループホームから自宅に戻って来ることができました。私と弟が月の半分半分を母と一緒に過ごすことが条件でした。

 

母は今年38日に脇腹の痛みを訴え、歩行も困難になったことから入院しました。診断結果、問題ある病気は見付からず、ホッとしたのですが、歩行困難が理由で担当医(女医さん)から介護施設への入居を強く勧められました。その介護施設のグループホームは認知症が条件であり、女医さんは「軽度の認知症が認められるから認知症と私が診断してあげるから」とのことでした。

 

母は自分の家に帰れるものと思っていました。そこで私はヘルパーさんや家政婦さんの介護時間を増やすことで母に家に帰ってもらおうとしました。しかし、女医さんは「深夜、もし何かあったらどうするのですか?あなたは社長なのだから一緒に住むことはできないでしょう。」と、強い口調でグループホームへの入居が唯一残された道だと主張しました。

 

そういった流れで5月に母はグループホームに入居し、私は金曜日と土曜日でグループホームにて会うようになりました。でも母は繰り返し、家に帰らせてほしい、と何度も頼んできます。そこで、母の家を完全なバリアフリーに改築した後、今年の8月から私と弟のどちらかが必ず母と寝泊りすることとなりました。

 

 母の家に月の半分を寝泊りするようになって2ヵ月後の109日、私の誕生日のこの日も私は母の家に泊まっていました。その日、私の誕生日を知っているドイツの親友のゲーハートから“おめでとう”メッセージの電話がありました。母は耳が遠いので私は筆談で「ドイツのゲーハートが誕生日のお祝い電話をかけてきてくれた」ことを話しました。そうすると次の日に母は「ゲーハートさんがお目出度(おめでとう)と言ってくれた。遠い国からおめでとうといってくれた。」とメモを残していたのでした。認知症とは思えない出来事でした。2016122101














 

今、12月ですので、母が自分の家にもどり4ヶ月が過ぎようとしています。不思議ですが母の状態は随分と回復してきています。今では要介護4の認定を受けているとは思えない活動量です。グループホームではベッドの横の簡易トイレを必須だったのですが、今は必要ありません。食事で使った食器は母が洗ってくれます。洗濯物は私のものと母のもの何れも母が洗ってくれ干してくれます。“おちゃとう”(お茶を仏壇に供えるという方言?)のためにお茶を作り、仏壇まで自分で運んでくれます。私の布団を畳んでくれます。

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朝昼晩の食事の後に食べる認知症予防に有効なクリルオイルの入った「南極海のデザート」が効いたのか、家に帰ってストレスが無くなったのが理由か、私たちと寝泊りすることが効いたのか、分りませんが、グループホームに居た時はただベッドに寝る、ご飯を食べるだけだった母と今の母の状態は明らかに違います。

 

私と同様に高齢の親を持つ皆さん、どう思われますか?自分を育ててくれた親です。介護施設ではなく、一緒に住んであげませんか?


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