吉林参(ウコギ科のオタネニンジン)は、唐の太宗の時代に薛仁貴を派遣した遼東征伐において発見したものである。
張仲景の傷寒・金匱が著されたのは東漢であるから、歴史の時間的な前後関係から考えると、仲景の言う人参は、実際には現在の党参(キキョウ科ヒカゲノツルニンジンなど)に該当するのである。
それゆえ脾虚による心下痞には党参を用いて、独参湯証の場合にこそ(党参では効果が乏しいので)ウコギ科の人参を用いるのである。
このような内容が、1980年に王占璽氏が著した「中薬処方的応用」(科学技術文献出版社重慶分社発行)に書かれている。
実際に本格的な漢方と漢方薬の仕事に携わる医師・薬剤師にとっては、臨床の実際面における体感から、案外説得力を持つ内容かもしれない。
日本はもとより中国においても、このことが大きく取り上げられたことはないように思われるが、十分に検証する必要があるのではないだろうか?
引用した関連参考文献:http://m-kanpo.ftw.jp/u50272.html#60706