2012年12月31日

今年の10曲(2012)

 今年は豊作の感が強かった。ちょっとした焦りを感じたせいもあるかもしれないが。

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2012年09月06日

マウリッツハイス美術館展

d6e450f7.jpg都美のリニューアル後最初の展覧会でもあるマウリッツハイス美術館展に行ってきた。

 フェルメールの中でもトップクラスに有名な作品が来ているということもあって人出は予想できていたので、ピーク日程とおぼしきところを外した上で朝一で行ったのだが、開館30分前に着いたにもかかわらず既に数百人規模の列ができていて笑うしかなかった。結局、開館時間を繰り上げるような形でどんどん中に人を入れていたし。

 前売りの人はともかく、当日券組はチケットの入手場所でもやや勝負(?)の分かれた感がある。駅構内の売場は負けの部類だろう。早めの館内の方がましかもしれない。自分はどちらでもなかったので不必要に列に並ばずに済んだ。

 会期の発表時から感じてはいたが、開幕の話題期、夏休みという混雑期をずらすと終わり際の駆け込み期が始まるというこの期間設定もさすがという感じではある。こちらが気軽に行けないということは向こうからすれば客足の高水準を保てるということだし。

 館内展示もそんな人出を意識してか一点あたりのスペースが広い。つまり点数は少ない。有名な画家の作品も多いし、オランダと言ったらというラインナップではあるが。

 『真珠の耳飾りの少女』のせいで、あの作品以前と以後で明らかに人口密度が違ったのだが、国立博物館にダ=ヴィンチの『受胎告知』が来たときのように別室を用意するという手はさすがに無理だったのだろうか。いやまあ無理なのはわかるけれど、それをやってもいいレベルであの作品は館内の人口密度に影響を与えていた。

 そういうわけで、絵と人半々くらいで見たような感じだったのだが、絵の話は以下。


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2012年08月09日

スピッツの「知られざる」良曲五選

スピッツの公式リリース音源が全曲配信されるとのこと。この機会にスピッツの知られざる良曲をいくつか挙げてみたい。スピッツの代表曲のイメージはあるがアルバムは持っていない(もしくはシングルコレクションのみ)という人に、もう一歩踏み込んでもらうために何を薦めればいいか、自分なりに考えてみる。

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2012年06月22日

高橋由一展

b26790e4.jpg 芸大美術館の高橋由一展に滑り込みで行ってきた。久しぶりに行くと上野駅から思っていた以上に遠かった。

 高橋由一は日本の洋画の先駆者として知られる画家であり、後に黒田清輝が持ち込む外光派アカデミスムを「新派」というのに対して、「旧派」の代表的な画家の一人である。黒田も由一も肖像画・風景画を多く残しているが、明るい色彩ですっきりした印象を残す黒田の画風と異なり、「脂絵(やにえ)」とも揶揄された彼の画風は、まさにヤニのようにこってりしっかりした絵具の使い方が印象的である。

 由一の画業はいくつかのステージに分けられるが、おおよそ師事する相手と出会う時期で分かれるようだ。そしてその度に上手くなっていくのだが、逆に少ない情報で洋画の迫真性を得ようと格闘していた初期の作品を、画家の対象への執念を感じさせると評価する考え方もあるようである。

 実際、展示は大まかに「油彩以前」「(前期)肖像画」「前期風景画」「静物画」「後期風景画・肖像画」と分かれているのだが、それぞれのゾーンで受ける印象は大きく異なる。半端な知識ではあるが、なんとなく考えたことを書いていく。


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2012年04月08日

猫とともに去りぬ

 光文社の古典新訳文庫から出ている短編集。イタリアの作家が書いた、ユーモアあり風刺ありの作品。
 某人に薦められて読んだ本。非常に面白かったのだが、色々な点で語りにくい本でもあった。

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2011年12月31日

今年の10曲(2011)

 今年は数もそうだがバラエティに乏しい。置かれている環境上、あまり幅広く買えなかったことと、時間の都合と、欲しいものが思うように手に入らなかったのが主な原因か。

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2011年04月13日

レンブラント展

528919df.jpg 久しぶりに美術展に行った。西美も二年ぶりくらいである。実はこの間の地震の直後に一度訪れて空振りしているんだけど。

 レンブラントというと個人的に好きな画家ベスト5には絶対入るので、結構期待して見に行ったのだが、展示内容の大半が版画だった。レンブラントは版画家としても評価が高かったので「レンブラント展」と言って版画を出すのは全く間違っていないのだが、普通は油彩画を期待するだろうし、こちらとしても少し拍子抜けしたのは確かである。

 一応版画慣れしていない人への配慮なのか、版画技法の説明や、ステート数(版の数。最初の原版に修正を加えて発行された回数)を見て何が分かるかなどの説明は展示してあったのだが、設置場所が感覚的には中盤やや後ろくらいの位置だった。版画を多く持ってくるならくるで、最初から「版画をいかに見るか」というところに焦点を当てて展示を作れば、もう少し面白くできたのではないかと感じた。例えば「和紙を使うことでの出来の違い」をテーマに一章作るなど、版画に対するこだわりの姿勢は見えただけに、そこらへんの違いや技術の見方を最初から出しておけば、より有意義な時間を過ごせたのではないかという気がする。

 版画が絵画に比べて注目されないのは、複製が容易であること、技術が分かりづらいこと、技法の制約上再現性や表現の幅が狭いことなどが原因だと思うが、その中でも今回の展示から、版画の技術、単純な複製にとどまらない「版の違い」の価値など、いわば「版画市場」の一端を垣間見ることはできた。なので一概に退屈だったとは言わないまでも、投げっぱなし感は感じた。版画愛好家ならば、今回の展示は内容・形式ともに満足いくものだったかと思うが、そうでない自分としては、もう少し歩み寄ってほしかった。

 せっかく実物があるのだから「違いが分かる」ようにすることが、展示には必要だと改めて思った。それが難しいことも分かってはいるけど。

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2011年03月31日

美文・悪文

 昔何かの文章で「国語の問題に使われるような文章は、文意を読み取りづらいから問題文に選ばれるのであって、おしなべて悪文である」というようなことを読んだ覚えがある。一理ある話である。

 内容や誤字脱字のチェックで自分の文章を見直すと、いかにも国語の問題文に出てきそうな気がすることがよくある。一応国語勝ち組の経験者としての勘にすぎないが、例えば指示語とそれが指すものの位置が遠いとか、読点が少なくて読みづらいとか、修飾語が多すぎて無駄に文が長い上に修飾語の内容がわかりにくいとか、問題が作れそうな要素を多数感じる。冒頭の命題を適用するまでもなく、立派な悪文である。

 悪文の対義語は何かといえば、字義でいけば「良文」であろう。おそらくこういう言葉もあるのだと思うが、あまり見ない。「美文」はそれに比べれば見るし、こちらが事実上対の位置を占めている。

 だが美文がわかりやすいかというと、決してそうではない。中島敦の『山月記』は冒頭から美文として有名だが、じゃああれは「わかりやすい」かといえば、あのわずか数行で滑らかに人物のプロフィールを描き出す熟語の群れは、現在ではとても100%読み取れる内容ではないだろう。発表当時はわかりやすかったのかもしれないが、もし美文の基準に悪文の対として「わかりやすさ」が必要なのであれば、少なくとも現在の読み取りの困難さと「美文」としての名声は両立していないはずである。

 実は中島敦の文章はわかりやすいと思っているので説得力がないが、美文としての知名度を優先した。小林秀雄なんかは美文と呼べるかかなり微妙だと思うが、美文として一部の支持は高い。しかしわかりにくさでは間違いなく悪文だろう(分かる部分のクリティカルっぷりは美文といわれる所以をなんとなく感じるが)。国語の問題の常連でもある。「美文かつ悪文」は存在しうる。

 そうなると、表現に際し簡潔で必要十分なのが「良文」、複数の階層の意味を全て規定しようとしすぎてまとまりを失っているのが「悪文」/読み取ったものに意味以上の感動をもたらす「美文」と、そうならない「美文でないもの(醜文というのも変だし、駄文だと良文である可能性も否定しているように思える)」…の二つの軸があることになる。筆者の文章は間違いなく悪文だが、もしかするとある層の読み手にとっての「美文」になれる可能性を保つ努力は常にしている。良文にする技術はないけど。

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2011年03月30日

アウトサイダー・アートのリアリティ(4終)

 自分のポジションの違いに則ってくだらないところから大事なところまで変更しているので、内容自体が変わっている。特に今回の部分。絶対に誰もやらないと思うがこれを元にレポートをでっち上げようとする場合、そのような変更に注意した上で、適当に書かれたかもしれないことに対してソースを探すという大変に無駄な労力が必要になるのではないだろうか。

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2011年03月29日

アウトサイダー・アートのリアリティ(3)

 マンガのレビューを書く課題もあって、そちらを出そうかと思ったのだが、レビューと言いつつも試験なので思いっきりネタバレ・興を削ぐ記述を含んだ批評をしているため断念した。マンガ読み界隈では結構有名らしく、とても面白いマンガだったので、薦めて損はない作品なのは間違いないのだが。

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