2006年09月26日
やはり故郷が懐かしい。
とあるキーワードを探していたら、懐かしい秋田に関して記述のあるブログに行き着いた。
自分が育った最寄りの駅「鑓見内」
ここの駅には思い出がつまりに詰まっているが、訳あって彼の地に来てみるとその時のことが夢のようである。
自分はいつから自分の生まれ育ったところが故郷になったかと言えば、恐らく家族を持ってからではないだろうか?
15で田舎を離れ、秋田市の下宿で暮らし、大学は千葉である。
そのあと、NY州に生き、30まではさまよい続けたあげくに故郷に家族子供をおいて
こんな所に来た。
いったい自分は何をしているのだろうと思いつつ、人生をなめきった結果がこれかと思うと
後悔先にたたずである。
10歳の時にはじめて友達と映画館に行ったときもここの駅が出発点だった。
中学に入り、人と距離を置いて孤高を気取っていたときの何ともそのむなしい気分もここで味わった。
高校生の時に、たまに帰ってきたりすると、懐かしい仲間に会いつつ、声をかけてもらうことのうれしさは未だに心に焼き付いている。
大学から青春18切符で西千葉駅からこの駅に12時間でたどり着いたときのことも鮮明に覚えている。
2年前、大曲の花火の時に会社で水害処理で、呼び出されこの駅から会場に向かったこともつい昨日のことのようである。
ホームシックに無縁で、何でそういう気持ちになるのか分からないとここに来るまでは思っていたが、正にホームシックである。
人生つじつまが合うように出来ている。
自分が育った最寄りの駅「鑓見内」
ここの駅には思い出がつまりに詰まっているが、訳あって彼の地に来てみるとその時のことが夢のようである。
自分はいつから自分の生まれ育ったところが故郷になったかと言えば、恐らく家族を持ってからではないだろうか?
15で田舎を離れ、秋田市の下宿で暮らし、大学は千葉である。
そのあと、NY州に生き、30まではさまよい続けたあげくに故郷に家族子供をおいて
こんな所に来た。
いったい自分は何をしているのだろうと思いつつ、人生をなめきった結果がこれかと思うと
後悔先にたたずである。
10歳の時にはじめて友達と映画館に行ったときもここの駅が出発点だった。
中学に入り、人と距離を置いて孤高を気取っていたときの何ともそのむなしい気分もここで味わった。
高校生の時に、たまに帰ってきたりすると、懐かしい仲間に会いつつ、声をかけてもらうことのうれしさは未だに心に焼き付いている。
大学から青春18切符で西千葉駅からこの駅に12時間でたどり着いたときのことも鮮明に覚えている。
2年前、大曲の花火の時に会社で水害処理で、呼び出されこの駅から会場に向かったこともつい昨日のことのようである。
ホームシックに無縁で、何でそういう気持ちになるのか分からないとここに来るまでは思っていたが、正にホームシックである。
人生つじつまが合うように出来ている。


















