開運 旧東海道 あちこち寄り道・散歩道

ぷぉわーん。ご出棺でございます。行き先は東海道をはるか西に、西方浄土でございます。別に急ぐ旅ではこざいません。東海道をゆっくり寄り道しながらあるきましょう。さぁ、東海道をご一緒にいかがですか?合掌

2009年10月

オレンジリボンかな?

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今夜の東京タワーです。このアルミネーションはオレンジリボンです
かね?
11月は児童虐待防止推進月間です。そのシンボルマークが
オレンジリボンです。

実は乳幼児の死亡は法律で解剖が義務付けられてい
ます。しかし、これを拒否したからと言って罰則は
ありません。
ご遺体の解剖はたとえ司法命令であっても、遺族の
承諾書がなければ行えません。
乳幼児の死亡の場合、ほとんどの両親はこの承諾書
にサインしません。法律を破っても罰則はありません
から。
まぁ、そうでしょうね。親の心情ですね。
しかし、希に承諾書にサインする親がいるのです。
意外なところから乳幼児虐待死事件は発覚します。

児童虐待、なくなるといいですね。

東海道 由井宿11

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東海道由井宿最後の町、旧西町に入ります。
現在は旧宿場町内の住所が静岡市清水区由比になっ
ていますから正確にはわかりませんが、旧西町は現
在の県道由比富士宮線から由比川の間だと思います。

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旧西町最初は徳田屋です。徳田屋は今は文房具屋で
すが、ここは江戸時代由井宿最初の脇本陣でした。
由井宿の脇本陣は江戸時代中期には羽根ノ屋に代わ
りました。江戸時代後期には饂飩屋が追加されました。

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徳田屋のとなりは井筒屋です。創業は1916(大正5)
年、由比で最初に桜えび料理を出したお店になりま
す。

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井筒屋で一番人気の由比定食です。桜えびのかき揚
げと桜えびご飯のセットです。桜えびのかき揚げは本
当に美味しいですね。

それでは次回は井筒屋のとなりの延命寺に行きます。

古城址の寺 常円寺

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林香寺から県道由比富士宮線に戻り、さらに富士宮
方面行くとすぐに左に由比川をわたる橋があります。
この橋を渡り、またすぐに右に曲がります。工場の
中を抜ける道らしくない道です。

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急な坂道を登ると特養ホーム浜石の郷があります。こ
のホームの裏にあるのが常円寺です。

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法城山常円寺はさすがに山城の跡らしく、正面から
は登って来れません。廻るように寺の裏からはいり
ます。

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ここには戦国時代、1500(天文15)年、武田氏の駿河
侵攻を防ぐために今川氏の指示で、由比周防守光詔
が常円寺城(川入城)を造りました。
背後を浜石岳に、城の正面は由比川の支流に刻まれ
た天然の壕に囲まれた要塞でした。
しかし1570(元亀元)年、武田氏の背後からの急襲に
より常円寺城は落城しました。続きを読む

山水画の寺 林香寺

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由井宿脇本陣羽根ノ屋跡の脇の道は県道由比富士宮
線です。

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今回、はじめは由比駅でレンタサイクルを借りて林香寺に向
かう予定でした。しかし、由比駅の自転車置き場に
行ってみると、レンタサイクルは静岡市との合併により廃
止になったとのこと。
仕方がないのでただひたすらに歩いて行くことにな
りました。
画像は旧国道1号線を渡ったとこ。現在の由比は山
の麓まで住宅街が続きます。

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新幹線のガードをくぐったところを右に入り、突当
たりが西湖山林香寺です。
林香寺までずっと坂道でしたから、むしろ歩きの方
が良かったみたいでした。

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林香寺は寺から見る駿河湾が山号の通り中国の名勝
西湖に似ているといわれたお寺です。開山は鎌倉時
代、宋より帰化した九英禅師により開かれました。
臨済宗のお寺です。
続きを読む

東海道由比宿おもしろ宿場館

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由井宿羽根ノ屋脇本陣の向かい、明治の郵便局平野
家住宅のとなりは「東海道由比宿おもしろ宿場館」
です。

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門前で驚いているのは弥次さん、喜多さんでしょう
か?ここの資料館は置いてある人形、男も女ももす
べてこの顔です。クラスに一人くらいいそうな顔です。

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宿場館は1階がお土産売場、2階がレストランです。

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お土産売場の奥と地階がおもしろ宿場館(資料館)です。

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暖簾をくぐると宿場町が再現されます。こちらは鍛
冶屋さんですね。続きを読む

由比本陣公園

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由井宿の岩辺本陣の再現された黒門です。
岩辺本陣跡は現在、由比本陣公園になっています。
ここはぼくがまだ学生のときに旧東海道を歩いたと
きには放置されていた気がします。おそらく平成に
なってから整備されたのだと思います。

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由比本陣公園は中央の芝生広場の周りに東海道由比
宿交流館、東海道広重美術館、由比本陣記念館御幸
亭が配置されています。

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この大きな建物が東海道由比宿交流館です。
この交流館は「由井宿のこと」「旧由比町の歴史博
物館」「由比の観光資源について」「休憩設備」を
目的として建てられました。
建設に5年もかかったようで、かなり立派な建物な
のですが、「休憩設備」以外の目的としては落第点
ですね。数冊の本、パソコン、由井宿のジオラマがある以
外は何もないに等しいです。街道反対側の「由比びっ
くり宿場館」と被る部分が多いのですが、あまりに
お粗末です。

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こちらが休憩設備です。喫茶類が注文できます。天
気のよい日はテラスも利用可能です。続きを読む

東海道 由井宿10

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由井宿の加宿問屋場跡の松月堂さんと由比本陣公園
の間の路地を入れば光栄山正法寺です。

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正法寺は日蓮宗のお寺です。

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正法寺は太平洋戦争のときに供出された鐘の銘によ
ると文保元(1317)に開山されたことがわかります。
開山したのは浄円という僧侶で、浄円は由比氏初代
由比光高の孫です。
この正法寺はその由比光高の屋敷がお寺になりまし
た。続きを読む

東海道 由井宿9

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正雪紺屋のとなりは脇本陣饂飩(うんとん)屋跡と明
治時代の郵便局であった平野家住宅が続いています。

由井宿の脇本陣は江戸時代はじめは1軒で、後期に
は2軒になりました。その増えた脇本陣が饂飩屋です。
また元からある脇本陣徳田屋も途中から羽根ノ屋に
脇本陣を譲っています。
饂飩屋なんて面白い屋号ですが、「うんとん」とは
いわゆる「うどん」のことです。むかしは「うどん」
のことを「うんとん」と言っていたのです。いつ頃
からうどんと言うようになったのですかね。

地続きのとなりは明治の郵便局平野家住宅です。
日本の官営郵便制度は1872(明治4)年に始まります。
郵便局ははじめは郵便取扱役所といいました。その
4年後に郵便局と改称しました。
多くの宿場町では飛脚を取り扱っていた問屋場が郵
便取扱所になっています。
由井宿もはじめはそうだったのかもしれません。
1906(明治39)年、平野義命氏が由比郵便局長に就任
すると、平野氏は自宅を洋館に建て替え、3年後に
郵便局を自宅の一部に移転させました。それがこの
建物です。正直いうと黒塀で建物はあまり見えません。
この郵便局舎は官営の郵便局舎ができる1922(昭和2)
年まで使われていました。
この建物は現在も平野氏のご子息が住んでいます。

この平野家住宅の向かいにあるのが加宿問屋場跡で
す。

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現在は菓子舗松月堂になっています。
この松月堂と由比本陣公園の間の路地を入ると正法
寺です。
では次回は正法寺から由井宿を廻ります。
由井宿10」につづきます。

由井宿8 正雪紺屋

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由比本陣公園の向かいにある正雪紺屋です。
正雪紺屋は由井正雪の生家と伝わる藍染屋さんです。
由井正雪は1651年の慶安の役の首謀者です。
正雪は17才で江戸の親類の家に奉公にでます。その
かたわら、楠正辰の下で軍学を学びます。
正雪は由井正雪と呼ばれますが、実際には楠正辰の
婿養子となっていたので、楠正雪とか楠家の本姓で
ある橘正雪と名乗っていたようです。
次第に頭角を現し大名や将軍家から出仕の申し出が
きますが、それを断り軍学塾を開きました。弟子は
3000人もいたそうです。
時は関ヶ原、大坂の陣が終わり、大名の減封、改易
がつづき、浪人が増大した時代でした。
将軍家光が死去し、後継家綱もまだ10才とあり、こ
れを機ととらえた正雪は浪人救済を唱えて、槍の名
手、丸橋忠弥や金井半兵衛らとともに幕府転覆を計
画したのです。丸橋は江戸、金井は大坂で同士を募
り、正雪は京都で天皇を擁し勅令をもらう計画でし
た。しかし、奥村八左衛門の密告により計画が露見
し、丸橋は江戸で捕らえられ、鈴ヶ森で磔、金井は
天王寺で自刀しました。
正雪は計画が露見したことを知らずに京都に向かう
途中の駿府(静岡)に宿泊していたところを、同心に
囲まれ計画が漏れたことを知り、やむなく自刀しまし
た。
慶安の役は翌年に老中暗殺計画の承応の変などとと
もに、浪人を増やした武断政治から文治政策へと幕
府の政策方針を変えた事件となりました。

時代背景が湾岸、イラク戦争が終わり、失業者が増え
た現代に似ている気がしますね。
正雪が生きた時代は、浪人という失業者が増え、い
わゆる不況といった時代でした。実際のところ、こ
の江戸の不況を打破した契機が明暦の大火(振り袖火
事)でした。明暦の大火のあと、江戸は元禄をピーク
とする好況に向かいます。続きを読む

夢の超特急10.21現る

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10月14日は鉄道記念日ということで、鉄道博物館
また行ってきました。
今回は10月21日から公開される0系新幹線が先行公
開されました。

ところが肝心の0系新幹線をまともに撮影できなかっ
たのです。実はSDカードがいっぱいになり、この日に
限り予備を持ってなかったのです。
この0系新幹線の鼻をよく見ると、うっすらと「交
通博物館」と書いてあります。交通博物館で展示し
ていた新幹線を持ってきたのですね。
ということで、今回は200系新幹線の連結機で勘弁
してください。

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200系新幹線はよく山形新幹線「つばさ」とよく連
結してますから、東京駅に行けば見れますね。

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10月14日はこの1号機関車が新橋-桜木町間を走った
日です。

今回は前回激混みで入れなかった日本食堂でランチです。
続きを読む
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