
応神天皇陵
ぼくが思うに(あくまでも推測なのだが)、今の神社
に近い形態ができたのは応神王朝か、次の継体王朝
ではないかとおもう。
応神王朝とは日本武尊の孫である応神天皇からはじ
まる系図であり、武烈天皇までの10代をいう。
この王朝の特徴はまずは巨大な前方後円墳だ。
継体王朝ではみられなくなる。
。

世界最大古墳の仁徳天皇陵
(大仙陵)
そして、別名河内王朝といわれるように大阪で政(ま
つりごと)をとっている。
そして何よりも鳥にかかわるエピソードが多いのも
特徴だ。日本武尊は死後、白鳥になったという。なので
陵墓は白鳥陵という。仁徳天皇の百舌(もず)のはなし
も有名だ。ちなみに仁徳陵がある駅も百舌という。
これら、前方後円墳の玄室にはたいていオリオン座と
牡牛座の星座図があるが、次の時代の古墳になると人
物図(高松塚古墳)や聖獣図(キトラ古墳)のようなも
のになってくるのだ。
世界中に共通するふたご座の伝説である兄を殺して
弟が跡を継ぐのもこの王朝に多い。
古墳のまわりに埴輪が埋められるようになったのも
仁徳陵からであり、それまでは実物(人間も含めて)
が埋められていた。
つまり、この時代に星などの直接信仰から、それを型
どったものへの信仰に替わっていくのではないかと
思うのだ。
大阪には住吉大社がある。住吉大社はオリオン座だ。
住吉大社を信仰したのは神宮皇后であり、彼女は応
神天皇の母である。と考えると神社はこの時代から
次の時代くらいに形作られるのではないかとぼくは
思う。
つぎのテーマは台所考です。
それでは、ご出棺の時間です

今日は苦手な分野のお勉強…








あえてここにコメント(笑)