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安倍街道片羽町交差点に戻りました。静岡浅間神社
の赤鳥居は目の前です。
再び、静岡浅間神社に戻って来たのは、邪馬台国に
関するおもしろい仮説を見つけたからなのです。

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静岡浅間神社の大歳御祖神社です。ご祭神は大歳御
祖命です。大歳御祖命は別名大市比売命といい、商
売の神さまで、古代にあった安倍の市の神さまだっ
たともいいます。

丹後国の一宮は籠(この)神社です。籠神社のご祭神
は彦火明命(別名ニギハヤヒ命)で、豐受大神、天照
大神を相殿とします。また籠神社は元伊勢と呼ばれ、
伊勢神宮はこの籠神社を遷座した神社だとも言われ
ます。
この神社の社家の海部氏はこの彦火明命の子孫で、
創建以来の奉斎とされ、現在で82代を数えます。日
本でいちばん古い家の一つとされています。
この海部氏は今から数年前に、それまでは一切外部
に出されなかった海部氏の系図を公開しました。
この公開された系図は翌年に異例の早さで、国宝に
指定されています。

この神社の名前は籠神社です。
この静岡浅間神社のある浅間山も、古くは籠の鼻と
呼ばれてました。ですから、この仮説はこの静岡浅
間神社とも関係するかもしれないと思い、読んでみ
ました。

この公表された系図には、彦火明命から9代の孫に
は「日女命」という人物がいるそうです。
この日女命の別名が神大市姫命といい、さらにもう
1つの別名が倭迹迹日百襲姫(やまとととひももそひ
め)なのだそうです。
倭迹迹日百襲姫といえば、近年、邪馬台国の女王卑
弥呼ではないかとされる人物です。その墓は箸墓古
墳とされ、邪馬台国の畿内説を裏付ける説でした。
女王卑弥呼が出てくる魏誌倭人伝では、卑弥呼は大
市に葬られたとあります。そして、宮内庁では箸墓
古墳を倭迹迹日百襲媛大市陵と呼びます。陵墓の名
前にも大市と入っているのです。
この仮説を読んで、ぼくは有り得るかもしれないと
思いました。

「卑弥呼」の「ヒミコ」という読み方は日本語の読
み方なんですね。「卑弥呼」は、当時の日本人が発
音して、それに近い音を中国人が漢字に当てた、当
て字だと思うのです。なぜなら、まだ日本に文字は
ありませんから。
では当時の中国語で「卑弥呼」はどう発音するかと
いえば、「ふぃみぇふぁ」が近い音なんだそうです。
ぼくは中国語、まして古代中国語はまったく解りま
せんが、「日女命」は「ふぃみぇふぁ」と発音しそ
うではないですか?
そこから、もしかしたらと思ったのです。

大歳御祖神社の神さまは神大市比売(姫)命です。神
大市姫命は日女命であり、邪馬台国の女王卑弥呼か
もしれない倭迹迹日百襲媛だと、この系図は言って
いるのです。だとすると、大歳御祖神社は女王卑弥呼を奉る神社ということに
なります。いかがでしょう?
とすれば、庵原の三池平古墳と箸墓古墳のサイズの
比率が同じというのは、偶然ではない気がします。

-関連とぴ-
・「三池平古墳」はこちらから。
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静岡浅間神社では稚児行列のお稚児さんを募集して
いました。もう時期、廿日会の季節なんですね。
それでは神社を出ます。

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静岡浅間神社を出ると、徳川慶喜の屋敷跡のマンショ
ン・アカディスが見えます。このマンションの前の
通りが麻機街道です。こんどは麻機街道を右に曲が
ります。

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麻機街道に入ると、なんか不自然な左カーブです。

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この不自然なカーブに御器屋町の旧町名標がありま
した。
御器屋町はかつて、木製で蓋付きの椀を作る職人が
住んだことからついた町名だそうです。町内には以
心寺という寺があり、安西小学校の前身であった寺
子屋があったそうです。御器屋町は現在、西草深と
宮ヶ崎町に分かれたそうです。
この旧町名標にはかつての御器屋町の地図があり、
なぜ、このカーブが不自然なのかが分かりました。

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麻機街道の起点のT字路です。横切る道は県道354
号静岡環状線、通称安西通りです。現在の安西通り
は北街道水落町交差点から駿府城外濠沿いに北上し、
この場所にでます。そして安西町方面に行きます。
しかし、もともとは外濠沿いの道と安西通りは連続
している道ではありませんでした。安西通りに連続
していた道は麻機街道だったのです。それを静岡環
状線をつくるために、外濠通りと安西通りを連続さ
せたため、麻機街道が不自然なカーブになってしまっ
たのです。
つまり、かつては麻機街道が安西通りに続いていた
わけです。
それでは次回からはこの「安西通り」を歩いて行きます。