韓国お気楽日記

韓国南部のJ市在住(2007年2月に帰国)の日本語教師がお送りするお気楽日記

ジェニー My love - 井上陽水

アルバム「スニーカーダンサー」(1979年)所収。

同じ年のライブで。



その3年後の、マイナー時代の安全地帯がバックに入った伝説のライブ。オリジナルよりもキーを落として(Dm)、シャウトする感じから、甘くささやくような歌い方になっている。この変化が、陽水にしてはベタなこの曲を揺ぎ無い名曲に変えた。



安全地帯がメジャーになった後の神宮球場でのスペシャルライブ(1986年)にて。



ここで唯一惜しまれるのは、2コーラス目のAメロを玉置浩二が歌っていること。陽水以外の人間が歌う「ジェニー my love」など聴きたくもない。

金正恩と金日成の演説

もちろん、国内の食糧事情も満足でないような状況にありながら、中途半端な技術力でミサイル発射を強行する北朝鮮ほどはた迷惑なものはない。しかし、そのような北朝鮮への非難もさることながら、今回のミサイル発射当時のあの政府の対応の遅さ、不手際には、昨年の福島の原発事故での政府の対応のひどさを思い起こさせるものがあって、いざという時には日本の政府なんて全くあてにならないというのが決定的になったのが、私にとっては大きかった。



さて、ミサイル発射失敗の二日後に行われた、昨日の金日成生誕100周年記念軍事パレードでの金正恩のこの演説。20分ほどのスピーチだったというが、報道される映像を見る限り、ほとんど視線を上げることなく、原稿をただ棒読みするだけという、何の芸もないものだった。これでは、単なる能無しのデブではないか。さすがに我慢強く従順な北朝鮮市民も、ミサイル失敗の上にこの程度の演説かと、反政府デモが起きかねない事態ではあるまいか。



ところが、1994年、金日成最後の新年の演説の模様を見ると、若干早口で原稿を棒読みする姿が、昨日のあの金正恩の演説スタイルとほぼ同じなのがわかる。さすがは金正恩。単なるデブではない。偉大なる祖父、金日成の演説ビデオを見ながら、その棒読みスタイルを踏襲すべく、日夜涙ぐましい努力を積み重ね、晴れの舞台でその成果を遺憾なく発揮したに違いないのである。

満鉄「あじあ号」

Dalian_Railway_Station_01韓国の仁川からフェリーに乗り、大連をふらふらとさまよう旅をしたのが2005年1月のことだった。そのとき、もちろん大連駅に行き、駅の構内を歩いているはずだが、記憶に残っていない。思い出すのは、駅近くの地下商店街を歩いていて、「日本のドラマ全部あります」と日本語で書いてあるDVD屋に入ったら、そこの店員に宮崎駿のアニメのDVDセット(もちろん違法コピーもの)を買えとしつこく迫られたことくらいだ(こちらの最後のへん参照)。写真は1937年(昭和12年)、当時新築されたばかりの大連駅で、現在もそのままの形で駅舎として使われている。

20090628183725その大連駅を起点にして、中国東北部の植民地経営を進めていったのが南満州鉄道だが、その満鉄のシンボル的存在だったのが特急「あじあ号」である。1934年(昭和9年)に登場した「あじあ号」は、最高速度130キロで大連−新京(現在の長春)間700キロを8時間半で結んでいたという。その後、1935年(昭和10年)には区間がハルビンまで延長され、大連−ハルビン間950キロを12時間半で走破したとのこと。この時刻表によると、現在の中国の特急列車でさえ、大連−ハルビン間は12時間以上かかるのだから、当時の「あじあ号」がいかに驚異的に速かったかがわかる。そのスピードもさることながら、蒸気機関車のフォルムの常識を覆すような、その異様なまでに先鋭的な機関車の流線型の形は、一度見たら忘れられないものだ。

貴重な「あじあ号」の記録フィルム。



lrg_10215435この「あじあ号」の機関車は、現在大連と瀋陽で保存・公開されているとのこと。写真は瀋陽の蒸気機関車博物館に展示されているもの。戦後も、1980年代ころまで現役で中国東北部を駆け巡っていたという。

とまどうペリカン − 井上陽水

オリジナルはアルバム「LION & PELICAN」(1982年)より。



数ある陽水の名曲の中でも、まさに名曲中の名曲と言っていいのがこの「とまどうペリカン」だ。

いまだDVD化されていない(フォーライフは何をやってんだ!!)、陽水のライブビデオの最高傑作「クラムチャウダー」(1986年)より。



1992年の「ミュージックステーション」正月特番にて。ここでは珍しくタモリがフルートを吹いているが、素人とは思えない、なかなか味のある演奏をしていて、「とまどうペリカン」のライブ版としては、今のところベストテイクだと思う。



2009年のデビュー40周年記念武道館ライブより。

円谷幸吉

「父上様母上様 三日とろろ美味しゅうございました。」に始まり、「父上様母上様 幸吉は、もうすっかり疲れ切ってしまって走れません。何卒お許しください。気が休まる事なく御苦労、御心配をお掛け致し申し訳ありません。幸吉は父母上様の側で暮しとうございました。」で終わる遺書を残して、1968年27歳の若さで自殺した円谷幸吉は、東京オリンピック(1964年)のマラソンで、アベベに続き2位で競技場に現れたものの、ゴール前でイギリスのヒートリーに抜かれ、惜しくも銅メダルとなった。



福島県出身の円谷は、高校卒業後自衛隊に入隊し、配属された郡山駐屯地で同僚と二人で陸上部を立ち上げ、駅伝などで徐々に頭角を現していったという。東京オリンピックのマラソンでは惜しくも銅メダルだったものの、これはこの大会の陸上競技での日本の唯一のメダルであり、しかも初マラソンからわずか7か月で獲得したのだから、1万メートルで6位入賞も果たしていることも考えると、当時の円谷の活躍は目覚しいものだった。

しかし、「今度は金メダル」と期待されたメキシコ・オリンピック直前に持病の腰痛が悪化し、椎間板ヘルニアを発症して、手術を受けるも、かつての走りを復活できず、「もう走れません」という遺書を残して死んだ円谷。その悲痛な遺書は、当時の川端康成や三島由紀夫などの著名な文化人をも感動させたという。彼の風貌、そして自衛官という職業からも窺い知ることができる、きまじめさ、そして強い責任感が彼を自殺に追い込んだことは想像に難くない。

期待された先月の東京マラソンで14位と惨敗に終わり、今日発表されたロンドン・オリンピックのマラソン代表に補欠としても選ばれなかった川内優輝は、その東京マラソンでのふがいない結果にけじめをつけて丸坊主になってみたりと、その異様なまでのきまじめさが、同じ公務員ということもあって、なんとなく円谷を彷彿させる。しかし川内は、今回の選考結果は少し悲運だったものの、これからも常識はずれのペースでマラソンを走り続け、注目されるレースでは必ずといっていいほどゴール後に精根尽き果てて医務室行きなるという、立派な明るい(ちょっと変な)市民ランナーであり続けてほしいと思う。

ベルリン・オリンピック(1936年)のマラソン

ナチス政権下で開催されたベルリン・オリンピックを記録した、レニ・リーフェンシュタール監督の映画「民族の祭典」より。



この大会で優勝したのは、現在の北朝鮮・新義州近郊出身だという孫基禎で、同じく朝鮮半島出身の南昇龍が銅メダルを獲得している。孫基禎は当時のマラソンの世界記録(2時間26分42秒)保持者で、この大会での優勝タイムは2時間29分19秒2だったという。

映像を見ると、酷暑のためか、ふらふらになってる選手がかなりいる。また、給水所では立ち止まって悠長に水分補給をしているのやら、洗面器みたいなので顔を洗ってるのやらがいて、かなり牧歌的な感じだ。

かたや、現在の世界記録は2時間03分38秒。アフリカ勢を中心に、1キロ3分を切るような高速ラップでハイレベルな戦いが繰り広げられる。昨日、ロンドン・オリンピックの最終選考レースだったびわ湖毎日マラソンが行われ、日本代表3人が誰になるか話題になっているが、誰が出場するにせよ、今のレベルでは8位入賞がやっとで、とてもメダルなど期待できそうにない。

昨日のびわ湖マラソンで、東京マラソンでの川内と同じように給水で失敗し、代表が遠のいた堀端。彼は5キロの給水地点で自分のスペシャルドリンクを取らず(取れず?)、ゼネラルドリンクを取って1口飲んでいる。そして、「飲ませてくれ」とでも言われたのか、彼が隣りのアフリカの選手にそのドリンクをすばやく手渡したのを目にした。大きな期待を背に、緊張の只中にいて、とても他の選手なんかにかまってられる状態ではなかったと思うが、きっと堀端はいいやつに違いない。

ベルリンのあの牧歌的な給水風景は、今や遠い昔の物語となった。

タッカルビ

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またまた定番の韓国料理。7年くらい前に、当時住んでいた韓国の町の店で食ったもの。

コチュジャンなどで味付けされた鶏肉に、トック、キャベツ、ネギ、エゴマの葉。

タッカルビといえば春川タッカルビだが、そういえばその昔、初めて春川に行って、せっかく春川に来たんだからと、一人で店に入ってタッカルビを食ったことがある。

ソジュを飲みつつ、ひたすら食って、さすがに腹一杯になった。

この一人タッカルビの上をいく、一人刺身というのを韓国のどこかの港町でやったことがあるが、これはちょっと無謀だった。。。

金日成と金正恩

t-kinenkan-3私は2006年1月に韓国の仁川からフェリーに乗り、中国の丹東と瀋陽を旅したことがある。この写真は、北朝鮮と国境を接する丹東の抗美援朝記念館(中国が北朝鮮を援軍して戦った朝鮮戦争を記念したもの)に展示されていた、若き日の金日成のもの。金正恩は隔世遺伝的に祖父であるこの金日成に似ていると言われていて、昨年6月には似ているどころか「金正恩、金日成に似ようと6度の整形手術」などという記事がまことしやかに流されたりした。まあ、整形までしたかどうかの真偽はともかく、あの金正恩の刈り上げカットは、若き日の祖父のヘアスタイルを真似たものであることは間違いない。体型についても、彼が意識的に祖父や父の面影を引き継ごうと、日々相撲部屋並みの努力を重ねているのかどうかについては、明らかでないが。

久しぶりにRoller Coaster

1999年第1集を発表してメジャーデビューした、チョ・ウォンソン(ボーカル)・イ・サンスン(ギター)・ジヌ(ベース)の三人によるRoller Coaster。

その後、第2集「日常茶飯事」(2000年)、第3集「Absolute」(2002年)、第4集「Sunsick」(2004年)、第5集「Triangle」(2006年)と順調にアルバムを出し続けていたが、現在はチョ・ウォンソンがソロ活動をしているものの、三人による活動は長い休止状態に入っている。

これまでの5枚のアルバムの中で、特に完成度が高く、何度聴いても飽きないのが第3集の「Absolute」。

その中から、まずはシングルカットされた「Last Scene」のPV。


2004年3月、歌番組「ユン・ドヒョンのラブレター」出演時のライブ版「Last Scene」。当時は韓国にいたはずだが、見逃している。


同じく第3集より、「ラジオを大きく鳴らして」、「D-Day」



井上陽水 「勝者としてのペガサス」

オリジナル。「スニーカーダンサー」(1979年)より。


1982年3月、NHKホールでのライブ。


筑紫哲也のニュース番組にて。サングラスなしの珍しい映像。

パジョン(チヂミ)

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6年ほど前、韓国にいたころの懐かしい写真。

知り合いの家のパジョンパーティーに呼ばれて、しこたま食った思い出がある。

具材はニラとニンジンと、紫色のはタマネギだろうか?

写真でははっきり見えないが、辛い青唐辛子も入っていたはずだ。

今更だが、韓国料理の定番の一つを追加しておく。

ラッセル

北海道のラッセル車。





我が愛する芸備線も、庄原の方で大雪が降ったらラッセルが通ることがあるだろう。

芸備線の備後落合駅でつながっている木次線のラッセル。



それぞれ、極寒の中いい絵を撮影された方々に感謝。

「東京(電力)裁判」

 柄谷行人公式サイトに今回の震災・原発事故に関するインタビューがアップされている。わかりやすい言葉で反原発デモへの参加を熱く語っていて、面白かった。

*****<「反原発デモが日本を変える」(2011.6.17 『週刊読書人』 ロングインタビュー)より>
 原発事故の後、「ただちに危険はない」と、よく言われていましたね。でも、外国人はただちに国外に逃げていた。ドイツなんて、成田への直行便をやめてしまった。今でも僕が見ているのは、ドイツの気象庁が出しているデータです。彼らは最初の段階から、きちんと情報を提供していた。その日の風向きによって、放射性物質がどういうふうに流れているか、毎日伝えています。それは風向き次第で、大阪や札幌には飛んでいくし、時にはソウルまでいっている。外国人はそれを見ているが、日本人は見ていない。日本では内緒にしようとしているからです。だから、そういうことを知らない人が多い。しかし日本政府が隠そうとしても、もはや隠すことはできない。今はすぐにインターネットで情報が流れます。外国人は騒ぎ過ぎるとか、風評被害であるとか言う人がいますが、黙っている方が罪は重い。危険であることを当たり前に指摘するのが、なぜ風評なのか。日本人が何も言わないのは、真実を知らされていないからです。最近になって、段々状況がわかってきたので、怒り出した人たちがいます。

 つい最近、イタリアで、2009年4月に起こった地震(309人が死亡、6万人以上が被災した)に関して、防災委員会の学者らが大地震の兆候がないと判断したことが被害拡大につながったとして起訴された。この場合、地震学者が大地震は「想定外」だったと弁明することは許されると思うのですが、それでも起訴されています。一方、福島第一原発の場合、当事者らが大地震は「想定外」だったという弁解は成り立たない。東電はいうまでもなく、官僚、政府にいたるまで、罪が問われても当然です。あれは紛れもなく犯罪ですから。しかも、放射能汚染水を海に垂れ流していますから、国際的な犯罪です。「東京(電力)裁判」が必要になると思う。というと、これから未来に向けて何かしなければならないときなのに、原発事故の責任を問うということは、後ろ向きでよくないという人がいます。しかし、過去の問題に対して責任を問うことは、まさに未来に向かうことです。これまで危険な原発を作ることに、なぜ十分な反対もできなかったのか。そのような責任の意識から、僕は今デモに行っています。
*****

 他にも、「日本が脱原発にはっきり踏み切らないのは、核兵器を持つ野心があるからだ」とか、「脱原発して太陽光などの自然エネルギーの利用に転換するというのも信用できない。新たな金儲けを考えているだけ」とか、いつものように彼の口調はラディカルだ。『大震災のなかで 私たちは何をすべきか』(内橋克人編、岩波新書)に寄稿された「原発震災と日本」(柄谷)も是非読んでみたい。

朝顔

5月の末に植えた「早咲き朝顔」(最後の空色のは「桔梗咲き朝顔」のようだ)が1週間前くらいから咲き始めた。

しかし、同時期に植えた夕顔は、蔓もあまり伸びてなくて、まだ咲きそうにない。

朝顔と夕顔が交互に咲く日が待ち遠しい。

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非現実的な夢想家として

 6月9日の村上春樹のスペイン・カタルーニャ国際賞授賞式でのスピーチ「非現実的な夢想家として」のこの部分を読んで、まっさきに思い浮かんだのは太宰治がどこかで同じようなことを確かに言ったということだ。

*****<村上春樹・カタルーニャ国際賞授賞式でのスピーチより>
 日本で、このカタルーニャで、あなた方や私たちが等しく「非現実的な夢想家」になることができたら、そのような国境や文化を超えて開かれた「精神のコミュニティー」を形作ることができたら、どんなに素敵だろうと思います。それこそがこの近年、様々な深刻な災害や、悲惨きわまりないテロルを通過してきた我々の、再生への出発点になるのではないかと、僕は考えます。我々は夢を見ることを恐れてはなりません。そして我々の足取りを、「効率」や「便宜」という名前を持つ災厄の犬たちに追いつかせてはなりません。我々は力強い足取りで前に進んでいく「非現実的な夢想家」でなくてはならないのです。人はいつか死んで、消えていきます。しかしhumanityは残ります。それはいつまでも受け継がれていくものです。我々はまず、その力を信じるものでなくてはなりません。
*****

太宰がどこかでこんなことを言ったというのは覚えていたものの、それを確かめようと久方ぶりに太宰の新潮文庫の小説を読み返してみても、該当箇所がなかなか見つからない。2~3日探しあぐねて、結局それは竹田青嗣が「陽水の快楽」(河出書房新社、1986、p80~81)で太宰を引用したものだったことがわかった。引用されていたのは「諸君の位置」(1940、東京帝国大学での講演録)。原文は以下の通り。

*****<太宰治 随想 昭和15年より、「諸君の位置」>
 世の中の、どこに立つて居るのか、どこに腰掛けて居るのか、甚だ曖昧なので、學生たちは困つて居る。世の中のことは何も知らぬふりして無邪氣をよそほひ、常に父兄たちに甘えて居ればいいのか。又は、それこそ、「社會の一員」として、仔細らしい顏をし、世間の大人の口吻を猿眞似して、大人の生活の要らざる手助けに努めるのがいいのか。いづれにしても不自然で、くすぐつたく、落ちつかないのである。諸君は、子供でも無ければ、大人でも無い。男でも無ければ、女でも無い。埃つぽい制服に身を固めた「學生」といふ全然特殊の人間である。それはまるで、かの半人半獣の山野の叩⊂緘梢箸録祐屬剖瓩、脚はふさふさ毛の生えた山羊の脚、小さい尻尾をくるりと巻き、頭には短い山羊の角を生して居るパン、いやいや、パンは牧羊辰箸靴匿諭垢砲眇討靴泙譴泙寝施曚療刑佑任△蠹がうまいし、草笛を發明するほどの怜悧明朗の辰任△襪、學生諸君の中には、此のパンと殆んど同一の姿をして居ながら、暗い醜怪の心のサチイル、即ち憂鬱淫酒の王デイオニソスの寵兒さへ存在するのだ。我が身が濁つて低迷し、やりきれない思ひの宵も、きつと在る。諸君は一體、どこに座つて居るのか、何をみつめて居るのか。先日、或る學生に次のやうなシルレルの物語詩を語つて聞かせたところ、意外なほどに、其の學生は喜んだ。諸君は、今こそ、シルレルを讀まなければなるまい。素朴の叡智が、どれほど強力に諸君の進路を指定してくれるものであるかを知るであらう。
 「受け取れよ、世界を!」ゼウスは天上から人間に呼びかけた。「受け取れ、これはお前たちのものだ。お前たちにおれは之を遺産とし、永遠の領地として贈つてやる。さあ、仲好く分け合ふのだ。」忽ち先を爭つて、手のある限りの者は四方八方から走り集つた。農民は、原野に縄を張り廻らし、貴公子は、狩猟のための森林を占領し、商人は物貨を集めて倉庫に満し、長老は貴重な古い葡萄酒を漁り、市長は市街に城壁を廻らし、王者は山上に大國旗を打ち樹てた。それぞれ分割が、殘る隈なくすんだあとで、詩人がのつそりやつて來た。彼は、遙か遠方からやつて來た。ああ、その時は、地球の表面に存在するもの悉くに、其の持主の名札が貼られ、一坪の愾雜兇気憬未弔討覆つた。「ええ情ない! なんで私一人だけがみんなから、かまつて貰へないのだ。この私が、あなたの一番忠良な息子が!」と大聲に苦情を叫びながら、彼はゼウスの玉座の前に身を投げた。「勝手に夢の國でぐづぐづして居て、」と辰呂気悗つた。「何もおれを怨むわけが無い。お前は一體どこに居たのだ。みんなが地球を分け合つて居るとき。」詩人は泣きながらそれに答へて、「私は、あなたのお傍に。目はあなたの顏にそそがれて、耳は天上の音樂に聞きほれて居ました。この心をお許し下さい。あなたの光に陶然と醉つて、地上のことを忘れて居たのを!」「どうすればいい?」とゼウスは言つた。「地球はみんな呉れてしまつた。秋も、狩獵も、市場も、もうおれの物でない。お前がこの天上におれと一緒に居たいなら、時々やつて來い。此所はお前の爲に空けて置く!」
 詩は、それでおしまひであるが、此の詩人の幸福こそ、また學生諸君の特權でもあるのだ。これを自覺し、いぢけず、颯爽と生きなければならぬ。實生活に於ける、つまらぬ位置や、けちくさい資格など、一時、潔く抛棄してみるがよい。諸君の位置は、天上に於て發見される。雲が、諸君の友人だ。
 無責任に大げさな、甘い観念論で、諸君を騙さうとして居るのでは無い。これは、最も聰明な、實情に即してさへゐる道である。世の中に於ける位置は、諸君が學校を卒業すれば、いやでもそれは與へられる。いまは、世間の人の眞似をするな。美しいものの存在を信じ、それを見つめて街を歩け。最上級の美しいものを想像しろ。それは在るのだ。學生の期間にだけ、それは在るのだ。もつと、具體的に言ひ度いが、今日は何だか腹立たしい。君たちは何をまごまごして居るのか、どんと背中をどやしつけてやり度い思ひだ。頭の惡い奴は、仕樣がない。チエホフを、澤山讀んでみなさい。さうしてそれを眞似して見なさい。私は無責任なことは言つて居ない。それだけでもまづやつてみなさい。少しは、私の言ふこともわかるやうになるかもしれない。
 失禮なことばかり言ひました。けれども、こんな亂暴な言ひ方でもしないことには、諸君は常にいい加減に聞き流すことに馴れて居る。諸君の罪だけではないけれども。
*****

村上:『我々は夢を見ることを恐れてはなりません。そして我々の足取りを、「効率」や「便宜」という名前を持つ災厄の犬たちに追いつかせてはなりません。我々は力強い足取りで前に進んでいく「非現実的な夢想家」でなくてはならないのです。』
太宰:『世間の人の眞似をするな。美しいものの存在を信じ、それを見つめて街を歩け。最上級の美しいものを想像しろ。それは在るのだ。』

なんとなく気になっていたこと(太宰がどこかで同じようなことを言っていたこと)が一応自分の中では解決した。

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10年あまりの韓国生活を終え、最近帰国しました。韓国生活でのあれこれ、今興味のあることなどを気楽に書いていこうと思っています。コメント、お気楽に是非どうぞ!!

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