2,105日目[タスクを実行するためのエネルギーは、どのように保持されているか】
69ヶ月5日
5年9ヶ月5日
2,004日目 長い期間に渡り記録を取っていると、「物事の向き合い方」は変わらないものだと痛感する。
2014 年 9 月 13 日 から数えて2020 年 3 月 8 日 は、
2,004日、5年5ヶ月26日
1962日目 改めて「記録を取ること」「それを脳の外部に吐き出してしまうこと」の意義について考えた。
1,951日目 「読書の時間をどうやって捻出しているか」の答え。(なぜ本を読むのか)
1,947日目 早朝に「最低限のノルマ達成」タスクを実行することから生まれる自己肯定感
1945日目 )何年振りかに、「日付変更時刻」と「セクション開始時刻」を変更
1,858日目「感謝の意を表すために記録を取る―――有形無形の温情によって人生は支えられている」
1,816日目 何事も小さく小さく積み重ねることだけが、遠くへ連れて行ってくれる。
2014 年 9 月 13 日 から数えて2019 年 9 月 2 日 は、
1,816日(259週3日、59ヶ月20日、4年11ヶ月20日)です。
1,810日目(4年11か月の間、登録されていたタスクをアーカイブへ移した話)
258週4日、59ヶ月15日、4年11ヶ月15日。
1803日目 再開
1292日目(2018.03.25分)たすくま初日の記録を見てみると、4.5年間毎日同じことを繰り返していることを思い知らされる。
初日は、ただ開始ボタンを押して終了ボタンを押しているだけだったのだろう。
たったひとつだけタスク目名が入ってるのは、「情報収集」である。
なかなかシュールな記録である。
それとともに、このまるまる4.5年、
途中で、タスクは追加されたり削除されたりしながら、
眠って食べて仕事をして本を読んで美術館に行って……
というのは、繰り返し続けられているのである。
当たり前だが、人生は毎日の積み重ねであり、
毎日はほぼ繰り返しなのである。
そのことを図らずも、改めて意識させられた。
なお、上司に関する内容はすぐには見つけられなかった。
たすくまを始めた当初には、違う上司に変わっていたのかもしれない。
しかし、自分の考え方も、人間関係の捉え方も在り方自体も大きく変わった。
たすくまを始めてから。
記録があるから、実感できるだけかも。
タスクは変わらなくても、内面は大きく変わるのかも知れない。
1291日目(2018.03.24分)誤解を防いで仕事の生産性を上げる。
相手の発言の意図を正確に読み取るのは難しいが、
記録を取ることはできる。
記録を取ることで、(相手を糾弾するためではなく)、
議論されたことを、後日、関係者の誰もがだいたい正確に確認することができる。
発言の意図を完全には汲み取れなくても、
発言そのものを想起することによって
「正確なつもりで、まったくの記憶違い」
「こうあってほしいという気持ちのバイアスをかけてしまった」
ことで、
二度手間三度手間をしている人を、仕事では頻繁に見る。
それだけ生産性を下げているということでもあるし、
大きなミスにつながることもある。
「正確なつもり」は危ないのである。
そして、「それが正確か否か」は、人間は記録なしに記憶だけでは判定できないのである。
残念なことに、人間の脳はそうなっているのである。
1290日目(2018.03.23分)記憶は探らない。でも、多くの人は記憶を探る。
記憶全てが信頼できないわけではなくて、
「全体としての印象」や「自分が受けた衝撃」等は間違っていないのだと思う。
ただ、数値や日付、誰が何を言ったか等は、
あてにならないことが、記録上分かっている。
だから、仕事の打ち合わせでも家族会議でも正確な数字が必要なときは、
1289日目(2018.03.22分)人の本質は変えられない。
おはよう。
実は2019.3.16です。
なかなかブログをかける時間がないので、Twitterに投稿したものをこちらに転記。
記録をつけ続けていて痛感するのは
その人に「自分で改善案を考えて企画を出せ」という指示は向いていない。
それは持って生まれた性質の違いで、
どちらが良いとか悪いとかの問題ではない。
記録をつけ続けていると、そういうことを目の当たりにする日が来る。
しかし、性質が違ってもその人と共存したり友人になることはできるのである。