『空の飴色』

2005年12月02日

『空の飴色』

空の飴色 浅野学志(2005年/35分/DV/カラー)

 飛んだまま、着陸を引きのばし続けた空の旅。二人で乗ったはずなのに、いつしか一人で歩いていた。いつものように。



<作者作品解説>
『空の飴色』〜完成までの道〜    浅野 学志
-その1- 自作の解説について
 監督自身が、作品の上映前からごちゃごちゃ説明をつけることはないだろうとは思うのです。しかし、このような上映企画に招いていただき、拙作を再度スクリーンで上映していただくからには、多少なりとも宣伝に協力せねばと考えました。(といいつつ、上映会直前の開始では宣伝に役立ちませんね…。)というわけで、これから不定期に撮影時のことをつらつら書いてみます。まずは、どうして『空の飴色』を撮ることにしたのか、少しさかのぼってみましょうか。

-その2- 『この人を見よ』について(1)
 『空の飴色』は、『この人を見よ』(2003年、12分)に続く2作目です。1作目があったから2作目ができたということなのですが、これだけでは意味不明なので、少し補足をします。私は映画美学校の2期生でしたが、まともにシナリオが書けず、自分の作品を撮ることもなく2年間を終えました。その数年後の2002年(の冬だったか?)、あるきっかけでシネゲリラの上映企画に参加しはじめ、いつしか私も作品を提供することに決まりました。自主上映会の日取りが迫るも相変わらずシナリオは進まず。仕方なく、大好きなリヴェットの『北の橋』をイメージして大まかな設定とロケ地を決めた後は、シナリオなしで、現場での思いつきを撮影していくことにしたのです。新谷さんによる『空の飴色』の解説には「なんだか降霊会みたいな事が、撮影現場では起こってたのではないでしょうか。」とありますが、その原型は1作目にあったのです。
【2005年12月1日】

-その3- 『この人を見よ』について(2)
 「舞台はパリ。ひとりの観光客の女がパリの若い女の踊り子と出会い、仲良くなる。しかし観光客の女は××(一応伏せておきます)であり、最後に二人は対決する」。メモに書いた企画はこの程度です。この、企画というにも恥ずかしいメモだけをもち、新宿東口の「らんぶる」にて、スタッフ数名と打ち合わせをはじめました。
 私「最後の対決をいかすために、出会った二人が仲良くなるシーンを撮りたいのだけど、どうしよう?」
 スタッフ「食事のシーンがいいんじゃないですか。」
 私「じゃあフランスパンにワインを用意しようかな。小道具はみんなどんなこところ探しているの?」
 スタッフ「百円ショップが便利です。」
 私「じゃあさっそく探しに行きます。はじめに観光客の女に男が絡んで、それを踊り子が助けるという出会いを考えているのだけれど。」
 スタッフ「男を空手家にしてはどうですか。」
 私「そうね、瓦でも割ってもらおうか。」
 と、幼い監督に対して丁寧なアドバイスをする親切なスタッフたち。おかげで少しずつ具体化していきましたが、どこまで決めて撮影に臨むべきかの判断がつきません。しばらくして話が止まると、不安そうなスタッフの顔が見えました。
 「どうもありがとう。だいぶ話が見えてきた(ウソ)。撮影で必要なものは自分で適当に用意するから、とにかく現地集合でよろしく。」
 初監督作品クランクインまでのカウントダウンがはじまったのです。
【2005年12月7日】

その4 『この人を見よ』について(3)

今回は、大事な役者さんについて。
事前の企画がグダグダなだけに、役者さんには一点だけこだわることに決めました。たとえ芝居の素人でも「本物の何か」をもっている人を使いたい、と考えたのです。
友人にダンサーの知り合いがいると聞いたのはそんなときでした。出演交渉の待ち合わせ場所に現れたのは小柄な女性。レッスン帰りで疲れているはずなのに、自然と場を和ませるポジティブな雰囲気があり、初対面の怪しい男(私)に対しても気さくに話ができる人でした。それが井上恵美子ダンスカンパニー所属のダンサー、岩永貴子さんです。(この時点では、彼女のダンスの実力を十分理解していなかった私は、撮影現場のなかでだいぶ驚かされることになります。)
とにかく「プロのダンサー」という主演女優を得て、映画のイメージが本当の意味で固まりだしたのです。
【2005年12月13日】

その5 『この人を見よ』について(4)

撮影初日は2003年4月の終わり、暖かな休日でした。
役者さんは岩永さんを含め二人、スタッフ兼役者として二人、そして監督兼撮影の私という五人体制。台詞がないから録音部いらずの身軽な編成。ところが、全員集合したというのに、シナリオどころか撮影の段取りさえあやふやな監督兼キャメラマンが中心にいます。あきらかに指示を待っている皆の顔。「もう逃げられないぞ」と覚悟を決め、きょう自分が撮りたいシーンをむりやり説明しました。
「ここはパリの公園なので、二人が出会うシーン、仲良くなるシーンを順番に撮りたいと思います。」
この程度だったでしょうか。だから、最初のショットを撮るまでがたいへんでしたね(どこから何を撮りはじめてもよい状況で決断するのは、非常に勇気がいるものだと痛感)。ロケハンしていたとはいえ、役者さんが入るとイメージが変わります。ビデオキャメラをもってあちこちうろつくこと数分。やっとこさ、この日二度目の覚悟を決めました。
「岩永さん、ここで踊ってください。」
ついに撮影スタートです。
【2005年12月20日】

その6 『この人を見よ』について(5)

ビデオをまわしはじめると、少し気が楽になりました。けれど、まだ今後の展開が見えてきません(当然ですが)。
「……はい、OKです。」
淡々とビデオを止める私。役者さんもスタッフも「!?」といった様子(後で知ったことですが、私はOKカットでも「よかった!」という言葉も、感情も出さずに淡々と進めるので、皆は「本当に大丈夫なのだろうか……」と不安だったそうです。)
「……では次は……。」
と、しばらくして思い出すことがありました。
「……バイオリンを弾いてもらってよいですか?」
岩永さんはダンスのほか、バイオリンも習っていたと事前に聞いていました。それなりに高価(確かウン十万円)なものということですが、とにかく現場にもってきてもらっていたのです。
再度撮影スタート。バイオリンを弾きながらステップを踏んでもらい、次第にテンポを上げていくよう指示しました。
「……はい、はい、はい、はい!」
このときファインダーから見えた岩永さんは、変なことをしているからなのか、ステップがきつくなってきたからなのか、表情が次第にゆるんできたのです。
「……はい、OKです。」
また、淡々とビデオを止める私。しかし、さっきとは確かに違います。映画にとって大事なこと、つまり役者さんの魅力的な表情を捉えることについて、何か手応えがつかめたような気がしたからです。

【2005年12月29日】

その7 『この人を見よ』について(6)

 手応えがあったとはいえ、じっくり分析する時間などありません。数秒のカットでさえ、その何十倍、数百倍もの準備時間が必要なことを実感した私は、あらためて今日中に撮影しなければならないシーンを思い起こし、また少し不安になりました。
「うーん、とりあえず頭から順番に撮っていこう。時間がなくなったら終わりにすればいい。」
 我ながら実にいい加減です。しかし、撮影現場に限らず、自分が考えているとおりに物事が運ぶことなど、そうそうありません。話が大きくなりますが、人生において壁・限界は確かに存在します。そんなとき私は、よく「仕方がない」という言葉を口にするのですが、安易にあきらめたが故の言葉ではありません。「仕方がない…けれど、できるだけ抵抗してやろう。」と、続きます(実際には、格好良く抵抗できた試しなどないのですが、だからこそこだわり続けているといえます)。
 ある種の状況(それを「運命」と呼ぶのかもしれません)において、この人はどう対応するのか、どれだけ状況に抗うのか。私の興味はそこにあります。ですから必然的に、それは映画に反映されていると思われます。
 シナリオがない撮影とは、現場で思いついたことを実際に試しながら、あるかたちに定着させる作業です。これはドキュメンタリーに近い気がします。とっさの思いつき=私が無意識に感じていることを、役者さんという赤の他人に演じさせることで、また思いもよらない展開がうまれることの驚き。この驚きこそ、撮影のよろこびなのです。

【2006年1月7日】

その8 『この人を見よ』について(7)

 話を撮影に戻します。
 最初のシーンと決めていたのは、公園で二人の女が出会うところ。どこの馬の骨ともわからん監督(私)の映画ですから、観客にアピールする最初の数分はとくに大事だなと考えていました(私は「みんなはおもしろがってくれるかな」ということを気にしています。「自主制作だから難解でいい」というはずはなく、私なりに娯楽性を追及しているからです。しかし、あくまで「私なり」なので、常人の感覚と大きくズレているのかもしれませんが……)。
 二人の出会いに花を添える(!?)ため、あらかじめスタッフの宮田啓治くんに出演を依頼しました。彼は美学校2期生の友人です。快作『山嵐』の監督で、私も参加している美学校生中心で結成されたサッカーチーム「SSM」のエース(?)でもあります。彼はかつて空手をやっていて、しかも少々古風な顔立ち(失礼!)をしています。事前の打ち合わせは、こんな感じでした。
 私「宮田、空手の胴着もっているよね?」
 宮田「ええ、まあ。」
 私「よかった。じゃあ、もってきてね。ところで、瓦割はできるかな?」
 宮田「えっっっ!! ……しばらくやっていないので……、瓦割はちょっと……きついかもしれません。」
 私「ふーん。まあ、ダメならダメでいいから、試しにやってみよう!」
 宮田「……はぁ。」 
 というわけで、彼には「パリの公園で大道芸をしている空手家」という、あからさまに怪しい役をお願いしました。もちろん、瓦割にもガチンコで挑戦です。果たしてその結果は……ここでは書きませんが、リアルなその結果を受けて、公園のシーンは思いもよらぬ方向へ展開していったのです(前回「ドキュメンタリーに近い」と書きました。でも、正確に言えば「ドキュメンタリーもフィクションも大きな違いはない」ということですね)。

【2006年1月10日】

その9 『この人を見よ』について(8)

 公園のシーンの続きです。登場するのは3人。岩永さん、宮田くん、それから吉原三紀子さん。では、この映画のもう一人の主役、吉原さんの紹介をしましょうか。
 彼女は私の職場の友人(先輩)です。もともと映画と関係ない人でしたが、ふとしたことから協力してもらうことになりました。岩永さんと同じく井上恵美子モダンダンスカンパニーに通っています。
 吉原さんに出演を依頼した経緯はこうです。上映会がせまっているのに役者が見つからない私は、せっぱ詰まって彼女にダンサーの紹介をお願いしました。はじめは男女数名が必要かなと思っていたので、何人かに声をかけてもらうようお願いしたのですが、吉原さんが待ち合わせ場所に連れてきたのは岩永さんのみ。岩永さんには出演OKしてもらいほっとしましたが(このあたりは「その4」でも書いています)、さすがに女優一人では限界があります。スタッフは男性ばかりだし、もう一人女性がほしいと思った私は、ふと隣に座っている吉原さんを見て考えました。
 「……まあ、いいか。」
 失礼きわまりないのですが、こんなものです。しかし、この映画に彼女を出演させたのは間違いではありませんでした。具体的な彼女の貢献については、次回にまわします。

【2006年1月23日】


その10 『この人を見よ』について(9)

 撮影裏話を書こうとすると、どうしてもネタバレ問題がつきまといます。これまで『この人を見よ』を見た人は、多く見積もっても世界中で150名くらいであり、将来的にも大々的な公開など望むべくもありません(このブログの連載自体、どれだけの方が読んでくださっているのでしょうかね……)。思い切って全部ぶちまけようかとも思いましたが、万が一再上映する機会があったときのために、次のような折衷案を考えました。
 これからは重要なネタバレ部分を伏字にします。気にしない方はマウスで伏字部分を選択し、反転させて読んでください。 というわけで、さっそく今回この方法を試してみます(とはいえ、撮影裏話はどこをとってもネタバレといえますから、ネタの軽重により使い分けます)。伏字の箇所はちょっと読みづらいかもしれませんが、ご容赦ください。
 
 さて、撮影の話に戻りましょう。
 ひととおり宮田くんの芝居をつけた後、吉原さんをどのように登場させようか悩みました。
 私「大道芸人ならば、芸をして観光客などからお金をもらうのだろう。でも、それじゃあ普通だな……。あ、そうだ。吉原さん、さっきのオレンジをください。」
 吉原さんはサンドイッチなどの軽食を、ありがたいことにスタッフの分まで用意してくれていました(役者だというのに)。デザートととして大きなオレンジまで持ってきていたのには驚きましたが、ふと「これはもしや」と思ったのです。
 唐突ですが、私は加藤泰が好きです。男と女が出会う/別れるシーンでたびたび使われる印象的な小道具といえばお気づきの方もいるでしょう。果物ですね(たとえば『明治侠客伝 三代目襲名』では桃、『沓掛時次郎 遊侠一匹』では柿、『緋牡丹博徒 お竜参上』では蜜柑というように)。『この人を見よ』は女と女が主役ではありますが、実は男と女の関係を置き換えたものですから、加藤泰の映画のように果物を使うことは、この映画にふさわしいと考えたのです。
 というわけで、この小道具は私やスタッフが事前に用意したものではなく、想定外の吉原さんから飛び出しました。この小道具をきっかけに、宮田くんと吉原さんの絡み、吉原さんと岩永さんの出会いがくっきりと見えてきたのです。

【2006年1月30日】

その11 『この人を見よ』について(10)

 初日のクライマックス(映画の前半のクライマックスでもあります)は、岩永さんのダンスに決めていました。しかし、撮影が押していたため、振り付けを確認する時間の余裕はありません。また公共の場所(公園)でのゲリラ撮影ということもあり、ダンスのリハーサルを重ねるのはまずいという思いもありました。というわけで、私は岩永さんに全面的にお任せすることに決めたのです。
 私「時間がないのでぶっつけで撮ります。ここからあのくらい(手で場所を指し)までの場所で、大きな動きで楽しそうな感じ、よろこびを表現してください。時間は1分くらい、私がストップをかけるまでお願いします。」
 至極アバウトな指示でしたが、つかつかと公園の中心に進んだ岩永さんは、何のためらいもなく踊り始めました(プロですねえ)。私は、全身が画面に入るよう岩永さんを追いかけるだけです。何が起きるのかわからない“いま”をまるごと撮影しているというドキドキ感、幸福感でいっぱいでした。これがマスターショットです。
 とりあえずカットをかけ、次につながるカット割りを急いで考え、ミドルサイズの画の動きをお願いしました。とくに最後は吉原さんと絡みつつ、別の場所とからの画につながる大事なところです。なお、小さなことですが、ここで吉原さんは演技上のミスを犯したのです。岩永さんと踊りはじめる際、帽子を落としてしまいました。テイク2も撮りましたが、こういう失敗は現実にあるかなと思い、失敗した最初のテイクを使うことにしました。
 “虚構“である映画に“現実”を導入しようという、私なりのささやかな抵抗のつもりです。

【2006年2月7日】


その12 『この人を見よ』について(11)

 連載が行き当たりばったりなのはわかっていましたが、細かなところまで全部触れていくと際限がないので、そろそろ『この人を見よ』は強引にまとめちゃいます。

 初日の撮影からシネゲリラの上映会まで10日ほどしかありませんでした。2日目の撮影を終えると残りはあと5日。『ぴあ』に自分の名前が載っているのを見ると、「絶対に完成させねば!」という気になります。仕事が終わってから夜に少しずつ編集を進めました。ほぼ順撮りだったこともありますが、初めてにしては迷いなく「ここはこうだっ!」という感じで、勢いづいて編集したことを覚えています。なんとか上映会前日までに画をつなぎ終え、最後にサイレント映画らしく一手間加えました。詳しくは書きませんが、ぶっちゃけ、音楽です。DVテープに落とし終えたのが朝の5時すぎ。そこから2時間ほど仮眠をとり、平日なので、いつものように仕事に出かけました。
 上映会の会場は「なかのZERO」視聴覚ホール。約10本(だったかな?)の短編映画が上映されるなかで、『この人を見よ』はトリです(2005年度美学校映画祭では『空の飴色』が大トリ。どちらも偶然が重なった結果ですが、ラッキーでしたね)。上映が進み、とうとう私の番。美学校映画祭と同様、監督が一言挨拶をすることになっていました。そのときの会場には50名弱の人がいたように記憶しています。友人の顔も見えますが、まったく知らない方も大勢います。ふと我に返ると、つい2週間前まで、まったくかたちになっていなかった映画が、見ず知らずの人の前で上映されることがとても不思議でした。また、(冗談でなく)ここに至るまでの数年間が思い返され、胸が高まりました。
 私「本日はご来場いただき、どうもありがとうございました。これが最後の上映作品ですが、傑作だからトリに選ばれたわけではありません。タイトルを決めるのが一番遅かったという単純な理由です。今日の朝、編集を終えましたので、本当に初上映です。映画は編集を終えただけでは完成しません。人に観てもらうことで初めて映画は完成します。私にとって初めての映画の完成の場に立ち会っていただいたこと、本当に感謝しています。今日上映したほかの作品の監督たちも、同じように感謝していると思います。それでは12分の短い作品ですが、ごゆっくりご覧ください。」
 こんな感じの話をしたことを、昨日のことのように覚えています。
 パソコンの小さな編集画面でなく、大きなスクリーンで観る自分の映画は、やはり格別でした。恥ずかしながら、自分で自分の作品に感動してしまったくらいです。この経験(感動)を得て、「2作目を撮ろう!」という気持ちが固まったといえます。

【2006年2月14日】


その13 『空の飴色』について(1)

 前回まで、初めての作品『この人を見よ』の、制作から上映に至るまでを書きました。お気楽な現場だと感じられたでしょうか。たしかによいスタッフ・役者さんに恵まれた現場でしたが、監督自身はひどく苦しい思いをしていたことは事実です。監督を経験した人は理解できると思いますが、現場では楽しさを感じる暇などありません。自分をギリギリまで追いつめる毎日でした。あわい充実感を覚えるのは、完成・上映後のほんの一時ですね。
 『この人を見よ』には、自分なりの娯楽性を盛り込みました。しかし、それは本来のテーマが重苦しかった反動だと思っています。表面的には政治問題(当時のブッシュ・アメリカ帝国主義批判)を扱っていますが、もちろんそんなことは重要ではありません。作品に登場するのは女同士でしたが、本当は、男女の心のすれ違いを描きたかったのです。愛する人が自分と相容れない立場(政治的な意味ではなく)に立ったとき、その現実をどう受け入れるのか、直視できるのかというテーマ。これに対する答えが『この人を見よ』というタイトルで、自分自身はもちろん、他人に対しても現実を見ることから逃げるのを許さない(許したくない)という思いを込めました。
 『空の飴色』は、このテーマを引き継いでいます。自分自身を現実に直視させようという姿勢は、『この人を見よ』と『空の飴色』の登場人物に共通して反映されたかなと感じています。
 しかし、両作品の作風自体は、かなり異なったものになりました。理由の一つは「同じことはしたくないから」。もうひとつは、当時の自分の現実を反映させたがゆえに、テーマそのものの重さに引きずられたということでしょう。かろうじて2003年の春までは、希望をもたせる作品(『この人を見よ』)をつくることができました。しかし、同年の夏以降、より厳しい現実に直面した私は、重たい心持ちのまま「……とにかく映画をつくろう」と決めたのです。
 こうして、現実に立ち向かうように、何の見通しもないまま、長く苦しい映画作りが再開されました。

【2006年2月20日】

その14 『空の飴色』について(2)

 しばらく間が空いてしまい、その間に『この人を見よ』の再上映(3/26「映画美学校傑作選!! 第2弾」にて)が決まりました。つたない作品とはいえ、ここでの文章などではなく、スクリーンで直に映画そのものに触れてくださいませ。
 当日は私も会場に行きます。私の作品は「傑作選」にふさわしくないかもしれませんが、よろしくどうぞ。
 では、『空の飴色』に戻ります。

 2本目の作品をつくるのは、処女作以上に難しい面があります。よく「処女作には監督のすべてが詰まっている」ということを聞きますが、最初にすべてを出し尽くすと、次に何を撮っていいやらわからなくなりますね(もちろん、たった12分の短編作品ですべてを出し尽くしたわけではないにしろ、頭をリセットするのに時間がかかりました)。
 撮影前に決めていたのは、まず「30分以上の尺」です。これは、FOUR FRESH!や1st Cutを意識しました。同じ尺で自分がどの程度できるのか、試してみたかったということです。
 次に「役者は自分と同年代を外し、美学校関係者を登場させないこと」です。同年代の人間ばかり出てくる自主制作映画は、どうも薄っぺらい感じがしていました。なんとなく「自分より年上の大人を登場させたいな」と考えたのです(『この人を見よ』の後日譚という意味だったかもしれません)。また、『この人を見よ』では2期生の友人に登場してもらいましたが、内輪受けになっていないかという心配はありました。作品そのものに集中するため、美学校関係者はなるべく出さないでおこうと考えました。
 また「悲劇、もしくはメロドラマを撮ってみたい」という希望がありました。大映TVドラマ、「赤いシリーズ」ということではありませんが、私は愛憎のドラマ、情念の世界が描かれた作品が好きなのは事実です。『この人を見よ』の着想はリヴェットの『北の橋』に得た(結果としてその痕跡は残っていないかもしれません)と書きましたが、『空の飴色』をつくりはじめるにあたって思い浮かべた映画を挙げてみると、ベッケル『偽れる装い』、ドゥミ『シェルブールの雨傘』、トリュフォー『隣の女』、ユスターシュ『ママと娼婦』、井川耕一郎『寝耳に水』、万田邦敏『Unloved』などでしょうか。また、映画ではないけれど、アンデルセン『マッチ売りの少女』、大西巨人『神聖喜劇』には、制作中、その世界観に影響を受けていたかと思われます(たいそうな作品ばかり並べ立ててしまいましたが、あくまで私が勝手に影響を受けただけです。おそれ多いので、安易に作品の比較などしないよう、お願いしたいところです)。

【2006年3月13日】

次回 『空の飴色』について(3)








<作品感想>
『空の飴色』〜物語はどこから来るのか〜  にいやなおゆき

 「にいやさん、うち今引っ越し中で『赤い激流』見れないんです、録画してくれませんか」という電話がかかってきたのは三年前だった。
 浅野学志とはCS仲間であった。あったと過去形になってしまうのは、私のCSアンテナは非情な大家さんによって破壊されてしまったからだ。
 いや、単に大家さんがアパートの周りの植木を剪定してて、切られた枝がアンテナの上に落下し、あのパラボラアンテナ(BS、CS加入者の誇りの象徴である)がグチャグチャに潰れてしまった、という事なのだが。
しかしあの頃はよく浅野くんと電話してましたね。『ドリフの大爆笑!』の宇宙船のギャグがどうの、『みなしごハッチ』の今週の話は凄いぞ、とか。まったくなにやってんだか……。しかし、我々のCS談義で最も盛り上がっていたのは、主演・水谷豊、宇津井健  演出・増村保造、國原俊明、瀬川昌治脚本・安本筦二、鴨井達比古、音楽・菊池俊輔らの豪華メンバーによって作られた、大映テレビドラマ『赤い激流』だったのです。
 浅野くんの『空の飴色』を観て思ったのは「ああ、これ『赤い激流』じゃん!」でした。
 死んだ筈の男、海外から帰って来る謎の女、双子の入れ替わり、ダンスを踊る姉妹、自殺か他殺か?……『赤い激流』や、他の大映ドラマでおなじみのガジェットが渾然となって、摩訶不思議な世界が作り出されていました。
 だけど、もちろんこの作品は『赤い』シリーズじゃありません。大映テレビ的ミステリードラマにホラー味をプラスし、独自の表現方法で35分に凝縮した、類のない作品と思います。
 『空の飴色』は、シナリオもプロットも無く「双子の姉妹を主演に」という漠然とした構想のみで制作されたとの事です。ただ、空港や神社、河原や飛行機の見える土手など、ロケ場所だけは決まっていたそうで。
 プロの俳優さんも使えない、セットも組めない低予算(というより無予算に近い)自主映画にとって、ロケ場所こそ最優先事項でしょう。よく「映画はキャラクターだ」と言われますが、こういうミステリートレイン的作り方の場合「映画は風景だ」とも言えると思うんです。いや、どちらが優先という事ではないし、結局両方なくちゃ話にならないんですが。
 僕も仲間と即興映画を作ってるんだけど、やはりロケ地で映画の内容が決まって来ます。なんだか地霊が物語を誘導してくれるようで。
 先にミステリートレインって書きましたけど、最近はあるのだろうか。昔よく、行き先を伏せて参加者を募集し、電車で出かけるツアーがあったんです。
 考えてみれば『赤い激流』もミステリードラマだし、『空の飴色』は作者も出演者も劇中のキャラクターも物語の全貌を知らず、自らにふりかかる事件を目撃し続ける、そんな感じの作品で。ミステリードラマをミステリートレイン的製作体制で作ったとも言えるかもしれません。そもそも『赤い激流』も、共演の緒形拳がスケジュールの都合で後半出演できなくなって、ストーリーが変更になったり、ずいぶん行き当たりばったりで……だからこそ先の読めない不条理な魅力があって、最終回は大映テレビ最高の視聴率37.2%を記録した訳なんだけど。

 そろそろきちんと『空の飴色』について。
 先に書いたようにこの作品、大映テレビ的ミステリー+ホラーだけど、普通の劇映画ではありません。
 台詞は無く、ワンカットワンカットが独立しており、それをナレーションが融合させている。それはむしろシネポエム的な作りで、それによって物語の飛躍が可能となり、大映ドラマで半年かかる内容が35分に凝縮されているわけです。
 映画はトーキーになった事で現実的リアリティーを手に入れた反面、映像の跳躍力(それによる物語の圧縮、テーマの象徴化、映画独自の無時間性)という面では後退してしまいました。でも、この作品はプロットもシナリオも無い状態で即興撮影されたために、ストーリーの説明と言う呪縛から解き放たれ、作者本人も意識もしていなかっただろうサイレント映画的強さと、深層の物語が浮上して来たのです。
 「この場所で、このキャラクター達は何をするのだろう」作者も、出演者もなにも知らずに、その「場」にふさわしい画を全員で念写して行く。なんだか降霊会みたいな事が、撮影現場では起こってたのではないでしょうか。
 何度も『赤い激流』という作品を引き合いに出しましたが、『空の飴色』は決して『赤い激流』のパロディーや亜流ではありません。それらは同じ源流から汲み出された古層の物語であり、今の映画やドラマでは描けなくなっている、神話的事件のライブビューだったんじゃないかと。
 行き当たりばったりで作られたために、細部の整合性はありません。役者さん達もストーリーもわからず出演してるんで演技になってません。おかしなところは一杯あります。
 でも、それがまた夢を見ているような異様なリアリティーになって来る不思議さ……。
 今回『空の飴色』をどう語ろうかと色々考えたんですが、どうしても普通の映画に対して考えたり語ったりする言葉が使えない。
 普通はキャラクターに関してとか、ストーリーやテーマについて、考えたり語ったり出来るもんなんですけど、この作品、そういうアプローチができないんです。
 もしかして、誤解を恐れず言えば、これは「作品」ではないのかもしれません。
 「作品」としてパッケージされる以前の、いや、パッケージすらできない物語の原液に、作者も出演者も観客も一緒に浸っているような。
 きっと、ポーの『アーサー・ゴードン・ピム』みたいに、どこかでこういう事件は起きてるんですよ。どこかにこういう人たちが居て、こういう事をしてるんだと、僕は思うんです。それは遠い過去かもしれないし、未来かもしれない。夢や映画って、そういう出来事と直リンクできる覗き穴なんじゃないでしょうか。
 『空の飴色』は「作品」というより、スクリーンにぽっかり開いた覗き穴なのかもしれません。

 *エドガー・アラン・ポーが1838年に発表した小説『ナンタケット島生まれのアーサー・ゴードン・ピムの物語』には、奇怪な後日談がある。1884年、ポーの小説と同じく4人の男が海難事故にあった。漂流する彼らはくじ引きで食料となる犠牲者を一人選んだ。彼の名は、リチャード・パーカー、これも小説に書かれていた通りであった。

(にいやさんのサイト 幻のソドム城)

dai9980 at 01:28コメント(2)トラックバック(0) 
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