バカデラ住職 不不立文字

不立文字(ふりゅうもんじ)とは「文字を立てない」つまり、肝心なことは言葉や文字では伝わらない、、文字にしても伝えることができないということです。禅の開祖、達磨(だるま)の著とされている『血脈論(けちみゃくろん)』に「以心伝心、不立文字」とありますが、この意味は、文字や言葉で真理は伝わらない、、真理は言葉や文字を借りず師の心から弟子の心に伝えるものであるということのようです。因みに不不立文字(ふふりゅうもんじ)とは不立文字に不を付け足した単なるパロディーです。否定の否定ですので「文字を立てる」つまり、肝心でないことは言葉や文字で伝わるということになりましょうか。そして、こうして此処に文字を立てるわけです。

至高の存在

プロビデンス・マジック
作詞・作曲・編曲・演奏・唄 石井妥師
http://blog.livedoor.jp/daibakarenji3/2025/providence-magic.html

寂静のユニバース
作詞・作曲・編曲・演奏・唄 石井妥師

フリーメイソンでは「プロビデンスの目」を象徴とする神を至高の存在と位置づけていますが、私の考えでは、日本人の感覚で言う「お天道様」、ユダヤ・キリスト・イスラム教の神、ヒンズー教・道教・神道の最高神、そして仏教における如来や明王とは、それぞれの時代や地域の文化的背景によって姿を変えた至高の存在の別名または分身であり、要するに各宗教は根源的な一なる神へと繋がる窓口のようなものだと思っています。

そして無余涅槃とも言いますが無事に輪廻から解脱できれば魂の故郷でもある根源的な一なる神の元へ帰る。

さて、今月の曲は、そんな“至高の存在”に思いを馳せたもので2曲目は約18年前に作った「寂静のユニバース」のリメイク(OKテイク)になります。

歌詞に出てくる「友愛」はフリーメイソンの基本理念の一つであり弥勒菩薩が伝えるメッセージでもあります。
しかし、この「友愛」は、心・言葉・行動という三業を自ら鍛えることで実践できる簡単そうで難しいテーマでもありますが、もし「愚者の戯れ」や「馴れ合い」のようなものを友愛だと誤解してしまえば、それは人間社会にとって害悪となるでしょう。

石井妥師 ブログ配信曲一覧

MUSIC PLAYLIST

真自由主義

viva! all things
作詞・作曲・編曲・演奏・唄 石井妥師
http://blog.livedoor.jp/daibakarenji3/2025/viva-allthings.html

レイクサイド・ボサ
作詞・作曲・編曲・演奏・唄 石井妥師
http://blog.livedoor.jp/daibakarenji3/2025/lakeside-bosa.html

1曲目
人間は皆、生まれは等しく阿呆の境地から人生が始まりますが迂闊に生きていると本能や洗脳、無明をベースとした俗界に翻弄され更に阿呆度がアップしてしまう危険があります。

そんな阿呆な自分と俗界を全否定するところから禅(仏道)の修行が始まり、やがて自分と俗界を全肯定する返本還源(悟り)の境地に至りますが、現代社会に於ける禅は新自由主義から真自由主義へといった意識変革を齎すでしょう。

そもそも三毒に塗れたリベラリズムが自由と言えるのかという根本的な疑問はありますが、それは要するに三毒からの解放であり因果と縁起の法を無視して真の自由はあり得ません。

2曲目は秋の中禅寺湖をイメージした曲で画像は川瀬巴水の日光中禅寺湖。

三世因果

flyers
作詞・作曲・編曲・演奏・唄 石井妥師
http://blog.livedoor.jp/daibakarenji3/2025/flyers.html

三世因果ストーリー
作詞・作曲・編曲・演奏・唄 石井妥師
http://blog.livedoor.jp/daibakarenji3/2025/sannzeinnga-story.html

有神論者(信仰者)の危険というのは神の名の下に空から爆弾を落とそうが罪を犯そうが何をしても許されるという妄想、そして無神論者(唯物論者)の危険は死んだら無なので何をしようが好き勝手にやったもん勝ちみたいな妄想であり、禅では莫妄想と言って、そのような妄想を戒めています。

無神論者であろうが有神論者であろうが何の思想を持とうが悪業を積めば三悪趣の輪廻に堕ちる、つまり今世でどう生きるかによって来世の境遇が決まるというのが仏法であり、都合よく逃げ切りの人生なんてものはないと思っていた方が賢明でしょう。

そんな訳で、簡単ではありませんが私は今世で輪廻からの解脱の予定であり後は無駄に悪業を積まず如何に人生を全うするかが課題でありますね。

神仏習合

エンブレム
作詞・作曲・編曲・演奏・唄 石井妥師
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奇遇
作詞・作曲・編曲・演奏・唄 石井妥師

この世を絶対視しないキリスト教と仏教では幾つもの類似点を見出すことができますが、それらの大きな違いは神を説くかどうかでしょう。

昨今ではIQ200の人などが有神を論じていますが、それですら万人に分かるようなものではなく完璧な論なのかも分からない訳で、釈迦が神に対して口を閉ざしたのは賢い態度だったと思います。

私は曲の創作に於いてキリスト教からのインスピレーションを受けることが多々あるので有神論の立場ですが、神を信仰しつつ八正道を心掛けるという姿勢がベストであり、それは仏教的にもキリスト教的にも何ら問題ないでしょう。

因みに私は神仏習合といったスタンスを取っていますが、そもそも大乗仏教に影響を及ぼした景教の存在を考えればキリスト教と仏教の習合形態が大乗仏教であり、日本の伝統的な神仏習合の本質は神道+キリスト教+仏教の三位一体型となって明治の神仏分離までは上手くバランスを取っていたように思われます。

この辺を宣教師ザビエルに上手く説明できていれば日本の歴史も大きく変わっていたことでしょう、という訳で1曲目はキリスト教と仏教の習合をイメージしています。

六道の囚人

脱獄FUNK
作詞・作曲・編曲・演奏・唄 石井妥師
http://blog.livedoor.jp/daibakarenji3/2025/datsugoku-funk.html

world watching
作詞・作曲・編曲・演奏・唄 石井妥師

六道輪廻図には鬼が六道を支配、監視している様が描かれていますが仏眼から見れば人間を筆頭とした生物は皆、三毒に囚われた六道という監獄の囚人であり、この監獄から如何に抜け出すかというのが仏教の教示するところであります。

地獄界から抜け出すよりも寧ろ比較的居心地の良い天界から抜け出す方が難しく(何故なら天界の住人は安住しており抜け出そうとしない)、それに挑んだのが王族を出自とした釈迦や達磨大師で、他にも貴族や公家から抜け出し高僧になった者も多く存在しますが、いずれにせよ悪業を積んだ天界の住人の来世は地獄界というのが相場ですので、とりあえず声聞、縁覚、菩薩の境地に入れば一先ず六道から抜け出せるでしょう。

今回の2曲はその辺をテーマにしていますが1曲目のイメージ画像である三解脱門というのはキリスト教で言うところの天の国への門であり「金持ちが天の国に入るのは難しい」というイエスの言葉は深層に潜む悪業を見ての事ですね。

法門としての北斎

凱風快晴
作詞・作曲・編曲・演奏・唄 石井妥師
http://blog.livedoor.jp/daibakarenji3/2025/gaihuukaisei.html

アサガオ
作詞・作曲・編曲・演奏・唄 石井妥師

調べによれば北斎は熱心な日蓮の信仰者であり、つまりは北斎の創作活動の源泉は法華経から来ていたと言えますが、最終的には自身の名を「画狂老人卍」と表記し卍を使うことによって絵に込めたメッセージを分かりやすく仄めかしたように思われます。

しかし北斎がいくら日蓮を信仰しようと言動が著しく仏法から外れていたのであればリスペクトするのも躊躇しますが人気作家であったにも拘わらず金銭や地位に心を奪われず一途に絵を描き続けたその生き様は評価できますし、私自身、北斎の日蓮信仰という観点から法華経探究を深めた経緯があるので北斎は法門たり得る存在と見ています。

まあ仏教の影響を色濃く受けている江戸文化自体が法門になり得る性質を持っていますが、そんな訳で1曲目は北斎の「凱風快晴」、2曲目は「朝顔に雨蛙」をイメージしています。

禅の悟り

醒めて見るウインドウ
作詞・作曲・編曲・演奏・唄 石井妥師
http://blog.livedoor.jp/daibakarenji3/2025/sametemiru-window.html

lullaby of dharma
作詞・作曲・編曲・演奏・唄 石井妥師
http://blog.livedoor.jp/daibakarenji3/2025/lullaby-of-dharma.html


1曲目の画像は源光庵の「悟りの窓・迷いの窓」ですが、禅に馴染みのない人でも画像の二つの窓を見てどちらが悟りの窓か分かれば既に禅の本質は掴んでいるといえるでしょう。

禅の悟りというのは漠然としており言葉での説明は難しいですが上手く悟ることが出来れば無駄な苦悩や煩い事から解放されるばかりでなく輪廻転生から解脱することも可能である反面、下手をすれば魔境に堕ち精神に支障を来たす危険がありますので常々注意と内省が必要です。

とりあえず日本文化に於いて禅の影響は無視できませんので日本のアーティストや文化人、学者であるなら、この辺は軽くクリアしておきたい所ですね。

2曲目は2008年5月に発表した「ダルマの子守唄〜lullaby of dharma」ですが当時(17年前)の自分の歌唱力ではこの曲を表現しきれていなかったのでリメイクしました。
他にも昔の曲で歌い直したい曲が数曲あるのですがリメイク済みの旧バージョンは一覧から外しておきます。

機根

でもそれはそれで…
作詞・作曲・編曲・演奏・唄 石井妥師
http://blog.livedoor.jp/daibakarenji3/2025/demosorehasorede.html

blessed rain
作詞・作曲・編曲・演奏・唄 石井妥師
http://blog.livedoor.jp/daibakarenji3/2025/blessed-rain.html


1曲目の画像は法隆寺の五重塔で、その歴史的背景には日本への仏教導入の是非を巡る蘇我氏と物部氏との戦いがあり、前世からの因縁か現在も崇仏派と廃仏派との不毛な論争をネット上で時々目にしますが中には平田篤胤のような根本的に仏教嫌いな人もいるようで。

さて、法隆寺を創建したと伝えられる聖徳太子は謎めいた人物であり現在の歴史的な評価は様々ですが、何れにせよ私は歴として存在する法隆寺は悟りへの法門として十分な価値があると思っています。

法隆寺の五重塔を筆頭に仏教に関する国宝が無数にある日本は悟りに近い国といえますが、たとえば幼児にはその価値が分からないように、いくら国宝と言え機根が熟さない者にとっては単なる建築物や美術品に過ぎないでしょう。


因みに仏教において人々の機根は3種類に分けられており、

正定聚機(しょうじょうじゅき)- 教えを聞いて必ず悟ることができる機根
邪定聚機(じゃじょうじゅき)- どうしても悟りえない機根
不定聚機(ふじょうじゅき)- 前の二つの中間にあって、どちらに進むか定かでない機根

だそうです。

悟りの季節

照見五蘊皆空
作詞・作曲・編曲・演奏・唄 石井妥師
http://blog.livedoor.jp/daibakarenji3/2025/syoukengounkaikuu.html

来迎
作詞・作曲・編曲・演奏・唄 石井妥師
http://blog.livedoor.jp/daibakarenji3/2025/raigou.html

多くの人々が悟れば少子化は免れられませんが一応仏教的に現在進行中の日本の少子高齢化について考えますと、 日本が少子化すれば悟れずに死んだ者は再び日本人として日本に転生出来る確率が低くなり、その多くが外国人、或いは畜生として生まれることになるので外国人として生まれ前世からの因縁から移民として日本に来るというケースもあり得るでしょう。

何にしても同じ老いと死という重荷を背負っている人類皆人生は大変なわけで出来れば助け合いながら人生を乗り越えたい所ですが、そう簡単に行かないのが、それぞれのカルマによる宿命であります。

今の時代は「悟りの季節」、言い方を変えれば「お迎えの季節」であり従来の考え方や価値観、人生観など様々な局面での往生際が問われているとも読めますが、とは言っても、お迎えの先には浄土が広がっており、そこからが人生の本番でありますね。

平野耕太 大博覧會

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昨日は平野耕太 大博覧會に行ってきました。
予想を覆されるボリューム満点の内容にすっかり魅力されましたが目の当たりにした原画は一枚一枚が芸術であり本当に素晴らしかったです。

特に気になったのが入り口のカーテンを潜って飛込んでくる

「命捨てがまるは今ぞ!!」

という禅的なメッセージですが、これは「死んで生きる」即ち今までのつまらぬ煩悩に囚われた己を捨て真如の世界に生きるためのイニシエーションであり悟りへの第一歩と言えましょう。 

尤も私の勝手な深読みですがナチスやキリスト教、武士道に迫る平野ワールドには深読み不可避な芸術、エンタメを超えた「何か」を感じますね。

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https://s.mxtv.jp/event/HiranoKohtaExpo/
25年3月27日(木)〜4月13日(日)
池袋・サンシャインシティ 展示ホールA


弾琴の喩え

presage beat
作詞・作曲・編曲・演奏・唄 石井妥師
http://blog.livedoor.jp/daibakarenji3/2025/presage-beat.html

afterglow
作詞・作曲・編曲・演奏・唄 石井妥師
http://blog.livedoor.jp/daibakarenji3/2025/afterglow.html

仏教に「弾琴の喩え」という話がありますが、昨今のコンプライアンス云々の社会風潮というのは、これまでの弦(気持ち)の張り具合が余りにも緩すぎた反動といえるでしょう。

弦楽器というのはある程度の張りがないと良い音が出ないように調和や平和には良い塩梅の張り(緊張感)が必要であり、緩すぎれば堕落、張りすぎれば切れて発狂となり精神に支障を来たしますが、戦前戦中は張りすぎ、戦後は緩みすぎといった反省から、今後の日本社会は上手く弦を張れるかどうかがポイントですね。

たとえば笑いというのは緊張を緩める効果がありますが度の過ぎた笑いには常々危うさを感じています。

フリーメイソン

jazzy day
作詞・作曲・編曲・演奏・唄 石井妥師
http://blog.livedoor.jp/daibakarenji3/2025/jazzy-day.html

無我カンターレ
作詞・作曲・編曲・演奏・唄 石井妥師
http://blog.livedoor.jp/daibakarenji3/2025/muga-cantare.html

江戸末期から明治維新で登場したペリーやグラバー、第二次世界大戦後のマッカーサなどの背後でフリーメイソンが目を光らせていますが、それは私にとって仏教、キリスト教に次いで興味深い存在であり、また近代日本にとって看過できない存在でもあります。

フリーメイソンの歴史的な経緯や様々な説、至高の神への信仰、シンボルや様式など多角的に見ると、その存在に底知れぬ奥の深さを感じますが、仏教やキリスト教同様に単に信仰心を持ったフリーメイソンのメンバーだからといって道心と探究なしにはその奥義に至ることはできないし因果の法から逃れることはできないでしょう。

宗教に限らず、芸術、学術、スポーツ、仕事、趣味など道心さえあれば全て悟りへの法門になりますが、この道心を忘れると人間から畜生に転落となるので要注意といった所で、私はフリーメイソンも悟りへ至る法門の一つと見ており、2曲目は少しだけフリーメイソンを意識しています。

俗から聖へ

origin
作詞・作曲・編曲・演奏・唄 石井妥師
http://blog.livedoor.jp/daibakarenji3/2025/origin.html

彼岸でランデヴー
作詞・作曲・編曲・演奏・唄 石井妥師
http://blog.livedoor.jp/daibakarenji3/2025/higande-rendezvous.html

仏教では菩提心に基づいた努力を正精進と言い、これによって彼岸(悟りの境地)へ到達しますが、俗界に於いて我欲に基づいた努力をしたところで俗物となってしまうのが関の山でしょう。

振り返れば私の生きた昭和、平成の文化は俗物性の濃いものでしたが近年はさすがにそれも時代錯誤となり俗物性そのものに否定的な傾向があるようで。

そんな俗物性を超克すると自ずと聖へと向かう訳ですが何れにしても俗物根性丸出しなんてのは恥部を晒しているようなものなので身だしなみやエチケットには気を付けたいものですね。

謹賀新年

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イエス・キリスト

COOL HEAVEN
作詞・作曲・編曲・演奏・唄 石井妥師
http://blog.livedoor.jp/daibakarenji3/2024/cool-heaven.html

大聖堂の菩薩~japanese ver.~
作詞・作曲・編曲・演奏・唄 石井妥師
http://blog.livedoor.jp/daibakarenji3/2024/daiseidounobosatsu.html

仏教では未来に弥勒菩薩が降臨し世を救うという預言がありますが弥勒菩薩が降臨したとしても、その時は特別な救済などせず間違いなく普通に仏法を説くだけしょう。

そもそも救世とは人ではなく世を救うのが第一義でしょうから例えば世界の構図と救済法を兼ねた十界を説くだけでも虚無や非道、迷妄に堕ちた世界は体面的に救われることになります。

全体的に聖書の描写は仰々しい印象ですが預言通りイエスが再臨したとしても弥勒菩薩と同様に仏法を説くのではないかと推察するところではありますが何にしても仏法を説いたところで「救いようのないバカと縁なき衆生は度し難し」といったところでしょうね。

という訳で今回の2曲はキリスト教からのインスピレーションによるものなので一応イエスについて語りましたが、1曲目は「天国=涅槃=悟りの境地」といったイメージで。

2曲目はアニメ「ヘルシング」のサントラ「RAID」に収録されている曲ですがリメイクのリクエストがあったので歌詞を付けて完成させました。


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宗教

心もなしholy ground
作詞・作曲・編曲・演奏・唄 石井妥師
http://blog.livedoor.jp/daibakarenji3/2024/uramonashi-holy-ground.html

mystic silence time
作詞・作曲・編曲・演奏・唄 石井妥師
http://blog.livedoor.jp/daibakarenji3/2024/mystic-silence-time.html

世界には様々な宗教があり一言では括れませんが、思うに凡そ宗教というのはそれ自体が方便で、それは要するに俗から聖なる次元へ導く手段であり思考を停止させ人を堕落させるようなものであれば、それは邪教と見做してよいでしょう。

私が関心を持っている仏教とキリスト教は聖なる次元に向けた教えを垂れていますが、もしそれらを信仰しているにも拘わらず単なる俗物であったり現実的に問題や支障が絶えないというなら、それは根本的な読みが間違っている可能性が大なので宗教の方便性を踏まえ慧眼による読みを推奨したいところです。

そんな慧眼を養うには禅が有効というか私的には軽く仏教学と禅をやってから聖書や法華経などを読むべきとさえ思っていますが、地球の歴史の混乱ぶりを見ると世界規模で宗教を読み間違えているかもですね。


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畜生界

future forecast
作詞・作曲・編曲・演奏・唄 石井妥師
http://blog.livedoor.jp/daibakarenji3/2024/future-forecast.html

Ms.zookeeper
作詞・作曲・編曲・演奏・唄 石井妥師
http://blog.livedoor.jp/daibakarenji3/2024/ms-zookeeper.html


現代の科学では来世があるかは分からないので私は死後のリスクを考慮して「輪廻転生はある」というスタンスで生きていますが輪廻があるとなると現世での言動には慎重にならざるを得ないので却って現世で無駄に苦悩することもなくなるように思います。

六道輪廻思想に基づけば生前の行いによっては畜生界に輪廻転生となりますが、ここは余程恵まれた環境でない限り厳しい境遇でしょう。

俗世間では親ガチャ、国ガチャとか言いますが大乗仏教国の日本で人間として生まれただけでも実は相当ラッキーな訳で残念ながらそれに気付けない人も多いようで。

輪廻からの解脱や悟りを開くことが出来るというのが人間の特権でもあるにも拘らず、それに反して人間の姿をしながら精神面が畜生以下の鬼畜に堕ちた輩が後を絶たない昨今ではありますが、何にしても現世や来世で畜生界に堕ちないよう言動には気を付けたいものですね。

という訳で2曲目は畜生界の唄

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禅アート

ガーデン
作詞・作曲・編曲・演奏・唄 石井妥師
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コバルト・アンビエント
作詞・作曲・編曲・演奏・唄 石井妥師
http://blog.livedoor.jp/daibakarenji3/2024/cobalt-ambient.html

1曲目画像の天龍寺の庭園は日本の禅庭、枯山水の完成者である夢窓国師が手掛けたものですが、凡そ禅のアートというのは単なる哲学や芸術ではなく常に宗教的なメッセージが発信されており、この庭園を観察するに、

「ガキ臭さ、チンピラ臭さ、アホ臭さ、ゲス臭さ、臭い詩や台詞といった悪臭を排除し自然との調和を図り、更に、その美と禅の哲学によって心を清め輪廻転生から解脱せよ」

そんなメッセージが読み取れますね。

因みに夢窓国師は法話「夢中問答集」の中で、前世と来世について肯定的に言及しており輪廻転生肯定派の自分にとって非常に頼もしい存在でありますが、この問答では複雑化した大乗仏教に対する答えばかりでなく人生の答えが説かれているといっても過言ではない。

夢窓疎石を知らない人は多いと思われますが伊達で国師の尊称が付いている訳ではなく現在もその存在は永遠の輝きを放っています。

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富士山

霊峰夢飛行詣で
作詞・作曲・編曲・演奏・唄 石井妥師
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パシフィック・ウェーヴ
作詞・作曲・編曲・演奏・唄 石井妥師
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私の住んでいる地域からは天気の良い日に薄っすらと小さく富士山の影が見える程度で日常での尊さが今一つ実感できませんが、例えば私のリスペクトする北斎や白隠を筆頭に日本の芸術、文化の面から見て富士山を抜いては考えられない程の存在ですので、その辺から富士山の尊さというのは間接的にではあるが伝わってくるものがあります。

邦楽アーティストならば日本の美の象徴でもある富士山を題材にした曲が一つは欲しいとこですが富士山を如何に表現するかは邦楽アーティストとしての真価が問われるところでしょう。
という訳で1曲目。

2曲目は北斎の富士山で「天下泰平」をイメージしています。

政治家の皆様には党利党略や私利私欲といった下らないものに囚われず是非とも泰平の世の実現に向けて頑張って頂きたいですが、江戸時代が天下泰平だったかというと陰で様々な問題があり、例えばキリスト教弾圧などが最たるもので、結局江戸の終焉というのはキリスト教からの復讐によるものでありキリスト教との融和を図れなかったのは大きな失政だったと言えるでしょう。

まあ、江戸から現在までの歴史的な流れは有神論的な見方をすれば神のシナリオとも言えますが、何れにせよ、これから迎える個人と時代の成熟期にあたって江戸時代には様々なヒントがありますね。

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邦楽

MUSIC SHOW
作詞・作曲・編曲・演奏・唄 石井妥師
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インターセクション
作詞・作曲・編曲・演奏・唄 石井妥師
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私が音楽に目覚めた10代の頃の音楽観はサウンド志向であり、それは今でも変わっておらず先ずサウンドがあり次に歌詞という、曲作りにおいて詞先というのは殆どありませんが、例えば俳句なども五七五という音符とリズムがありそこに言葉を嵌め込みますのでサウンドを優先していると言えるでしょう。

芭蕉などは一句作るのに何度も推敲を重ねていたという話で、言葉の持つ響きには相当拘っていたように思われますが、メロディーに詞を嵌めるというのは俳句と同じように面白くも中々難しい作業ではあります。

何にしても歌詞の内容は問われるところであり、俗の価値観や妄想や本能に囚われているようでは達観した歌詞は書けない訳で、遅かれ早かれ内省による自己否定が達観への初歩的なイニシエーションとなりますが、五十過ぎても達観できずにのさばり続ける文化人などは滑稽を通り越して害悪でしょうね。

因みに芭蕉は禅に傾倒していたものの、自身の俳諧に対するスタンスと仏道との狭間での迷いと葛藤があり、禅の十牛図で言うならば牧牛辺りを彷徨っていたような印象を受けますが、何れにせよ芭蕉と仏教は切り離すことのできない関係があり、そんな求道的な姿勢が俳句に表れ世俗と仏道の橋渡し的存在にもなっている。

私の音楽も邦楽に属しますが、やはり邦楽というのは、その辺の精神性を踏襲してこそ邦楽だと思いますけどね。

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一流

ブルーノート
作詞・作曲・編曲・演奏・唄 石井妥師
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鳴き龍
作詞・作曲・編曲・演奏・唄 石井妥師
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日本は明治以降、あらゆる面に於いて欧米に追い付く努力をしてきましたが音楽もその一つで、音楽に限って言えば現在はもう十分追い付いているような状況というか、世界的に音楽の分野自体が失速しているので、それ程の差がなくなってきたとも言えますが。

腐る程に音楽が溢れかえる昨今ではハイレベル、ハイセンスなミュージック・クリエイターやミュージシャン、アーティストが珍しくありませんが、どんなにセンスやテクニックがハイであろうと使い勝手の良さから崇高な理念があるとも思えないマスコミやメディアから玩具の如く持て囃されたり重宝されるような存在であればピエロ(道化)の領域を出ることは出来ないわけで、残念ながら世界にはこのピエロが多い。

「日本」という冠が付く「日本のミュージシャン、日本のアーティスト」であるなら演奏や作品のレベルは言うまでもなく、良くも悪くも日本に多大な影響を及ぼしてきた仏教を語れてこそ(法を説いてこそ)ピエロと欧米を超えた一流と呼ぶに相応しい存在になるでしょう。

これは欧米を発祥としたスポーツなどの分野にも言えることですが、日本の伝統文化や伝統芸能、武芸、武道に従事する身分で仏教を語れないのは言語道断、もはや恥と知るべきですね。

要するに戦後の、更には明治以降の価値観が瓦解した現在以降に於いては仏教を語れてこそ一流、仏教をマスターすれば超一流という話ですが、今回の話は鳴き龍から授かったメッセージということで2曲目は地元栃木県の鳴き龍のイメージソング。


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拈華微笑

NENGE
作詞・作曲・編曲・演奏・唄 石井妥師
http://blog.livedoor.jp/daibakarenji3/2024/nenge.html

サニー・レイン
作詞・作曲・編曲・演奏・唄 石井妥師
http://blog.livedoor.jp/daibakarenji3/2024/sunny-rain.html

一曲目は拈華微笑の拈華(NENGE)で、これも先月の以心伝心と同義で言葉を超えて心から心へ伝えるというものです。

元々仏教というのは心に重きを置いており、その伝えるべき心が時と共に歪なものに変形し現代の末法的様相となっているように推察しますが、そもそも釈迦の心とはどんなものだったのか? (因みに釈迦は妻子を捨てたロクデナシという批判もありますが、最終的に妻子は釈迦の真意を悟り釈迦に帰依したらしいので、そういった批判は妥当ではないでしょう。)

これはそんなに難しくなく人間や動物の心を察する能力と想像力があれば分かるもので、これが分からぬようでは仏教の悟りとして十分とは言えないばかりでなく、世間的にはハラスメントの横行するブラックな社会や会社といった非人間的な病んだ姿になってしまいますね。

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以心伝心

以心伝心
作詞・作曲・編曲・演奏・唄 石井妥師
http://blog.livedoor.jp/daibakarenji3/2024/ishindenshin.html

チェリーブロッサム
作詞・作曲・編曲・演奏・唄 石井妥師
http://blog.livedoor.jp/daibakarenji3/2024/cherry-blossom.html

以心伝心というのは元は禅宗(達磨)から来る言葉で、たとえば堕落して仏道の実践を怠り歩まない者が美辞麗句や知識を並べ立て仏教を語ったところで虚しく説得力がない、俗に言う「お前が言うな」であり、結局は言葉を超えた態度や行為、生き様で思いを示してこそ「以心伝心」となるわけで、これは仏教に限らず政治に宗教、教育、言論界などあらゆる方面に言える事ですが、世の中には「お前が言うな」と言いたくなる輩が多いですね。

尤も、良くも悪くも立ち居振る舞いや何気ない表情や仕草などでも心は現れるものではありますが、それが神仏の心なのか邪や魔の心なのか単なる利己心なのか、何にしてもどのような心を伝える(伝わる)のかが以心伝心の肝心なところでしょう。

私もブログで偉そうに語っていますが、ブログでは私生活の事は殆ど語らないものの、実生活やこれまでの立ち居振る舞い、自分の創作してきた数々の曲から鑑みれば、今のところ「私は言える(言う資格がある)」そんな気持ちで語っております。

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菩薩

GO!マンジュシュリー
作詞・作曲・編曲・演奏・唄 石井妥師
http://blog.livedoor.jp/daibakarenji3/2024/go-manjyusyuri.html

suchness~麗しき真如~
作詞・作曲・編曲・演奏・唄 石井妥師
http://blog.livedoor.jp/daibakarenji3/2024/suchness.html

死後、もし再び人間として生まれたいのであれば余り深いことは考えず俗世間(六道)に染まりながら何となく、或いは夢中で生きるのもありですが、人間といっても天界のような境遇から地獄のような境遇とピンからキリまであり、はたまた下手をすれば畜生類に転生なんていう、どこに生まれてくるか分からない恐ろしさがあるわけで、とりあえず仏教への信仰くらい持っておけば仏教に縁のある境遇に転生できる可能性はあると直感するところであります。

さて、そんな輪廻転生からの解脱を目的とするのが菩薩でもありますが、たとえば華厳経では菩薩の境地を52の段階に分けており、これを大雑把に分ければ初級、中級、上級みたいな感じになります。

菩薩と言っても初級の頃は煩悩の制御が出来ず俗界の渦に飲まれて葛藤や苦悩が生じることも多々ありますが、ここをクリアすれば不退転の心境に達しますので菩薩ライフをエンジョイすることが出来るでしょう。

ただ上級になると慢心や油断から地獄に転落する危険がありますので、その辺は要注意ですが、いずれにしても地球、社会というのは絶好の道場ということで1曲目は菩薩への応援歌。

石井妥師 ブログ配信曲一覧

摩訶止観

DO THE 摩訶止観
作詞・作曲・編曲・演奏・唄 石井妥師
http://blog.livedoor.jp/daibakarenji3/2024/dothemakashikan.html

possibility
作詞・作曲・編曲・演奏・唄 石井妥師
http://blog.livedoor.jp/daibakarenji3/2024/possibility.html

法華経を探究すると摩訶止観という言葉を目にすることになりますが、タイトルが「DO THE 摩訶止観」ということで一応簡単に摩訶止観について語ろうと思います。

正直言って摩訶止観など知らなくても仏法や智慧の体得は可能なので私にとってはそれ程のものではありませんが、ただ気になるワードで心に引っ掛かっていました。

要するに摩訶止観というのは瞑想法についての論書ですが、これは、あくまでも法華経をベースとしていますので法華経の方便性を考えれば当然、摩訶止観も一つの方便ということになります。

結構難しい論書であり下手をすると仏教の迷宮に堕ちてしまう懸念があるので、そこで私の発案する摩訶止観の活用法として密教の瞑想法である阿字観のように、心を鎮め摩訶止観という言葉を見つめ、その奥にある法華経の真髄を悟る。

即ち

「摩訶止観観」

このような観法もありかなと思います。

因みに白隠禅師は法華経の真髄を「心」と説きましたが、ここを悟れるかというのはかなり重要なポイントでしょう。

まあ親心みたいなものですが。

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バカさの超克

阿吽
作詞・作曲・編曲・演奏・唄 石井妥師
http://blog.livedoor.jp/daibakarenji3/2024/aun.html

馬の耳に…
作詞・作曲・編曲・演奏・唄 石井妥師
http://blog.livedoor.jp/daibakarenji3/2024/umanomimini.html

そもそも六道の次元というのはバカな世界なので批判するのもバカバカしいのですが、ともあれバカという病を治すには先ず自分がバカ且つ六道の住人であるという自覚を持たない事には始まりません。

私はその辺の自覚を持ち大莫迦蓮寺のバカデラ住職としてブログをスタートさせバカさの超克に努めて来ましたがお陰様で六道的なバカさは超克したという自負はあります。

世の中、人種に民族、老若男女、十人十色で様々な立ち位置がありますが所詮六道世界の住人である限りバカの範疇になりますので一度謙虚に内省することをお勧めしたい。

いずれにせよバカは生きているうちに超克しないと再びバカとして産まれてきますので

「バカは死んでも治らない」

とは言っても、うっかりバカをやってしまったり今後老化に伴った物忘れなど様々な懸念はありますが、たとえバカさを超克しても人間である限り致し方のない所はありますけどね。

という訳で2曲目「馬の耳に…」

謹賀新年

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バカデラ住職(B.J)

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