
人々は本来仏である。
それは水と氷のようなもので、
水から出来ない氷はなく
人々の外に仏はない。
人の心の内に仏があるのを知らずに、
外に仏を求めても無駄なことだ。
たとえば、それは水の中にいて喉が渇いたと
叫ぶようなものである。
また、それは裕福な家の子供が
徒に貧しさに迷っているのと同じことである。
迷いの世界というものは自分の無知と愚かさが
作り出している闇の路。
この光無き闇路を乗り越えて、いつかは皆、
光差す彼の岸へと渡らなければならない。
そのためには、心を落ち着け、
物事の道理を明らめること
「禅定」が大切なのである。
他人への施しや自分自身への戒め
念仏や反省、修行など様々な善行があるが
それらは皆「禅定」の中に含まれるのである。
ひととき、心を鎮め坐るならば迷いや不安、
積み重ねてきた罪等を滅ぼすことが出来るであろう。
そして、もうそこに地獄は無く
極楽浄土が今ここにあることに気づく。
ありがたいことに、この仏法を一たび耳にした時、
喜んで受け入れる人は限りない幸福感を
得ることができるであろう。
ましてや自ら仏事に励み本来の自分を知ったなら、
自性、それは仏性であって、もはや、
なんの説明も言葉も要らない。
そして、人々と仏が一体となった門は開き、
そこに一本の真直ぐな道が通っている。
有るとか無いに執われる事がなければ、
どこへ行こうとそこに安心があるのである。
悪想念を抱かなければ、
謡や踊りも仏の声である。
幼子のような心は大空のように
果てしなく広がり、そこに智恵の光を放つ月が輝く。
もはや、何を求めるものがあろうか。
悟りの世界が目の前に現れた今、
ここが蓮の華咲く極楽浄土、
この身がそのまま仏なのである。
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