唯識とは、ただ心だけが存在するということですが、これは、理解、体得するには少なくとも三年は掛かるといわれるほどの難解なものです。 三島由紀夫自身、唯識を理解、体得していたのかどうかはわかりませんが、唯識ではこういう訳で輪廻転生するということです。この辺は形而上学なので実に微妙なところです。因みにイスラム教では来世を説かない宗教は邪教と見做しているようですから、仏教がもし来世は無い、つまり輪廻転生は無いと主張すると、ひょっとしたら過激派の攻撃対象になってしまうかもしれませんね。 以下は唯識教学の体系を三十の詩にまとめた唯識三十頌(ゆいしきさんじゅうじゅ)というものです。様々な解説書をみながら大雑把に訳したのですが一応紹介しておきます。 |
唯識…バカデラ住職による唯識解説。唯識三十頌紹介 唯識とは…
一頌 我や法は縁起により生起しており、それらは実体的なものではなく、仮の存在である。 二頌 一に、悟りや迷いを含め全てを生みだす心の層(阿頼耶識(あらやしき)と、 三頌 深層にある阿頼耶識の働きを知ることはできない。 四頌 阿頼耶識はもともと、何にも染まっておらず、善と悪からも中立である無覆無記(むふくむき)とされる。 五頌
六頌 そこには常に四煩悩(我見、我疑、我慢、我愛)及び 七頌 末那識の本性は善と悪から中立であるが、 八頌 第三の前六識(眼識・耳識・鼻識・舌識・身識及び意識の六種)は心の表層にあり、 九頌 前六識の心理作用は遍行・別境・善・煩悩・随煩悩・不定の六つに分かれ、 十頌 初の遍行というのは三頌で述べた触・作意・受・想・思の働きで 以下未訳。 十一頌 十二 十三 十四 十五 十六 十七 十八 十九 二十 二十一 二十二 二十三 二十四 二十五 二十六 二十七 二十八 二十九 三十 |
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