2010年02月20日
小倉
大二郎です。
小倉に行きました。『松陰、晋作に見る明治維新』と銘打っての講演。幕末、第二次長州征伐を山口県では「四境戦争」と呼びます。
大島口、芸州口、石州口、小倉口
四方から10万の幕府連合軍が攻め寄せます。
迎える長州軍は、4000人。頼みの綱は、薩長密約によって薩摩が手配してくれた、新式銃7000挺。それに長州軍は、半分近くが、民兵隊組織。260年の平和がもたらした官僚ボケの武士の軍隊より、はるかに士気が高い。
そのうえ諸隊を指揮する松下村塾育ちの名将たち。
高い士気とたぐいまれな指揮、これがこの戦争で長州に勝利をもたらした。
吉田松陰の松下村塾は、孫子、呉子の兵法。楠流軍学、甲州流、山鹿流の軍法。会津の長沼流砲術などを教えたのです。
鳥羽伏見、戊辰戦争、不満士族鎮圧戦争と明治10年の西南戦争まで、とにかく長州軍は、強かった。
その強さの秘密が松下村塾と、薩摩の斡旋で手に入れた7000挺の新式銃にあった。
大二郎
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この記事へのコメント
1. Posted by セラピストm 2010年02月20日 16:28
こんにちは。
10万に対するは4千ですか・・・
逃げたくなります。武器はもちろん、気持ちが大切なのですね。
10万に対するは4千ですか・・・
逃げたくなります。武器はもちろん、気持ちが大切なのですね。