2018年10月22日

コールサインはJH3YFF

よほどのことがないかぎり、検索でこの記事にたどりつく方はいらっしゃるまい。

泉佐野市立第二中学校無線部が使っていました。

フォネティックコードはたしか
「ジャパンホンコンスリーヤンキーフリーフリー」だったか。

憧れつづけて幾年、やがて世界は蜘蛛の巣が張り巡らされ、
アマ無線も専門家以外は無用の長物となりました。

合掌m(__)m

daikumakoto at 14:17 

3代目旭堂南陵先生のラジオ番組を私は聴いていた覚えがあるのです

昭和47〜48年ごろでしょうか。当時私は中学生。テレビでは笑福亭仁鶴師が大ブレイク、ラジオでもOBC「カットジャパン1310」、MBS「ヤングタウン」など、ハイテンポな新興の笑いが席巻しておりました。
生来お笑い好きの私は、それらをただ聴くだけでは飽き足らず、大喜利のようなコーナーにネタをハガキ応募しては賞金をかせいだり、電話で生出演しネタを披露する、いわゆる「投稿職人」のハシリでした。
学校から帰ると、お目当てのテレビ番組が始まるまでのつなぎにラジオのダイヤルをひねっては、なにか面白い番組はないかと、まさにアンテナを張り巡らせていたちょうどそのころ、たぶんOBC(ラジオ大阪)だったかMBS(毎日放送)だったか、3代目旭堂南陵先生が古風な語り口で現代情勢を切る番組に耳をかたむけるようになりました。
「・・さて、このところ、巷で目立ちまするものといえば・・」と、おもむろに語りはじめ、堅い政治の話やら国際情勢を展開されるのですが、なぜか5回に4回までは下ネタでさげるのです。ませていた私は古風な謂れにからむオチでもだいたい理解できましたから、毎回その最後を聞きたいために番組を聞いていたものでした。(こんな気楽なしゃべりで世を渡る仕事もあるんやなぁ)と感心していたことを思い出します。

以前、一門の重鎮にそのお話をさしあげたところ「大師匠がラジオ番組に出てたということは知ってるけれど、実際に聞いてた人に会ったのは初めて」と、よろこんでくださいました。
自分でも、より確かな情報を整理したいとネット上を検索してみましたがどうしても探せず、せめてここに一文記しておき、後世への伝えにしたいと思います。

daikumakoto at 08:20 
お笑い 

2018年10月19日

喜劇役者 曾我廼家一二三(そがのやひふみ)

「時間ですよ」をリアルタイムで見た世代です。

何十年ぶりかで全編(第二シリーズ)を見直したら、
松竹新喜劇に出ていた曾我廼家一二三さんに再会。
再会といっても、ライブで拝見したことはなく、
DVD(収録時の芸名は五九郎)で見る舞台上の名脇役ぶりに感服していたところ、
杉山警官(ドラマでの役柄)が
「そこなんだ!」というフレーズを連発していたことを発見。
間(ま)が絶妙なので、シーンを切り貼りしてみました。

風貌、口跡、所作・・どれをとってもバイプレーヤーのお手本です。



daikumakoto at 09:24 
お笑い 

2018年10月17日

YouTube 動画 にじむ にじんだように ボケる ノイズ 原因と対策

草木や道路や空などが細かくにじんだようにボケてしまう現象は
「ブロックノイズ」と呼ばれるそうです。

YouTubeにアップロードする際、1080p以下の画質ですと頻発します。

対策として、4K 30fps以上で改善する可能性が高いです。

カメラを4K対応のものに変え、編集する際は4K出力できるソフトを使いましょう。

※記事内容は個人的見解ですので、機材・環境によって効果が得られない場合もありますので、基本 
責任は負えません。あくまで自己認識・自己責任でお願いします。





daikumakoto at 08:49 
you tube 

2018年10月12日

東八郎師「なまか」ギャグ誕生の瞬間を、私は見た覚えがあるのです

昭和何年と聞かれても、、おそらく42年〜44年あたりかと。
当時、自他ともに認めるテレビ小僧だった小学生の私はとにかくお笑い番組が大好きで、今でいえばネットサーフィン(これも古い!w)ならぬ、チャンネルサーフィンしながら、お目当ての番組を欠かさず見ておりました。

ある日、トリオ・ザ・スカイラインのコントがかかってきました。

時代劇コントで、たぶん八郎師は赤胴鈴之助に扮していたと思います。

子供心にその日、途中からコントが荒れた展開になっていく、いやな予感をおぼえました。(たぶん時間調整からネタをのばせ的な指令があったのか、とてもやりづらそうに見えたのです)

八郎師が赤胴の唄を歌うのですが、歌詞についてか、歌い方か、両側からしつこいほどからまれ、用意していたネタが出尽くしてしまったのでしょう、咄嗟の機転(私にはそう見えました)で八郎師が逆ギレ、あの、幼児のような手ぶり、歌いぶりで「がnばれ(がんばれ、ではなく、がばれ みたいな口調)つよいぞ、ぼくらの 「なまか」」と、歌いました。
ツッコまれ倒して困り果てたすえに、幼児返りしてしまった大人がだだをこねるように爆唱する、、
八郎師はアドリブでそんな展開を思いついたのでしょう。

「はぁ? なんだその歌は! もういっぺん歌ってみろ」と、こちらも間違いなくアドリブのツッコミがあって、八郎師はなんだかもう破れかぶれな風情で歌を2、3度くりかえしたように覚えています。

・・・どうしてそのシーンを鮮明に覚えているかというと、はっきり申しあげて、それらアドリブ展開がどうにも、臭くて臭くて見ていられなかったから、なのです。

八郎師も、はっきりと恥ずかしがっていました(私にはそう見えました)。語句を入れ替えただけの稚拙さにご本人もたぶん嫌悪したのでしょう。(語句の入れ替えだけの、いわゆる関西的「スカタンしゃべり」はトニー谷の十八番でしたが、大阪人の私にとってそれらはいつも違和感がありました)

「な ま か」と歌うシーンがくりかえされるあいだ、私は子供心に(コントはスベると苦しいものだなぁ)と、戦慄の心持ちで、息をつめていたことを覚えています。無様で、小っ恥ずかしくて、哀れで、、 それまで楽しく接していたお笑い世界の真の厳しさを、当時まだ10歳そこそこの私はテレビの前で痛感し、打ちのめされた気分に包まれながら(どうぞ早く終わってくれ)と、心を逆立てていました。

・・・ところがその後、テレビで八郎師が登場するたび、ぜんぜん別のコントでも無理やり「なまか」がくりかえされるようになり、私は呆れました。
(このまえアドリブでやった、あの臭いギャグ(当時はまだ「ギャグ」という言葉は一般に使われていませんでした)をまた使う気?)と、ふたたび小っ恥ずかしい思いでテレビをながめたいたものでした。

しかし、時の流れは徐々に、熟成の手をさしのべます。
齢をかさねながら少しも手をゆるめず、恥ずかしがらず「なまか」を叫びつづける師に
「哀愁」が漂うようになりました。そして「なまか」は師の看板芸となりました。

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私は一介の素人にすぎませんが「なまか芸」をつうじて、東八郎師から大きな教えを受けたことをここに記さずにはいられません。
それは、どんな世界にあっても、絶頂で輝きつづけるうちはまだまだ青く、やがて枯れて、なおも熱を保ったまま愚直に道をつらぬき、いつか「哀愁」を纏(まと)うようになってはじめて、人はその分野での「本物」になるのだということを・・・


(※本記事は一個人の記憶をたどったものに過ぎず、内容には大きな記憶違いがあるかもしれません。内容が絶対確実なものであると言い切る自信もありません。あらかじめご承知おきください)

daikumakoto at 09:37 
お笑い 

2018年10月10日

(覚え書き)ブルース R&B ロック 違い



ギターによる弾き語り(ブルース)奴隷解放(1863)前

ドラム・ベース追加→R&B(解放後)

不遇の暮らしから解放され洗練→70年代になるとソウルとよばれる

(まとめ  R&Bは初期、ソウルは後期)

ロックはブルース、R&Bに、カントリーが融合したロックンロールから洗練進化したもの。
やがてハードロック、プログレッシブ、パンクなどへ派生したジャンルの総称。


daikumakoto at 12:59 
音楽 

2018年10月09日

ここが泉佐野の北限だ

規制前に撮った画像です。

現在は立入りが禁じられています。

(関空内ではありません)

GOPR1018



daikumakoto at 17:08 
郷土史 

2018年10月04日

gopro プレビュー 音 小さく 消す 消したい 出さない


動画の音声が周囲に漏れて困るとき
プレビュー画面右上のスピーカーのイラストを

押さないまま→通常音量
1回押す→音量小になります
2回押す→音が消えます(ミュート)


aaa



daikumakoto at 13:13 

2018年10月03日

【さの町場にあった店々】その278 

地図番号
屋号 川上商店(かわかみしょうてん)
業態 酒屋・プロパンガス・灯油販売
所在地 西本町

孝子越え街道の西、和歌山方面から来るとこのあたりがさの町場の入口だったので界隈は「西の口」とよばれてきました。
街道沿いは昭和初期になるとカフェーや飲食店などが増え賑わいをみせたそうですが、それ以前は田んぼばかりで民家もなく、南海泉佐野駅下がり「内原時計店」から川上商店の看板が見通せたと伝えられています。

お店は大正5年(1916)創業。平成30年(2018)をもって閉店されましたので、じつに百年を超える歴史を誇りました。

(画像の一部をgoogleストリートビューより拝借しました)

かわかみ1かわかみ2kawakamigoogle


daikumakoto at 09:16 

桂 三枝(現 文枝)師の「オヨヨ」はこうして生まれた

誕生の瞬間を、今でも鮮明におぼえています。

昭和40年代中後期。
MBS毎日放送「ヤングお〜お〜」のコーナー、
その回は「ものまねに挑戦」みたいな内容。
ゲストはたしか東の横綱 桜井長一郎師だったかと。

「なにか簡単におぼえられるものはないですか?」みたいに三枝師がふると、
「そうですね。じゃ、大河内伝次郎なんかどうでしょ」と、
定番の「あいや、我ら・・・」時代劇映画「忠臣蔵」大石内蔵助のフレーズ
(後年になってレンタルビデオではじめて大河内を見たとき、
なるほど(桜井師のものまねは)似てると感心しましたw)を披露。

「じゃ、ちょっとやってごらんなさい」とふられた三枝師。
スタートの「あいや」を発しようとしましたが、すんなり出ません。
溜めに溜めて「オ%$#」みないな、意味不明の声を出し、
公開録画の客席は大爆笑。

「うまいこといかんな・・もういっぺんおねがいします」とふり、
桜井師「あいや、我ら・・・」

そして次の瞬間、三枝師の天才が光を放ちました。
一回目とおなじ意味不明語の繰り返しでは笑いがとれないと咄嗟に判断したのでしょう。
桜井師の発する声にいちばん近い音を当てたのです。
さきほどより軽い溜めがあって次の瞬間、
「・・・オヨヨ」

場内は弾けるような大爆笑。テレビ前の私も飛び上がって笑いました。
あまりのおもしろさに、それが強い長期記憶になって定着したにちがいありません。
そのひとときは今もはっきりおぼえているのです。

三枝師も「してやったり」の笑顔。大きな手ごたえがあったのでしょう。
制作陣もこれを見逃すはずはありません。
明くる週からさりげなく三枝師が驚く、という場面の構成を取り入れ、「オヨヨ」を披露させるように。 「オヨヨ」=「軽いおどろき」と結びつけた構成作家もみごとです。

ほどなく三枝師は関西テレビ系「パンチDEデート」で、カーテン越しに相手を覗いて発する感嘆語に「オヨヨ」を連発、全国に知られるようになりました。

こうして、大河内伝次郎のものまねから発して大流行した「オヨヨ」。
一時、シリーズ本のタイトルに「オヨヨ」の文字をあてていた某作家さんが盗作だと訴えていましたが、出典はご案内のとおり、まったくの偶然から同音が生まれたものであります。

daikumakoto at 07:26 
お笑い 
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