緊急翻訳

February 12, 2009

エリック・アザン、アラン・バディウ「テロリストはどこにいるか」

 「脅迫ないしは恐怖により、公共秩序をいちじるしく乱すことを目的とした個人的・集団的な侵害行為」。これは刑法によるテロリズムの定義である。ところで、数ヶ月前からわれわれが目撃しているのはまさにそのように定義されるテロリズムであり、それは大規模かつ集中的に展開されている。脅迫の手段は多岐にわたる。路上では、外国人にたいする職務質問がひんぱんにおこなわれ、地下鉄構内では警察犬をひきいた交通警備隊(GPSR)が巡回し、われわれをいやおうなく脅迫する。都心部の出入りにさいしては警察の検問が待ちうけ、郊外においては夜間、暗視スコープを装備した無人機が上空からわれわれを監視する。ジャーナリストについては言うまでもない。かれらはつね日ごろ上層部からの電話による脅迫をうけ、失職の危機にさらされつづけているのである。
 恐怖についても述べておこう。ある明け方、覆面で顔をおおい、過剰な武装で身をかためた特殊部隊がコレーズ県の小さな村に突入した。メディアによりフランス全土に配信されたその写真や映像を見た者なら、エイリアンにしか見えないその特殊部隊の唐突な出現が、子供たちにはかりしれないほどの恐怖をあたえただろうと想像したはずである。われわれは、一昨年、恐怖にかられ窓から身を投げてしまった中国人女性Chulan Zhang Liuの死を忘れることができない。彼女をそれほどまでに追いつめたのは、警察の不法移民捜査という名のテロリズムである。若者たちはただ不服従の態度をつらぬいただけで刑務所に投獄され、マルシアックの女子中学生たちは麻薬捜査犬による突然の襲撃にさらされる。テロリズムの恐怖はそれだけにとどまらない。寒空のもと戸外のベンチに放置され、刑務所に収監されてしまうおおくの精神疾患者たちが生きている恐怖を忘れることなどできるだろうか。にもかかわらず、国家元首は、そうした精神疾患者たちが脅威をもたらす存在であると言いつのり、薬学技術により適切に対処しなければならないと明言するのである。
 現在、テロリズムとの闘いが声高に叫ばれ、さらに同様の口調で不法移民との闘い、麻薬との闘いまでもが喧伝されている。じっさいは、そうした闘いと、そこで敵と見なされてしまう者たちのあいだにはいかなる関係もない。だがこれこそ政府の意図するやり方である。すなわちそれは「威嚇と恐怖により」民衆をコントロールするための方策なのだ。こんにち国家装置を手中におさめた者たちは、かれらが改革と呼ぶもの――破壊以外の何物でもない――がかつてないほど不評であることに気づいている。かれら自身もまた感じているように、事態は容易ならぬところまできており、ほんのわずかな出来事をきっかけに状況は一変してしまうだろう。それは燎原の火のごとく、またたく間にかれらを凌駕してしまうだろう。かれらが「テロリズム体制」を布くのは、はっきりと予感されているそうした重大な事態を未然にふせぎ、処理してしまうためにほかならない。それでもギリシアで生じている出来事はかれらをますます恐怖させる。そしてその恐怖は十分に根拠のあることと考えられるだろう。一七九三年憲法第三五条はつぎのように記されている。「政府が人民の権利を侵害した場合、各人民には蜂起する権利がみとめられる。この蜂起権は諸権利のなかでもっとも神聖なものであり、なににもまして欠かすことのできない義務である」。


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ジョルジョ・アガンベン『テロリズムあるいは悲喜劇』

 11月11日早朝、150人の警官隊がミルヴァシュ台地に位置する人口350人の村を包囲した。警官の大部分をしめていたのは対テロリスト捜査班である。警官隊は一軒の民家に進入、9名の若者が検挙された(彼ら・彼女らはその民家で食料品店を経営し、文化・生活両面において村の営みをささえていた)。9名の若者は事情聴取をうけ、逮捕から4日後、対テロ特別法廷に召喚される。容疑とされたのは「テロ行為犯罪に関与した疑い」である。新聞が伝えるところによると、内務大臣、国家元首ともに「警察と憲兵隊による迅速な措置を称賛した」。すべてはとどこおりなく進められたかのようである。とはいえ事件を詳細に見てみよう。明確にしなければならないのは、言われているその「迅速な」逮捕がいかなる理由にもとづき、どのような帰結をもたらしたのかという点である。
 まずは逮捕の理由を確認しておこう。事情聴取をうけた若者たちは、かつてから「ウルトラ・ゴーシュおよびアナルコ・オトノム運動に参与していたという理由で警察から追尾されていた」。内務省側近によれば「彼ら・彼女らはきわめて過激な言説を述べ、海外の運動団体とも関係している」。それだけではない。彼ら・彼女らの一部は「定期的に政治運動に加わっていた」。たとえばそれは「個人情報ファイル『エドヴィージュ』に反対するデモであり、移民にたいする取締り強化に反対するためのデモ」である。つまりこうだ。政治に参与し(「アナルコ・オトノム運動」などという奇怪なことばに意味があるとすればこれしかない)、政治的自由のための活動を行ない、ラディカルな思想の持ち主であること、これだけで、警察のテロリズム対策課(Sdat)ないし国内情報局(DCRI)が出動する十分な理由になるということである。ところで、わずかなりとも政治的良心を持ちあわせた者ならば、逮捕された若者たちに同意するほかないだろう。なぜなら彼ら・彼女らが抱いていた不安は、個人情報ファイルおよび生物測定学的な装置が導入され、移民にたいする取り締まりが強化されるというデモクラシーの後退に向けられていたのだから。
 では「迅速な」逮捕はいかなる帰結をもたらしたのか。ことの成り行きから予想されていたのは、捜査官がミルヴァシュの民家からなんらかの武器や爆発物、たとえばモロトフカクテル(火炎瓶)なりを押収するということだったかもしれない。だが結果は予想をはるかに超えていた。テロ対策課の警察官が発見したのは「列車の運行時間が市町村ごとに記された文書」である。そこには「各駅の到着時刻と出発時刻までが記されていた」。ふつうの言い方をすれば、それはフランス国鉄の時刻表のことである。警察はさらに「よじ登るための器具」を押収した。これはハシゴのことだ。田舎の民家であればどこにでも見受けられる代物だ。
 ここで、事情聴取をうけた若者たち、とりわけこのテロ集団の首謀者と見なされている人物について論じておこう。「首謀者は現在33歳、パリの裕福な家庭に育ち、親の援助で生活している」。言われているのはジュリアン・クーパである。若き哲学者であり、かつて友人らとともに雑誌『ティカン』の主催をつとめていた。その雑誌に掲載されていたいくつかの政治分析の論文は、議論の余地はあるかもしれないが、当時の論壇のなかできわめて重要なものであり続けている。わたしは当時からジュリアン・クーパのことを知っており、かれに知的な観点から敬意を抱きつづけてきた。
 最後に検討しなければならないのは、この一連の逮捕劇において、唯一具体的な事がらについてである。つまり若者たちの政治運動が「関与した」とされている、フランス国鉄にたいする妨害行為のことだ。11月8日、その妨害行為により、パリ・リール間のTGVの運行に一部遅れが発生した。警察およびフランス国鉄当局の発表を信じるなら、なされた妨害行為はいかなる人的被害をもたらすものでもなかった。せいぜいそれは列車の集電装置に支障をきたし、ダイヤの乱れを引き起こす程度にすぎない。イタリアでは列車が遅れることは日常茶飯事であり、だれもそのようなことをテロリズムだとしてイタリア国鉄会社を訴えたりはしない。すなわち、今回のような妨害行為は、だれもその行為を擁護する者がいなくとも、軽犯罪として扱われるべきものなのだ。11月13日付の警察の発表からは慎重な態度がうかがわれた。おそらくは「身柄を拘留した者のなかに破壊行為をはたらいた犯人が含まれているだろうが、特定の人物に犯行を帰することは不可能である」。
 以上見てきたこの不可解な逮捕事件から導くことのできる結論はただ一つしかない。それはつぎのようになるだろう。こんにち、社会問題ないし経済問題がたんなるマネージングとして処理されるそのやり方(つまりきわめて疑わしい)にたいして積極的に抗議しようとする者は、告発に値するようないかなる現実的行為をともなわずとも、それだけで潜在的なテロリストと見なされるということだ。ためらう必要などない、はっきり言わねばならない。こんにち、ヨーロッパの多くの国(とりわけイタリアとフランス)で導入され施行されている法や警察の特別的措置は、かつてであれば野蛮で反民主主義的と見なされただろうものであり、それらは、ファシズム下のイタリアで実施されていた法や措置と同等のものである。今回とられた措置のひとつは、96時間にわたり若者たちの身柄の拘束を許可するものだった。彼ら・彼女らはたしかに慎みを欠いていたのかもしれない。だが「特定の人物に犯行を帰することは不可能」なのだ。今回さらにもうひとつ深刻な措置がとられた。それは、意図的に漠然と定式化された関与罪なる法案が成立したことである。それにより、政治行為そのものが「テロリスト的性質をもつ」ものまたは「テロリスム的意図をふくむ」ものとして分類されてしまう。これはかつてない事態だ。すなわち政治行為そのものが恐怖をもたらすものとみなされるのである。

訳者付記
 2008年11月19日付『リベラシオン』紙からの訳出。ことの経緯についてはおおよそ読まれるとおりである。若干の補足をしておこう。事情聴取は当初20人におよび、身柄を長期にわたり拘束されたのがそのうちの9名である。12月8日現在いまだ2名が留置所に拘留されている。「妨害行為」とはTGVの架線に鉄製の鉤が仕掛けられた事態をさす。また「アナルコ・オトノム」なる言葉がメディアに用いられ始めたのは2007年6月8日付『ル・フィガロ』紙からである。
 この行為の背景として指摘しておきたいのは、11月7日から11日にかけて、核燃料廃棄物がフランスの再処理工場からドイツの中間処理施設まで列車輸送され、その輸送に対して大規模な抗議が(とりわけドイツにおいて)生じたということである。いわゆる「妨害行為」は、フランスにおける反原発運動の一端とも考えられるものだ。その行為にたいするフランス政府の過剰な反応からは、原発推進というネオリベラルな意図もうかがえる。とはいえ、拘束された者とその「妨害行為」との関連は立証されないままであり、そもそも、誰がそれを行なったにせよアガンベンが言うようにそれは「軽犯罪」でしかない。
 大手メディアの報道によると、逮捕された若者たちは2006年に「反CPEの暴動に加わる」のみならず「ソルボンヌを封鎖し」、2007年には「ロストックでの反G8デモに参加」、さらに今年4月に開催された「移民サミット反対のデモにも加わった」。まさしくアガンベンが文中で述べているように、若者たちは「政治的良心」をそなえた者として当たり前の運動を展開していたのである。今回の出来事をへて、アノマルな運動の波はさらに高まり、ヨーロッパのみならず世界中をおおうだろう。警察がたまたま横暴をはたらいたのではないし、大手メディアが今回にかぎり愚かだったわけでもない。警察の存在自体が不当であり、現行メディアそのものが愚行なのである。



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