最近は、どんどん、受付とかに人がいなくなって、AIにとって代わられている。
人間の声と見分け・・聞き分け?!がつかないけど、機械の声というのはなあ、と思う時がある。
合唱団にいたとき、指揮の先生がよく言ってた、人間は人間の声にすごく心惹かれるんだって。
人間の声のするほうへ、人は行くものなんだって。
だから、歌が人の心を癒し、魅了し、元気づけるんだと。
ほんとうにそうなんだなあ、と、いつも思う。

たとえば、人と会うのが大嫌いで山奥にひとりでひっそりと暮らしてるような人は、人間の声より、
AIの声のほうが好きだろう。
私の知り合いで、さんざんお姑さんにいじめられて離婚に至った人がいるけど、彼女は、今、山奥にひとりで住んでいる。
人に気を遣うのが心底いやになったので、電話をかけて出てくるのがみんなAIだったらいいのに、なんて言っている。
そういう人にとっては、AIが受付や事務をすることはいいことかもしれないけど、でも、彼女だって、もう少し時間がたって、心の痛手から立ち直ったら、やっぱり、人間の声のほうがいいわ、と言いそうだ。
カルチャーセンターだって、生徒さんというお客様のほとんどが、人との触れ合いを求めて来るんじゃないだろうか。
多少、聞き間違いが起こっても、ささいなことですれちがって気分を害しても、やはり、人は人を求めるのではないだろうか。
たとえば、カルチャーセンターが5つあって、そのうちのひとつだけが、人間の事務員さんが電話や受付の応対をしてくれるというような状況になったら、そのたったひとつのところに、お客様が集まるような気がする。




10月14日まで、上野で、「お蝶夫人」のバレエ公演やってたんですってね。
行かれなかったんだけど、すごく興味あります。
オペラのお蝶夫人は、誰が監督しても演じても、もうワンパターンでつまらないと思ってましたが、
このお蝶夫人は、ひとひねりしてあるようです。
オペラでは省略されがちなケイト・ピンカートンを1幕に出してる。
この登場人物は、とかく、見えない登場人物としての扱いになりがちですが、けっこう重要な役と思います。
軽い男ピンカートンに似合った、心ない女なのか、それとも、捨てられるお蝶夫人に同情してしまう女なのか。
ストーリーがシンプルなだけに、いろんな演出の可能な物語でしょう。
音楽も、もう、そろそろ、プッチーニの向こうを張る作曲家があらわれてもいいころではないでしょうか。
お蝶夫人のモデルは実在したか・・これは謎なんだそうですが、この物語そのままの事実はなかったと、長崎出身の人から聞いたことはあるけどね。

オペラの「蝶々夫人」の物語が実話だという説もあるけど、虚構だと言う説もある。
モデルとなった人物が実在したことは確からしいけれど・・。
それにしても、あの物語は、しょっちゅう上演されているわりには、解釈があまりにもバラエティがなくて、それが物足りないなあ、と思う。
もし、私が演出家なら、いろんな演出をやってみたいような気がする。
ケイト・ピンカートンは出てこないことが多いけど、私が自由にやってよいのなら、あの役を表に押し出してみたい。
自分さえ幸せなら、人はどうなってもいい、というケイトの性格を表に出すか、それとも、彼女を少し遠慮がちな性格に描くか。
私が見た「お蝶夫人」は、どれも、この脇役の女性を、ただ単に、ヒロインの不幸の原因となった人物として、短絡的に描いているだけ・・・と思うのは、しろうとの狭い見方にすぎないかもしれないけど、もうちょっと、いろんな「お蝶夫人」があるといいなあ。



オペラ「夕鶴」は、オペラのなかで、私がもっとも好きな作品です。
私が音楽のことをあまり知らないせいかも知れませんが、金髪のお蝶夫人も、日本人のカルメンも、どうしても違和感が払しょくしきれません。
出汁の味がちがうのです。
その点、生まれつき黒い髪のお蝶夫人やつうがヒロインのオペラは、気持ちに無理なく観賞できます。
東北のほうへ旅行に行ったとき、田沢線の列車の窓から見た、暮れなずむ晩秋の田んぼでえさをさがしている鶴を見かけました。
ほんとうに、美しい風景でした。
昔の人が、鶴を美人の化身と思ったのも無理ないと思いました。
あのときの、清らかな蒼さを思い出しながら、夕鶴の歌を聴いていると、昔話の神秘の世界に誘われます。
指揮者の小沢さんのおにいさんは昔話の研究者だとか。



チャイコフスキーの白鳥の湖の舞台は、ほんとにすてきで、私、大好きなんですけど、ひとつだけ気にいらないところがあります。
黒鳥が悪者にされてるでしょ。
あの物語を作った人は、色が黒いというだけで、白いきれいなのは善で、黒いのは悪と、安易に決めてしまったのではないかという気がしてなりません。
専門家に聞くところによれば、黒鳥のほうが、白鳥より、むしろ、性質はのんびりとしてやさしいのだそうです。

よくないですね、ただ、姿が醜いから、肌の色がきれいじゃないから、っていうのは人種差別と同じですよ。
気にいりません。