Archives : 2009年01月

Sonyらしい回答 (is)

Vaio type P好評みたいですね−。
p

ちょうど、数日前に、
会社で、今度、リノベーションの企画をしようかと
話していて、
何を取り、何をそぎ落とすか、
そのとんがった部分をつくることが
ある種の企画の仕事なのだ…みたいな話をしている中で、
このVaio Type Pの話を出しました。
数周前の発表を見て、
あー、Sonyらしい回答だなーと思いました。

昨年からのいわゆる5万円PCの
潮流の中で、巻き込まれると利益の少ない
「レッドオーシャン」に飲まれるし、
しかし、市場は完全に、ロースペックで小さく安い
という「ブルーオーシャン」を発見してしまったし、
日本メーカーはすごく考えたんだろうなーと、
それで、満を持してのSonyは、

まず、サイズを横長にし(かつてのC1を彷彿させる)
ポケットに入るデザインで差別化、
それで、ゆずらなかったのが画面の精細さ。
Webの閲覧が二列で出来る。
で、価格に関しては若干高めの設定

…個人的には、すごく購買意欲をかき立てられた。
で、市場がどう受け取るのかなと思ったら
上記の記事の通りです。
他人事ながら、よかったーと。

あらがえないような波が来たところで
それでも「らしさ」を失わないことは
すごいと思ったし。それは評価されるのだなと、
いい事例でした。
また、やっぱり、流れに流されたのではなくて、
開発者達がめちゃくちゃ考えた、
その思い、努力、(開発者インタビューとか熱い!)
は伝わるのだなと思った。

迫ることはひらくこと (Is)

映画『大丈夫であるように -Cocco 終らない旅‐』
を見ました。

coc
(はじめに余談、
渋谷のスペイン坂の途中のライズXって劇場、
初めてだったんだけど、
これほど、小さな映画館は初めてでした。
2階席もあったみたいだけど、1階だけだと友達の家みたいでした。
…それが、またこの映画の雰囲気にあってたのかもしれない)

…で、
Coccoのライブツアーを追ったドキュメンタリー作品。
監督は、「誰も知らない」の是枝裕和さんです。

まず、Coccoの感想ですが、
僕は正直、そこまでファンでもなく、なんとなく
裸足で歌うとか、ミュージックステーションで
歌い終わって、ぱっぱと帰っちゃったところとか
なんとなく、不思議な女性だくらいの印象しかなかったので、
…ただ、歌はものすごく綺麗で洗練された感じは持っていた。
だから、今回の映画で、日常の話す姿とかを見て、
すごく印象が変わった。
…とにかく、多弁!よくしゃべる!
音楽の無駄のない洗練さと逆に、
冗長すぎるくらい、無駄や、脱線や、反復の多いしゃべり方。
その対比が興味深かった。
しかも、内容やしゃべり方も、すごく幼い子のようなくだらないことを
言うかと思えば、おばあちゃんのような落ち着いた感じもあり、
政治的な発言をしたかと思うと、
急に宮崎駿論を評論家のように語り出したりと、
…いなばさん的に言えば、
全体と部分を妙なブレンドで抱えた人だと思った。

次に、是枝監督について。
この作品…という呼び名がふさわしくないくらい
無加工なまるごと(全体性)を投げ出したような〈編集〉
(…それは明確な意志による無為な編集行為です。)
(実際、エンディングロールも編集は是枝名でクレジット最後に出てきてた)
作業により、このドキュメンタリーは
Coccoを伝えながら、
と同時に、やはり完全に是枝さんの作品になっていると思った。
(詳しくは忘れてしまいましたが、
確か、前作の「誰も知らない」も演技指導しない演出をされてたと思った。)
意図的に、1つのメッセージを伝える目的で
つくられていないので、多分、見返すごとの自身の関心や
心理状況などにより、焦点が結び直されて見直せるのだと思う。
(数年おきに見たい作品です。要DVDですね。)

まとめ。
是枝さんの監督手法もしかり。
だけど、なによりCoccoが魅力的でした。
で、それを一言でいうと
あまりに無防備すぎて、こちらに突き刺さってくる感じです。
画面通してこれだから、横にいたらズキュンなんでしょうね…。

余談です。
最近、どの業界もそうかもしれませんが
「不況」が言われています。思うようにモノが売れない。
それで、「広告」について、しばしば考えます。
…というのも、実際、自身、商品を企画したりして
事業費の内訳など掌握する立場にいると、
いかに宣伝広告費・販売経費が多いことか
…そして、正直、それは、そのモノそれ自体には関係がない。
技術者に払われるフィーより、
広告会社に払うフィーの方が多いのが普通です。
村上春樹じゃないけど「やれやれ」と思ってしまう。
それで、やっぱり、今やお客さん(消費者?)も、
自分含めて、「これ、いいでしょ!」的な広告に辟易してるのかな?と。
今回のような映画を見て、自分の心が動かされるとき、
しばらくして落ち着いて、フト、客観的に分析してみると、
「ただ、置いておく」ようなタイプの宣伝方法とかってのが
あるのかな?とか思いました。
その辺、つけても、
無料で読ませるだけ読ませて、しっかり通販会社として
成り立たせている「ほぼ日」のビジネスモデルは
すごいのかなー、など、
OnとOffの峻別つけるののヘタッピな私でした。

まとめ役の水平思考に教養を(Is)

今回は純粋に本の紹介です。

以前もちょっと紹介しましたが)改めて読み直してたら、
とても、今の経済状況などと相まって染み入る部分がありました。
フラット化する世界 [増補改訂版] (上)
フラット化する世界 [増補改訂版] (上)
クチコミを見る

(サブタイトルが〜経済の大転換と人間の未来〜ですからね)

良かった部分は、今後どうやって”食って“いくのかの部分。
(第6章、第7章あたり)

曰く、今後は、中国・インド・ブラジルの若者達との仕事の取り合いになると。
そうしたなかで「無敵の民」でいるためには、
A…「かけがえのない、もしくは特化した」人々。
例として、マイケル・ジョーダンヤ、マドンナ、エルトン・ジョンなど上げています。世界的なスター、ミュージシャン、プロスポーツ選手など
…分かりやすいけど、真似しにくいな〜。

B…「地元に密着」して「錨を下ろしている」人々。
…「この人々が無敵の民なのは、特定の場所で仕事をしていたり、特殊な地場の知識が関係していたり、顧客…と直接の個人的な結びつきや相互交流があったりするからだ。」
なるほど、これは、最近「地域」とかがキーワードだったので興味深い。
ここで生計を立てる人たちの多くは、けっして年収は高くないのだろう。しかし、多分、生活の何割かの部分は貨幣経済の外から調達してくるのだと思う。食事も外食はほとんどしなくて、仲間で集まって…みたいのが多く、教育もあまりお金のかかることは考えてなかったり、介護も施設とかは使わず(使えず)自分たちでしたり。
以前、ちらりと書いた「完全商品社会」から、少しづつでも商品でない部分が増えていくのだろう。正直、こうした世界は今現在、積極的に選び取った人よりも、やむなくそうしてる人が多いような印象がある。けれども、いずれは積極的になるかもしれない。

C…「新・ミドルクラス」の仕事。
…筆者の力点はここにあるらしく、今、ホワイトカラーの、普通のサラリーマン達よ、もっと焦りなさい!と叱咤してるように思う。7つの方向性を示している。
1:まとめ役
2:合成役
3:説明役
 …Amzonの例が出てて、無数にある本から、ひょっとして読みたくなるかもしれない本を教えてくれる機能をあげている。
また、写真屋の例も出していて、かつてはフィルムを売り現像して稼いでいたが、デジタル化してからは、使い方を教えたりの助言で稼いでいると。
そこで、「人のあしらいが下手な裏方の技術職は、これからあまり求められなくなるかもしれない。人のあしらいが上手で、デジタル写真に関して客よりもちょっぴり詳しい人間のほうが、貴重な人材になる。その方が説明役として優秀だからだ。」…これ、分かります(笑)。なぜ、会社に技術職と営業職があるのか。両方出来るのが理想なんでしょうね。
4:テコ入れ役
5:適応者
 …技術力は高いが視野の狭いスペシャリストでもなく、視野は広いが技術力は低いゼネラリストでもなく、「なんでも屋」は、持ち場や経験の範囲が徐々に広がるのに合わせて技術力を応用し、新たな能力を身につけ、人間関係を築き、まったく新しい役割を担う。
また、「三つの問題の権威になるといい。ただし、その三つがたえず変わっているのは意識しないといけない」と。
6:パーソナライザー
7:ローカライザー
 …「グローバルな能力を身につけることを学んで、現地のコミュニティのニーズに適合させる中小企業向けのビジネスは、今後、膨大に増えるだろう…」

…で、ここから後編。下巻
そうした新ミドルの職能の為にどういう教育が必要かについて。
ここで、「教養」が出てくるんですね。
「合成役には、すばやく水平に思考し、離れた点をつなげる」
「教養科目は、歴史、芸術、政治、科学を結びつける。
…創造…二種類以上のまったく違う分野をものに」
Appleのスティーブ・ジョブズの言葉を引用して、
「先を見越して点をつなぐことはできない…
いまは関係がないと思われている点同士が、
将来はつながると信じることです。」

教養」って言葉、なんか好きなんですよね。
エラソーな意味での教養じゃなくて、
今すぐ役に立たないけど凜としている感じが…ネコみたい?

ちょっと、仕事とかについて色々考えてる時期だっただけに、
腑に落ちる物がありましたので、覚え書きでした。

2009年あけましておめでとうございます。

あけましておめでとうございます!
ホントに昨年は、
いろいろな新しい出会いに恵まれ
ありがとうございました。
世間的には暗い風潮が渦巻いてますが、
僕は個人的にはとても明るい幸せな一年として2008年は記憶されてます。
2009年も、ますますひどくなる
…という意見が世間的には一般みたいですけど、
こちらもやはり個人的には明るく楽しく創造的に行きたいです。

…こうしてみると、この「世間的」ってのが
クセモノなのかもしれませんね。
世間なんて、ホントはないのかもしれない
…というか、このリアリティが、ちょっと破綻してきたのかな?
(ある時代には、「みんなが持ってるから」みたいな
「みんな」にリアリティがあったんだろう)。

■…「リアリティ」といえば、
年末の見田宗介さんの朝日新聞掲載の記事が面白かった。
2008年を、大きな転換点の一つととらえ、
秋葉原の事件について語ります。
そこには、「現実への飢え」があると。

出口はあるか?の問いに
「例えば旅行会社の話だと、最近の若い人たちは、ただの観光ツアーには興味なく、現地の人の役にたつ活動が入ると人が集まるという。これも同じリアリティーの飢えですが、人を殺したり、自分を傷つけたりするのとは別の仕方で、生きるリアリティーを充実する仕方を青年たちが見つけることができればもう一つ新しい時代が開かれると思います。」
と結んでいます。

先日、福岡にちょっと行く機会があったのですが、
そこで福岡のまちづくりなどについて聞く機会があって、
そこで思ったのは、
「通り」「公園」「お寺」といった当たり前と言えば当たり前の、
伝統的と言えば伝統的なテーマを中心として人が集まっていることでした。
通りこうえん

未来の超高齢化社会で、お年寄りがどう過ごすのかな?と考えると、
テレビ(ディスプレイとしての)みたいに、
BGM的に流しとく映像として、
もう、東京資本のテレビ局発の情報はあまり前面にでなくなって
(テレビ局の収入もすごいことになってるみたいですね。)
地域放送局みたいなところが、
入り口はインターネットを利用して、
ローコストで広く開かれた技術を使い
(「放送」ってのはその技術/制度の独占性に優位性があるのでした。)
その取り入れた情報の開花の仕方が、
意外とアナログというか、昔ながら。
コメントは「実際に行く」みたいな社会。
(徒歩圏の情報に限られているので。)

…戻って、「リアリティ」の源泉として、「まち」ってのを、
ちょっと今注目してます。
核家族ほど親密性を極限化せず、
かといって、メディア空間のようなものに比べ、
一定の信頼も確保できる、流動性も徒歩圏で、そこそこ緩やか。

■ちなみに、建築ネタでいうと。
自分の中で、「良い建築」の条件が時間的淘汰と、学生時代より現実感がついてきた気がします。
福岡では、
前川圀男の福岡市美術館(1979竣工)
まえかわ
黒川記章の福岡銀行本店(1975竣工)
ふくぎん
がとても良かった。
どちらも、時間の蓄積を感じさせ、それが古さではなく貫禄になっている。
前から大好きな、時を経てどんどん好きになる、
みなとみらいの「横浜ランドマークタワー」(三菱地所、1993年)もしかりですが、
ランド
時と共に好きになるデザイン…いうなれば「普遍美術研究」みたいなことしたいですね。
やはり構造的に必然性があり、素材的に風化する自然素材、
意匠的には基本はシンプルで、ワンポイント的にかわいさがある
(ランドマークタワーは、末広がりで、上半分は垂直性を際だたせ=夜の照明など特に。
かつ、ちょっと、△の部分があったりするのがいい。
航空法で超えられなかったという297mという高さも、今にして思えば、日本的謙虚さととらえグッー!
ドバイなんてプンっプンっです。)

ふと思った、こんなの出来たらいいな。
雑誌でもありますが、新しい作品を紹介する「新建築」ならぬ
築30年以上が掲載条件の、地域に馴染み、住民に愛される
古典的建築を紹介する親しい建築という意味で「親建築」なんかいいな。

■さて、(長くなってきたのでこれで終わります)
去年のお題で引き継ぎたいのが、「いまさら」問題
見田先生の「いまさら」をいまさらリストアップ。
1:人間の欲望を否定した革命は失敗する(『現代社会の理論』)
2:現代人の重層構造…情報化社会とかエラソーなこと言っても、動物時代の”なごり”でやっぱりメシ食わないと、寝ないと、排泄しないと生きていけない。動物であり、文明人であり、近代人であり、現代人である。先端だけ切り離されてることはなく、太古からの存在様式の積み重なりとして今生きている。(『社会学入門』)…このあたりって、まさにRYM氏の年末の総括、そのままですね。
3:2500年前くらいからの人類の歴史は、世界が“無限”であることを前提に生きていた。これからは、世界が“有限”であることを前提に生きなければならない。

…「3」は特に言われて納得というか思い当たる節があって、
自分が前から好きだったものを並べると、三谷幸喜の舞台劇や、ちびまる子ちゃん、こち亀、任天堂、ほぼ日、もしツア、押井守のうる星やつら…等々、どれも閉じられた世界で組み合わせを変えることで物語をつくりだしていくものが好きだった気がする。

今年は上記に合わせて
1,本当に欲しいものは何だろう?
2,人として当たり前のことって何だろう?(RYM氏の、人はちゃんと寝ないとダメ、ちゃんと食べないとダメ…のシリーズです。)
3,「有限の世界の無限の可能性」とでもいえる事例を集めてみる。
などを意識的にやってみようかなと思ってます。

…ということで、本年もよろしくお願いいたします!

追伸1:昨年08/12/27の朝日新聞で、木村俊介さんが紹介されていたけど、ほぼ日から昨年独立されて、この人、東大・立花ゼミ出身なんですね。31歳っていうから、同世代。話てみたいひとりですね。

追伸2:このブログももうちょっとで2周年ですね。「ながく話す」試みなかなか上手くいってるかも。10周年が楽しみです。
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