『もしドラ』岩崎夏海さんの『小説の読み方の教科書』
良かったです(装丁も美しい)。
小説の読み方の教科書
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”この3作”として
ドンキホーテ→百年の孤独→ハックルベリーの冒険が素材に。
ドンキホーテは「史上最高の文学百選」でも第1位
小説を読むときに絶対にしてはいけないこととして、
「ストーリーの結末を予想しながら読む」ことと言っています。
そうしないと弊害が2つあると…。
ひとつ目に、読書というものを
「解けるか解けないかという作者との勝負」に堕してしまうこと。
(推理物というジャンルもあるが小説の本質ではないので
「ゲーム」のようなより合ったメディアが現れると、そちらに持って行かれる。
あたかも写真が出来て写実画が廃れ印象派が絵画の主流になるように。)
二つ目に、「作者に勝つこと」が目的となり、
結果として作者のあら探しになり、意外性のない結末だとダメなものとする
=面白く読まないことが目的となるという本末転倒になる。
結果的に一番存しているのは読者。
優越感を得たいが為に、成長するチャンスを逃している。
成長するために最も必要な謙虚さや素直さを無くした。
(このあたり、批判することが自己目的化して,
創造性を無くしてしまったポストモダニズムの哲学を思い出しますね)
本書の主張を大きく二つあげれば
1,岩崎さんは様々なエンターテイメント(映画、漫画、ゲーム…)
を渡り歩いてきた中で、小説がエンターテイメントの王者ではないかと。
なぜなら、全ての表現活動(芸術、エンターテイメント含め)は
描くものを通して描かれざる部分により伝達することにポイントがある
(あたかも書道は、墨を書いて、墨の載らない白紙の余白で訴えるように)。
…この点は,最近のゲームや映画のCG技術の発達とか見てるとナルホドと思います。
小説は言葉の芸術。原理的に「テクノロジー進化による表現の衰退」を免れると。
また、小説は「物語」での伝達を用いる点も優れている。
人間は直接的表現での動機づけよりも間接的なものにより心動かされるものだと。
…この点も,納得ですね。
近代小説の登場を待つまでもなく、神話や伝承など「物語」による伝達は
ずっと行われてきた。
2,岩崎流、読書論(芸術論?)は、
「問いを発生させる読み方」が最も正しいとする。
「問う」という姿勢(スタイル)が「解答する」ことより重要と。
(この辺り、近代的な常識とは逆ですね。学校教育とか。)
かつてより、哲学者の役割のように、
既存の価値や、根源的価値を「問い」により鮮明化させる=光り輝かせる
ことが「問う」ことの価値であり、
冒頭に戻り、そのために、小説を読むときに絶対にしてはいけないこととして、
「ストーリーの結末を予想しながら読む」ことに×をつけるわけです。
で、面白いのが、そうしたダメな読み方から逃れる最善の読み方は…
…「再読」なのだと
(このあたり、ガクッと一瞬思いながらも,よく考えると深いです。)
二度、三度、複数回読むことで,読めば読むほど、
結末やプロット、ストーリーなどが背景に退き、
いわゆる「行間」が読めるようになってくる。
そこで、小説を読む本望たる「問いを発生させる読み方」が出来るようになる。
いわゆる「古典」ってのは、
数百年の時を超えての再読に耐え、
その時代毎に新しい解釈を誘うような魅力的な行間、
隙間に溢れているんでしょうね。
…そう考えると、
読むべき本って限られます。
月に一冊の小説読めれば上出来として,年に10冊前後。
あと50年生きても、500冊か〜。
クダラナイ新作読むよりは
「史上最高の文学百選」あたりを5回再読する方が
何か豊かなのかも知れない。
(小説は書き手以上に読み手の方がすごいのではないか!?
と思ったものとして、最近ではコレ↓)
村上春樹の短編を英語で読む1979〜2011
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…しかし、ココまで考えると、そもそも、
「新作」って必要なのかとも思えてくる。
「新作」って概念自体が近代的な商業主義のたわものなのかも。
(>このあたりは、過去ログ「大人の同じ事言う比較社会学」参照)
古典、旧作を繰り返し繰り返し,時代に応じて再読していくってほうが、
なんとなく成熟した時代にはあってる気もしますね。
(…クラシック音楽って、そういうもの?)
「新作」って必要なのか?(Is)
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「新作」って必要なのか?(Is) へのコメント一覧
たしかに、「新作が必要」というのは出版社側の意見なのかも…
Kindle,itunestoreで過去の傑作が安価に、かつ在庫の心配なく発売されている状況を見るといよいよそう思います・
その中でなおも「新作」を作る人間or会社は
「なぜいま『新作』を!?』
という問いにさらされることになります。
これに真正面から答えるのはきついよね〜笑
ただ、個人的には3月以降、「今までのようではない新作」を無意識に求めている気がします。
映画にせよ、詩にせよ、バラエティTV番組にせよ。
新作が要請される状況、きちんと分析したら面白そうです。
新作必要なのか?と書いておきながら、
実際に、そういう状況は必ずしも望んではないわけで…。
東浩紀もゼロ年代のサブカルチャーを振り返って、3・11以後は、もはや同じような創作は出来ないだろうと語っていた。
いやがおうにも個人の問題だけで考えられず、社会に向き合わずにいられなくなってきたと。
『スティーブ・ジョブズ』読んでるけど、
しばらくはノンフィクションの力が強くなるかもね。
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