2008年04月17日
2005年12月19日
花祭り
昨年のトライアルに続き、本格的な「第1回ダラットフラワーフェスティバル」が開催されています。後半部分の1週間を見学のために、ダラットに来たのは14日。飛行機の切符や宿は直前ではなかなか取れなかったようです。それもそのはず、3万人来場予想の開会式に10万人が押し寄せて大騒ぎだったとか。
ところが開会式翌日から、天気が悪くなって、連日雨。今年は湖上に特設ステージが組まれているんですが、2日目のショウは雨の中。12月は夜になると気温が10度くらいまで下がるので、パフォーマーも観客もさぞかし寒かったことでしょう。
私が来た日にはソフィテルダラットパレスホテルの広大な庭で、140組の合同結婚式セレモニーがありました。こちらも小雨の中で行われ、寒かったのですが、もっと大変だったのは足下。ホテルの芝敷きの庭は、みんなに踏まれてぐちゃぐちゃで、そんな予感がしてゴム長で出かけて大正解。でも結婚衣装のみなさんはゴム長ってわけにはいかず、大変だったことでしょう。
16日から天気は快方に向かい、17、18は晴れ間も見えてきました。
17日は新装された市の植物園に行き、いろんな花会社の展示を見学。日本の生け花も飾られていました。夜はホアビン広場を通行止めにして「ワイン祭り」。5社あるワイナリーがブースを作ってワインをふるまい、ステージでは学生によるパレードやパフォーマンス。もっともステージの方はあまりオーガナイズされていなくてつまらないので、さっさと抜け出して、夕食に出かけたんですが。
そして18日は閉会式。8時開始なのに6時には会場へ。なにしろ開会式が大騒ぎだったので、早く行かないと招待券があっても席に着けない、ということなのです。結婚式でもなんでも1ー2時間は遅れるのが当たり前のベトナムなのに、6時にはすでにもう1割りくらい席が埋まっていました。なんとかいい席を確保したのですが、寒い。スタンドは仮設で鉄板なので、みんな新聞紙など敷いています。そんなこともあろうかと持参したシュラフを広げて座り、あまりを膝の上に乗せます。それでも仮設スタンドのすきま風は冷たく、後ろにいたサイゴンから来たという寒さに慣れていない人などは、我慢できずに始まるのを待たずに退席するほどです。
テレビ生中継の製もあって、式は定時に始まり、挨拶の後、スタンド前の閉鎖された道路と湖の上に作られたステージでショウが繰り広げられました。これ、けっこうしっかり作り込まれていて、かなり楽しめました。
そして最後に恒例の花火で閉会式はお終いです。たくさんの人に交じって歩き出したモノの、なかなかタクシーが拾えません。歩いても30分ほどで帰れる距離なのですが。客を乗せていったタクシーが空車で帰ってくるだろうと予測して、道の左側を歩いていたら、1/3程行ったところで何とかタクシーを拾うことができました。
ところが開会式翌日から、天気が悪くなって、連日雨。今年は湖上に特設ステージが組まれているんですが、2日目のショウは雨の中。12月は夜になると気温が10度くらいまで下がるので、パフォーマーも観客もさぞかし寒かったことでしょう。
私が来た日にはソフィテルダラットパレスホテルの広大な庭で、140組の合同結婚式セレモニーがありました。こちらも小雨の中で行われ、寒かったのですが、もっと大変だったのは足下。ホテルの芝敷きの庭は、みんなに踏まれてぐちゃぐちゃで、そんな予感がしてゴム長で出かけて大正解。でも結婚衣装のみなさんはゴム長ってわけにはいかず、大変だったことでしょう。
16日から天気は快方に向かい、17、18は晴れ間も見えてきました。
17日は新装された市の植物園に行き、いろんな花会社の展示を見学。日本の生け花も飾られていました。夜はホアビン広場を通行止めにして「ワイン祭り」。5社あるワイナリーがブースを作ってワインをふるまい、ステージでは学生によるパレードやパフォーマンス。もっともステージの方はあまりオーガナイズされていなくてつまらないので、さっさと抜け出して、夕食に出かけたんですが。
そして18日は閉会式。8時開始なのに6時には会場へ。なにしろ開会式が大騒ぎだったので、早く行かないと招待券があっても席に着けない、ということなのです。結婚式でもなんでも1ー2時間は遅れるのが当たり前のベトナムなのに、6時にはすでにもう1割りくらい席が埋まっていました。なんとかいい席を確保したのですが、寒い。スタンドは仮設で鉄板なので、みんな新聞紙など敷いています。そんなこともあろうかと持参したシュラフを広げて座り、あまりを膝の上に乗せます。それでも仮設スタンドのすきま風は冷たく、後ろにいたサイゴンから来たという寒さに慣れていない人などは、我慢できずに始まるのを待たずに退席するほどです。
テレビ生中継の製もあって、式は定時に始まり、挨拶の後、スタンド前の閉鎖された道路と湖の上に作られたステージでショウが繰り広げられました。これ、けっこうしっかり作り込まれていて、かなり楽しめました。
そして最後に恒例の花火で閉会式はお終いです。たくさんの人に交じって歩き出したモノの、なかなかタクシーが拾えません。歩いても30分ほどで帰れる距離なのですが。客を乗せていったタクシーが空車で帰ってくるだろうと予測して、道の左側を歩いていたら、1/3程行ったところで何とかタクシーを拾うことができました。
2005年09月25日
無料の遊覧飛行
最近は飛行機でダラットに来ることが多くなりました。飛行機代は往復で50ドル。一方バスは季節によって変化しますが、10ドルから15ドルくらいでしょうか。つまり飛行機はバスの3倍強から5倍の値段です。そえでドアtoドアで、バスは9時間くらい、飛行機は3時間なのですから、もうバスの旅には戻れそうもありません。
さて今回は9月21日にダラット入りです。13時10分発の飛行機に乗るべく、ホーチミン市の単ソンニャット空港へ向かいます。飛行機はATR72というプロペラ機。この飛行機の時とフォッカーというジェットの時があるのですが、たぶんオフシーズンなので、席数の少ないATRが飛んでいるのでしょう。
ATRだと所要時間は50分。機内では飲み物とおしぼりがサービスされるだけです。着陸のアナウンスがあって、椅子の背を戻し、シートベルトを確認していると、飛行機は雲の中に入りました。そして高度を下げていきます。
そこで、眠気がさして、ちょっとうとうと。すぐに着陸で目が覚めると思ったのですが、意に反して20分ほど熟睡しました。あれ、なんで着陸しないんだろう。と思ったら
「ダラット、リエンクーン空港の天候が悪いため、着陸できません。当機はサイゴン、タンソンニャット空港へ引き返します」
だって。ええ?
タンソンニャット空港に着陸したATR。上客はいったん出発ロビーへ。昼食くらい出してくれるのかな?と思っていたら、すぐにアナウンスがあって、フライトはキャンセル。再出発はなし、となってしまいました。無料で遊覧飛行を下、と思えば、また楽しからずや、ですが、ちょっと違う気もします。いつもの通路を逆にたどって、チェックインカウンターに並び、切り取られたチケットをホチキスで留めてもらいます。これでお終い。あとは払い戻そうが、明日のフライトに変えようがお客様の自由、なのです。
あらら。明日のフライトでもいいけど、明日確実に飛ぶ保証はないし、第一今から席が取れるかどうか。それなら、と空港から町へ移動して、17:30発のバスチケットを購入。それからかなり遅い昼食を取り、夜食を買い込んでバスに乗りました。
こうして否応なく、久しぶりのバスの旅が始まったのです。とはいえ、車内には10人ほどの上客しかいないので、座席をゆったりと占拠して、居眠りしながらの移動になりました。予め夕食のストップはない、ということで、そのほうがいくらかでも早く着くので、こちらも異議はありません。
そうやって23時過ぎにダラットに到着。12時間かけての移動となってしまいました。
最近、写真を発表しているオンラインアルバムがリニューアルしたのですが、その結果、なぜか写真がアップできなくなってしまいました。と言うわけで、新しい写真がご覧いただけません。対策を考えておりますので、いましばらくお待ち下さい。
さて今回は9月21日にダラット入りです。13時10分発の飛行機に乗るべく、ホーチミン市の単ソンニャット空港へ向かいます。飛行機はATR72というプロペラ機。この飛行機の時とフォッカーというジェットの時があるのですが、たぶんオフシーズンなので、席数の少ないATRが飛んでいるのでしょう。
ATRだと所要時間は50分。機内では飲み物とおしぼりがサービスされるだけです。着陸のアナウンスがあって、椅子の背を戻し、シートベルトを確認していると、飛行機は雲の中に入りました。そして高度を下げていきます。
そこで、眠気がさして、ちょっとうとうと。すぐに着陸で目が覚めると思ったのですが、意に反して20分ほど熟睡しました。あれ、なんで着陸しないんだろう。と思ったら
「ダラット、リエンクーン空港の天候が悪いため、着陸できません。当機はサイゴン、タンソンニャット空港へ引き返します」
だって。ええ?
タンソンニャット空港に着陸したATR。上客はいったん出発ロビーへ。昼食くらい出してくれるのかな?と思っていたら、すぐにアナウンスがあって、フライトはキャンセル。再出発はなし、となってしまいました。無料で遊覧飛行を下、と思えば、また楽しからずや、ですが、ちょっと違う気もします。いつもの通路を逆にたどって、チェックインカウンターに並び、切り取られたチケットをホチキスで留めてもらいます。これでお終い。あとは払い戻そうが、明日のフライトに変えようがお客様の自由、なのです。
あらら。明日のフライトでもいいけど、明日確実に飛ぶ保証はないし、第一今から席が取れるかどうか。それなら、と空港から町へ移動して、17:30発のバスチケットを購入。それからかなり遅い昼食を取り、夜食を買い込んでバスに乗りました。
こうして否応なく、久しぶりのバスの旅が始まったのです。とはいえ、車内には10人ほどの上客しかいないので、座席をゆったりと占拠して、居眠りしながらの移動になりました。予め夕食のストップはない、ということで、そのほうがいくらかでも早く着くので、こちらも異議はありません。
そうやって23時過ぎにダラットに到着。12時間かけての移動となってしまいました。
最近、写真を発表しているオンラインアルバムがリニューアルしたのですが、その結果、なぜか写真がアップできなくなってしまいました。と言うわけで、新しい写真がご覧いただけません。対策を考えておりますので、いましばらくお待ち下さい。
2005年07月30日
ダラットでの移動
バイク好きのわたし、ホーチミン市に4台のバイクを持っていたので、1台をダラット用にと思い、2年ほど前に自走して運びました。このバイクはDT175というヤマハ製のオフロードタイプ。未舗装の山道が多いダラットには最適なバイクです。
そのバイクを修理しに行って見つけたのがランブレッタ。古いスクーターですが、動けば街乗りには充分。値段を聞いたら、動くようにして100ドル、というのですぐに前金を払いました。書類もそろっているし、動くようになったので購入。あとは小さな部分を少しずつ直していけばいい、と思ったのが甘かった。小さな故障だと全然直してくれません。わたしがダラットに住んでいないのを知っているので、次に来るまでに直す、と言いながら何度行っても直らない。
やっと直ったので、しばらく乗り回しました。結果、故障と言うほどではないが、気に入らない点を発見し、別のところを探して修理を依頼。ところがまともに直らなかったり、期日を守らなかったり、できるという日に取りに行ったら店がしまっていたり。そのたびに修理屋を変えるのですが、ろくなところがありません。一番ひどい修理屋では、修理に出す前より調子が悪くなった上に、ヘッドライトが点かなくなったり、鍵なしになったりしていました。自分で店に行ったのなら気に入るまで直してもらうこともできますが、留守番のビンさんに頼んでおいたのが失敗でした。彼がお金を払って引き取ってきてしまったので、文句の言いようもありません。さすがに鍵だけは付けてもらいましたが、ビンさんに立て替えてもらった手前、料金も払わなければなりませんでした。
原因のひとつは部品。ダラットではなかなか部品が手に入らないので、部品を待っていたり、適当なのでごまかしたりするので、なかなか上手く行かないようです。
もうダメだ、こうなったらホーチミン市に運んで直そう、と思ったのですが、市場の裏にベスパやランブレッタを並べて修理している店があり、最後にそこでトライすることにしました。その店のオヤジは店の2階に住んでいて電話もあるので、休みの日でも連絡がつくというのも利点です。
ちょっと高かったけど、オヤジの直したランブレッタはものすごく調子がよくなりました。これならOKです。その後足りない部品をホーチミン市で購入してオヤジに渡し、再修理。現在はかなり調子がよくなりました。
それでもまだ気になるところがいくつかあるのですが、街乗りには充分というレベルにはなったので、しばらくはこのまま様子を見るつもりです。この先もっと直そうと思うなら、純正ではないキャブレターを純正に変えなければなりません。まあ、そこまでやる必要もないかな?という感じです。これから雨期に入と、ランブレッタが活躍します。DTだと雨の時には合羽の上下が必要で、しかも靴は濡れ放題ですが、ランブレッタはスクーターなので、ポンチョをかぶれば靴まで濡れずにすむのです。
しばらく乗ってみて調子がよければ、乾期になってから、キャブレターを代え、その他細かいところをもう少し直して、最後はオリジナルデザインで塗装するつもりです。そこまでやればホーチミン市で外国人が乗り回しているようなおしゃれなランブレッタができあがります。
そのバイクを修理しに行って見つけたのがランブレッタ。古いスクーターですが、動けば街乗りには充分。値段を聞いたら、動くようにして100ドル、というのですぐに前金を払いました。書類もそろっているし、動くようになったので購入。あとは小さな部分を少しずつ直していけばいい、と思ったのが甘かった。小さな故障だと全然直してくれません。わたしがダラットに住んでいないのを知っているので、次に来るまでに直す、と言いながら何度行っても直らない。
やっと直ったので、しばらく乗り回しました。結果、故障と言うほどではないが、気に入らない点を発見し、別のところを探して修理を依頼。ところがまともに直らなかったり、期日を守らなかったり、できるという日に取りに行ったら店がしまっていたり。そのたびに修理屋を変えるのですが、ろくなところがありません。一番ひどい修理屋では、修理に出す前より調子が悪くなった上に、ヘッドライトが点かなくなったり、鍵なしになったりしていました。自分で店に行ったのなら気に入るまで直してもらうこともできますが、留守番のビンさんに頼んでおいたのが失敗でした。彼がお金を払って引き取ってきてしまったので、文句の言いようもありません。さすがに鍵だけは付けてもらいましたが、ビンさんに立て替えてもらった手前、料金も払わなければなりませんでした。
原因のひとつは部品。ダラットではなかなか部品が手に入らないので、部品を待っていたり、適当なのでごまかしたりするので、なかなか上手く行かないようです。
もうダメだ、こうなったらホーチミン市に運んで直そう、と思ったのですが、市場の裏にベスパやランブレッタを並べて修理している店があり、最後にそこでトライすることにしました。その店のオヤジは店の2階に住んでいて電話もあるので、休みの日でも連絡がつくというのも利点です。
ちょっと高かったけど、オヤジの直したランブレッタはものすごく調子がよくなりました。これならOKです。その後足りない部品をホーチミン市で購入してオヤジに渡し、再修理。現在はかなり調子がよくなりました。
それでもまだ気になるところがいくつかあるのですが、街乗りには充分というレベルにはなったので、しばらくはこのまま様子を見るつもりです。この先もっと直そうと思うなら、純正ではないキャブレターを純正に変えなければなりません。まあ、そこまでやる必要もないかな?という感じです。これから雨期に入と、ランブレッタが活躍します。DTだと雨の時には合羽の上下が必要で、しかも靴は濡れ放題ですが、ランブレッタはスクーターなので、ポンチョをかぶれば靴まで濡れずにすむのです。
しばらく乗ってみて調子がよければ、乾期になってから、キャブレターを代え、その他細かいところをもう少し直して、最後はオリジナルデザインで塗装するつもりです。そこまでやればホーチミン市で外国人が乗り回しているようなおしゃれなランブレッタができあがります。
2005年06月19日
傘を買う
庭で朝ご飯を食べたいと思っていたのですが、家が東向きなので、午前中は庭に日が当たります。ダラットが涼しいといっても日差しは強く、日向はそれなりに暑い。そんなとき、カフェやレストランでビーチパラソルを発見しました。それもよくある「コカコーラ」なんていう商品名やロゴが入ったやつじゃあなくて、1色のシンプルな布地と木製の軸でできていて、木のテーブルがついているおしゃれなやつ。これならうちの庭にもほしいなあ、と思っていたら、なんとダラットで作っているというではありませんか。
早速、地元の友人に聞いたら、知り合いがその会社に勤めている、というので紹介してもらいました。
彼はカタログを持ってすぐにやってきたので、それを見つつテーブルの形や傘の大きさを決めて発注。それが先日納品されました。
テーブルの真ん中と、足をつなぐ桟に穴が開いていてパラソルの軸を通すようになっているので、どこにでも移動できると思っていたらさにあらず。さらに安定させるために地面に鉄のパイプを埋めて、中に軸の端を突っ込むようになっているので、場所を決めて穴を掘らなければなりません。
でもまあいいか、とテーブルの位置を決め、穴の位置を定めて、鉄パイプを埋め込んでもらいました。そしてパラソルを挿して傘を広げます。あ、いい感じですねえ。傘でできた日陰は周りの日向と全然違う快適な空間です。
OKということで、約束通り150万ドンを支払い、納品終了。
椅子はまだ注文していません。できれば折りたたみが欲しいと思ったのですが、テーブルを見てからそれに合うのを買おうと考えたのです。だから別の椅子を出してきて、しばし日 陰を楽しみます。
レストランなどでは、夜、傘を閉じるだけで、基本的には出しっ放し。でも家はいない時期が長いので、家の中にしまうことにしました。傘を閉じて鉄パイプとテーブルから、あれ?抜けないぞ。椅子に乗って、力を入れて、あ、抜けた。と思ったら、傘は意外に重い。下の方を持って抜いたのでバランスを崩して、そのまま芝生の上に転びました。体はなんともなかったけど、傘の先端についていた木の部分が折れた。でもこれ、よく見たら直径1cmもないような木の芯でつながっているだけ。細い釘が2本、気休め程度に打ってありますが、これじゃあ壊れるのはあたりまえ。
すぐに電話をして、修理を依頼しました。個人的には、柄と先っぽにドリルで穴をあけて金属の芯を通し、周りを細いボルト、最低でも木ねじで止める。これでかなりしっかりするはずでです。
傘の布地はビニールコーティングされていて多少の雨なら問題ないので、これからは庭で過ごす時間が今まで以上に長くなりそうです。
2005年04月07日
家の名義
ダラットに家を買ってすでに2年半。やっと名義書換えの手続きが終了の運びとなりました。あとは売り主と買い主が役所に出頭してサインすればお終いだというので、急遽ダラットにやってました。
役所はこっちの都合など考えてはくれないので、指定された日に出頭しなければなりません。
午前7時。役所が開くと同時に窓口へ行きます。そこで窓口の係員が書類を確認後、今度は公証役場へ。家の売り買いの書類を公式に確認してもらう訳です。係員がなにやら書類に記入した後、今度はそれをタイプしてもらうために別の機関へ行き、また公証役場に戻ります。
書類をコピーして、割り印をもらって、最初に行った人民委員会の窓口に戻り、最後の手続き。終了したら10時を過ぎていました。これで終わり、と思ったのですが、甘かった。家は住居部分と庭(と言うよりも農地)に分かれていて、終わったのは住居部分だけです。終わったといっても100%ではなく、まだ税金の支払いが残っています。売り主と買い主がそれぞれ税金を払って、それが確認された後に、やっと新しい登記証が発行されます。
更にその後で、こんどは庭の部分の書き換え手続きをしなければなりません。家の土地は1/3が家を建ててもいい場所で、残りは農地扱い。そこは庭にするしかないのですが、手続きがバラバラに行われる訳です。
それでも山である公証役場の確認を終えたので一安心。もう元のオーナーが何を言おうと、土地が元のオーナーに戻ることはありません。
しかし、なんでこんなに時間がかかるのでしょう。すべてはシステムの悪さでしょう。ベトナムの役所はとにかく仕事が遅い。住宅関連は特に遅いようで、ホーチミン市でもそれはあまり変わりません。それでは早くすませる手はないのか、と調べてみますと、しかるべきエージェントを通すと、かなり早くことが運ぶようです。しかし、売買の契約時に、名義変更の手続き諸々は元のオーナーの担当、と決めました。元オーナーがエージェントに払う手数料をケチったので、なかなかことが進まなかったのです。
さらに、現在ベトナムの土地所有者は、税金を払って再登記(白い紙を赤い紙に変更する)をしなければならないのですが、みんな税金を払いたくないためにこの再登記が進んでいません。家の状況も同様で、まず再登記をして書類を揃えるところから始めたので、余計に時間がかかったようです。
元オーナーへの支払いはまだ10%以上残っていて、これは名義変更ができたときに支払います。万一うっかり全額支払おうモノなら、どんなにまともな人でも面倒な手続きをする気がなくなるのは目に見えていますから、必ずこうしておかなければなりません。どうしようもなくなったら、そのお金を使ってエージェントを雇えばいいのです。
あまりにも手続きが遅々として進まないので、残金でエージェントを雇うと宣言しようと思っていたら、やっと「もうすぐ終わりそうだ」と連絡がありました。そして今回、山場が終了したわけです。そこで残金を払いました。元オーナーは家を売ったお金で海沿いに新しい家を買ったため、お金が全然なかったようで、手続きに必要な税金なども借金してまかなったようです。これでその借金も返済できることでしょう。
今回、人民委員会に出かけたとき、窓口の係員にこう言われました。ふつうは再登記や土地利用計画を確認してから家を買うけれど、あなたはそうしなかった。問題がなかったのはラッキーだった、と。
実は土地利用計画は確認したのですが、2年ほど前に変更になったそうで、その際にいままで住宅地だったところでも住めなくなったりしたそうです。そんなとき再登記していないと立ち退きに際して代替え地やお金がもらえないこともあるそうで、家は幸いにもまだ住宅地のまま、しかも谷に向かっている庭から見える向こう側は山林と農業用地だけが広がっていて、当分この景色は変わることはなさそうです。
役所はこっちの都合など考えてはくれないので、指定された日に出頭しなければなりません。
午前7時。役所が開くと同時に窓口へ行きます。そこで窓口の係員が書類を確認後、今度は公証役場へ。家の売り買いの書類を公式に確認してもらう訳です。係員がなにやら書類に記入した後、今度はそれをタイプしてもらうために別の機関へ行き、また公証役場に戻ります。
書類をコピーして、割り印をもらって、最初に行った人民委員会の窓口に戻り、最後の手続き。終了したら10時を過ぎていました。これで終わり、と思ったのですが、甘かった。家は住居部分と庭(と言うよりも農地)に分かれていて、終わったのは住居部分だけです。終わったといっても100%ではなく、まだ税金の支払いが残っています。売り主と買い主がそれぞれ税金を払って、それが確認された後に、やっと新しい登記証が発行されます。
更にその後で、こんどは庭の部分の書き換え手続きをしなければなりません。家の土地は1/3が家を建ててもいい場所で、残りは農地扱い。そこは庭にするしかないのですが、手続きがバラバラに行われる訳です。
それでも山である公証役場の確認を終えたので一安心。もう元のオーナーが何を言おうと、土地が元のオーナーに戻ることはありません。
しかし、なんでこんなに時間がかかるのでしょう。すべてはシステムの悪さでしょう。ベトナムの役所はとにかく仕事が遅い。住宅関連は特に遅いようで、ホーチミン市でもそれはあまり変わりません。それでは早くすませる手はないのか、と調べてみますと、しかるべきエージェントを通すと、かなり早くことが運ぶようです。しかし、売買の契約時に、名義変更の手続き諸々は元のオーナーの担当、と決めました。元オーナーがエージェントに払う手数料をケチったので、なかなかことが進まなかったのです。
さらに、現在ベトナムの土地所有者は、税金を払って再登記(白い紙を赤い紙に変更する)をしなければならないのですが、みんな税金を払いたくないためにこの再登記が進んでいません。家の状況も同様で、まず再登記をして書類を揃えるところから始めたので、余計に時間がかかったようです。
元オーナーへの支払いはまだ10%以上残っていて、これは名義変更ができたときに支払います。万一うっかり全額支払おうモノなら、どんなにまともな人でも面倒な手続きをする気がなくなるのは目に見えていますから、必ずこうしておかなければなりません。どうしようもなくなったら、そのお金を使ってエージェントを雇えばいいのです。
あまりにも手続きが遅々として進まないので、残金でエージェントを雇うと宣言しようと思っていたら、やっと「もうすぐ終わりそうだ」と連絡がありました。そして今回、山場が終了したわけです。そこで残金を払いました。元オーナーは家を売ったお金で海沿いに新しい家を買ったため、お金が全然なかったようで、手続きに必要な税金なども借金してまかなったようです。これでその借金も返済できることでしょう。
今回、人民委員会に出かけたとき、窓口の係員にこう言われました。ふつうは再登記や土地利用計画を確認してから家を買うけれど、あなたはそうしなかった。問題がなかったのはラッキーだった、と。
実は土地利用計画は確認したのですが、2年ほど前に変更になったそうで、その際にいままで住宅地だったところでも住めなくなったりしたそうです。そんなとき再登記していないと立ち退きに際して代替え地やお金がもらえないこともあるそうで、家は幸いにもまだ住宅地のまま、しかも谷に向かっている庭から見える向こう側は山林と農業用地だけが広がっていて、当分この景色は変わることはなさそうです。
2005年03月18日
キャンプとアレルギー
乾期の終わりのダラット。今回はダラットトラベラーを出している観光局の局長に会うために、彼が出張に出る前に急遽ダラット入りしました。
話は2時間もかからずに終了し、遅れている3号の最後の仕上げをして、データをホーチミン市へ送ります。後の日々は次号のための準備をかねて、キャンプをしたり温泉探検に行ったり。でもその前にアレルギーが出て、上半身の前面が全面赤いプチプチになってしまい痒くて仕方がありません。今までも局部的に、首筋などに出た症状で、放って置いても1週間もすれば痒みは消え、2週間もすれば完治するのですが、今回は範囲が広いので医者に行きました。
最初に行った医者はアレルギーか水疱瘡などの病気か分からない、ということで、様子を見るか皮膚の専門医に行くようにと言うので、専門病院へと転戦します。そこでは血液検査をされ、結局はなにかのアレルギーということで塗り薬と飲み薬をもらいました。
アレルギーも原因が分かれば対処できるのですが、原因が分からないと避けようがありません。それでもこのアレルギーは洗濯物を干している時にシャツになにかが付いて、それが原因の可能性が高いので、家に帰ってシャツ類を全部洗濯し直し、家の中に干しました。
医者は虫だと言いますが、おそらくは花粉ではないかと予測しています。日本では檜の花粉で花粉症になっていたので、この季節に舞うなにかの花粉が原因だろう、と思うわけです。
でもまあ、へんな病気じゃあなさそうなので、そこは一安心。そのまま午後にはキャンプに出かけました。医者は「山に行くな」と言いますが、いちいち聞いていたら何もできません。そういう偉そうなことは原因をはっきりと突き止めてから言え、と言いたいのであります。
で、その晩は山のバンガロー村でテントを張ってキャンプ。一緒に行ったベトナム人達はバンガローに泊まりますが、せっかくテントを持っていったのでわたしは一人でテントに寝袋。夕食はパンと缶詰にゆで卵。ダラットワインを開けて、一人で食事。余ったワインを持ってベトナム人が泊まっているバンガローを訪ね、しばし歓談の後早めにテントに戻ります。薄暗くなってからテントを張ったので、いい場所が見つからず、若干斜面な上に30cm大の石がゴロゴロしていますが、一人寝られればいいので、石と石の隙間に身を横たえます。
翌朝、5時に起きて日の出の写真を撮ろうと、薄暗い中を出かけました。日の出待っている時になにか視界をかすめて飛ぶものがあります。猛禽類のように羽ばたかずに滑空していきますが、羽がない。その灰色の雑巾みたいな物体を目で追うと、そやつは前方の松の木にしがみついて、登り始めました。長いしっぽが確認できます。ムササビ。実物を初めて目撃しました。あとで聞いたら、その辺にも2−3匹しか居ないそうで、ベトナムでは貴重種に数えられているそうです。
その後日の出を見て、キャンプに戻り朝飯。それからキャンプを撤収して、次は山登りです。1697mの山に登ることになり、登山道の入り口へ向かいました。1697mといっても、登り口がすでに1400m程あるので、小高い丘に登るようなモノです。30分もあれば登れるだろう、と思っていたのですが、今回は一般向け登山道の場所を決める、という仕事につきあわされた格好になり、途中からは藪こぎの連続。その上道ではない斜面にずっと居るので、足が常に斜めになっていて疲れます。登山道設計技師や工事請負人、開発会社の人など7−8人が杭を打ちながら登り、結局2時間かかってしまいました。
頂上で食事をし、下山はエキスパート向けの、ほぼ直線で斜面を下る道を降ります。登り斜面で膝を痛めたようで、右の膝を曲げると痛みが走るようになり、かなり苦労をして下山しました。
ちょっとした斜面で膝は痛くなるし、ちょっとした荷物を担いだら肩は凝るし、運動不足を感じさせてくれますが、たまには山のキャンプもいいものです。今度はもっと小型軽量なテントを手に入れて、コッヘルやストーブなどのキャンプ用品も揃え、それらを入れるしっかりしたバックパックも買って、ハイキングキャンプに挑戦したくなりました。
話は2時間もかからずに終了し、遅れている3号の最後の仕上げをして、データをホーチミン市へ送ります。後の日々は次号のための準備をかねて、キャンプをしたり温泉探検に行ったり。でもその前にアレルギーが出て、上半身の前面が全面赤いプチプチになってしまい痒くて仕方がありません。今までも局部的に、首筋などに出た症状で、放って置いても1週間もすれば痒みは消え、2週間もすれば完治するのですが、今回は範囲が広いので医者に行きました。
最初に行った医者はアレルギーか水疱瘡などの病気か分からない、ということで、様子を見るか皮膚の専門医に行くようにと言うので、専門病院へと転戦します。そこでは血液検査をされ、結局はなにかのアレルギーということで塗り薬と飲み薬をもらいました。
アレルギーも原因が分かれば対処できるのですが、原因が分からないと避けようがありません。それでもこのアレルギーは洗濯物を干している時にシャツになにかが付いて、それが原因の可能性が高いので、家に帰ってシャツ類を全部洗濯し直し、家の中に干しました。
医者は虫だと言いますが、おそらくは花粉ではないかと予測しています。日本では檜の花粉で花粉症になっていたので、この季節に舞うなにかの花粉が原因だろう、と思うわけです。
でもまあ、へんな病気じゃあなさそうなので、そこは一安心。そのまま午後にはキャンプに出かけました。医者は「山に行くな」と言いますが、いちいち聞いていたら何もできません。そういう偉そうなことは原因をはっきりと突き止めてから言え、と言いたいのであります。
で、その晩は山のバンガロー村でテントを張ってキャンプ。一緒に行ったベトナム人達はバンガローに泊まりますが、せっかくテントを持っていったのでわたしは一人でテントに寝袋。夕食はパンと缶詰にゆで卵。ダラットワインを開けて、一人で食事。余ったワインを持ってベトナム人が泊まっているバンガローを訪ね、しばし歓談の後早めにテントに戻ります。薄暗くなってからテントを張ったので、いい場所が見つからず、若干斜面な上に30cm大の石がゴロゴロしていますが、一人寝られればいいので、石と石の隙間に身を横たえます。
翌朝、5時に起きて日の出の写真を撮ろうと、薄暗い中を出かけました。日の出待っている時になにか視界をかすめて飛ぶものがあります。猛禽類のように羽ばたかずに滑空していきますが、羽がない。その灰色の雑巾みたいな物体を目で追うと、そやつは前方の松の木にしがみついて、登り始めました。長いしっぽが確認できます。ムササビ。実物を初めて目撃しました。あとで聞いたら、その辺にも2−3匹しか居ないそうで、ベトナムでは貴重種に数えられているそうです。
その後日の出を見て、キャンプに戻り朝飯。それからキャンプを撤収して、次は山登りです。1697mの山に登ることになり、登山道の入り口へ向かいました。1697mといっても、登り口がすでに1400m程あるので、小高い丘に登るようなモノです。30分もあれば登れるだろう、と思っていたのですが、今回は一般向け登山道の場所を決める、という仕事につきあわされた格好になり、途中からは藪こぎの連続。その上道ではない斜面にずっと居るので、足が常に斜めになっていて疲れます。登山道設計技師や工事請負人、開発会社の人など7−8人が杭を打ちながら登り、結局2時間かかってしまいました。
頂上で食事をし、下山はエキスパート向けの、ほぼ直線で斜面を下る道を降ります。登り斜面で膝を痛めたようで、右の膝を曲げると痛みが走るようになり、かなり苦労をして下山しました。
ちょっとした斜面で膝は痛くなるし、ちょっとした荷物を担いだら肩は凝るし、運動不足を感じさせてくれますが、たまには山のキャンプもいいものです。今度はもっと小型軽量なテントを手に入れて、コッヘルやストーブなどのキャンプ用品も揃え、それらを入れるしっかりしたバックパックも買って、ハイキングキャンプに挑戦したくなりました。
2005年02月15日
正月
今年もベトナムの正月になりました
みなさま開けましておめでとうございます
昨年中はダラット通信をご愛読頂きまして、ありがとうございました
今年も、引き続き、不定期ながらも発行していきたいと思いますので、よろしくご愛顧ください。
今号から写真の貼付を取りやめます。写真は下記URLでダラット関連のものを公開していますので、こちらから適時ご覧ください。
ダラット通信の発行とはタイミングを合わせずに新しい写真をアップすることもあります。
http://album.nikon-image.com/nk/NAlbumList.asp?un=64666&m=0
街は大晦日までは買い物で混み合います。正月には店が閉まるので、みんな食料品の買い込みや、正月飾りの買い物で大忙し。夜中の12時からは、スンフーン湖畔で花火が上がり、新しい年のスタートです。元旦の朝、街は静か。なにしろ店はほとんど閉まっているし、元旦の朝は家族で過ごすのが習慣なので、みんな家から外に出ないのです。出かけるのは初詣くらい。バイクに乗って晴れ着を着た人でお寺や教会は混み合いますが、いつもはにぎやかな街の中心部の市場などは店も全部閉まっていて、誰もいません。
2日は友人宅を訪ねる日。やはり着飾った人が町中を移動する姿が目に付きます。
3日になると、街はずいぶん普段に近づいて来ますが、会社や学校は休みなので、家族で出かける人が目立ちます。また正月休みを利用しての観光客が増えてくるのもこのころから。営業しているレストランが少ないところに観光客が集中するので、食事時はどこも混雑しています。街には明るいうちから酔っぱらいが歩くし、もちろん酔っぱらい運転のバイクも多くなるので、出かけるときには要注意です。余計なトラブルに巻き込まれないように、いつもより周りに気をつけて行動しなければなりません。
それでもこの時期は朝から晩までいい天気で、郊外に出かけると気分がいいのです。普通、休みは3日までですが今年はそのまま週末になるので、仕事始めは6日。ベトナムの正月気分はまだまだ続きます。
さらに休みを延長してバケーションを楽しむ人も多く、6日から10日くらいまでのバスや飛行機は予約でいっぱい。飛行機の料金はさすがに変動しませんが、バスは軒並み50%ほど高くなります。ホテルも同様で、倍以上の料金設定の所も多く、そんなに出すのなら、ダラットパレスなどの高級ホテルを早めに押さえた方よほどいいかもしれません。
みなさま開けましておめでとうございます
昨年中はダラット通信をご愛読頂きまして、ありがとうございました
今年も、引き続き、不定期ながらも発行していきたいと思いますので、よろしくご愛顧ください。
今号から写真の貼付を取りやめます。写真は下記URLでダラット関連のものを公開していますので、こちらから適時ご覧ください。
ダラット通信の発行とはタイミングを合わせずに新しい写真をアップすることもあります。
http://album.nikon-image.com/nk/NAlbumList.asp?un=64666&m=0
街は大晦日までは買い物で混み合います。正月には店が閉まるので、みんな食料品の買い込みや、正月飾りの買い物で大忙し。夜中の12時からは、スンフーン湖畔で花火が上がり、新しい年のスタートです。元旦の朝、街は静か。なにしろ店はほとんど閉まっているし、元旦の朝は家族で過ごすのが習慣なので、みんな家から外に出ないのです。出かけるのは初詣くらい。バイクに乗って晴れ着を着た人でお寺や教会は混み合いますが、いつもはにぎやかな街の中心部の市場などは店も全部閉まっていて、誰もいません。
2日は友人宅を訪ねる日。やはり着飾った人が町中を移動する姿が目に付きます。
3日になると、街はずいぶん普段に近づいて来ますが、会社や学校は休みなので、家族で出かける人が目立ちます。また正月休みを利用しての観光客が増えてくるのもこのころから。営業しているレストランが少ないところに観光客が集中するので、食事時はどこも混雑しています。街には明るいうちから酔っぱらいが歩くし、もちろん酔っぱらい運転のバイクも多くなるので、出かけるときには要注意です。余計なトラブルに巻き込まれないように、いつもより周りに気をつけて行動しなければなりません。
それでもこの時期は朝から晩までいい天気で、郊外に出かけると気分がいいのです。普通、休みは3日までですが今年はそのまま週末になるので、仕事始めは6日。ベトナムの正月気分はまだまだ続きます。
さらに休みを延長してバケーションを楽しむ人も多く、6日から10日くらいまでのバスや飛行機は予約でいっぱい。飛行機の料金はさすがに変動しませんが、バスは軒並み50%ほど高くなります。ホテルも同様で、倍以上の料金設定の所も多く、そんなに出すのなら、ダラットパレスなどの高級ホテルを早めに押さえた方よほどいいかもしれません。
2004年12月30日
フラワーフェスティバル
12月、クリスマスの週にダラットでフラワーフェスティバルがありました。元々、日本で言えば熱海みたいな新婚旅行のメッカであるダラット。ところが近年は海辺にリゾートができはじめ、新婚旅行=ダラットという図式が崩れ始めました。また旧正月明けの旅行シーズンにも、今まではダラットかニャチャンくらいしかなかった候補地が、ムイネー、フーコック島、はたまたバンコクやシンガポールなどにも手軽にいけるようになって、黙っていても観光客が来る、という時代は終わったようです。そんな変化に省政府も気づきはじめ、何とか人を呼べる町にしようと、このところ高級リゾート開発や観光地開発に力を入れています。そんなタイミングだったので、「ダラットトラベラー」も受け入れられたのでしょう、現在は省政府観光投資局と組んでの第2号の準備中。約1ヶ月遅れた1号でフラワーフェスティバルを取り上げたので、閉会式は是非見に来てくれ、と招待され、時間がない中飛行機で駆けつけました。
飛行機、やっぱり便利ですねえ。バスだとドアトゥドアで9−10時間かかる移動が3分の1以下の3時間。フライト時間だけならなんと30分です。今回はプロペラ機ATR72ではなくて小型ジェットのフッカーに乗りました。飛行場の拡張も済んで、ジェット機も離発着できるようになったのでしょう。
料金は往復50ドル。バスは10ドル。この5倍を高いと見るか安いと見るか。感想は「毎回は辛いけど、時間がないときは飛行機もいいね」といったところです。
朝のフライトだったので10時にはダラットの家へ着き、午後からは行動開始。まずはフラワーフェスティバルのメイン会場へ行ってみました。物産展のブースをざっと見て一度家に帰り、夜の冷え込み対策をしてからソフィテルパレスホテルへ。ここの広い庭を使ってウエディングショウが行われています。食べ物も出るので入場制限がありますが、わたしのもらったパスはOKで無事庭内へ。隅に食べ物のブースがいくつかあり、あとはたくさんのテーブルと椅子がならんでいます。ふつうの客と同じぐらいの数のウエデイングドレス姿のカップルがあちこちにいて、中には少数民族の正装に身を固めている人たちも見受けられます。反対側にはステージがあってウエディングパーティのように模造品のケーキやシャンパンツリーが飾られています。庭にはなぜか熱気球が2つあり、ロープで地面につながれているので飛んでいくことはできませんが、上下することは可能になっています。
やがてステージ上ではたくさんのカップルの結婚式が始まり、熱気球は暗くなってきた空に浮かび、テレビカメラを持った人たちや、多くのスチールカメラマンが行き交います。ステージには次々とカップルが上がり、シャンパンを抜いたり写真を撮ったり。ひとしきり終わると弦楽4重奏でしめ。
それから我々は近くのスタジアムまで歩いて、プラスチックの椅子が並べられた、階段状の席の上の方を確保。一番のVIPエリアには入れないのですが、それでもなるべく正面近くの席に着きます。それから延々と、だんだん冷え込んでくる中を待つこと2時間。気温は7°まで下がったそうで、そんな中じっと座っていたのでは寒いわけです。やっとセレモニーが始まりました。まず偉いさんのスピーチ。10年くらい前まで、ベトナムの偉いさんのスピーチは延々と長かったのですが、最近は2−3分でお終い。だんだんいろいろわかって来たようです。それから子供たちが花に扮したダンスを、普段はサッカー場になっているグラウンドで繰り広げ、奥のステージ上でも関連したパフォーマンスが演じられています。
スタジアムの席の上に張り出した庇からは、ミツバチに扮した2人組が、斜めにスタジアムを横断するように張られたワイヤーを滑車で滑り降りる「飛翔」パフォーマンスがあり、観客は大喜び。さらに一人が途中で止まって宙づり状態、最後は駆けつけた係員に手を引かれてやっと滑り降り失笑を買うという一幕もあり、雰囲気が和みます。
それから、さっき合同結婚式をしたカップル全員が入場する、なんてのも含めて、いろんなパフォーマンスがありました。かなりテンポがよくて飽きさせない演出には感心しましたが、あとで聞いたところによると、スタジアムの外では小学生が約束されてた食事も出されないまま3時間以上も待機させられたとか、そういったあたりのオーガナイズはまだまだのようです。
最後には次々と登場した踊り手たちが全員入場して大団円。今度は蝶なのか天使なのか、白装束に白い羽の兄ちゃんがワイヤーを滑り降り、その後は背後の湖畔2カ所からからあがる花火に、観客は寒さを忘れて見入りました。
お開きのあとはスタジアムを出てしばらくは徒歩です。交通規制がなされていて、スタジアム周辺には一般車両、バイクも入れないので、みんな通行止めになっている外にバイクを止めてあるのです。だからそこまで人並みにもまれつつ歩いて移動。これはこれで体が温まってよかったのかもしれません。なんとか規制の外にたどり着いて、バイクタクシーを捕まえ、家に帰りました。
2004年12月29日
号外
なんと!
その後、ダラットトラベラー改めダラットディスカバリーの提携先の一番エライ人が出張から戻り、鶴の一声で「名称変更なし」になりました。
というわけでダラットトラベラーはタイトルそのまま、提携先と諸条件だけ変更になって、今、すでに遅れている第2号を、急いで準備中、です。
その後、ダラットトラベラー改めダラットディスカバリーの提携先の一番エライ人が出張から戻り、鶴の一声で「名称変更なし」になりました。
というわけでダラットトラベラーはタイトルそのまま、提携先と諸条件だけ変更になって、今、すでに遅れている第2号を、急いで準備中、です。
2004年12月27日
ダラットトラベラー、1号にして廃刊か!?
前回お伝えしたダラットトラベラー、第2号は取材も執筆も終え、広告こそ新規には集まらなかったものの、後は出版許可を取って印刷、という段取りでした。ところが、責任者である提携先・政府係旅行会社の社長がサインをしてくれず、許可が取れません。
じつはこの会社、最近別の政府系旅行会社と合併し、体制が代わり、社長も代わりました。組織は未だにごちゃごちゃで、社員でもどうなってるのか分からない、という有様。それでごたごたしてるのかと思っていたら、理由は不明ですが、新社長がダラットトラベラーを続ける気がないことが判明したのです。
まずは担当者と電話で話し合い。前の社長が「将来は政府と組んで出したらどうか」と言っていたので、そっちを打診してもらいます。この辺の事情は、前の社長と現社長の政治的駆け引きなのか、単なる将来のためのアドバイスなのか判然とはしませんが、そんなこたあどうでもいい。この新聞を発行し続けていくことが重要なのです。
政府というのはダラットのあるラムドン省の観光商業投資局で、その出先機関である観光商業投資プロモーションセンターの名前で出せそうだ、付いては打ち合わせを、という話が土曜日にあって、月曜日の朝に、アポは火曜午後、と連絡がありました。すぐにバスに乗って出かけます。
月曜日の夜、ダラット着。火曜日に打ち合わせをしました。
先方はダイレクター自らが出てきて1時間ほどいろいろ話しました。まず、第2号は、ほぼそのままだが、旅行会社のフリーの広告は必要ないので、そのスペースに、12月に行われるフラワーフェスティバルの情報を載せたい。発行がすこし遅れるが、今回はそれで行こう、という結論になりました。また、彼(Tuさん)としては将来、この新聞をもっと発展させて、観光だけではなく、投資関連の情報も盛り込みたい。ついては名前をダラットディスカバリーに変更したい。とのことで、これはまあ、しょうがないかな。まだ1号しか出してないし、今なら名前を変えても影響は少ないでしょう。
と言うわけで、ダラットトラベラーは廃刊。新たにダラットディスカバリーの創刊、ということになったわけです。といっても内容はそのまま引継ですが。
その他、体制の見直しや、お金の問題などを話し、ほぼ同意に達しました。私は引き続き全体のレイアウト、デザイン、メイン記事執筆、写真撮影を担当し、Tuさんサイドが広告、配送、出版許可を担当する。メイン以外の記事や情報はその都度Tuさんが仕入れて、それを紙面に反映させる。
それから私のデザイン、執筆、写真代を決めました。さらに双方が50%ずつの負担をすることで合意。つまり私の取り分も含めて全ての経費を収入から引いて、赤字でも黒字でも双方で50%ずつ分ける、というわけです。ただし赤字の50%が私のデザイン費等を越える場合には、発行部数を減らして、持ち出しにならないように調整する。これならほぼ今までと同じ条件です。
今までよりも悪くなった点は、彼らが口を出す部分が増えたこと。でもよくなった点も多い。たとえば広告営業は今までよりも強力になるでしょう。そうしないと彼らは赤字になるわけですから。ディストリビューションもさらに円滑になるだろうし、なんと言っても政府にコネができるのはここで暮らす上でかなりのメリットです。
というわけで、現在のところ、ばたばたしたぶん前よりいい体制ができそうな気がしています。まずはめでたし、といったところでしょうか。
じつはこの会社、最近別の政府系旅行会社と合併し、体制が代わり、社長も代わりました。組織は未だにごちゃごちゃで、社員でもどうなってるのか分からない、という有様。それでごたごたしてるのかと思っていたら、理由は不明ですが、新社長がダラットトラベラーを続ける気がないことが判明したのです。
まずは担当者と電話で話し合い。前の社長が「将来は政府と組んで出したらどうか」と言っていたので、そっちを打診してもらいます。この辺の事情は、前の社長と現社長の政治的駆け引きなのか、単なる将来のためのアドバイスなのか判然とはしませんが、そんなこたあどうでもいい。この新聞を発行し続けていくことが重要なのです。
政府というのはダラットのあるラムドン省の観光商業投資局で、その出先機関である観光商業投資プロモーションセンターの名前で出せそうだ、付いては打ち合わせを、という話が土曜日にあって、月曜日の朝に、アポは火曜午後、と連絡がありました。すぐにバスに乗って出かけます。
月曜日の夜、ダラット着。火曜日に打ち合わせをしました。
先方はダイレクター自らが出てきて1時間ほどいろいろ話しました。まず、第2号は、ほぼそのままだが、旅行会社のフリーの広告は必要ないので、そのスペースに、12月に行われるフラワーフェスティバルの情報を載せたい。発行がすこし遅れるが、今回はそれで行こう、という結論になりました。また、彼(Tuさん)としては将来、この新聞をもっと発展させて、観光だけではなく、投資関連の情報も盛り込みたい。ついては名前をダラットディスカバリーに変更したい。とのことで、これはまあ、しょうがないかな。まだ1号しか出してないし、今なら名前を変えても影響は少ないでしょう。
と言うわけで、ダラットトラベラーは廃刊。新たにダラットディスカバリーの創刊、ということになったわけです。といっても内容はそのまま引継ですが。
その他、体制の見直しや、お金の問題などを話し、ほぼ同意に達しました。私は引き続き全体のレイアウト、デザイン、メイン記事執筆、写真撮影を担当し、Tuさんサイドが広告、配送、出版許可を担当する。メイン以外の記事や情報はその都度Tuさんが仕入れて、それを紙面に反映させる。
それから私のデザイン、執筆、写真代を決めました。さらに双方が50%ずつの負担をすることで合意。つまり私の取り分も含めて全ての経費を収入から引いて、赤字でも黒字でも双方で50%ずつ分ける、というわけです。ただし赤字の50%が私のデザイン費等を越える場合には、発行部数を減らして、持ち出しにならないように調整する。これならほぼ今までと同じ条件です。
今までよりも悪くなった点は、彼らが口を出す部分が増えたこと。でもよくなった点も多い。たとえば広告営業は今までよりも強力になるでしょう。そうしないと彼らは赤字になるわけですから。ディストリビューションもさらに円滑になるだろうし、なんと言っても政府にコネができるのはここで暮らす上でかなりのメリットです。
というわけで、現在のところ、ばたばたしたぶん前よりいい体制ができそうな気がしています。まずはめでたし、といったところでしょうか。
2004年09月12日
ダラットトラベラー
ダラットにずっと住みたいけど仕事がない。それなら仕事を作ろう。そんなことを考えている時に、日本の新聞で、横浜のミニコミ旅行情報誌の記事を見ました。そうか、今日本では都市毎にそんな情報誌があるんだ、ならばダラットにあってもいいのではないか。そう思いついて、企画と見本版を製作したのが昨年の10月頃のことでした。

ベトナムは社会主義国なので、未だに印刷物は検閲、発行許可が必要で、許可は個人には下りないのです。ですから企画はダラットツーリストという公営の旅行会社に持ち込みました。彼らもガイドブックを作りたかったのですが、予算もノウハウもない、そんな折りで、広告収入だけで作るフリーペーパーで2ヶ月毎に最新情報を掲載する、という案は歓迎されました。
最初は雑誌のつもりだったのですが、雑誌だと単価が高く発行部数が少なくなるため、途中で新聞に変更です。紙の質を落として、部数を多く印刷することにしました。4月には発行したい、と思っていたのですが、なにしろ相手は政府系の会社なので、仕事も決定も全て遅い。4月にやっと整った紙面で許可を申請し、7月になってようやく発行の見通しが立ちました。
それから広告営業にかかります。ダラットツーリストの担当者は最終的に若いチューン君になり、彼はやる気もあるし、仕事も速いのですが、上の決定が遅いのと、全てが初めての経験なので手間取ったのと、そんなこんなで9月の初めにやっと初号が完成しました。
広告は当初の計画よりかなり少ないのですが、それでも全ページ2つと半ページ1つが埋まり、これだけあればとりあえず1万部の印刷代はまかなえるので、とにかく1万部、えいやっと印刷してしまいました。つまり今のところは完全なただ働きです。これじゃあ仕事を作ったことになりませんが、ダラットは田舎なので、お金を出して広告をし、それによってより利益を上げる、と考えられる人が少ないのです。ですからとにかく作っちゃった。実物ができて、それを手に町を歩く旅行者が目に付けば、広告を出す気になる人も現れるでしょう。1年くらいのうちにはいくらかでも収入があるようになりたいものです。
初号は12ページ。A4を一回り小さくしたサイズです。サイズは既製の新聞に合わせたのですが、A4でも問題はなかったようです。12ページの内容は、メイン記事とレストラン、ホテル紹介。それから町で見かけた一般の人の簡単なインタビュー。英語とベトナム語なので、スペースが2倍必要なためこれで一杯です。あとは広告と、広告を兼ねた店のリスト。郊外までカバーした地図と中心部の地図。お勧めの観光地情報。本来は16ページで考えていたのですが、広告が少なかったので12ページにしました。16ページになってくれれば、すこし儲かるのですが。
今回ダラットに来て、次号の取材と初号の配布計画の確認をしました。取材は2日に分けて行い、写真も撮って、すぐに記事を書きます。それを下手くそな英語に直して、ダラットツーリストの英語の達人ホンさんにリライトしてもらわなければなりません。それからレイアウトして、写真を選んで、それをプリントアウトして検閲に回します。来月は新規分の広告制作のためにもう一度ダラット入り。広告を作ったらすぐに印刷。そうすれば11-12月号が10月末には発行できるわけです。
ちなみに次号のメイン記事はダラットの先住民族K'hoについてかなり興味深い生活習慣が取材できました。ダラットトラベラー、興味のある人は、ドンコイ通りモンディアルホテル内のアオザイツアーデスクに少部数ですが置いてありますので、ぜひご覧になって下さい。
(2004.09.12)

ベトナムは社会主義国なので、未だに印刷物は検閲、発行許可が必要で、許可は個人には下りないのです。ですから企画はダラットツーリストという公営の旅行会社に持ち込みました。彼らもガイドブックを作りたかったのですが、予算もノウハウもない、そんな折りで、広告収入だけで作るフリーペーパーで2ヶ月毎に最新情報を掲載する、という案は歓迎されました。
最初は雑誌のつもりだったのですが、雑誌だと単価が高く発行部数が少なくなるため、途中で新聞に変更です。紙の質を落として、部数を多く印刷することにしました。4月には発行したい、と思っていたのですが、なにしろ相手は政府系の会社なので、仕事も決定も全て遅い。4月にやっと整った紙面で許可を申請し、7月になってようやく発行の見通しが立ちました。
それから広告営業にかかります。ダラットツーリストの担当者は最終的に若いチューン君になり、彼はやる気もあるし、仕事も速いのですが、上の決定が遅いのと、全てが初めての経験なので手間取ったのと、そんなこんなで9月の初めにやっと初号が完成しました。
広告は当初の計画よりかなり少ないのですが、それでも全ページ2つと半ページ1つが埋まり、これだけあればとりあえず1万部の印刷代はまかなえるので、とにかく1万部、えいやっと印刷してしまいました。つまり今のところは完全なただ働きです。これじゃあ仕事を作ったことになりませんが、ダラットは田舎なので、お金を出して広告をし、それによってより利益を上げる、と考えられる人が少ないのです。ですからとにかく作っちゃった。実物ができて、それを手に町を歩く旅行者が目に付けば、広告を出す気になる人も現れるでしょう。1年くらいのうちにはいくらかでも収入があるようになりたいものです。
初号は12ページ。A4を一回り小さくしたサイズです。サイズは既製の新聞に合わせたのですが、A4でも問題はなかったようです。12ページの内容は、メイン記事とレストラン、ホテル紹介。それから町で見かけた一般の人の簡単なインタビュー。英語とベトナム語なので、スペースが2倍必要なためこれで一杯です。あとは広告と、広告を兼ねた店のリスト。郊外までカバーした地図と中心部の地図。お勧めの観光地情報。本来は16ページで考えていたのですが、広告が少なかったので12ページにしました。16ページになってくれれば、すこし儲かるのですが。
今回ダラットに来て、次号の取材と初号の配布計画の確認をしました。取材は2日に分けて行い、写真も撮って、すぐに記事を書きます。それを下手くそな英語に直して、ダラットツーリストの英語の達人ホンさんにリライトしてもらわなければなりません。それからレイアウトして、写真を選んで、それをプリントアウトして検閲に回します。来月は新規分の広告制作のためにもう一度ダラット入り。広告を作ったらすぐに印刷。そうすれば11-12月号が10月末には発行できるわけです。
ちなみに次号のメイン記事はダラットの先住民族K'hoについてかなり興味深い生活習慣が取材できました。ダラットトラベラー、興味のある人は、ドンコイ通りモンディアルホテル内のアオザイツアーデスクに少部数ですが置いてありますので、ぜひご覧になって下さい。
(2004.09.12)
2004年08月13日
庭ができてきたぞ
石垣を作って、あとは荒れ地だった庭が、だんだんできあがってきました。山に生えている芝生を長くしたような草を半分ほど植えたのは4月頃だったでしょうか。しかし今年は雨が遅く、その草は大半が枯れてしまいました。そうなっても植えた連中は責任を取ってくれるわけではないので、料金はほぼ損失です。
今回はもう少し安くやる、という別の兄ちゃんを見つけて依頼。石垣の下の雑草を刈って、枯れた草を活きのいいのに交換し、さらに一番下まで草を植えます。斜面は急で、そのままでは上り下りできないので、簡単な階段を作りました。階段と言っても石を置いただけですが、庭にハイキングコースの一部分が出現したような感じです。

前回来た時に、階段の場所などを指示して、作業途中でホーチミン市に戻りました。今回来てチェックしたところ、草がちゃんと庭中を覆っていて、なかなかいい感じです。連日の雨でしっかり根付けば、絶好のピクニックサイトになりそうです。
前回は別の業者にも家の表側の金網とゲートを頼んでおいたのですが、それも完成していました。この金網とゲート、実は家の敷地ではなく、公道上に設置されていますが、堅いことはいいっこなしです。これがないと道路に面したガラス窓や壁が、車に傷つけられそうで怖かったのです。なにしろ家の前は、路地を入ってきた車の切り返し場所になっているのですから。
金網をつけてくれた鉄屋は庭の隅にも柵を作ってくれました。隣の空き地から庭に簡単に進入できることが判明したので、その対策です。もっとも今のところ入ってくるのは用のある近所の人だけですが、いつ何時怪しい人物が入らないとかぎらないし、空き地に家でも建て始めれば、悪気はないにしろ職人達が出入りしないとも限りません。
前回、石垣の下には、石垣を這い上がって葉で覆うような植物を植えました。小枝を切ってきただけのような植物ですが、それを地面に差し込めば育つと花屋のオバちゃんが言うので買ってきて、ヤギの糞を肥料に入れ、植えてみました。植物の葉はすぐにしおれてきたのですが、根付けばまた復活するだろう、と期待して、今回はどんなに大きくなったか楽しみにしていました。ところがこの植物は全滅。1本たりとも生きてはいません。だまされて変なのを掴まされたのか、植え方が悪かったのか、水や肥料の問題か、土質が合わなかったのか、理由はわかりませんが、石垣を多う緑の葉を楽しむのはもう少し先のことになりました。
さて、草を植え終わった庭ですが、最終完成には今一歩、もう一計画あるのです。斜面の庭は下の方で段々畑状になっていて、幅2m程の平らなテラスが2つあります。その上の方のテラスに草葺きの屋根をつけて、ちょっとした雨ならしのげるようにし、そこで焚き火をしつつ酒が飲めるようなスペースを作りたいのです。
屋根は丸形にするか、たんに平たい傾斜のある形にするか、まだ決定していません。床は草の儘か、石を敷くか、これも成り行き次第です。だた木の簡単なベンチを置いて、真ん中に火どこを作ることだけが決まっていて、あとは煙の逃げ道や景色と火を両方楽しめるような配置を考えればいいのです。これは多分雨期が明けてからの作業になると思うので、クリスマス頃には焚き火ができるようになっていることでしょう。
(2003.08.13)
今回はもう少し安くやる、という別の兄ちゃんを見つけて依頼。石垣の下の雑草を刈って、枯れた草を活きのいいのに交換し、さらに一番下まで草を植えます。斜面は急で、そのままでは上り下りできないので、簡単な階段を作りました。階段と言っても石を置いただけですが、庭にハイキングコースの一部分が出現したような感じです。

前回来た時に、階段の場所などを指示して、作業途中でホーチミン市に戻りました。今回来てチェックしたところ、草がちゃんと庭中を覆っていて、なかなかいい感じです。連日の雨でしっかり根付けば、絶好のピクニックサイトになりそうです。
前回は別の業者にも家の表側の金網とゲートを頼んでおいたのですが、それも完成していました。この金網とゲート、実は家の敷地ではなく、公道上に設置されていますが、堅いことはいいっこなしです。これがないと道路に面したガラス窓や壁が、車に傷つけられそうで怖かったのです。なにしろ家の前は、路地を入ってきた車の切り返し場所になっているのですから。
金網をつけてくれた鉄屋は庭の隅にも柵を作ってくれました。隣の空き地から庭に簡単に進入できることが判明したので、その対策です。もっとも今のところ入ってくるのは用のある近所の人だけですが、いつ何時怪しい人物が入らないとかぎらないし、空き地に家でも建て始めれば、悪気はないにしろ職人達が出入りしないとも限りません。
前回、石垣の下には、石垣を這い上がって葉で覆うような植物を植えました。小枝を切ってきただけのような植物ですが、それを地面に差し込めば育つと花屋のオバちゃんが言うので買ってきて、ヤギの糞を肥料に入れ、植えてみました。植物の葉はすぐにしおれてきたのですが、根付けばまた復活するだろう、と期待して、今回はどんなに大きくなったか楽しみにしていました。ところがこの植物は全滅。1本たりとも生きてはいません。だまされて変なのを掴まされたのか、植え方が悪かったのか、水や肥料の問題か、土質が合わなかったのか、理由はわかりませんが、石垣を多う緑の葉を楽しむのはもう少し先のことになりました。
さて、草を植え終わった庭ですが、最終完成には今一歩、もう一計画あるのです。斜面の庭は下の方で段々畑状になっていて、幅2m程の平らなテラスが2つあります。その上の方のテラスに草葺きの屋根をつけて、ちょっとした雨ならしのげるようにし、そこで焚き火をしつつ酒が飲めるようなスペースを作りたいのです。
屋根は丸形にするか、たんに平たい傾斜のある形にするか、まだ決定していません。床は草の儘か、石を敷くか、これも成り行き次第です。だた木の簡単なベンチを置いて、真ん中に火どこを作ることだけが決まっていて、あとは煙の逃げ道や景色と火を両方楽しめるような配置を考えればいいのです。これは多分雨期が明けてからの作業になると思うので、クリスマス頃には焚き火ができるようになっていることでしょう。
(2003.08.13)
2004年07月12日
最長時間
ダラットに来ています。
普通、ダラットへはホーチミン市からバスで移動します。よく利用するのはシンカフェというカフェが主催するバックパッカー向けのオープンツアーバス。バックパッカー向けとはいえ、最近ではベトナム人の利用の方が多くなってきました。
このバスは7時半にホーチミン市を出て、途中トイレ休憩、昼食休憩を経て、3時頃にダラットに到着します。昨日もそのつもりで、バイクタクシーで家を6時半に出発。ところが1kmも行かないうちに鍵を忘れたのに気づいてUターン。家に戻ります。鍵を持って、気を取り直して再スタート。
無事バスに乗ってほぼ定刻に出発しました。今回の席は右列最前席で、バスのフロントグラスから外がよく見えます。後ろの席の兄ちゃんが、延々としゃべりっぱなしでうるさくて寝られないので、ボッと外を見ていました。ホーチミン市から130kmくらいの田舎町。前を走っているトラックの前に右の小径からバイクが飛び出しました。


トラックの運ちゃんは、バイクがそのまま右折すると思ったのでしょう、ハンドルを左に切って避けようとします。ところがバイクは道を横断するつもりだったのか、直進。そこまで、バスの右列からははっきりと見えました。ドライバーの横のプラスチック椅子に座っていた助手にも一部始終が見えたのでしょう、何か叫んで、その声でドライバーは急ブレーキ。
ほぼ同時にトラックとバイクは接触し、トラックは急停車。バスはタイヤをきしませながらそのトラックに迫っていき、2m程手前でストップ。よかった、と思った瞬間、ドンという音と共に衝撃が走りました。後続の大型トラックがバスに追突したのです。
バスのエンジンは止まり、冷房も切れて暑いので、外に出てみました。地区の警察官がスプレーペイントで事故車のタイヤ位置をマークしています。バスの後部は、ちょうどエンジンのある部分に大型トラックのバンパーがぶつかり、エンジン部を覆っている鉄板がへこんでいます。普通なら取っ手を引いて鉄板を持ち上げ、エンジンにアクセスできるのですが、へこんでしまっているので、3人がかりで鉄パイプを突っ込んで、こじ開けようとしています。
周りを野次馬、地元の子供達、バスに乗っていた外国人などが取り囲んで、外国人達は写真を撮ったり、ビデオを回したり、すっかりイベントになってしまいました。やがて鉄板が半分ほどめくり上げられて、エンジンルームの中が見えるようになりました。その結果大きなダメージが確認され、応急処置での再スタートは無理、と判断されました。
そのころにはバイクとトラックの事故車両は警察署に運び去られ、大型トラックとバスは路肩に移動です。ドライバーがシンカフェに電話をして、代替え車両が来ることになりました。といっても代替え車両はホーチミン市から来るので、乗客は4時間以上待たなければなりません。乗客はみんな、バスのドライバーが悪いのではない、と理解したのか、特に文句は出ず、ちょうど昼時だったので近くの店で食事をすることになりました。
近くの店は野生動物肉の専門店で、昼食用にはほとんどメニューがありません。仕方なく焼きそばを注文。昼間からビールを飲んで、食後は椅子を並べてゆっくり昼寝をします。起きると3時近いのですが、まだバスは来ないので、散歩をしたり、本を読んだりして時間をつぶします。
5時頃やっとバスが来ました。すでにガレージに運ばれて修理を待つ事故バスから荷物を移して出発。乗客の総意で、夕食の休憩はなし。途中トイレに寄っただけで一路ダラットを目指します。
到着は9時少し前。13時間以上かかった移動もやっと終わりました。
(2004.07.12)
普通、ダラットへはホーチミン市からバスで移動します。よく利用するのはシンカフェというカフェが主催するバックパッカー向けのオープンツアーバス。バックパッカー向けとはいえ、最近ではベトナム人の利用の方が多くなってきました。
このバスは7時半にホーチミン市を出て、途中トイレ休憩、昼食休憩を経て、3時頃にダラットに到着します。昨日もそのつもりで、バイクタクシーで家を6時半に出発。ところが1kmも行かないうちに鍵を忘れたのに気づいてUターン。家に戻ります。鍵を持って、気を取り直して再スタート。
無事バスに乗ってほぼ定刻に出発しました。今回の席は右列最前席で、バスのフロントグラスから外がよく見えます。後ろの席の兄ちゃんが、延々としゃべりっぱなしでうるさくて寝られないので、ボッと外を見ていました。ホーチミン市から130kmくらいの田舎町。前を走っているトラックの前に右の小径からバイクが飛び出しました。


トラックの運ちゃんは、バイクがそのまま右折すると思ったのでしょう、ハンドルを左に切って避けようとします。ところがバイクは道を横断するつもりだったのか、直進。そこまで、バスの右列からははっきりと見えました。ドライバーの横のプラスチック椅子に座っていた助手にも一部始終が見えたのでしょう、何か叫んで、その声でドライバーは急ブレーキ。
ほぼ同時にトラックとバイクは接触し、トラックは急停車。バスはタイヤをきしませながらそのトラックに迫っていき、2m程手前でストップ。よかった、と思った瞬間、ドンという音と共に衝撃が走りました。後続の大型トラックがバスに追突したのです。
バスのエンジンは止まり、冷房も切れて暑いので、外に出てみました。地区の警察官がスプレーペイントで事故車のタイヤ位置をマークしています。バスの後部は、ちょうどエンジンのある部分に大型トラックのバンパーがぶつかり、エンジン部を覆っている鉄板がへこんでいます。普通なら取っ手を引いて鉄板を持ち上げ、エンジンにアクセスできるのですが、へこんでしまっているので、3人がかりで鉄パイプを突っ込んで、こじ開けようとしています。
周りを野次馬、地元の子供達、バスに乗っていた外国人などが取り囲んで、外国人達は写真を撮ったり、ビデオを回したり、すっかりイベントになってしまいました。やがて鉄板が半分ほどめくり上げられて、エンジンルームの中が見えるようになりました。その結果大きなダメージが確認され、応急処置での再スタートは無理、と判断されました。
そのころにはバイクとトラックの事故車両は警察署に運び去られ、大型トラックとバスは路肩に移動です。ドライバーがシンカフェに電話をして、代替え車両が来ることになりました。といっても代替え車両はホーチミン市から来るので、乗客は4時間以上待たなければなりません。乗客はみんな、バスのドライバーが悪いのではない、と理解したのか、特に文句は出ず、ちょうど昼時だったので近くの店で食事をすることになりました。
近くの店は野生動物肉の専門店で、昼食用にはほとんどメニューがありません。仕方なく焼きそばを注文。昼間からビールを飲んで、食後は椅子を並べてゆっくり昼寝をします。起きると3時近いのですが、まだバスは来ないので、散歩をしたり、本を読んだりして時間をつぶします。
5時頃やっとバスが来ました。すでにガレージに運ばれて修理を待つ事故バスから荷物を移して出発。乗客の総意で、夕食の休憩はなし。途中トイレに寄っただけで一路ダラットを目指します。
到着は9時少し前。13時間以上かかった移動もやっと終わりました。
(2004.07.12)
2004年05月22日
連休のダラット
前回の続き、生レポ第2弾。連休のダラット編です
生レポといっても正確には時間がたってしまったので、準生ですが。
では、前回の続きです。
ベトナムは大型連休に突入。4月30日が解放記念日、1日メーデー、2日が日曜日で、3日が振り替え休日と4連休です。こんなことはテト(旧正月)以外にないので、多くの人が行楽地へ繰り出します。この時期、ホーチミン市は連日37度を超える猛暑ですから、涼を求めてダラットへの人出が多くなります。



ベトナム人の休日の過ごし方は、ちょっと前までの日本人と同じで、動き回るのが基本。のんびりする、という感覚はありません。その上、少人数で出かけるのはまれ。まして一人旅なんてあり得ないのです。親戚一同や会社の同僚などとバンやバスを借り切って出かけるので、車で1日中観光地巡り、が普通です。ですから「愛の谷」や「ランビアン山」などの観光地はまさに黒山の人だかりとなります。また大人数で入れるレストランも、食事時は立錐の余地もない有様。市場近くの駐車場には、まるで学園際の模擬店さながらにテント張りの臨時食堂が建ち並びます。
昔、一度、ベトナム人に混じってそんな旅行したことがあるので、状況は十分にわかっています。ですからこの期間は食料品を買い込んで、基本的には外食はなし。後半は家で作る料理の献立表を作って、材料が無駄にならないように計画しました。
それでもたまには外食したい。その場合は、例えば行きつけの10人も入ればいっぱいになるフォー屋に、時間をずらして行く、などの対策が必要です。夜は「サイゴンナイトバー」に行きましたが、カウンターにはベトナム人のオッちゃんが並び、ベトナム音楽がかかっているという、なんだか日本の田舎のスナックに紛れ込んだような、不思議な状況に遭遇。友人と待ち合わせをしていたので帰るわけにもいかず、一人だけいた外国人とビリヤードをして時間をつぶしました。そのうちにオッちゃん達は帰り、音楽が洋楽に戻って、ようやくいつもの雰囲気に復帰です。
しかしもう少し音楽に気を遣ったバーに行きたい、とちょっぴり無い物ねだりの気分です。家でiBookからアンプを通して聞いているロックやブルースが街一番の音楽環境だなんて、ちょっと信じられない状況なのです。
なるべく買い物はしないつもりだったのですが、野菜などはそう何日も保たないので、市場に行かなければならなくなりました。観光客が市場に行くのは帰る日の前日と当日の朝。新鮮な野菜や花を買いに行くので市場は混み合います。それなら、と前日の午前中に買い物に行ったら、市場はごく普通の混み具合、さっそく野菜を中心に必要な物を買い込みます。
そんな風に連休を過ごしていたら、スケッチ編集部から追加の写真が3枚ほど必要という連絡が入りました。さらに特集の扉の写真も撮らなければなりません。扉の写真は「霧に浮かぶヴィラ、背景の松林が霧にかすんでいる」というイメージだと言われているのですが、これって霧が出ないと撮れない。季節がわるいのか、霧が出ないんです。
仕方なく、朝4時半に起きて、朝やけの空とヴィラを撮ります。ダラットはフレンチヴィラがあちこちにあるので、毎朝早起きしていろんな場所をひとつずつ攻めなければなりません。それから夕焼けのヴィラ。ところが毎日夕方は西に厚い雲が出てなかなか上手く行きません。それでも少しでも雲が切れることを期待して、毎日出かけます。
そうこうしているうちに、家から遠い場所で再開発を待つヴィラ群がフォトジェニックなのを発見。そこに朝晩通って写真を撮ります。毎回近所の犬に吠えられるので、そのうち不審者と見られるのではと冷や冷やしますが、その地区は住民の立ち退きが終わって、工事はこれからという絶好の時期で、柵もなく、ヴィラの近くに寄れるので写真には最適です。
そうやって撮った写真をeメールで編集部に送り、判断を仰ぎます。やっと「朝はきれいなのが撮れたので、昼の天気のいい時のを1枚」という指示が来て、早起きはお終い。午前中の空が青い時に写真を撮って、今回の仕事は終了です。
と思ったら、ホーチミン市に帰る日の朝、霧が出ました。すぐにカメラを持って出動。まずは近くのヴィラで写真を撮り、まだ霧が晴れそうもないので遠くのヴィラへ。さらにスンフーン湖畔でも写真を撮りました。
そうやって仕事をしつつものんびりとした連休もとうとうお終い。世間に遅れること5日で、灼熱のホーチミン市に戻ってきました。
(2003.05.22)
生レポといっても正確には時間がたってしまったので、準生ですが。
では、前回の続きです。
ベトナムは大型連休に突入。4月30日が解放記念日、1日メーデー、2日が日曜日で、3日が振り替え休日と4連休です。こんなことはテト(旧正月)以外にないので、多くの人が行楽地へ繰り出します。この時期、ホーチミン市は連日37度を超える猛暑ですから、涼を求めてダラットへの人出が多くなります。



ベトナム人の休日の過ごし方は、ちょっと前までの日本人と同じで、動き回るのが基本。のんびりする、という感覚はありません。その上、少人数で出かけるのはまれ。まして一人旅なんてあり得ないのです。親戚一同や会社の同僚などとバンやバスを借り切って出かけるので、車で1日中観光地巡り、が普通です。ですから「愛の谷」や「ランビアン山」などの観光地はまさに黒山の人だかりとなります。また大人数で入れるレストランも、食事時は立錐の余地もない有様。市場近くの駐車場には、まるで学園際の模擬店さながらにテント張りの臨時食堂が建ち並びます。
昔、一度、ベトナム人に混じってそんな旅行したことがあるので、状況は十分にわかっています。ですからこの期間は食料品を買い込んで、基本的には外食はなし。後半は家で作る料理の献立表を作って、材料が無駄にならないように計画しました。
それでもたまには外食したい。その場合は、例えば行きつけの10人も入ればいっぱいになるフォー屋に、時間をずらして行く、などの対策が必要です。夜は「サイゴンナイトバー」に行きましたが、カウンターにはベトナム人のオッちゃんが並び、ベトナム音楽がかかっているという、なんだか日本の田舎のスナックに紛れ込んだような、不思議な状況に遭遇。友人と待ち合わせをしていたので帰るわけにもいかず、一人だけいた外国人とビリヤードをして時間をつぶしました。そのうちにオッちゃん達は帰り、音楽が洋楽に戻って、ようやくいつもの雰囲気に復帰です。
しかしもう少し音楽に気を遣ったバーに行きたい、とちょっぴり無い物ねだりの気分です。家でiBookからアンプを通して聞いているロックやブルースが街一番の音楽環境だなんて、ちょっと信じられない状況なのです。
なるべく買い物はしないつもりだったのですが、野菜などはそう何日も保たないので、市場に行かなければならなくなりました。観光客が市場に行くのは帰る日の前日と当日の朝。新鮮な野菜や花を買いに行くので市場は混み合います。それなら、と前日の午前中に買い物に行ったら、市場はごく普通の混み具合、さっそく野菜を中心に必要な物を買い込みます。
そんな風に連休を過ごしていたら、スケッチ編集部から追加の写真が3枚ほど必要という連絡が入りました。さらに特集の扉の写真も撮らなければなりません。扉の写真は「霧に浮かぶヴィラ、背景の松林が霧にかすんでいる」というイメージだと言われているのですが、これって霧が出ないと撮れない。季節がわるいのか、霧が出ないんです。
仕方なく、朝4時半に起きて、朝やけの空とヴィラを撮ります。ダラットはフレンチヴィラがあちこちにあるので、毎朝早起きしていろんな場所をひとつずつ攻めなければなりません。それから夕焼けのヴィラ。ところが毎日夕方は西に厚い雲が出てなかなか上手く行きません。それでも少しでも雲が切れることを期待して、毎日出かけます。
そうこうしているうちに、家から遠い場所で再開発を待つヴィラ群がフォトジェニックなのを発見。そこに朝晩通って写真を撮ります。毎回近所の犬に吠えられるので、そのうち不審者と見られるのではと冷や冷やしますが、その地区は住民の立ち退きが終わって、工事はこれからという絶好の時期で、柵もなく、ヴィラの近くに寄れるので写真には最適です。
そうやって撮った写真をeメールで編集部に送り、判断を仰ぎます。やっと「朝はきれいなのが撮れたので、昼の天気のいい時のを1枚」という指示が来て、早起きはお終い。午前中の空が青い時に写真を撮って、今回の仕事は終了です。
と思ったら、ホーチミン市に帰る日の朝、霧が出ました。すぐにカメラを持って出動。まずは近くのヴィラで写真を撮り、まだ霧が晴れそうもないので遠くのヴィラへ。さらにスンフーン湖畔でも写真を撮りました。
そうやって仕事をしつつものんびりとした連休もとうとうお終い。世間に遅れること5日で、灼熱のホーチミン市に戻ってきました。
(2003.05.22)
2004年05月01日
久々にダラットに来ています
久々にダラットに来ています。今回は現地からの生レポをお届けします。
月曜日にダラットに来ました。今回は「ベトナムスケッチ」という現地の旅行・その他の情報誌から、ダラット特集の写真撮影を頼まれてのダラット入り。というわけでライターのリカコさんと一緒です。飛行機のチケットが支給されたので、初めて空路でダラットに来ました。
飛行機はATR72というプロペラ機で、これはベトナム航空が主に短距離用に使っている機体です。何度も乗ったことがありますが、狭くてうるさい。でもいざエンジンが止まった時には、プロペラ機なら滑空できる、と聞いたことがあるので、少しだけ安心な機体でもあります。
さてそのATR72、サイゴンを飛び立って、ぐんぐん上昇していきます。やがてやや水平になったところで、機内では飲み物のサービスが始まります。といってもワゴンに乗っているのはペットボトル入りのコーラと7アップ、そして水だけ。ビールはおろかジュース類もありません。炭酸類の苦手なわたしには「水」か「なし」かしかチョイスがないのです。
飛行機の窓から下を見ていると、緑の中に道が1本見え、集落が集まっています。その辺りから何本も未舗装の赤っぽい道が緑の中に伸びています。どうやら国道20号線沿いのバオロックかジーリンのようです。どちらか目を凝らしてもわからないままに、飛行機は高度を下げ、やがて象山(エレファントマウンテン)を左に見ながら着陸します。



滑走路の端の方ではブルドーザーが何台も土をならしています。空港を拡張して、ジェット機でも離着陸できるようにしているようです。飛行機をおりるとすぐ横がターミナルビル、ビルというよりも小屋に近い建物で、そこまでは徒歩で移動です。バッゲージも回転テーブルではなく、今、乗客が入ってきたのと同じ入り口から手動で運ばれ、床に降ろされたのを、それぞれがピックアップして出口に向かいます。
4ドルで、バスが街まで運んでくれなすが、仕事できた我々はタクシーに乗り込みました。街までメーターで20万ドンほど。30分ほどで家に着き、タクシーを降ります。リカコさんはソフィテルダラットパレスへ向かいました。後でソフィテルで合流です。
今回の特集のテーマは「ダラットでヴィラホテルに泊まる」。2月に町を走り回って、「ヴィラホテル」と言えそうな物すべての外観を写真に撮り、住所と電話番号をリストにしました。その数30余。その後編集部で方針を決め、電話で下調べとアポ取りをして、15件弱が本取材の対象です。ソフィテルをヴィラと呼ぶかどうかは意見の分かれるところだと思いますが、ダラットのホテルでソフィテルは落とせないので、取材しました。ホテルだけではなく、そこで働くメンテナンス係や庭師にも話を聞き、写真を撮ります。
ソフィテル以外にも大きく扱うメインのヴィラを2つ、小さく紹介する物を10軒程度取材しなければならないので、毎日バイクで移動しつつ仕事をこなしていきます。そうやって3日半ほどで、自信を持って紹介できそうなヴィラの情報を集めました。さらに「ダラットのアフタヌーンティー」というコーナーのために、ケーキや菓子パン、水、紅茶など、地元の物を揃えて撮影。これで仕事は一応終了です。
今日は4月30日、解放記念日。5月1日のメーデーと休みが続くベトナムのゴールデンウイークの始まりです。ダラットはホーチミン市の暑さを逃れた人でにぎわい、ホテルはどこも満室。取材先のホテルを泊まり歩いていたリカコさんも、今日は家に泊まって、あすホーチミン市へ帰ります。わたしは追加撮影の待機も兼ねてもう少しダラットでのんびりするつもりです。
尚、ベトナムスケッチの詳細をお知りになりたい方は、www.vietnam-sketch.comをご覧ください。
今回の撮影からカメラを変えました。ニコンの最新デジタル一眼レフ、D70を買ったのです。いよいよこれで仕事はデジタル化ですが、プライベートで写真を撮るには、ゆっくりリズムのマニュアル機、特にローライコードがダラットには合っている気がしています。今回はD70しか持ってこなかったのでこれで写真を撮りますが、次回からは銀塩マニュアル機も使っていきたいと思っています。
今回、写真を600枚以上撮ったのですが、「スケッチ」に掲載後でないとお見せできません。と言うわけで前々回のフォーと前回のストップアンドゴー及びストップアンドゴーのオーナーの写真を見てください。
(2004.05.01)
月曜日にダラットに来ました。今回は「ベトナムスケッチ」という現地の旅行・その他の情報誌から、ダラット特集の写真撮影を頼まれてのダラット入り。というわけでライターのリカコさんと一緒です。飛行機のチケットが支給されたので、初めて空路でダラットに来ました。
飛行機はATR72というプロペラ機で、これはベトナム航空が主に短距離用に使っている機体です。何度も乗ったことがありますが、狭くてうるさい。でもいざエンジンが止まった時には、プロペラ機なら滑空できる、と聞いたことがあるので、少しだけ安心な機体でもあります。
さてそのATR72、サイゴンを飛び立って、ぐんぐん上昇していきます。やがてやや水平になったところで、機内では飲み物のサービスが始まります。といってもワゴンに乗っているのはペットボトル入りのコーラと7アップ、そして水だけ。ビールはおろかジュース類もありません。炭酸類の苦手なわたしには「水」か「なし」かしかチョイスがないのです。
飛行機の窓から下を見ていると、緑の中に道が1本見え、集落が集まっています。その辺りから何本も未舗装の赤っぽい道が緑の中に伸びています。どうやら国道20号線沿いのバオロックかジーリンのようです。どちらか目を凝らしてもわからないままに、飛行機は高度を下げ、やがて象山(エレファントマウンテン)を左に見ながら着陸します。



滑走路の端の方ではブルドーザーが何台も土をならしています。空港を拡張して、ジェット機でも離着陸できるようにしているようです。飛行機をおりるとすぐ横がターミナルビル、ビルというよりも小屋に近い建物で、そこまでは徒歩で移動です。バッゲージも回転テーブルではなく、今、乗客が入ってきたのと同じ入り口から手動で運ばれ、床に降ろされたのを、それぞれがピックアップして出口に向かいます。
4ドルで、バスが街まで運んでくれなすが、仕事できた我々はタクシーに乗り込みました。街までメーターで20万ドンほど。30分ほどで家に着き、タクシーを降ります。リカコさんはソフィテルダラットパレスへ向かいました。後でソフィテルで合流です。
今回の特集のテーマは「ダラットでヴィラホテルに泊まる」。2月に町を走り回って、「ヴィラホテル」と言えそうな物すべての外観を写真に撮り、住所と電話番号をリストにしました。その数30余。その後編集部で方針を決め、電話で下調べとアポ取りをして、15件弱が本取材の対象です。ソフィテルをヴィラと呼ぶかどうかは意見の分かれるところだと思いますが、ダラットのホテルでソフィテルは落とせないので、取材しました。ホテルだけではなく、そこで働くメンテナンス係や庭師にも話を聞き、写真を撮ります。
ソフィテル以外にも大きく扱うメインのヴィラを2つ、小さく紹介する物を10軒程度取材しなければならないので、毎日バイクで移動しつつ仕事をこなしていきます。そうやって3日半ほどで、自信を持って紹介できそうなヴィラの情報を集めました。さらに「ダラットのアフタヌーンティー」というコーナーのために、ケーキや菓子パン、水、紅茶など、地元の物を揃えて撮影。これで仕事は一応終了です。
今日は4月30日、解放記念日。5月1日のメーデーと休みが続くベトナムのゴールデンウイークの始まりです。ダラットはホーチミン市の暑さを逃れた人でにぎわい、ホテルはどこも満室。取材先のホテルを泊まり歩いていたリカコさんも、今日は家に泊まって、あすホーチミン市へ帰ります。わたしは追加撮影の待機も兼ねてもう少しダラットでのんびりするつもりです。
尚、ベトナムスケッチの詳細をお知りになりたい方は、www.vietnam-sketch.comをご覧ください。
今回の撮影からカメラを変えました。ニコンの最新デジタル一眼レフ、D70を買ったのです。いよいよこれで仕事はデジタル化ですが、プライベートで写真を撮るには、ゆっくりリズムのマニュアル機、特にローライコードがダラットには合っている気がしています。今回はD70しか持ってこなかったのでこれで写真を撮りますが、次回からは銀塩マニュアル機も使っていきたいと思っています。
今回、写真を600枚以上撮ったのですが、「スケッチ」に掲載後でないとお見せできません。と言うわけで前々回のフォーと前回のストップアンドゴー及びストップアンドゴーのオーナーの写真を見てください。
(2004.05.01)
2004年04月20日
行きつけの場所2 ストップアンドゴーとサイゴンナイトバー
今回は食事時以外でよく行くお店の紹介です。
まずは昼間、お茶を飲みに行くのがストップアンドゴー。詩人でカリグラフィー作家、絵も描くユイベトというおじいさんがやっている店です。スンフーン湖畔から歩いても5分ほど、小高い丘へ登る道を上がっていくと、右側に古びた看板が掛かっています。入り口には看板だけで、そこから奥を覗いても庭の先に普通の民家が見えるだけなので、初めて行く人はきっと、本当にここでいいのかと不安になりながら入っていくことでしょう。

店、というよりも彼の家の居間。居間のソファに座って、壁中に掛かった彼の絵やカリグラフィーを見ながら、お茶を飲むのです。机には所狭しと、コピーを束ねたような彼の詩集や、店を紹介した雑誌、客が書き込んだノートなどが置いてあります。日本の雑誌も何冊かあり、それらを見たり、城戸まあこと彼が並んでいる写真を見せられたり。
英語とフランス語が上手なユイベトじいさんと話をしたり、チェスをして過ごすのもいいでしょう。床では、奥さんが庭の花畑でできた花を出荷する準備をしていたりします。
そんなストップアンドゴー、ある日の午後に行ったら、そのまま夕食を食っていけ、といわれてダイニングに移動。シチューとパン、たっぷりのダラットワインをご馳走になったこともあります。
またある日は、店名の基になった詩を日本語に訳せ、といわれて四苦八苦。元はベトナム語で、英語にもなっているのですが、難しくて理解できない。宿題にしてもらって、家で越日辞典、英和辞典を駆使してなんとか訳しました。それを持っていくと、カリグラフィー用の紙に筆で書け、というではありませんか。習字なんてン十年やってないぞ。それでもなんとか書き終えたら、今度はその作品?が、居間の壁に飾られてしまいました。
それでは拙訳をご紹介しましょう。
世の中は小さな宿のようなもの
神秘の自然に囲まれて
人はみな旅をつづける
ここに来てStop 'd go また去るのみ
ストップアンドゴーは主に午後に行く店ですが、夜に行くのがサイゴンナイトバー。ダラットのナイトライフは本当に行くところがない。にぎやか系のバーがゴルフホテルの中にあり、穴蔵風のバーがソフィテルホテルにあります。にぎやか系は苦手だし、ソフィテルのバーは高い、となるとサイゴンナイトバーに足が向きます。
店を入るとすぐにプールテーブルがひとつ。奥にはカウンターと壁際に小さくて背の高いテーブルが2つほど。2階もあるのですが使われているのを見たことがない、そんな店です。小さなボリュームで洋楽がかかっていて、さらに小さなボリュームでカウンターの隅のテレビがついている。
カウンターの中にはオーナーの娘がいて、一人で店を切り回しています。英語が上手な彼女、会話は飾り気がなく気楽におしゃべりできます。カクテルなどの注文が入ると壁一枚隣りに住んでいるオーナーが登場。シェイカーではなく電動ミキサーを使って、いろんな飲み物を作ってくれます。かれもまた英語が上手い。
夕食後に行くことが多いので、カウンターでアイリッシュウイスキーなどを注文します。ピーナッツの小皿と共に出されるウイスキーをすすっていると、カウンターの中の彼女が他の客をさりげなく紹介してくれたりして、客同士で話が始まります。客のほとんどは西洋人の旅行者で、何人かでプールテーブルを囲む以外は、客同士で話をしているのが目立ちます。
そうやって日本で英語を教えているオーストラリア人や、イスラム教のニュージーランド人、お母さんが日本人だというドイツ人などと一晩の会話を楽しむわけです。
そうしていると、ピーナッツのお代わりや、サンドイッチ、誰か注文したカクテルのあまりなどが無料で出されたりして、それらを摘みつつ、さらに話を続けます。
家からはバイクで10分くらい、寒い夜などは家に帰るまでに凍えそうになるのがちょっとつらいけど、それでも時々顔を出左図にはいられない場所のひとつなのです。
まずは昼間、お茶を飲みに行くのがストップアンドゴー。詩人でカリグラフィー作家、絵も描くユイベトというおじいさんがやっている店です。スンフーン湖畔から歩いても5分ほど、小高い丘へ登る道を上がっていくと、右側に古びた看板が掛かっています。入り口には看板だけで、そこから奥を覗いても庭の先に普通の民家が見えるだけなので、初めて行く人はきっと、本当にここでいいのかと不安になりながら入っていくことでしょう。

店、というよりも彼の家の居間。居間のソファに座って、壁中に掛かった彼の絵やカリグラフィーを見ながら、お茶を飲むのです。机には所狭しと、コピーを束ねたような彼の詩集や、店を紹介した雑誌、客が書き込んだノートなどが置いてあります。日本の雑誌も何冊かあり、それらを見たり、城戸まあこと彼が並んでいる写真を見せられたり。
英語とフランス語が上手なユイベトじいさんと話をしたり、チェスをして過ごすのもいいでしょう。床では、奥さんが庭の花畑でできた花を出荷する準備をしていたりします。
そんなストップアンドゴー、ある日の午後に行ったら、そのまま夕食を食っていけ、といわれてダイニングに移動。シチューとパン、たっぷりのダラットワインをご馳走になったこともあります。
またある日は、店名の基になった詩を日本語に訳せ、といわれて四苦八苦。元はベトナム語で、英語にもなっているのですが、難しくて理解できない。宿題にしてもらって、家で越日辞典、英和辞典を駆使してなんとか訳しました。それを持っていくと、カリグラフィー用の紙に筆で書け、というではありませんか。習字なんてン十年やってないぞ。それでもなんとか書き終えたら、今度はその作品?が、居間の壁に飾られてしまいました。
それでは拙訳をご紹介しましょう。
世の中は小さな宿のようなもの
神秘の自然に囲まれて
人はみな旅をつづける
ここに来てStop 'd go また去るのみ
ストップアンドゴーは主に午後に行く店ですが、夜に行くのがサイゴンナイトバー。ダラットのナイトライフは本当に行くところがない。にぎやか系のバーがゴルフホテルの中にあり、穴蔵風のバーがソフィテルホテルにあります。にぎやか系は苦手だし、ソフィテルのバーは高い、となるとサイゴンナイトバーに足が向きます。
店を入るとすぐにプールテーブルがひとつ。奥にはカウンターと壁際に小さくて背の高いテーブルが2つほど。2階もあるのですが使われているのを見たことがない、そんな店です。小さなボリュームで洋楽がかかっていて、さらに小さなボリュームでカウンターの隅のテレビがついている。
カウンターの中にはオーナーの娘がいて、一人で店を切り回しています。英語が上手な彼女、会話は飾り気がなく気楽におしゃべりできます。カクテルなどの注文が入ると壁一枚隣りに住んでいるオーナーが登場。シェイカーではなく電動ミキサーを使って、いろんな飲み物を作ってくれます。かれもまた英語が上手い。
夕食後に行くことが多いので、カウンターでアイリッシュウイスキーなどを注文します。ピーナッツの小皿と共に出されるウイスキーをすすっていると、カウンターの中の彼女が他の客をさりげなく紹介してくれたりして、客同士で話が始まります。客のほとんどは西洋人の旅行者で、何人かでプールテーブルを囲む以外は、客同士で話をしているのが目立ちます。
そうやって日本で英語を教えているオーストラリア人や、イスラム教のニュージーランド人、お母さんが日本人だというドイツ人などと一晩の会話を楽しむわけです。
そうしていると、ピーナッツのお代わりや、サンドイッチ、誰か注文したカクテルのあまりなどが無料で出されたりして、それらを摘みつつ、さらに話を続けます。
家からはバイクで10分くらい、寒い夜などは家に帰るまでに凍えそうになるのがちょっとつらいけど、それでも時々顔を出左図にはいられない場所のひとつなのです。
2004年03月21日
行きつけの場所1 ネムヌーン屋、フォー屋、アイスクリーム屋
ダラットのレストランはあまりバラエティーがありません。もちろんベトナム料理はありますが、ホーチミン市のように外国人向けに内装したレストランや、フエ料理、ハノイ料理などの専門店はいまだに知りません。高原らしく猪や鹿、ハリネズミなどの肉が名物ですが、一度食べれば十分。そう何度も足を運ぶ気はしません。ましてSARSはハクビシンが原因?などという昨今、怪しげな肉は控えたいものです。
でも毎日家で三食ってのもねえ。買い物や準備、後かたづけも大変だし、たまには違うところで食べたいもの。そんなとき出かける店がいくつかあります。

ホーチミン市の家には犬が3匹いますから、食べ残しは全然気にならない。いくらあっても犬がぺろりと食べちゃいます。だけどダラットでは、全部人間がかたづけなくてはなりません。そこでつい食べ過ぎて「もうすぐ、死ぬ」などといいながら出っ張ったお腹をなでているうちはまだいい方。ひどくなると胸焼けに苦しんだり。そんなときはフォーを食べに行きます。
市場左手の丘の上、狭い道を入った所に、テーブル4つほどの小さなフォー屋があります。フォーというのは米の麺で、日本で言えばうどんやそばといった位置づけの食べ物。うどん、そばのバリエーションは豊富ですが、フォーにも少しあります。その2大バリエーションがフォーボー(牛肉フォー)とフォーガー(鶏肉フォー)。両方置いてある店がほとんどですが、ホントの専門店はどっちか1つを、肉の種類に最適な出汁で食べさせます。
ダラットの店は牛専門。メニューは普通盛りと小盛りの2種類だけという潔さです。黙って座れば黙って普通が出てきます。そこに付け合わせのハーブ類や酢漬け大蒜、茹でモヤシなどをぶち込んでザックザックと食べるのです。食べ終わると満腹になりますが、もたれないので、4時間もすればお腹が空いてきます。食べ過ぎで疲れた胃にぴったりです。ちなみに「普通」で8,000ドン。
もう少ししっかりしたモノを食べたい時はネムヌーン屋に行きましょう。ネムというのは豚肉をミンチ状にして固めたモノ。つまりまあ豚のハンバーガーですね。地域によってちょっと違っていて、発行させて酢っぱくしてあったり、混ぜモノが入っていたりします。ダラットの店はおばちゃん一家の伝統の味だそうで、混ぜモノはなし。赤身と脂身の割合と、香り付けに混ぜ込むハーブの粉が秘伝だとか。肉を串に細長く付けて炭火で焼きます。ヌーンというのは「焼く」ことです。
焼けた肉を縦割りにして串から外し、皿に盛ります。長さ15cm程、幅2cm程の竹輪を縦に割ったような形状です。サラダ菜、キュウリ、漬物、青いバナナ、スターフルーツ、紫蘇、ドクダミ、その他ハーブ、それにライスペーパーを丸めて揚げたパリパリ。全部または一部をネムヌーンと一緒にライスペーパーに乗せて、くるっと巻いて、特性の豆ベースのディップにつけて食べます。ディップは甘めなので、生の擦り唐辛子を加えてピリ辛度を調整します。運ばれて来た時は少な目に見えますが、ライスペーパーの原料は米。紙みたいでも結構お腹に溜まります。結局、1人前はちょうどいい量に落ち着きます。それで9,000ドン。
お腹がいっぱいになったら、デザートを食べに行きましょう。市場裏手の丘の上、教会の先に甘味屋があります。シントーというフルーツシェイクやチェーというお汁粉類、それにアイスクリームがメニューです。フルーツは季節によって少し違いますので、店先のショウウインドウで選ぶか、お任せにするか。チェーも店先で選べます。
アイスクリームはザラザラ感のある昔懐かしい味で、そんなに美味しい訳じゃあないけど、どこにアイスクリームがあるのか分からないほど、まわりをいっぱいの果物で囲まれてきます。どちらかといえばいろんな果物を食べるついでにアイスクリームも、という食べ物。さらっとかかっているココナツが味を引き立てています。家で果物を食べる時は少ない種類をたくさん食べがち。ここに来ればいろんな種類をちょっとずつ食べられるので、満足感が違います。
物足りない時は、さらにチェーやシントーを頼みます。とにかくフルーツならここ、って感じのお店です。
本日は今までに発見した「ダラットの美味しい処」をご紹介しました。新しく見つけたらまた紹介しますのでお楽しみに。
(2004.03.21)
でも毎日家で三食ってのもねえ。買い物や準備、後かたづけも大変だし、たまには違うところで食べたいもの。そんなとき出かける店がいくつかあります。

ホーチミン市の家には犬が3匹いますから、食べ残しは全然気にならない。いくらあっても犬がぺろりと食べちゃいます。だけどダラットでは、全部人間がかたづけなくてはなりません。そこでつい食べ過ぎて「もうすぐ、死ぬ」などといいながら出っ張ったお腹をなでているうちはまだいい方。ひどくなると胸焼けに苦しんだり。そんなときはフォーを食べに行きます。
市場左手の丘の上、狭い道を入った所に、テーブル4つほどの小さなフォー屋があります。フォーというのは米の麺で、日本で言えばうどんやそばといった位置づけの食べ物。うどん、そばのバリエーションは豊富ですが、フォーにも少しあります。その2大バリエーションがフォーボー(牛肉フォー)とフォーガー(鶏肉フォー)。両方置いてある店がほとんどですが、ホントの専門店はどっちか1つを、肉の種類に最適な出汁で食べさせます。
ダラットの店は牛専門。メニューは普通盛りと小盛りの2種類だけという潔さです。黙って座れば黙って普通が出てきます。そこに付け合わせのハーブ類や酢漬け大蒜、茹でモヤシなどをぶち込んでザックザックと食べるのです。食べ終わると満腹になりますが、もたれないので、4時間もすればお腹が空いてきます。食べ過ぎで疲れた胃にぴったりです。ちなみに「普通」で8,000ドン。
もう少ししっかりしたモノを食べたい時はネムヌーン屋に行きましょう。ネムというのは豚肉をミンチ状にして固めたモノ。つまりまあ豚のハンバーガーですね。地域によってちょっと違っていて、発行させて酢っぱくしてあったり、混ぜモノが入っていたりします。ダラットの店はおばちゃん一家の伝統の味だそうで、混ぜモノはなし。赤身と脂身の割合と、香り付けに混ぜ込むハーブの粉が秘伝だとか。肉を串に細長く付けて炭火で焼きます。ヌーンというのは「焼く」ことです。
焼けた肉を縦割りにして串から外し、皿に盛ります。長さ15cm程、幅2cm程の竹輪を縦に割ったような形状です。サラダ菜、キュウリ、漬物、青いバナナ、スターフルーツ、紫蘇、ドクダミ、その他ハーブ、それにライスペーパーを丸めて揚げたパリパリ。全部または一部をネムヌーンと一緒にライスペーパーに乗せて、くるっと巻いて、特性の豆ベースのディップにつけて食べます。ディップは甘めなので、生の擦り唐辛子を加えてピリ辛度を調整します。運ばれて来た時は少な目に見えますが、ライスペーパーの原料は米。紙みたいでも結構お腹に溜まります。結局、1人前はちょうどいい量に落ち着きます。それで9,000ドン。
お腹がいっぱいになったら、デザートを食べに行きましょう。市場裏手の丘の上、教会の先に甘味屋があります。シントーというフルーツシェイクやチェーというお汁粉類、それにアイスクリームがメニューです。フルーツは季節によって少し違いますので、店先のショウウインドウで選ぶか、お任せにするか。チェーも店先で選べます。
アイスクリームはザラザラ感のある昔懐かしい味で、そんなに美味しい訳じゃあないけど、どこにアイスクリームがあるのか分からないほど、まわりをいっぱいの果物で囲まれてきます。どちらかといえばいろんな果物を食べるついでにアイスクリームも、という食べ物。さらっとかかっているココナツが味を引き立てています。家で果物を食べる時は少ない種類をたくさん食べがち。ここに来ればいろんな種類をちょっとずつ食べられるので、満足感が違います。
物足りない時は、さらにチェーやシントーを頼みます。とにかくフルーツならここ、って感じのお店です。
本日は今までに発見した「ダラットの美味しい処」をご紹介しました。新しく見つけたらまた紹介しますのでお楽しみに。
(2004.03.21)
2004年03月06日
市場に行ってみよう
ダラットの市場は街の中心、スンフーン湖尻から歩いてすぐの所にあります。間口に比べて奥行きが長い市場で、しかも4階建て。向かって左側の丘の上からは直接3階に入る通路もあります。
市場の正面は大きなロータリーに面していて、花屋がずらっと並んでいます。ダラットは花の産地なので、ホーチミン市から来たベトナム人が、帰る日の朝、たくさん花を買い込んでいる姿が目に付きます。
市場の建物は手前と奥の2つに別れていて、3階は通路でつながっています。手前の市場は1階が日用品や乾物、果物、花など。日本では滅多にお目にかかれないパッションフルーツや、特産品のイチゴを使ったジャムやドライフルーツなども並んでいます。2階部分は吹き抜けになっていて、1階の天井が高くなるように作られています。3階は衣類。少数民族の布や民芸品を売る一角もあります。奥の1階は主に野菜が積まれ、アーキチョークやピーマン、キャベツ、カリフラワーなど、ベトナムの他の場所にはあまり売られていないような野菜も多く売られています。2階は吹き抜けですが、周りを囲むように食べ物屋が並んでいて、買い物に疲れたベトナム人達の憩いの場になっています。3階は靴や鞄、衣類などが所狭しと並べられています。アクセサリー売り場の前に女の子の人垣ができていたりするのもこの辺りです。

この階から別の通路で、市場正面に向かって左側の丘の上に出ることができます。そこは街の中心部なので、この通路を利用する人も多いようです。通路の途中にはさらに上に行く階段があり、4階の事務所スペースを飛ばして一気に市場の屋上に出ることができます。屋上には有名な刺繍絵の店や喫茶店などがあり、おもに観光客のためのスペースになっています。
1階に戻りましょう。奥の建物のさらに奥に平屋の建物があって、中は肉や魚などの生鮮食料品売り場です。生きた魚は一番奥の狭い道路沿い、洗面器やたらいに入れられて泳いでいます。平屋の左手は鉈や包丁などの刃物類、電気器具や部品などの店が並んでいます。
以上が市場の中ですが、周辺にも店がたくさんあって、それらは市場を囲むように巡らせてある狭い道沿いに並んでいます。手前のロータリ近くから時計回りに見てみましょう。まず工事中の建物。現在2階まで作っていて、ここはなにかまとまった売り場になる感じです。その先は食器類、プラステイック製品、薬局。美容院やホテルもあります。市場の裏側はイモ。それから炭。さらに、いまはいませんが鶏などが生きたまま売られているスペース。市場右側に行くと野菜。それから笊や篭などが売られ、ロータリー近くにはアボカドやイチゴを路上に並べるおばちゃん達の姿があります。
市場の周囲は高くなっていて、左側の階段を上がると、斜面に段々畑状に店があります。ここは主に古着市場で、革ジャンやコートなどホーチミン市ではなかなか買えないようなモノがずらりと並んでいて、中にはイタリア製の皮コート等という掘り出しものも混じっています。でもほとんどは韓国製の中古品に皮のつや出しクリームをふんだんに塗りつけた代物です。それでも20ドルくらいから買えるので、寒い日の夜遊び用に一着あってもいいかもしれません。
市場内の通路は路上出店禁止ですが、時々天秤棒のおばちゃんが店を開いたりします。するとすぐに警備員が飛んできて、売り物を没収。懇願して没収だけは勘弁して貰っているおばちゃんの姿が見られたりします。さらに店のバイクや、バイクタクシーが客待ちをして停めているバイクがあちこちにあり、ジャンパー姿のオッちゃん達が屯していて、なんだか怪しげな雰囲気ですが、べつに危険はないのでご安心を。買い物荷物がたくさんある時はそんなオッちゃん達のバイクで家まで帰れるので便利です。
スーパーマーケットがないので、ダラットで買い物といえば市場。人々が毎日のように訪れては食料品や日用品を買い込むので、いつも混んでいて活気のある場所です。
(2004.03.06)
市場の正面は大きなロータリーに面していて、花屋がずらっと並んでいます。ダラットは花の産地なので、ホーチミン市から来たベトナム人が、帰る日の朝、たくさん花を買い込んでいる姿が目に付きます。
市場の建物は手前と奥の2つに別れていて、3階は通路でつながっています。手前の市場は1階が日用品や乾物、果物、花など。日本では滅多にお目にかかれないパッションフルーツや、特産品のイチゴを使ったジャムやドライフルーツなども並んでいます。2階部分は吹き抜けになっていて、1階の天井が高くなるように作られています。3階は衣類。少数民族の布や民芸品を売る一角もあります。奥の1階は主に野菜が積まれ、アーキチョークやピーマン、キャベツ、カリフラワーなど、ベトナムの他の場所にはあまり売られていないような野菜も多く売られています。2階は吹き抜けですが、周りを囲むように食べ物屋が並んでいて、買い物に疲れたベトナム人達の憩いの場になっています。3階は靴や鞄、衣類などが所狭しと並べられています。アクセサリー売り場の前に女の子の人垣ができていたりするのもこの辺りです。

この階から別の通路で、市場正面に向かって左側の丘の上に出ることができます。そこは街の中心部なので、この通路を利用する人も多いようです。通路の途中にはさらに上に行く階段があり、4階の事務所スペースを飛ばして一気に市場の屋上に出ることができます。屋上には有名な刺繍絵の店や喫茶店などがあり、おもに観光客のためのスペースになっています。
1階に戻りましょう。奥の建物のさらに奥に平屋の建物があって、中は肉や魚などの生鮮食料品売り場です。生きた魚は一番奥の狭い道路沿い、洗面器やたらいに入れられて泳いでいます。平屋の左手は鉈や包丁などの刃物類、電気器具や部品などの店が並んでいます。
以上が市場の中ですが、周辺にも店がたくさんあって、それらは市場を囲むように巡らせてある狭い道沿いに並んでいます。手前のロータリ近くから時計回りに見てみましょう。まず工事中の建物。現在2階まで作っていて、ここはなにかまとまった売り場になる感じです。その先は食器類、プラステイック製品、薬局。美容院やホテルもあります。市場の裏側はイモ。それから炭。さらに、いまはいませんが鶏などが生きたまま売られているスペース。市場右側に行くと野菜。それから笊や篭などが売られ、ロータリー近くにはアボカドやイチゴを路上に並べるおばちゃん達の姿があります。
市場の周囲は高くなっていて、左側の階段を上がると、斜面に段々畑状に店があります。ここは主に古着市場で、革ジャンやコートなどホーチミン市ではなかなか買えないようなモノがずらりと並んでいて、中にはイタリア製の皮コート等という掘り出しものも混じっています。でもほとんどは韓国製の中古品に皮のつや出しクリームをふんだんに塗りつけた代物です。それでも20ドルくらいから買えるので、寒い日の夜遊び用に一着あってもいいかもしれません。
市場内の通路は路上出店禁止ですが、時々天秤棒のおばちゃんが店を開いたりします。するとすぐに警備員が飛んできて、売り物を没収。懇願して没収だけは勘弁して貰っているおばちゃんの姿が見られたりします。さらに店のバイクや、バイクタクシーが客待ちをして停めているバイクがあちこちにあり、ジャンパー姿のオッちゃん達が屯していて、なんだか怪しげな雰囲気ですが、べつに危険はないのでご安心を。買い物荷物がたくさんある時はそんなオッちゃん達のバイクで家まで帰れるので便利です。
スーパーマーケットがないので、ダラットで買い物といえば市場。人々が毎日のように訪れては食料品や日用品を買い込むので、いつも混んでいて活気のある場所です。
(2004.03.06)
2004年02月20日
家の周りには何がある
家の後ろには古いフレンチヴィラがあって、ベトナム人の家族が何家族も住んでいます。ヴィラは政府の持ち物で、住んでいる人たちは政府の関係者なのでしょう。手入れをしないのでヴィラは荒れ放題、お化けが出るといっても信じられそうな雰囲気です。
家の前は谷で、左の方にベトナムのラストエンペラー、バオダイの別荘・パレス1があります。別荘自体ははこんもりと茂った木立に覆われていて、家からは見えませんが、朝早く起きて散歩に行くには最適です。家からずっと上り坂ですが、それほど急ではないので、朝の冷えた空気の中をゆっくりと歩いていきます。歩くのは車道なので、時々車やバイクも通りますが、朝ならそれもホンのときたま。道は松林の中、古いヴィラや教会を見ながら進みます。
ゆっくり歩いても20分ほどで、バオダイパレス1に到着。入場券を買って中に入ります。門からヴィラまでは広い庭になっていて、並木道の周りにはたくさんの花が植えられています。左手にはダラットの象徴、ランビアン山がよく見えます。庭をゆっくりと散歩しながら、写真を撮ったり、花を眺めたり。それからヴィラの中に入ります。

2階建てのヴィラは元々、森林関係の仕事をしていたボンジョリというフランス人が建てたもの。それをその後バオダイが買い取りました。それから旧南ベトナムの歴代大統領の別荘にもなり、そのため部屋から地下通路で裏のヘリポートへ出られるようになっているそうです。その通路は見られませんが、部屋は全て公開されていて、写真パネルの説明が着あります。バオダイの部屋、皇后の部屋、両親の部屋などの私室は2階に、1階は大食堂や会議室など。階段の途中から1階を見下ろすと、夜な夜な盛大なパーティが開かれていた往時の様子がしのばれます。閑な時間帯に管理のおじさんをつかまえると、いろいろと丁寧に説明してくれた上、普段は鍵がかかっているバスルームも見せてくれたりします。
外に出て裏に回ると、池や車庫があり、さしもの広大な敷地もそこでお終い。あとはブラブラと庭を門へと戻ります。門から先は、さっき上がってきた坂道を今度はゆっくりと降りていきます。家に着く頃にはお腹も空いて、朝ご飯が待ち遠しくなっています。
家の前の谷とその向こうの松林の尾根に行くには、ずっとコーヒー畑を下っていってもいいし、家の右手にある尾根道を下っていってもいいのですが、バイクで行くこともできます。バイクで行くにはぐるっと大回りをして、一度国道に出、ファンラン方面に少し走って、細い道を右折。未舗装路を下っていくと、右側にうち捨てられた建物が見えてきます。これはバオダイのお風呂だ、と言うのですが、べつに観光名所になっている訳でもなく、ただそこにあるだけ。ちょっと覗いてみると、壁で3〜4つの部屋に分けられています。一番奥の部屋は奥が池状になっていて、水が湧いているようです。水温は冷たくもなく、暖かくもなく、暑い日の午後なら、ちょっと浸かってみてもいいかな、という感じ。お風呂、というより水浴び場というかんじですが、バオダイが入ったのだ本当なら、なにか薬効正分が含まれているのかもしれません。
そこを過ぎて人家もとぎれて、道は畑の中を通り、やがて松林に出ます。松林の途中でバイクを停めれば、散歩やピクニックに最適です。松の木の向こうに我が家が見えます。いつもとは反対の風景が不思議に面白くて、見飽きることがありません。

家を出て、右に行けばバオダイパレスや国道ですが、左に尾根を下っていくと、どこに行くのでしょう。道は1km程先のお寺で舗装が終わり。お寺までも散歩コースになります。その先、お寺の裏の墓地を縫うように、未舗装路が続き、やがて墓は終わって、松林の中の道になります。
先日、道の途中で、小さな流れが道を横切っているのを発見。ちょっと流れをたどってみました。山の斜面に、段々畑があって、その畦道に沿って流れは続いています。どうやら農業用水に使うべく、誰かが畦沿いに溝を掘って水を流しているようです。そのあぜ道を歩いていくと、流れの音が聞こえてきました。近くに本流があるようです。
15分ほど歩いて、やっと本流に合流。本流といっても幅50cm程の流れですが、すぐに斜面を滝になって流れ下っているようです。滝までは藪でたどり着けませんが、その上の木に覆われた自然の流れのそばにいると、静かで涼しくて、なかなか快適。家のこんなに近くに清流が流れていたとは、ちょっとした発見でした。
というように、家の周りは自然一杯です。朝や夕方、ぶらっと散歩に出と、けっこう楽しいものです。ホーチミン市ならちょっと歩くと汗ダクになりますが、ダラットの気温ならその心配もなく、気分は爽快です。
家の前は谷で、左の方にベトナムのラストエンペラー、バオダイの別荘・パレス1があります。別荘自体ははこんもりと茂った木立に覆われていて、家からは見えませんが、朝早く起きて散歩に行くには最適です。家からずっと上り坂ですが、それほど急ではないので、朝の冷えた空気の中をゆっくりと歩いていきます。歩くのは車道なので、時々車やバイクも通りますが、朝ならそれもホンのときたま。道は松林の中、古いヴィラや教会を見ながら進みます。
ゆっくり歩いても20分ほどで、バオダイパレス1に到着。入場券を買って中に入ります。門からヴィラまでは広い庭になっていて、並木道の周りにはたくさんの花が植えられています。左手にはダラットの象徴、ランビアン山がよく見えます。庭をゆっくりと散歩しながら、写真を撮ったり、花を眺めたり。それからヴィラの中に入ります。

2階建てのヴィラは元々、森林関係の仕事をしていたボンジョリというフランス人が建てたもの。それをその後バオダイが買い取りました。それから旧南ベトナムの歴代大統領の別荘にもなり、そのため部屋から地下通路で裏のヘリポートへ出られるようになっているそうです。その通路は見られませんが、部屋は全て公開されていて、写真パネルの説明が着あります。バオダイの部屋、皇后の部屋、両親の部屋などの私室は2階に、1階は大食堂や会議室など。階段の途中から1階を見下ろすと、夜な夜な盛大なパーティが開かれていた往時の様子がしのばれます。閑な時間帯に管理のおじさんをつかまえると、いろいろと丁寧に説明してくれた上、普段は鍵がかかっているバスルームも見せてくれたりします。
外に出て裏に回ると、池や車庫があり、さしもの広大な敷地もそこでお終い。あとはブラブラと庭を門へと戻ります。門から先は、さっき上がってきた坂道を今度はゆっくりと降りていきます。家に着く頃にはお腹も空いて、朝ご飯が待ち遠しくなっています。
家の前の谷とその向こうの松林の尾根に行くには、ずっとコーヒー畑を下っていってもいいし、家の右手にある尾根道を下っていってもいいのですが、バイクで行くこともできます。バイクで行くにはぐるっと大回りをして、一度国道に出、ファンラン方面に少し走って、細い道を右折。未舗装路を下っていくと、右側にうち捨てられた建物が見えてきます。これはバオダイのお風呂だ、と言うのですが、べつに観光名所になっている訳でもなく、ただそこにあるだけ。ちょっと覗いてみると、壁で3〜4つの部屋に分けられています。一番奥の部屋は奥が池状になっていて、水が湧いているようです。水温は冷たくもなく、暖かくもなく、暑い日の午後なら、ちょっと浸かってみてもいいかな、という感じ。お風呂、というより水浴び場というかんじですが、バオダイが入ったのだ本当なら、なにか薬効正分が含まれているのかもしれません。
そこを過ぎて人家もとぎれて、道は畑の中を通り、やがて松林に出ます。松林の途中でバイクを停めれば、散歩やピクニックに最適です。松の木の向こうに我が家が見えます。いつもとは反対の風景が不思議に面白くて、見飽きることがありません。

家を出て、右に行けばバオダイパレスや国道ですが、左に尾根を下っていくと、どこに行くのでしょう。道は1km程先のお寺で舗装が終わり。お寺までも散歩コースになります。その先、お寺の裏の墓地を縫うように、未舗装路が続き、やがて墓は終わって、松林の中の道になります。
先日、道の途中で、小さな流れが道を横切っているのを発見。ちょっと流れをたどってみました。山の斜面に、段々畑があって、その畦道に沿って流れは続いています。どうやら農業用水に使うべく、誰かが畦沿いに溝を掘って水を流しているようです。そのあぜ道を歩いていくと、流れの音が聞こえてきました。近くに本流があるようです。
15分ほど歩いて、やっと本流に合流。本流といっても幅50cm程の流れですが、すぐに斜面を滝になって流れ下っているようです。滝までは藪でたどり着けませんが、その上の木に覆われた自然の流れのそばにいると、静かで涼しくて、なかなか快適。家のこんなに近くに清流が流れていたとは、ちょっとした発見でした。
というように、家の周りは自然一杯です。朝や夕方、ぶらっと散歩に出と、けっこう楽しいものです。ホーチミン市ならちょっと歩くと汗ダクになりますが、ダラットの気温ならその心配もなく、気分は爽快です。
