「それは妖怪のしわざだよ」と津村くんが言う。

「妖怪?」

「妖怪のしわざだよ」

 四限目の自習中、私は思い切って隣の席の津村くんに、私の鉛筆がどこかに落ちていなかったか聞いてみたのだ。彼は知らないと言ったけれど、少し考える素振りを見せた後、私にこう言ったのである。「それは妖怪のしわざだよ」と。

 それから昼休みになって、私はクラスメイトの友達と一緒にお弁当を食べながら、ぼんやりと妖怪について考えてみた。日本には、鉛筆を持ち主から一本だけ盗んで隠してしまうような妖怪がいるのだろうか? 仮にいるのだとして、どうすれば私はその妖怪から鉛筆を返してもらえるのだろう?

 五限目は体育で、雨の日だったので室内競技をやった。体育館にはバレーボールコートが二つ、バスケットコートが一つセットされて、私はなんとなく他の女子たちと同じように、男子のバスケの試合が右往左往する様子をただ眺めていた。

ソフモヒゴブリンの松原くんはその試合中、ほどほどの活躍をする。彼はあまりボール運びに直接的な関与をせず、リングから遠いところを漂って、スリーポイントを狙う。彼のスリーポイントシュートは、マークが緩ければ五本に一本くらいの確率で入る。素人にしちゃ上出来、なのかも。それにしても試合を眺めていると、ディフェンス時の双方のやる気のなさにはため息が漏れそうになる。みんな攻めることばかりに夢中。私はどちらかというと守ったり守るのを見ていたりするほうが好きだ。クラッシュオブクランでいえば村の防衛リプレイを見たり防衛配置を考えたりするのが好きだ。クラン対戦で自分の考え抜いたトラップに相手のユニットが引っかかってくれたときなどはたまらない気分になる。もしサッカーであれば、私はセンターバックやボランチなどの守備的なポジションで活躍してみたい。こんなへなちょこな身体じゃあ、どこで何をやったって駄目だろうけど。

 あんまりだらだらと見学ばかりしていると体育教師に目をつけられるので、私は頃合いを見て体育館から隣の小武道館へ移動した。小武道館では卓球台が六台展開されていて、そのうち三台で仲の良さ気な連中が順繰り順繰りピンポン球を打ち合っていた。その中に得点係をしている津村くんの姿があったので、私は彼のそばに近づいて「さっきの妖怪の件なんだけど」と声をかけた。「妖怪の件?」津村くんは首をかしげた。

「どうしたら鉛筆を返してくれると思う?」と私はたずねた。

「ああ。その話ね」

 綺麗なドライブのかかった球が気持ちよく決まり、私たちから見て右側のひとに得点が入った。津村くんがそれをカウントした。現在対戦している男子二人はどちらもシェイクハンドのドライブ型だった。ダイナミックな速攻がばしばしと決まる展開ばかりが続く。ラリーは五回以上は滅多に続かない。

「俺は思うんだけど」と津村くんは言った。

「もう横山さん自身の力じゃ、どうしようもないんじゃないかな」

 また点が決まった。今度は珍しく左側のひとの得点だった。

「妖怪の気まぐれにまかせるしかないってこと?」私は言った。

「うむむ」津村くんはなんだか歯切れの悪い返事を返してよこした。それにつられて私も「うむむ」とヘンにうなってしまった。

 また点が決まった。やっぱり右側のひとが勝った。圧勝だった。どうやらルールは勝ち抜き戦らしく、次は津村くんが左側に入る番だった。

「得点よろしく」津村くんに頼まれ、私はしぶしぶ台の折り目の近くに立った。

 ラケットを構える津村くんの姿は、なかなか様になってはいた。まるでホンモノの卓球部員だ。でも実際の彼は卓球部員ではないし、試合経験もない。その証拠に彼は右側のひとから一点も取れずぼこぼこにされて戻ってきた。おかげで得点を数えるのが楽で、助かった。

 

 私はある一つの仮説を立てた。そして鉛筆を返してもらうために――本当はそれよりも彼女に会いたくて――たくさん眠ることにした。仮説を信じるなら、夢を見ることでしか状況は解決しないのだから。

『鉛筆はあのときのバルキリーちゃんが持っている。』

 我ながら馬鹿げていると思った。だから誰にもこのことは言わなかった。このことに関する全てを押し黙って私は生活した。

 まず私は、授業中のほとんどを眠ることに費やそうとした。学校が終わるとすぐに帰宅して、寝支度もそこそこにベッドに潜り込んで目を閉じた。

 眠くなくても眠るというのは至難の業だ。二時間ずっと目を瞑っていても、まどろみさえしないことだってあった。ただの睡眠がこんなに難しいものだとは思っていなかった。毎日工夫をした。まず身体を疲れさせるために、体育がある日はなるべく全力で取り組み、卓球で津村くんを毎回ぼこぼこにした。数学の授業で集中力を使い切り、現代文と歴史の授業では先生の子守唄のような声を聞きながら目を閉じた。あまり疲れてしまうと深く眠り過ぎてしまうので、適度に調整をして、夢を見るための浅い眠りを何度も何度も繰り返した。

 それでも私は、鉛筆やバルキリーちゃんが関連する夢を一度も見ることができなかった。枕元に、見たい夢の内容を記した紙まで置いて眠ったというのに。恥ずかしい。恥ずかしさを通り越して憤りさえ感じてくるのだった。

 そんなことを一週間以上続けているうちに、私はとうとう身体を壊してしまった。睡眠なら腐るほど取っていたものの、良質でない浅い睡眠の過度な繰り返しで自律神経が乱れてしまったらしい。何事もやり過ぎはよくないのだ。食べ過ぎだってよくないのだし、寝過ぎだって身体によくないのは当たり前のことだ。

 しかしこれは逆にチャンスだった。学校に行かず、家にこもってひたすら眠ることができる。

 ところが学校を休んだその日の夜、私はとんでもない悪夢を見た。

 一列に並んだ、高くはないけれど低くもない壁の前に私は立っていた。一人ぼっちだった。呆然と壁の上のほうを見上げると、木と金属を組み合わせたやぐらのような高台が見え、そこには三人のピンク色の髪の毛の女性が立ち、弓をこちらに向け構えていた。私は声を上げる間もなく、背を向けて逃げ出す余裕もなく、数本の矢に身体を撃ち抜かれて倒れた。全身が泡状に弾け、エリクサーとなって飛び散り、やがて空気中に溶け込むようにして消えた。視界が真っ暗になり、私は飛び起きた。身体じゅうが濡れそぼっていたけれど、幸いそれはエリクサーではなくただの多量の寝汗だった。

 動悸を抑えながら、そういえば近頃めっきりクラッシュオブクランをプレイしていないと思い、スマートフォンを手に取った。所属していたクランから二日前にキックされていたことがわかった。当然だ。何も言わず、クラン対戦にも参加せずに放置していれば、正常なクランリーダーなら誰だってキックするもの。所属していたクランには特に未練もない。愛着心もない。あちらだって、私に愛着なんてこれっぽっちも沸いていなかっただろうけど。気分転換にまた別のクランを探せばよい話だ。でもまずは夢を見るために、クラクラはしばらくお休み。闇の兵舎はとっくにアップグレードが済んでいたけれど、私は大工を次のアップグレード先に回すこともなく、新しく訓練できるようになったユニットをタップすることもなく、アプリを閉じた。あんなに楽しみにしていたのに、私はどういうわけか少しも興味を持てなかった。どうしてだろう?

 タオルで全身の汗を拭ってから、私は再びベッドに潜り込み、目を閉じ、羊の数を数えた。柵を飛び越えていった羊の数は、二百を越えたあたりでわからなくなってしまった。今度はホグライダーの数を数えることにした。しかしホグライダーも百五十を越えたあたりでやはり有耶無耶になってしまった。数を数えるというのは単純だけれど想像以上に疲れる作業だった。なのに全然、眠れなかった。

 私はその時点から眠れない身体になってしまっていた。